はじめに
ヤコブの時代のニーファイ人は,高慢と非常に豊かな富の ために,多くの罪,特に不道徳の罪に陥っていた。預言者の 召しの重さを感じていたヤコブは,これらの悪習を非難し,
民に悔い改めるよう大胆に呼びかけた。預言者とその他の 教会指導者が重要なメッセージを伝えるためにはっきりと語 るのを,あなたが目撃したのはいつだろうか。あなたは霊的 な叱責の言葉を発した一人の神権指導者の神聖な指示を理 解することにより,ますます悪が増加する世にあって現代の 預言者の警告の声をさらによく理解することであろう。
ヤコブがニーファイ人に罪のもたらす結果について教えた 後に彼らの注意を救い主に向けていることに注目する。ヤ コブは,キリストの恵みにより罪と弱さに打ち勝つ力がわた したちにあることを教えている。そして,こう問いかけてい る。「キリストの贖罪について語るのに…… 何の差し支え があろうか。」わたしたちはそうすることによって,「復活と来 るべき世についての知識を得る」(ヤコブ 4:12 )。これに よって,救い主が与えてくださる罪と死からの贖いの賜物に 対して感謝の気持ちを増し加えることができる。
注解
ヤコブ 1:2 − 8 ヤコブが書き記した目的
• ヤコブは小版に引き続き記録を残す準備をするに当たっ て,兄ニーファイと同じ目的を持っていたことに留意する。
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,ヤコブの 目的を次のように説明している。
「ヤコブはキリストの教義について述べることを強く心に 決めていたようである。救い主の贖罪についての自分の証 に多くのスペースを割いていることから,ヤコブはこの基本 的な教義を最も神聖な教え,最も偉大な啓示と考えていたこ とが明らかである。
ヤコブは次のように述べている。『わたしたちは多くの啓 示を受け,十分な預言の霊を授かっていたので,将来来られ るキリストのことも,将来築かれるキリストの王国のことも
知っていた。
それゆえ,わたしたちは,……民の中で熱心に働いて,キ リストのもとに来 ……るように彼らに説き勧めた。……
それで,わたしたちが神に願ったのは,すべての人が ……
キリストを信じ,キリストの死について考え,キリストの十字 架を負い,世の辱めを忍耐する……ようにということであっ た。』(ヤコブ 1:6 − 8 )
モルモン書の中の預言者で,意気込みあるいは個人の証 において,ヤコブ以上に説き勧める業を忠実に行った人はい なかったのではないだろうか。彼は世の誉れを退け,正統 で,信頼の置ける,苦痛さえ伴う教義を教えた。また,彼は 主を直接知っていた。ヤコブは,青少年時代に決意するこ とについて,モルモン書に見られるきわめて重要な模範を示 している。彼はキリストの御名を擁護するために十字架を 負い,世の辱めに耐えることを決意した。また,レーマンとレ ムエルの悪事のために父と母が悲しみのうちに墓に身を横 たえるのを目にするという困難な初期の時代を含め,荒れ野 で最初に生まれたこの人物にとって,人生は決して容易なも のではなかった。」(Christ and the New Covenant〔 1997 年〕,62 − 63 )
ヤコブ 1:9 − 19 ニーファイとニーファイ人の王たちの 統治
• ニーファイは,後にレーマン人として知られるようになった 兄たちから別れた後,自分の民の中に王国を築いた( 2 ニー ファイ 5 章参照)。そして,彼らはニーファイ人として知られ るようになった。ニーファイは不承不承ではあったが,最初 の王となった( 2 ニーファイ 5:18 − 19 参照)。ニーファイ は,王として指導者として治めた期間を「わたしの統治」と 述べている( 1 ニーファイ 10:1 )。彼に続く第二の王やそ の他の王は皆,ニーファイと呼ばれた(ヤコブ 1:11 − 15 参 照)。王たちの記録と世俗の歴史はおもにニーファイの大版 に記された(ジェロム 1:14;オムナイ 1:11;モルモンの言 葉 1:10 参照)。
ニーファイ人の歴史中の主要な指導者 紀元前 600 年−紀元 421 年
さば きつ か さの統治年
西暦年 王,大さばきつかさ,総督 歴 史 上あるいは教 会の 指導者
軍の指導者
紀元前 600 ニ ーフ ァ イ( 2 ニ ーフ ァ イ 5:18 − 19)
ニーファイ( 1 ニーファイ 1:
1 − 3;19:1 − 4 )
ニ ーフ ァ イ( 2 ニ ーフ ァ イ 5:14;ヤコブ 1:10)
紀元前 544 任じられたほか の 者(ヤコ ブ 1:9)
ヤ コ ブ( 2 ニ ーフ ァ イ 5:
26;ヤコブ 1:1 − 4 ,17
− 18 ) 紀元前 544 −
420
エノスと多くの 預 言者たち
