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− 24 章 アルマの民とリムハイの民の比 較

ドキュメント内 モルモン書 生徒用資料 宗教コース 121‒122 (ページ 155-158)

第 21 章

モーサヤ 19 − 24 章 アルマの民とリムハイの民の比 較

• 預言者アビナダイはノア王の邪悪な民のところへ 初めて 行ったとき,悔い改めないと奴隷になると告げた(モーサヤ 11:21 参照)。 2 年 後,再び民のところへ 行くよう主がア ビナダイに命じられたとき,民はまだ悔い改めていなかった

(モーサヤ 12:1 参照)。そのため,主の言葉によると,この 民が皆奴隷になることは避けられなかった。さらに,アビナ ダイが 2 度目に説教したとき,ノア王の民に対する主の警告 はいっそう厳しいものであった。奴隷になるだけでなく,多 くの人が殺され,飢饉と疫病に襲われる。それでも悔い改め なければ,滅亡に至るというものであった(モーサヤ 12:2

− 8 参照)。

 アビナダイが 2 度目に訪れた後,民の中に分裂が生じた。

アルマはアビナダイを信じ,アルマに耳を傾けた一群の人々 は悔い改めて義にかなった民になった。しかし,ノア王と,

後にその息子のリムハイの支配下にあった大部分の民は,

ずっと後になるまで悔い改めなかった。どちらの民も,主の 警告を最初に受けたときに悔い改めることを拒んだため,結 局奴隷になってしまった。しかし,アルマの民は自発的に悔 い改めたが,リムハイの民はやむを得ず悔い改めた。両者に 起きたことの間には,以下のような相違点があった。これに ついて考えてみよう。

第 21 章

時期 リムハイの民 アルマの民 アビナダイが 2

度目に訪れたと き

ノアの民はアビナダイを拒み,殺した(モーサヤ 17 章)。

邪悪な生活を続けた。

アルマはアビナダイの言 葉 を 信じた(モ ーサ ヤ 17:2 − 4 )。

アルマはやむを得ず逃げた。

アビナダイが 2 度目に訪れた後

ノアとリムハイの民は邪悪な生 活を続けた(モーサ ヤ 19:2 − 20)。

民の中に分裂が生じた( 2 節)。

争いが起きた( 3 節)。

レーマン人に襲われた( 6 − 7 節)。

ノア王は自分の民に殺された( 20 節)。

民 はレ ーマ ン人 に 捕らえら れ,レ ーマ ン人 に 所 有 物 の 半 分を貢ぎ 物として納めることになった( 15 節)。

少数の人々がアルマを信じた(モーサヤ 18:

3 − 21)。

アルマの説教を聞きに行った( 4 節)。

悔 い 改 めて信 仰 を 持 つ よう 教 えら れ た( 7 節)。

神と聖約を交わした( 8 − 11 節)。

自分たちを滅ぼそうとするノア王のたくらみ から逃れた( 33 − 34 節)。

アビナダイの死か ら 2 年後(モー サヤ 19:29)

リムハイの民,隷 属の状 態に耐える(モーサヤ 19:

22 − 20:22 )。

隷属の状態に耐え,所有物の半分を貢ぎ物として納 めた( 19:22 )。

レーマン人に襲撃された( 20:7 )。

レーマン人に反撃した( 20:8 − 11)。

隷 属 の 状 態 に 置 か れ る こ とを 受 け入 れ た( 20:

22 )。

ア ル マ の 民 は 繁 栄 し た(モ ー サ ヤ 23:2

− 5 )。

主に強められた( 2 節)。

町を建設した( 5 節)。

最初の 2 年が過 ぎてしばらくの間

(モーサヤ 19:

29)

隷属の状態が悪化した(モーサヤ 21:3 − 6 )。

レーマン人はニーファイ人の頰を打ち,権力を振るっ た( 3 節)。

レーマン人はリムハイの民に重荷を負わせ,家畜の ように追い立てた( 3 節)。

民は苦難のためにつぶやいた( 6 節)。

リムハイの民は束縛から解放されるために 3 度戦っ た が,そ の 度 に 打 ち 負 かさ れ た。多くの人 が 殺 さ れ,大きな悲しみを味わった( 7 − 12 節)。

アルマの民は引き続き平 和であり,繁 栄して いた(モーサヤ 23:19 − 20)。

義にかなった生活を送った( 14 − 15 節)。

非常に栄えた( 19 − 20 節)。

最初の 2 年が過 ぎてしばらくたっ た後

リム ハイの民は悔 い改め,主に立ち返った(モ ーサ ヤ 21:7 − 14 ,25 − 26 )。

民はやむを得ずへりくだった( 13 − 14 節)。

奴隷のくびきと虐待を甘んじて受けた( 13 節)。

主に熱烈に叫び求めた( 14 節)。

助 けを求め るためにゼラヘムラへ人々を 派 遣した

( 25 − 26 節)。

アルマの民は引き続き平 和であり,繁 栄して いた。

時期 リムハイの民 アルマの民 最初の 2 年が過

ぎてしばらくたっ た後

主はついにレーマン人による束縛から民を解放した

(モーサヤ 21:15 − 22:16 )。

主は彼らの嘆願を聞き届けるのを遅くされた。それ でも敵の心を和らげ,敵は民の重荷を軽くした( 21:

15 )。

最 初 は 奴 隷 の 状 態 か ら 解 放 さ れ な か った( 21:

