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エノス−モルモンの言葉

モーサヤ 1 − 3 章

はじめに

 ベニヤミン王は,民の中にいる聖なる預言者たちの助けを 受けながら,「自分の体力の限りを尽くし,能力の限りを尽く して働くことによって…… 国内に…… 平和を確立した……。」

(モルモンの言葉 1:18 )そして晩年に,民を神殿に集めた。

この集まりでは王としてどのように民を治めてきたかを報告 し,後継者として息子のモーサヤを任命し,キリストの福音 と贖罪について教え,イエス・ キリストの御名を身に受ける ようニーファイの民に訓戒した。ベニヤミンの説教のうち本 書のこの章で扱う部分には,王が信奉していた理想,すなわ ちほかの人のために進んで奉仕し,神の導きに感謝し,救い 主に頼ることが述べられている。わたしたちはベニヤミン王 が教えた原則に従って生活することによって,さらに謙遜に なり,神との聖約による関係を強めることができる。

注解

• モルモン書の各書の長さと期間の範囲を比較することは 有益であろう。付録から「モルモン書のページ数と期間」の 表( 395 ページ )を参照する。

モーサヤ 1:1 − 2 モーサヤ書では,記述が一人称か ら三人称に変わる

• モルモン書の最初の数書は一人称で記 述されているが,

モーサヤ書ではそれが三人称に変わっている。ニーファイ 第一書からオムナイ書まではニーファイの小版からの翻訳 であり,原著者による記録であるため,一人称で書かれてい る。しかし,モーサヤ書から第四ニーファイまでは,モルモ ンがニーファイの大版から短くまとめたものの翻訳である。

これらの書は原著者による記録をモルモンがまとめた縮約 版である。

モーサヤ 1:3 − 10 神の奥義

• モルモン書の中に使われている「神の奥義」(モーサヤ 1:

3 )という言葉には,イエス・ キリストの福音の救いの原則が 含まれている。奥義と言われているのは神秘的で理解が困 難だからではなく,わたしたちの信仰と従順に基づいて神か ら啓示されるからである。奥義は,神の子供たちを永遠の 命へ導くためのものである。「奥義は神からの啓示,すなわ ち秘められた神聖な教えを通してしか分からない真理であ る。…… 現代では,神権の回復や死者のための業,教会の 回復などに関する真理といった偉大な真理が『奥義』であ る。なぜなら,それらは啓示による以外には見いだすことが できなかったからである。」(ハイラム・M・スミス,ヤンネ・

シェダール,The  Doctrine  and  Covenants  Commentary,  1972 年改訂版,141 )

モーサヤ 1:4 −7

ベニヤミン王によれば,聖典の記録がなかったなら, 

ニーファイの民にはどのようなことが起きていたか。

モーサヤ 1:4 − 6 「エジプト人の言葉」

• ベニヤミンもニーファイ( 1 ニーファイ 1:2 参照)もモロナ イ(モルモン 9:32 参照)も皆,エジプト人の言語について 述べている。モーサヤ 1:4 − 6 でベニヤミン王は,息子た ちが「エジプト人の言葉」を学ぶ必要があった理由を明らか にしている。真鍮版とニーファイの版に刻まれていた戒めを 研究するために必要だったのである(モーサヤ 1:6 参照)。

ニーファイの時代からモロナイの時代に,ニーファイの民はエ ジプト人の言葉の一形態を使っていた( 11 ページにある 1 ニーファイ 1:2 の注解,および 345 ページにあるモルモン 9:32 − 34 の注解参照)。

モーサヤ 1:10 モーサヤ,新しい王となる

• モルモン書を綿密に調べてみると,古代イスラエルに由来 する伝統や習慣が数多くあることが分かる。モーサヤ書の 最初の数章にはモーサヤがニーファイの民を治める王位に就 く経緯が書かれているが,これは旧約聖書に記された王位 の継承と酷似している(スティーブン・D・リックス, King,  Coronation, and Covenant in Mosiah 1 − 6, 参照,ジョ ン・L・ソレンソン,メルビン・J・ソーン編,Rediscovering  the Book of Mormon〔 1991 年〕,209 で引用)。

 即位の儀式に関するモルモン書と旧約聖書との注目すべ き類似箇所は次のとおりである。( 1 )王は天により選ば れるという通念(モーサヤ 1:9 − 10;6:3,  5;列王上 2:

15;列王下 15:5 参照),( 2 )聖なる場所での即位(モーサ ヤ 1:18;列王上 1:39 − 45 参照),( 3 )即位のときに授与 される神聖な記念の品,工芸品,その他の品物(モーサヤ 1:15 − 16;列王下 11:12 参照),( 4 )聖別(モーサヤ 6:

3;列王上 1:33 − 34 参照)(Rediscovering  the  Book  of 

Mormon, 210,  213 − 14 で引用されているリックスの説明

参照)。

 「さらに,新しい王は前任者が亡くなる前に就任すること が理想とされた。そして王位の継承は,民が神と聖約を交 わす儀式または交わした聖約を更新する儀式と結びついて い た。」(Rediscovering  the  Book  of  Mormon, 216 で 引 用されているリックスの説明参照)この聖約は,少し後にベ ニヤミン王の民が「わたしたちは,…… 神の御心を行い ……

神の戒めに従うという聖約を交わします」と宣言することに よって行っている(モーサヤ 5:5 )

モーサヤ 1:11 − 12 ベニヤミン王が民に与えたいと 望んだ名

• ベニヤミン王が民を集めたおもな目的は,民に名を与える ことであった。民の霊性を高めたいと望んでいたのである。

王をはじめ多くの聖なる預言者は長年,民に説教し,キリス トの御名を身に受けられるよう霊的に備えた(モルモンの言 葉 1:5 − 18 参照)。ベニヤミン王は説教の随所で,民に与 えたいと望む名を受けるにふさわしくなる方法について語っ た。その後,モーサヤ 5:8 − 11 の中で,その名はイエス・

キリストの御名であると明言した。

モーサヤ 2:9

個人の礼拝をさらに意義深いものにするために,ベニ ヤミン王の教えをどのように活用することができるか。

モーサヤ 2:17  奉仕

• ハワード・W・ハンター大管長( 1907 − 1995 年)は,す べての奉仕の中心には義がなくてはならないと次のように教 えた。「どうぞ続けて奉仕の 機会を見つけてください。地 位に対して意識過剰にならな いでください。 …… 感 謝 を 受けることも大切ですが,わ たしたちの関心は義を行うこ と,奉 仕することになければ なりません。 人に認められ,

地位を得ることへ関心が注が れてはなりません。毎月毎月,

黙々とその責任を果たしている訪問教師がいますが,主の御 業という観点から見れば,彼女たちは一部の人々が教会でよ り高いと考えている地位にある人々と,重要であることに何 ら変わりはないのです。目に見えるものが価値を決定する わけではないのです。」(「教会の姉妹たちへ」『聖徒の道』

1993 年 1 月号,109 )

• 七十人のロバート・J・ホエットン長老は,ほかの人々に行 う奉仕を,個人の改心の深さを測る尺度として用いることが できると説明している。

 「改心とは,助けが必要な人を世話し奉仕するために生活 をささげ,賜物や祝福を分かち合うことです。……

 一つ一つの無私の親切な行いや奉仕が霊性を高めてくれ ます。神はだれかを祝福するために皆さんをお使いになりま す。継続的な霊的成長と永遠の進歩は,人間関係や隣人と の接し方と大いにかかわりがあります。皆さんはほんとうに 人々を愛し生活を祝福する者となっているでしょうか。人と いかに接するかが,改心の度合いを測る尺度ではないでしょ うか。教会の中で自分にかかわりのあることしか行わない 人は,決して完全という目標に達することはできないでしょ う。奉仕こそが,福音と永遠の命が求めているものなので す。」(『リアホナ』2005 年 5 月号,91 )

• 十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,奉仕の内 容だけでなく,奉仕をする理由が非常に重要だということを わたしたちがよく理解できるように助けている。

 「最後に挙げるのは,わたしの考えでは,最高の動機だ と思います。それは,奉仕に関連して,聖典の中で『最もす ぐれた道』と呼ばれているものです( 1 コリント 12:31 )。

……

 最も効果的な奉仕をするためには,神への愛,また神の 子供たちへの愛を動機としなければなりません。」(『聖徒の 道』1985 年 1 月号,14 − 15 )

モーサヤ 2:21 − 24 ,34 「神に恩を受けている」

• 十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老( 1917 − 2008 年)は,イエス・ キリストがわたしたちのために支払っ てくださった負債に対して感謝を示す方法として,生涯をか けて永遠の命を求めるべきであると教えている。

 「救い主に対する負債はどのようにして返済することがで きるでしょうか。救い主は,決して支払うことのできない負 債からわたしたちを解放するために,御自分に関係のない負 債を支払ってくださいました。救い主のおかげでわたしたち は永遠に生きるのです。主の無限の贖罪のおかげでわたし たちの罪はぬぐい去られ,神のすべての賜物のうち最も大い なる永遠の命にあずかることができます〔教義と聖約 14:7 参照〕。

 そのような賜物に代価はあるのでしょうか。その賜物に 対して代償を支払うことができるのでしょうか。モルモン書 の預言者であるベニヤミン王はこう教えました。『たとえあ なたがたが全身全霊の力を尽くして一切の感謝と賛美をさ さげたとしても,……たとえ全身全霊を尽くして仕えたとし ても,それでもなお,あなたがたはふつつかな僕である。』

〔モーサヤ 2:20 − 21〕」(『リアホナ』2004 年 5 月号,43 ) 第 18 章

ドキュメント内 モルモン書 生徒用資料 宗教コース 121‒122 (ページ 134-140)