はじめに
生涯を閉じようとしていたリーハイは,もし戒めを守るなら 栄えるが,不従順であれば主の前から絶たれるという約束と ともに祝福を子供たちに与えた( 2 ニーファイ 4:4 参照)。
主はこれと同じ約束をニーファイが働きを始めた初期にお与 えになった。ニーファイが神の戒めを守るかぎり,繁栄して,
「ほかのあらゆる地に勝ったえり抜きの地」である「約束の 地に導かれる」と約束された( 1 ニーファイ 2:20 )。さらに 主は,ニーファイの兄たちが彼に背くならば,彼らは「主の前 から絶たれる」であろうと言われた( 1 ニーファイ 2:21 )。
この約束はニーファイの民が,レーマンとレムエルに従って反 抗した者たちのもとを離れたときに成就した。
わたしたちは皆,善悪を選ばなければならない。 2 ニー ファイ 4 − 8 章では正しい選択を行うことの重要性が以下 の中で説かれている。( 1 )リーハイが孫たちに与えた祝福,
( 2 )ニーファイの思いをつづった詩篇に見られる考えと表 現,( 3 )ニーファイ人とレーマン人の分裂,( 4 )イスラエルの 散乱と集合に関するヤコブの教え。
注解
2 ニーファイ 4:3 − 11 リーハイは自分の家族に祝福 を与えた
• リーハイは生涯を閉じるに当たって,子供たちに福音を教 えた。現在でも,主の僕たちは子供に教える親の責任を引 き続き強調している。大管長会と十二使徒定員会は次のよ うに宣言した。「わたしたちは警告します。…… 家族の責 任を果たさない人々は,いつの日か,神の御前に立って報告 することになります。」(「家族 ― 世界への宣言」『リアホ ナ』2004 年 10 月 号,49 。 教 義 と 聖 約 68:25 − 29 も 参 照)
末日聖徒のほとんどの親はリーハイと同様,この責任にき わめて真剣に向き合っている。十二使徒定員会の M・ラッ セル・バラード長老は,親としての務めを果たすに当たって 家族の重要性を中心に考えなければならないことを次のよう に説明している。「この家族中心の考え方を持っている末 日聖徒は,世界一の親になろうと努力するでしょう。子供に 対しても,実際には霊のきょうだいですから非常に敬意を払 うでしょう。家族を強めるために必要であれば幾らでも時間 をささげるでしょう。親自身にとっても,子供にとっても,家 族が互いに愛し合い,支え合うこと以上に,幸福と深くかか わっていることはありません。」(『リアホナ』2006 年 11 月 号,42 )
2 ニーファイ 4:5
養育の大切な原則についてここではどのようなことが 教えられているか。この原則を通して,
両親はどのように勇気と信仰を得ることができるか。
2 ニーファイ 4:7 − 10 レーマンとレムエルの子供たち
• 神は,レーマンとレムエルの子供たちに憐れみが与えられ ると語ったリーハイの約束を成就してこられたし,今後も引 き続き果たされる。モルモン書にはレーマンとレムエルの子 供たちに対するリーハイの約束が果たされた例が幾つか記 されている(アル マ 17 − 26 章;ヒラマン 5 − 6 章;13 − 15 章参照)。神は終わりの時においてもレーマンとレムエル の子供たちへの憐れみを約束したリーハイの言葉を実現し ておられる。大管長会のヘンリー・B・アイリング管長はこ のように説明している。
「真理についての証を家族に受け渡すために忠実に努力 すれば,わたしたちの思いもつかない方法で,その力は増し 加えられ,時を超えて伝えられるでしょう。
その証拠は, だれもが知っている家族の中に見ることが できます。わたしは南アメリカの宣教師たちの表情にそれ を見ました。何百人もの宣教師がわたしと握手をし,ひと みの奥をのぞき込みました。わたしは圧倒される思いでし た。父祖リーハイとサライアの子孫が主の業のために,そこ にいました。天の御父が約束されたことを守られたからで す。リーハイは死ぬ間際に,子供たちに教えと証を伝え,祝 福を授けようとしました。彼の子孫は,リーハイやほかの預 言者たちの証を拒み,聖文を拒んだときに,ひどい悲劇に見 舞われました。しかし,わたしは宣教師たちのひとみや表情
ジェリー・トンプソン,© IRI
から, 神が約束を守ってリーハイの聖約の子らに手を差し 伸べられたことと,わたしたちの子孫にも手を差し伸べてく ださることを確信しました。」(『聖徒の道』1996 年 7 月号,
73 )
2 ニーファイ 4:15 − 16 「わたしは聖文に喜びを感じ る」
• 中央初等協会会長のチェリル・C・ラント姉妹は,2 ニー ファイ 4:15 に聖文を効果的に読む 3 つの方法が明らかに されていると述べた。すなわち,第 1 ,聖文に喜びを感じる こと,第 2 ,聖文について心に深く考えること,第 3 ,聖文を 生活に刻み込むことである。