15 )。

次第に栄え始めた( 21:16 )。

ほかの人々を助けた( 21:17 )。

神に仕えると聖約した( 21:31)。

レーマン人の見張り兵にぶどう酒を届け,兵はぐっす り眠った( 22:7,10)。

民は逃れた( 22:11)。

アルマの民は引き続き平 和であり,繁 栄して いた。

紀元前約 121 − 120 年(モーサ ヤ 22 )

リムハイの民はゼラヘムラの地へ到着した(モーサ ヤ 22:13 )。

レーマン人の軍隊はリムハイの民を追跡した( 15 − 16 節)。

アルマの民は奴 隷になり,主の力で解 放され た(モーサヤ 23 − 24 章)。

リムハイの民を追 跡したレーマン人の軍隊が ヘラムの 地でアルマの民を 発 見した(モ ーサ ヤ 23:25 )。

アルマの民は奴隷の状態に置かれた(モーサ ヤ 24:8 − 10)。

民 は 忠 実 さ を 失 わず,忍 耐 強く堪 え 忍 ん だ

( 10 − 16 節)。

主は 彼らの重 荷を軽くし,彼らを強くされた

( 14 − 15 節)。

主は民を奴隷の状 態から解放し,ゼラヘムラ の地へ導いた( 20 節)。

• リムハイの民はレーマン人により奴隷にされていた間,やむ を得ず主を思い起こした。アルマの民はアビナダイの 2 度目 の警告の後,自ら進んで悔い改めた。その結果,リムハイの 民の苦難はアルマの民よりも大きく,長く続いた。数年後,

息子アルマはこれらの二つの民が経験した異なる結果を理 解するのに役立つ原則を次のように説明した。「やむを得ず へりくだっている……人は時々,やむを得ずへりくだってい ても悔い改めようとする……。」(アルマ 32:13 )しかし「や むを得ずへりくだるのではなく,自らへりくだる人々は幸いで ある。」( 16 節)

モーサヤ 21:13 − 14 謙遜になるといっそう主に頼る ようになる

• 奴隷の状態から解放されるための 3 度目の戦いに敗れた 後,リムハイの民はついにへりくだって神へ心を向けて祈り,

御手による解放を願い求めた。自らの経験により,やむを得 ず主を求め,肉の腕に頼らないことを余儀なくされた(アル マ 32:13 − 16;2 ニーファイ 4:34 参照)。

 エズラ・タフト・ベンソン大管長( 1899 − 1994 年)は,

人は謙 遜になるといっそう主に頼るようになると教えた。

「謙遜は,もちろん弱さのしるしではありません。謙遜は臆 病という意味でもありません。人は謙 遜でありながら,強 さと勇敢さをあわせ持つことができます。預言者ジョセフ・

スミスが良い例です。謙遜とは自分が高き天の力に依存し ていることを認めることです。」(The  Teachings  of  Ezra  Taft Benson〔 1988 年〕,369 )

第 21 章

モーサヤ 21:15 − 22

リムハイの民はどのようにして「その地で次第に  栄え始めた 」のか( 16 節)。わたしたちは同様の 

助けを受けるにはどうしたらよいか。

モーサヤ 21:15 「それでも主は,彼らの嘆願を聞き届 け……てくださった 」

• リムハイの民の多くが苦痛を味わったのは自業自得の結果 であったが,たとえそうであっても主は憐れみ深く彼らの祈 りにこたえられた。預言者ジョセフ・スミス( 1805 − 1844 年)は,自分の過ちの結果として味わうことになった悲しみ に対して主が示してくださった憐れみがどのようなものか次 のように述べている。「わたしは人生における過去のあらゆ る瞬間を思い浮かべ,心の敵が自分を支配する大きな力を 持つのをこれまで許してきた自分の愚かさを嘆き,悲しみの 涙を流すのです。しかし神は憐れみ深く,わたしの罪を赦し てくださっており,神が御自分を信じ御前にへりくだるすべて の人に慰め主を送ってくださることにわたしは喜びを感じま す。」(『歴代大管長の教え ―ジョセフ ・スミス』243 ) モーサヤ 23:21 「主は民の忍耐と信仰を試される」

• アルマに従った民は悔い改め,忠実であったにもかかわら ず,主はこの民をしばらくの間レーマン人に抑圧されるに任せ られた。こうしてアビナダイの預言が成就し(モーサヤ 12:

1 − 5 参照),民の忍耐と信仰が試された。十二使徒定員会 のオルソン・F・ホイットニー長老( 1855 − 1931 年)は,わ たしたちが経験することはすべて貴重な教訓となると教えて いる。「わたしたちが経験する苦痛や試練の中に,無駄にな るものは一つもない。それはわたしたちを教育し,忍耐,信 仰,不屈の精神,謙遜などの特質を培うのである。わたした ちが苦しみ,耐える事柄はすべて,人格を築き,心を清め,

霊を成長させる。忍耐強く堪える場合には特にそうである。

また優しさと慈愛が深まり,神の子と呼ばれるふさわしさが 増す。…… 悲しみや苦しみ,苦労や苦難を通してこそ,人は 教育されるのである。わたしたちがこの世へ来たのは教育 を受けるためであり,教育によってわたしたちは天の父母の ようになることができるのである。」(スペンサー・W・キン ボール,Faith  Precedes  the  Miracle〔 1972 年〕,98 で引 用)

ドキュメント内 モルモン書 生徒用資料 宗教コース 121‒122 (ページ 155-158)