第 21 章
モーサヤ 25 − 29 章 モーサヤ 2 世
はじめに
当時,大勢の「若者」は自分たちの先祖の証を拒み,教会 員に「多くの罪を犯させた。」(モーサヤ 26:1 ,6 参照)そ こでアルマは神の律法を破った教会員にどのように対処した らよいか主の導きを求めた。また,自分の息子が「真理の知 識に導かれるように」祈った(モーサヤ 27:14 参照)。こ の二つの祈りに対する答えは,今日のわたしたちにとって貴 重な教えとなっている。大きな罪を犯す人を神権指導者が 諭し,悔い改めの道を歩めるよう助ける方法を学ぶ。また,
アルマの息子アルマとモーサヤの 4 人の息子の話を読むと,
すべての人は「神から生まれる」必要があることが分かる。
この章の学習を通して,イエス・ キリストの贖罪を受け入れ ることによって,人がどのように悔い改め,心の底から改宗 し,ほかの人々の救いのために働きたいと願うようになるの か考える。
注解
モーサヤ 25 − 29 章 モーサヤ 2 世
• モーサヤ書は,話の筋が入り組んだり,過去の出来事が突 然挿入されたりするため分かりにくいことが多い。付録から
「オムナイ書からモーサヤ書に記された,過去にさかのぼる 記述」の表( 397 ページ )を参照する。
モーサヤ 25:5 − 11 聖文の影響力
• モーサヤ 25:5 − 11 の中で,モーサヤは民に聖文を「読 んで聞かせた。」聖文が民に与えた影響を下記に挙げる。
1. 民は「不思議な思いと驚き に打たれた。」( 7 節)
2. 民は「非常に大きな喜びに 満たされていた。」( 8 節)
3. 民は 殺された同胞のこと を思って「悲しみでいっぱ いにな〔った〕。」( 9 節)
4. 民 は「神 の …… 慈 し み」
に気づいた( 10 節)。
5. 民 は「神 に 感 謝 をささげ
〔る〕」必要を感じた( 10 節)。
6. ほかの人々の罪を思い,「苦痛と苦 悩にさいなまれた。」
( 11 節)
モーサヤ 26:1 − 4 若者たち
• 大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,教会の青少 年に神を信じるように教える必要を強調した。「青少年の 信仰を築くことほど大切な務めは王国の中にありません。ど
ジェリー・トンプソン,© IRI
の世代のどの子供にも,信じるか信じないかの選択肢が与 えられています。信仰は親から受け継ぐものではなく,本人 が選択するものです。ベニヤミン王の言葉を信じた人々はそ のことを学びました。彼らの子供たちの多くは後に,不信仰 を選びました。聖文にはその理由として『彼らは主なる自分 たちの神に請い願おうとしなかったからである』と書かれて います(モーサヤ 26:4 )。」( Inquire of the Lord 〔ニー ル・A・マックスウェル長老と過ごす夕べにおける話,2001 年 2 月 2 日〕,1 , www.ldsces.org )
• 十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,教会 の青少年に向けた話の中で,年長の教会員が自分より若い 者を訓練する理由について次のように説明した。「教会で 行われる多くの事柄は,モルモン書の中で『若者』とか『青 年』(モーサヤ 26:1;アルマ 5:49 )と呼ばれている皆さ んのためのものです。皆さんが今歩んでいる人生の道をす でに歩んできたわたしたちは,自分が学んできたことの幾つ かを皆さんに教え,励ましたいと願っています。また,歩ん で行く道の両わきにある落とし穴や危険について警告した いと思っています。可能な場合には,皆さんと一緒に歩き,
皆さんがわたしたちから離れないように見守りたいのです。」
(『聖徒の道』1995 年 7 月号,42 − 43 )
モーサヤ 26:1 − 6
アルマが直面した若者の問題は何か。
モーサヤ 26:8 − 12 モーサヤ王が教会員を裁くのを 断った理由
• モーサヤ王は王として預言者として,国中に教会を設立す る権能をアルマに与えた。その後,アルマは不従順な教会 員を裁いてもらうために,彼らをモーサヤの前へ連れて行っ た。それはアルマにとって当然のことに思えた。しかし,王 はアルマに神権の権能を委任したので,教会の律法に背い た者に対処する責任はアルマにあると述べた。モーサヤは 国の律法を破った者の裁きを留保した。
モーサヤ 26:20 「あなた〔は〕永遠の命を受ける」
• 主は,アルマが「永遠の命を受ける」と宣言した(モーサ ヤ 26:20 )。 預 言 者 ジョセフ・スミス( 1805 − 1844 年)
は,人がこの約束を得る過程をこう説明している。「人はキ リストを信じる信仰を持ち,罪を悔い改め,罪の赦しのため にバプテスマを受け,(按手により)聖霊を受けた後,…… 引 き続き神の前に謙遜になり,熱心に正義を求め,神の一つ一