「この聖句はモルモン書をどう読むべきか教えています。
3 つの重要な事柄が記されているのです。
一つは,『喜びを感じる』ことです。わたしはこの言葉が 大好きです。聖文を読むとき,知識に飢え渇くことについて 思い巡らすことはありますが,それは喜びを感じることとは 違います。聖文から何を学ぶかは,どう準備をするかによっ て決まります。聖文を読むときはいつも,ある意味,新しい目 を持った新しい自分として取り組みます。自分の現状や直面 している出来事,態度はすべて,自分がどれほど聖文から学 ぶかに影響します。わたしは聖文が大好きです。聖文を読 むとき,そこから見いだす真理を大切に心に留めています。
励ましや指示,慰め,強さ,求めている答えを受けるとき,心 は喜びで満たされます。人生はより明るくなり,道が開けま す。聖文を読む度に,天の御父が愛し心にかけてくださって いることを再確認します。これはまさにわたしの喜びです。
ひかりクラスのある男の子が言ったように,『聖文について考 えるとうれしくなる!』のです。
2 番目は,『聖文について心に深く考え〔る〕』ことです。
わたしは聖文を心にとどめることが好きです。読んだことの 真髄が心に残り,平安と慰めをくれます。また,聖文から得 た知識を通して導きと指示を受け,従うことにより自信が生 まれます。……
〔 3 番目は〕もちろん,ニーファイのように聖典に書き記す ことはありませんが,聖文を読み,学んだ原則に従うことに より,その聖句は生活に刻み込まれるようになっていきます。
聖文が行動を律し,そこに書き記され,子供たちはそれを見 て,従うようになります。聖文から学んだ原則に基づく遺産,
すなわち義にかなって生きるという伝統を築き上げることが できます。」(『リアホナ』2005 年 11 月号,76 − 77 ) 2 ニーファイ 4:15 − 35 ニーファイの詩篇
• 詩篇とは「霊感によって作られた詩,または賛美歌」であ
る(『聖句ガイド』「詩篇」の項)。古代ヘブライ語の詩につ いて知識がない人であっても,2 ニーファイ 4 章につづられ たニーファイの詩篇に表された心からの嘆願を感じ,理解す ることができる。本来,詩篇は声に出して読むものである。
ニーファイの詩篇を書いたときのニーファイの気持ちを思い 浮かべながら,声を出して読む。
2 ニーファイ 4:17 − 18 罪と弱点を克服する
• ニーファイの義,試練の間の忠実さ,神への献身はモルモ ン書全体に見られるが,それでも彼は「おお,わたしは何と 惨めな人間なのだろう。……わたしは,非常にたやすくま とわりつく誘惑と罪に取り囲まれている」と叫んだ( 2 ニー ファイ 4:17 − 18 )。預言者ジョセフ・スミス( 1805 − 1844 年)は次のように教えた。「人は完成に近づけば近づくほ どに視野が開け,喜びが大きくなっていく。そしてついには 人生の悪に打ち勝ち,あらゆる罪への思いを断ち切るように なる。」(History of the Church,第 2 巻,8 )恐らく,ニー ファイはわたしたちから見ればささいな弱点に心を向けて悲 しみを感じ,いかなる罪のこん跡からも逃れたいと思ったの であろう。
ニーファイは自分の弱点を克服できるよう主の助けを心か ら願い求めた。これは,わたしたちが自分の弱点に打ち勝 つ方法を理解する手がかりになる。わたしたちも自分自身の 体験から,同じように行動する必要性を学んでいるはずであ る。十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老は,わ たしたちがなぜ悔い改めるよう命じられているかについて教 え,そして主の贖罪の力を活用することを勧めている。
「御父と御子はなぜ悔い改めるよう命じておられるので しょうか。わたしたちを愛しておられるからです。すべての 人が,永遠の律 法に背くことを御存じでした。それが小さ くても大きくても,律法が破られると,この世で喜びを得る という約束と,天の御父のもとへ帰るという特権を保つため に,正義の要求を満たさなければなりません。もし満たさな ければ,裁きの日に正義の要求により,わたしたちは神の前 から追放されて,悪魔の支配下に置かれます〔 2 ニーファイ 9:8 − 10;2:5 参照〕。
そのような罪の宣告を避けられるようにしてくださったの が,救い主と贖罪の業です。それはイエス・キリストを信じ,
戒めを従順に守り,そして最後まで堪え忍ぶことによって可 能になります。
皆さんは,さらに大きな平安と喜びを味わえるように,悔 い改めのもたらす贖罪の力を生活の中で十分に生かしてい るでしょうか。心の動揺や落胆があれば,それらはしばしば 悔い改めを必要とするしるしなのです。また,生活の中に霊 第 8 章