字を知らず統治される側にある下層民の厚情、倫理観を対比させようとする意図から、これ らの脚色を施したのであろうと思われる。
このように『二十年目睹之怪現状』は、淡々と社会の事象を記してきた後、第
107、108
回で不意に‘生涯第一の失意’である家庭争議を述べるホームドラマに変じ、作品の統一感 が失われ唐突に終わる。『二十年目睹之怪現状』は第45
回以降を分冊で刊行していた。呉趼 人は1910
年に急死し最終刊は死後に刊行されたので、最終回をいつ書いたか定かでない。しかし、死の前年の
1909
年に続編として「近十年之怪現状」を連載し始めていることから、おそらくその前後に『二十年目睹之怪現状』を稿了したものと考えられる。
終幕の唐突感は否めないが、第
108
回末尾で‘『二十年目睹之怪現状』九死一生筆記’を 文述農が預かり、第1
回で筆記を託された‘死里逃生’が出版するという出だしにもどる仕 組みは、構成力の巧みさを見せて面目躍如の感がある。その点から見て、最後に構成が破綻 したのではなく、連載当初から予定していた結末の付け方であったと推定される。この結末 は、百鬼夜行の世を演じる“見られる人々”の非人間性、それを“見る人々”の儒教道徳に 則った生き方の挫折を見届けた“作者の目”を表しているといえる。“見る人々”の挫折す る終幕は、呉趼人自身の人生を体現しているといえる。“見る側”の人物と同様の信念を抱 いて失意を味わった自身の人生への屈託の表れでもあったのであろう。作者呉趼人は‘九死 一生’に自身の人生を仮託したといえる。自身を仮託した‘九死一生’の閲歴の最期に、一族にまつわる回想を叙述して作品を終わ っている点で、主人公は作者自身、或いは作者を投影した‘九死一生’であるともいえよう。
後述するように呉趼人は、郷紳を核とする地方勢力は立憲制度を樹立するにあたっての障碍 となるとの見解を表している。失意の末に彼は、地縁血縁を拠り所に連携運営される経済活 動、地方政治、官僚体制という、中国社会の基本構造そのものに対する懐疑に行き着いたと 思われる。
註
1
P.ラディン・K.ケレーニイ・C.G.ユング著『トリックスター』(皆川宗一・高橋英男・河合隼雄訳 1974.9.25晶文社)(晶文社 1974.9.25)は文化人類学の側面から、‘秩序や権威に従わず欲望のままに既成の価値を破壊 しながら新たな価値を生み出していく行動様式、狡猾で残酷かつ無邪気で滑稽な性格、相手を出し抜く独創的
112
発想、禁忌を畏れない欲望追及の姿勢、滑稽尾篭な振る舞いで笑いを誘う道化的個性’といったトリックスタ ーの性格的特質を抽出している。呉趼人の小説に登場する小悪党の姦計に特徴的な、欲望の追求、非倫理性、
自己中心性、非情、関係者や状況への無関心、新局面の展開といった性格は、そのような‘トリックスター’
の特質に合致している。呉趼人の小説中に描かれた下層民小悪党の言動は程度の差はあれみなトリックスター の特性に合致した要素を備えていると思われる。ただ、P.ラディン他『トリックスター』は神話的視点に基づ く研究の成果である。該書によれば、トリックスターは本来、原初の英雄や創造者、神話的存在であった。呉 趼人の描く下層民小悪党の悪事には強い社会的影響力が見いだせるが、トリックスターのもたらす絶対的創造 性とは異なっている。本論においては、“狡猾かつ滑稽な性格”、“既存の倫理や良識に捉われず自己の欲望を 追求”する小悪党の悪事を、人の心を操って利益獲得を画策する悪党について、呉趼人自身の用いた‘傀儡の 糸を操る者’の用語を借用し、“傀儡師”と呼んだ。
トリックスターについては以下の著書を参考にした。
P.ラディン・K.ケレーニイ・C.G.ユング著『トリックスター』皆川宗一・高橋英男・河合隼雄訳(晶文社1974 年9月)、山口昌男『道化の民俗学』(岩波書店2007年4月)、J・P・B・デ=ヨセリン=デ=ヨング「トリック スターの起源」宮崎恒二他訳『オランダ構造人類学』(せりか書房1987年12月所収)、井波律子『トリックスタ ー群像』(筑摩書房2007年1月)