つの言葉によって生活するなら,主は間もなく,息子よ,あな たは高く上げられると言われる。主がその人を十分に試し,
あらゆる危険を冒して主に仕えようと固く決心していること が分かると,その人は自分が召され選ばれたことを確認し,
ヨハネの証に記録されているとおり,主が聖徒たちに約束 された別の慰め主を受ける特権にあずかる。」(History of the Church,第 3 巻,380 )
モーサヤ 26:24 − 28 主を知る
• 十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老( 1917 − 2008 年)は,主を知ることのできる方法について次のように 説明している。「わたしたちは毎日聖文を読み,少なくとも 朝晩,試練のときには必要なら毎時間,熱心な祈りを通して 主と交わり,主の戒めを守ることにより,主を知ることを選ぶ ことができます。次の聖句を忘れないでください。『もし,
わたしたちが彼の戒めを守るならば,それによって彼を知っ ていることを悟るのである。「彼を知っている」と言いなが ら,その戒めを守らない者は,偽り者であって,真理はその 人のうちにない。しかし,彼の御言を守る者があれば,その 人のうちに,神の愛が真に全うされるのである。それによっ て,わたしたちが彼にあることを知るのである。』( 1 ヨハネ 2:3 − 5 )」(Finding Peace in Our Lives〔 1995 年〕,74 ) モーサヤ 26:29 − 30 罪の告白
• 悔い改めの過程の一環として罪の告白が必要である。主 はこう宣言された。「人が罪を悔い改めたかどうかは,こ れによって分かる。すなわち,見よ,彼はそれを告白し,そ してそれを捨てる。」(教義と聖約 58:43 )『真理を守る
― 福音の参考資料』の中に,次のような説明がある。
「告白。『その罪を隠す者は栄えることが〔ありません。〕
言い表わしてこれを離れる者は,あわれみをうけ〔ます。〕』
(箴言 28:13)赦しに不可欠なのは,天の御父に自分がして しまったことを,すべて残らず進んで打ち明けるという態度 です。御父の前にひざまずいて謙遜に祈りをささげて,自分 の罪を認めてください。自分の恥ずべき行為や罪を告白し,
助けを願い求めてください。
純潔の律法に対する背きの ように,重大な罪を犯すと,会 員資格が危うくなることもあ ります。したがって,このよう な罪は主ならびに教会におい て主を代表する人々に告白す る必要があります。告白は教 会の見張り人,判士として働く ビショップまたは支部会長,
状況によっては,ステーク会長または伝道部会長の助けを受 けて行います。罪を赦すことがおできになるのは主だけで すが,これらの神権指導者は悔い改めの過程で重要な役割 を果たします。告白を内密に保ち,悔い改めの全行程を通じ て助けてくれます。ですから,彼らに対してはすべてを正直 に話してください。小さな過ちだけに触れて,一部だけしか 告白しなければ,より重大で,明らかにされていない背きを 解決することができなくなります。告白の過程を早く始めれ ば始めるほど,それだけ赦しの奇跡からもたらされる平安と 喜びを見いだすのが早くなります。」(『真理を守る ― 福音 の参考資料』65 − 66)
モーサヤ 26:31
自分に対して過ちを犯す人を赦さないと,
どのような結果になるだろうか。
モーサヤ 26:32 − 36 「彼らの名は消された 」
• モーサヤ 26:36 に書かれている「名前は消された」とい う言葉は破門という意味である。教会員が深刻な罪を犯し た場合,主の僕たちは罪を犯した人が悔い改められるよう に段階を踏んで助けなければならない。時には,この過程 に公式または非公式の宗紀が含まれることがある。十二使 徒定員会のダリン・H・オークス長老は次のように説明して いる。
「教会の宗紀は会員たちに神の戒めを守るよう勧めるもの である。宗紀が存在するというだけで,…… 問題の深刻さ を強調し,神の戒めの意味を明らかにしている。教会とは異 なり,罪に許容的な一般社会にあってこれは非常に重要で ある。……
羊飼いには羊の群れを守る責任がある。…… その責任か ら,罪を犯した人に聖徒との交流を断る,あるいは正会員資 格を剥奪することさえ必要とされる場合がある。イエスはこ う教えている。『悔い改めなければ,その人がわたしの民を 滅ぼすことのないように,あなたがたはその人をわたしの民 の中に数えてはならない。見よ,わたしは自分の羊を知って おり,わたしの羊は数えられているからである。』( 3 ニーファ イ 18:31 。 モーサ ヤ 26:34 − 36 も参 照)」(The Lordʼs Way〔 1991 年〕,216 ,227 )
• 大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長( 1920 − 2007 年)は,教会の宗紀に該当する罪を下記のように明らかにし た。
第 22 章