(エノス 1:22 ,26 ) 紀元前 399 「主 を 信 じ る 信 仰 の 篤 い
人々」(ジェロム 1:7 )
ジェロムと主の 預言者たち
(ジェロム 1:1,10 − 11)
「主 を 信 じ る 信 仰 の 篤 い 人々」(ジェロム 1:7 )
紀元前 361 オムナイ(オムナイ 1:1− 3)
紀元前 317 アメ ー ロ ン(オム ナイ 1:4
− 8)
ケミシ(オムナイ 1:9)
紀元前 279 − 130
モーサヤ1(オムナイ 1:12
− 23 )
ベ ニ ヤ ミ ン(オ ム ナ イ 1:
23 − 25; モ ル モ ン の 言 葉)
アビナドム(オムナイ 1:10
−11)
ア マ レ カ イ(オ ム ナ イ 1:
12 )
ベ ニヤミンと聖なる預 言者 た ち(モ ル モ ン の 言 葉 1:
16 − 18;モ ーサ ヤ 1 − 6 章)
モーサヤ1(オムナイ 1:12
− 23 )
ベ ニ ヤ ミ ン(オ ム ナ イ 1:
23 − 25 )
紀元前 124 モーサヤ2(モーサヤ 1:15 ) モーサヤ2(モーサヤ 6:3)
紀元前 122 ア ル マ1(モ ー サ ヤ 25:
19;26:28 )
1 紀元前 91 アルマ2(モーサヤ 29:44) アルマ2(モーサヤ 29:42) アルマ2(アルマ 2:16)
9 紀元前 83 ニ ーフ ァ イ ハ(ア ル マ 4:
17,20)
18 紀元前 74 モロナイ(アルマ 43:17 )
19 紀元前 73 ヒラマ ン1(アルマ 37:1;
45:20 − 23 ) 24 紀元前 68 −
67
パ ホ ー ラ ン(ア ル マ 50:
39 − 40)
32 紀元前 60 モ ロ ナ イ ハ(ア ル マ 62:
43 )
36 紀元前 56 シブロン(アルマ 63:1)
39 紀元前 53 ヒラマン2(アルマ 63:11)
第 15 章
ヤコブ 1:15 そばめとは何か
• 旧約聖書中のそ ば めは,「第 2 位の 妻,すなわち当時の 社会で一般に見られた階級制度においてそばめと呼ばれな かった妻と同等の地位にない妻と見なされた。」(ブルース・
R・マッコンキー,Mormon Doctrine, 第 2 版〔 1966 年〕,
154 )主がその結婚を承認された場合,そばめは妻として全 面的な保護を受け,貞潔の律法に違背しなかった(教義と 聖約 132:34 − 43 参照)。しかしながら,モルモン書の時 代に,主はそばめを承認されなかった(ヤコブ 2:27;モー サヤ 11:2 参照)。
さば きつ か さの統治年
西暦年 王,大さばきつかさ,総督 歴 史 上あるいは教 会の 指導者
軍の指導者
40 紀元前 52 パ ホー ラン2(ヒラ マ ン 1:
1,5 )と パ クメナイ(ヒラ マン 1:13 )
42 紀元前 50 ヒラ マ ン2(ヒラ マ ン 2:1
− 2)
53 紀元前 39 ニ ーフ ァイ1(ヒ ラ マ ン 3:
37 )
ニ ーフ ァイ1(ヒ ラ マ ン 3:
37 ) 62 紀元前 30 セ ゾ ー ラ ム(ヒ ラ マ ン 4:
18;5:1)
モロナイハについての 最 後 の記述(ヒラマン 4:18 ) 66 紀元前 26 セゾーラムの息 子(ヒラマ
ン 6:15 )
? ? セ ゾ ー ラ ム(ヒ ラ マ ン 6:
39;9:23 )
92 紀元 1 ラコーニアス1( 3 ニーファ イ 1:1)
ニーファイ2( 3 ニーファイ 1:1 − 2 )
紀元 16 ギドギドーナイ( 3 ニーファ
イ 3:18 ) 紀元 30 ラコーニアス2( 3 ニーファ
イ 6:19)
? ニ ーフ ァ イ3( ? )( 4 ニ ー
ファイの表題)
紀元 110 ア モ ス1( 4 ニ ーフ ァイ 1:
19 − 20)
紀元 194 ア モ ス2( 4 ニ ーフ ァイ 1:
21)
紀元 305 ア マ ロ ン(4 ニ ーフ ァイ 1:
47)
紀元約 321 − 335
モ ル モ ン(モ ル モ ン 1:1
− 3)
紀元 326 モルモン(モルモン 2:2 )
紀元 385 モロナイ(モルモン 6:6 )
ヤコブ 1:18 「祭司と教師に任じられていた 」
• ジョセフ・フィールディング・スミス大管長( 1876 − 1972 年)は,ヤコブ 1:18 に述べられている祭司と教師を次の ように定義している。「ニーファイ人は,リーハイの時代か ら救い主が彼らを訪れられた時代まで,メルキゼデク神権 によって職務を果たした。ニーファイはニーファイ人の地を 管理する祭司と教師として『ヤコブとヨセフを任じた 』こ とは事 実である。 しかし,祭 司 と 教 師が〔英 語で〕複 数 形になっているのは,これがいずれも神権の特定の職を指 すものではなく,民を教え,指 導し,勧告を与える一 般 的 な任務であったことを示している。」(Answers to Gospel