2『趼廛筆記』<神簽><紀痛><制煤油><果報>(宣統二(1910)年上海広智書局)(『呉趼人全集』第 7 巻所収 版を使用)、『上海三十年艶跡』<金巧林><後二怪物>(原名『胡宝玉』光緒三十二(1906)年上海楽群書局)『呉 趼人全集』第 7 巻所収版を使用、『趼塵詩刪剰』<課弟><清明日借瑞棠弟展君宜大弟墓,用辛卯「都中寻先兄墓」
韵(八首)><七月十九日夜接季父电,诏赴*陵省疾,即夜成行,戚友知己都不及走告,赋此留别(二首)><宜昌奔季父丧 归,道出荆门,纪以一律>(『呉趼人全集』第 7 巻所収版を使用)、『二十年目睹之怪現状』第三回:(先に船中で遭っ た役人を詐称する盗賊が実は盗みを副業とする役人であったことや‘野鶏道台’、命婦の売春の話題から官界は‘娼 婦と盗人の溜り場’(男盗女娼)であると感じ入る件に)‘两个道台,两个道台夫人,恰是正反对,写来好看杀人,
我闻诸人言,是接实事,非凭空构造者’という評が付されている。
3高伯雨「『二十年目睹之怪現状』索隠」(『呉趼人全集』第 10 巻所収)、陳幸蕙『『二十年目睹之怪現状』研究』(国 立台湾大学出版委員会 中華民国七十一年六月)、王俊年「呉趼人年譜」(『我仏山人文集』第8巻所収(花城出 版社1989年5月))、
4包天笑曾经向吴趼人请教小说作法,包氏说:“他(吴趼人)给我看一本薄子,其中贴满了报纸上所载的新闻故事,也有 笔录友朋所说的,他说这都是材料,把它贯穿起来就成了。(<编辑杂志之始>”…≪钏影楼回忆录≫p358香港大华出 版社1971)
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5傀儡師について呉趼人は、「劫余灰」第一回で‘上自碧落之下,下自黄泉之上,无非一个大傀儡场,这牵动傀儡的 总线索,便是一个‘情’字(『全集』第 5 巻 p81)’と述べ、‘情 ’ を“傀儡を操る糸”としている。「電術奇談」
では‘此书以写情论,则凤美、仲达、敏达是傀儡,士马是牵动傀儡之线索,自余诸人,是看傀儡戏者。以催眠术论, 士马是药,仲达、凤美是试药表,自余诸人,是观演技者。(『文集』第 6 巻 P183)’と述べ、悪役の蘇士馬を‘情’
を操り利欲を満たすプロデューサーの位置に置いている。
6夫馬進「中国明清時代における寡婦の地位と強制再婚の風習」前川和也編『家族・世帯・家門―工業化以前の世 界から』所収(ミネルヴァ書房1993.4.10)
7第二次アヘン戦争/アロー戦争、アロー号事件ともいう。咸豊六年(1856)、広東港で清国官憲が香港籍船アロー号 の中国人乗員を海賊容疑で拘束しイギリス国旗を引き降ろしたことが発端となった。中国全域への貿易開放を求 めていたイギリスが出兵を強行、広東省城を攻撃すると、翌年、フランスも宣教師殺害事件を口実に参戦した。
英仏聯合軍は広州を陥れ、同八年(1958)天津、同十年(1960)北京を占領したので清廷は和議に応じ天津条約、北 京条約を締結した。
8 葉名琛/嘉慶十二年(1807)-咸豊九年(1859)、湖北漢陽出身。道光十五年(1835)の進士、翰林院編修。道光二十四 年武郷試校閲大臣。咸豊二(1852)年太平天国軍鎮圧の功により両広総督。咸豊六年(1856) ‘アロー号事件’に端 を発した英軍の侵攻に攻守を怠り咸豊七年(1857) 十二月二十九日(11.14)広州陥落。捕虜となりカルカッタに連 行されその地で病死した。
9 扶乩は扶鸞、扶箕ともいう。五世紀ごろ始まり清代に全国的に普及した交霊術。吊るした筆や手で支えただけの 木の棒が自動的に動き砂や線香の灰を敷いた盤上に文字や詩句や記号が描き出される。それを解釈し神霊からの メッセージとする。文字、詩文を媒介とすることで知識人にも歓迎され、民衆教化の役割も果たした。
10同治十一年十一月一日(1872.2)曽国藩と李鴻章は毎年三十名、四年間に百二十名の英才を留学させる旨の章程を 上奏し容閎らを留学生監督にアメリカを留学先に決定する。
曽国藩/嘉慶十六年(1811)~同治十一年二月 (1872.3)、湖南省湘郷出身。字滌生。道光十八年(1838)の進士。
咸豊十年(1860)両江総督、同治九年(1870)直隷総督。太平天国軍鎮圧の功臣、洋務運動指導者、桐城派学者文 人として軍事、政治、文芸界に君臨した。
李鴻章/道光三年(1823)-光緒二十七年(1901)、安徽省合肥出身。字少荃。道光 27 年(1847)の進士。咸豊九年(1859)、
曽国藩の幕僚となり同治元年(1862)曽の推挙で江蘇巡撫、同治九年(1870)直隷総督兼北洋大臣。洋務運動の総 帥、北洋陸海軍建設者として清末政治外交に権勢を揮った。
11 琦善/乾隆五十五(1790)~咸豊四(1854)、満洲正黄旗人。侯爵、大学士。字静庵。道光二十年(1840)、英艦の天 津攻撃の際の直隷総督。林則徐に代わり欽差大臣として広州で英軍との和議に応じ罷免された。
114
12 牛鑒/?-咸豊八(1858)、甘粛武威出身。字鏡堂。号雪樵。嘉慶進士。道光二十一年(1841)両広総督を拝命。英軍 侵攻の際英艦の砲撃に遁走した。後に中英南京条約締結に関わった。
13伊里布/乾隆三十七 (1772)~道光二十三(1843)、満洲鑲黄旗人。字莘農。嘉慶 6 年(1801)の進士。道光 20 年(1840) 両江総督。アヘン戦争勃発後浙江に赴き、妥協を画策し解任されるが翌年復職、耆英と共に南京条約を締結する。
14 耆英/乾隆五十五(1790)-咸豊八(1858)、満洲正藍旗人。字介春。道光二十二年(1842)、欽差大臣となりアヘン戦 争における全権として南京条約を締結する。同二十四年(1844)両広総督となりアメリカと望廈条約、フランスと 黄埔条約を締結した。
15「発財秘訣」に登場する拝金主義者の中心人物区丙、花雪畦について、作者は第 9 回評語で花雪畦を発財の奥義 を身に付けた人物と注記し、末尾の第 10 回評語では区丙と花雪畦の行為をその他の拝金主義者たちに優先して描 いたと特記している。
区丙は外国人の珍重しそうな廉価の特産物を新興都市香港で売るという斬新な着想により成功する。最初区丙 は香港で‘料泡’(半円球状の薄い碗とストロー状の細い円管を組み合わせたガラス製のラッパ)を売ろうと思 い立つ。料泡を行商しようとする区丙を香港に住む広東人たちが‘こんなものを売っても足代にもなるまい’と 嘲る場面から、それが人の意表をつく着眼であったことがわかる。ところが相場を知らない外国人が高値で買い、
吹き方が分からないので吹くとすぐ壊れ、また買い替えるのでぼろ儲けとなる(第 1 回後半~第 2 回前半)。 区丙は次の売れ筋商品として棗の種大で将棋、操船、農作業等の所作を活写し風景、建物、道具も揃った精 巧な石湾地方特産のミニチュア陶人形に目をつける。自国での売り物や贈答品にしようとする外国人が争って買 い日に数千個も売れたので、区丙は数ヶ月で巨万の富を築き行商をやめ香港と広州に店舗を構える(第 2 回後半)。 第 2 回評語は区丙の独創性を高く評価している。
なべて実業をなすものは創作に携わるにせよ販売に携わるにせよ時運を眺め随時改めていけば永く栄える ものだ。いつも思うにわが国の人間は何業に携わろうと旧法を墨守し頑固に改めず衰退に甘んじているのは嘆 かわしい限りだ。区丙という一行商人は時運を眺め世の嗜好に応じる力があったのだ。嗚呼!その富を僥倖と 言うなかれ。
凡事业家,无论为操艺术者,操转运者,皆当默察社会风气,随之转移,然后其业可久可大,每怪吾国人无论所操何业,皆一成不变,甘心坐致败坏,
是则大可哀者也。区丙一小负贩,乃能潜窥默察,投其所嗜好者,呜呼!毋谓其富为侥致也。p14
区丙とその妻は小心で滑稽な道化役として描かれている。香港での行商を思い立った区丙に妻は特技も腕 力も語学力もなしに香港で稼ぐのは無理だと反対する。腹を立て妻に黙って香港に出た区丙ははじめて外国人
に話しかけられ‘恐怖の余り真っ青になりぶるぶる震えが止まらない(吓得区丙放下竹筐,唇青面白,不住的瑟瑟乱抖。P6 第1回)。’すったもんだの末に行商が軌道に乗ると毎日の売り上げを寝台下に隠し、三ヶ月後蓄財できたお礼 の品を神前に供えるのだと妻を買い物に行かせる。妻は鶏でよいとけちるが区丙はポンと五十元を渡し上等の