Questions,ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア
編,全 5 巻〔 1957 − 1966 年〕,第 1 巻,124 )
ヤコブ 1:19 「主に対して自分たちの務めを尊んで大 いなるものとした 」
• トーマス・S・モンソン大管長は,ほかの人々に仕える神権 者の義務について次のように述べている。
「召しを尊んで大いなるものとするとは,どういう意味で しょうか。それは,召しが威厳と重要性をもって確立される ことであり,だれの目にも尊く,称賛に値するものとして映る ようにし,さらに召しを拡大・強化して,それによって人々に 天の光を輝き渡らせることです。
では,どのようにして召しを尊んで大いなるものとするの でしょうか。簡単に言えば,召しに伴う奉仕を行うことです。
長老は長老としての義務を学び,実行することにより,聖任 された召しを尊んで大いなるものとします。これは長老だけ でなく,執事,教師,祭司,ビショップ,そのほかすべての神 権の職にある人に当てはまります。」(『リアホナ』2005 年 5 月号,54 )
ヤコブ 1:19 ;2:2 「民の罪を自分たちの頭に受け る」
• 教会内で指導する責任を受けている人々には,厳粛な責 任がある。指導者は召しを受けながら,導くべき人々に神 の言葉を教えるのを怠るとき,人々の罪に対する責任の一 部を負うことになると,ヤコブは教えている。大管長会の ヒュー・B・ブラウン管長( 1883 − 1975 年)は,ヤコブが 述べた責任についてさらに詳しく述べている。
「ジョン ・ テーラー大管長はあるとき,神権を持つ兄弟た ちに次のように語りました。『もし皆さんが与えられた召し を尊んで大いなるものとしなかったら,義務を果たしていれ ば救えたであろう人々について,神はその責任を皆さんに問 われるでしょう。』
これは深く考えさせられる言葉です。作為の罪または不 作為の罪により,これから先やればできることを怠ったら,
わたしは疑いなく,愛する人々とともに苦しみを受けなけれ ばならないでしょう。しかし,もしわたしがビショップ,ス テーク会長,あるいは教会の中央幹部としての責任を怠り,
あるいは自分の指導下にいる人々を救うために教え,導き,
指示し,助けることを怠り,その結果として失われる人がいる ならば,主はその人々についてわたしたちに責任を求められ るでしょう。」( Conference Report ,1962 年 10 月,84 ) ヤコブ 2:8 − 10 「神の厳しい命令に従って」勧告す る
• ヤコブは,「傷ついた心を癒す御言葉」(ヤコブ 2:8 )を 教えるよりも,あるいは「喜びをもたらす神の御言葉」( 9 節)を語るよりも,「すでに傷を負っている者たち…… の傷 を深くする」( 9 節)ことになる話をするように主から強く求 められていると感じた。神権指導者が教会員に悔い改めを 呼びかける場合,率直で,努力を求める言葉を必要とするこ とがある。
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,繊細 さと大胆さのバランスに注意して真理を教える必要があると 述べている。
「ヤコブは,実際,彼が告げなければならない罪と,それ を告げるときに使わなければならない言葉についてわびる のに,10 節も費やしている。『あなたがたの幸いを願う気 持ちと心配がこれまでよりも大きいので,心が沈んでいる』
と言い,『まじめに 』これを行うと述べている(ヤコブ 2:2
− 3 )。わたしたちはヤコブのことを知っているので,もし彼 が以上のように言わなかったとしたら,逆に驚くことだろう。
これらの言葉に見られる悲しみの口調,文字どおりのそ の深い悲しみに耳を傾けてほしい。それは,神とその戒め に確固として忠実であろうと一心に求めて常に努力してきた 彼が語った言葉である。
『まことに,あなたがたの心が邪悪であることをあなたが たに証言しなければならないのは,わたしにとって悲しいこ とであり,またわたしはこのために,造り主の御前で恥じて 縮み上がる思いである。……
それゆえ,わたしの心は重い。というのは,神から受け た厳しい命令があるので,どうしてもあなたがたの罪悪につ いてあなたがたを戒めなければならず,そのようにすること で,すでに傷を負っている者たちを慰め,その傷を癒す代わ りに,ますますその傷を深くすることになってしまうからであ る。また,傷を負っていない者たちに対しても,喜びをもた らす神の御言葉を味わわせる代わりに,短刀で彼らの心を 第 15 章