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D 引

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 102-105)

石列6

4号建物 石列

7     

石列8

D′

630m

殺 署 ピ ゼ 毒 峯 写 っ 奪 女 雰 シ

Iゴ

薯 留 残 花 協 毒 磐か 鰹

mの

円 礫 が

H    43号

   H′

―引

       

トー630m

25Y6/6明黄褐色 粘土質 シル ト 25Y5/3黄褐色 粘土質 シル ト

25Y5/4黄褐色 粘土質 シル ト

粘 控 培 輩 義

│こ

と 守 ゃ 蒸 霰 色

走 患 ぜ 象 守 暮 ご く わ ず か に 含 む

 

全 体 に 組 砂 を 含 む

粘性やや強・ しま り強

n3。 醍ガ 静 皇居 豊霜咄罷Ⅲ b3期 の 遺 構⑤

lo period(phase  b3)at NM17(51

\ 整地A′

      

整地

A

4号 建物 石列

3      

石列2

藍 執

畿讐碧炉夜 質

9辱

彗義式覆 ま

'轟

縄 責 継醍筋深盤犠 む 酌 魂愁譲η 3鰍 懇 灰 岩

5号建物

63.tlm

1 10YR4/1褐灰色 シル ト 粘性 ご く弱 。しま り中 緑灰 色粘土質 ンル トが まだ らに混 じる ゅlcm以下の白色凝灰岩片お よび炭化物 を比較的多 く含む

2 75YR4/1褐灰色 シル ト 粘性 ご く弱 。しま り中

3 10YR5/4にぶい黄褐色 砂質 シル ト 褐灰色 ンル トがわずかに混 じる(璧の崩落土)

0       1m

5号建物柱5

F′

      G         G′

トー

63.Om   

―引

     ̲ 

トー628m

75YR3/1黒褐色 粘土質 シル ト 粘性 中・ しま り中 炭化物 をわず か に含 む 明黄褐色 プロ ックをご くわ ずかに含 む

84

5号

建物】(図47・ 49、 図版34・ 35)

F〜 H‑8・ 9区

で検出した礎石建物で、方向はN‑23° 一

Wで

ある。柱1・ 2・ 3は 、柱間寸法

6尺 3寸

で 並ぶが、柱2と柱

3の

間は、想定される位置にうまく姑応する柱が見あたらない。柱1と柱 2を つなぐ形で、溝 状の掘 り方の中に地覆石が並べ られている。柱1と柱

2の

北側には、同様の溝が延びることから、本来はこちら

にも地覆石が並んでいたと推定される。柱 2の 南

5尺

の所には柱

5が

あ り、東西に根固め石状の小礫が延 びてい る。柱間寸法が異なることから、庇などの施設の可能性が考えられよう。柱 5の 東側にはピット452・ 453も確認 されているが、主な柱筋の東西の位置とうまく対応 しない。柱2と柱 5の ちょうど半分の位置には、柱

4が

ある。

4以

外の柱穴は、径50〜 60cm、 深 さ20cm前 後の、ほぼ円形の柱穴に、小礫 を充填 して根固め石 としている。

5か

ら東西方向に延びる小礫は、Ⅲ

b2期

9号

溝の北側側石の裏側に分布 している。そのため、 これ らの 小礫が、

 9号

溝の裏込め石の可能性 もある。あるいはそれを利用 して、庇を出し、

9号

溝が

5号

建物の雨落ち溝 となっている可能性 も考えた。 しかし、柱

5が 9号

溝の側石 を抜 き取った後に、根固め状に小礫 を充填 している ことか ら、

9号

溝 よりは新 しい建物 と判断した。

土師質土器や瓦がやや多 く出土いている以外は、遺物はあまり多 くない。陶磁器には、様々な時期のものが含 まれる (図

71‑18〜

21、 図77‑130。 162、

78‑m)。

その中には18世紀末以降のものも含まれる。

15号

土坑】

(図47、

図版

36)

B‑8区

で検出 した。 Ⅲ

b2期

7号

土坑 を切 ってお り、 Ⅲ

b4期

の27号溝 に切 られている。北側が攪乱 に大 きく破壊 されている。円形に近い形状 と思われるが、破壊 された部分が多 く確実ではない。東西の残存部分の幅 は140cmで、深 さは15cmである。

19号土坑】(図47・ 48、 図版35)

BoC‑9。

10区で検 出 した。 Ⅲ

b2期

7号

土坑 を切 ってお り、 Ⅲ

b4期

14・ 20号土坑、 ピッ ト226、 27 号溝 に切 られている。長方形 に近い不整形で、長軸の長 さ

380cm以

上、短軸 は220cmである。深 さは

40cmで

ある。

埋土最下層 には、遺物が多量 に含 まれてお り、 ゴミ穴の可能性が考えられる。

出土遺物 は比較的多いが、瓦 はさほ ど多 くない。木製品が最 も多数 を占める。磁器には特徴が良 く判 るものが な く図示 していないが、陶器 (図80・ 8ユ40〜

44)は

、文化元年前後の一括遺物 と、大 きな差は見 られない。 こ の点か ら、19号土坑が Ⅲ

b4期

に下る可能性は残 っている。土師質土器の皿 (図

91‑16〜 22)が

、やや まとまっ て出上 してお り、箸状木製品 も大量 に出土 している。木製品では、漆椀 (図

117‑7。 9)や

漆塗 しゃ もじ (図 118‑24。 25)、 曲物 (図

121‑63〜 65)な

ど、様 々な種類 の ものが出土 している。 また、煙管が比較的まとまっ て出土 している (図

132‑13〜

15。 17・ 18)。

【22号土坑】(図47・ 48、 図版36)

C‑9区

で検出したが、東側が攪乱で大きく破壊されてお り、全体の形状などは不明である。23号土坑 を切っ てお り、Ⅲ

b4期

の14号土坑に切 られている。南北の残存幅120cm、 深さ

20cmで

ある。

23号

土坑】

(図47・ 48、

図版

36)

B・

C‑9区

で検 出 したが、東側が攪乱で大 きく破壊 され、更 に22号土坑、 Ⅲ

b4期

の14号土坑 に切 られ、全 体の形状 などは不明である。南北の残存幅155cm、 深 さ

10cmで

ある。

【44号溝】(図47・ 49、 図版36)

B‑9。

10区で検出された素掘 りの溝で、北側はⅢ

b4期

の27号溝に切 られ、南端は途切れて終わる。19号土 坑の脇で、避けているかのように配置されていることか ら、同時に存在 した可能性が高いと考え、当期に含めた。

方向は、N‑64° 一

Wで

ある。上幅45 clll前後、

 

下幅25〜 35cm、 深さ

20cmで

、断面形状は逆台形を呈する。

(7)Ⅲ

b4期

の遺構 (図50・ 51、 図版37〜39)

切 り合い関係か ら、 Ⅲ

b期

の中で最 も新 しい段 階の遺構 を拾いあげたもので、確実 に当期 に帰属する遺構が確 認 されているのは中区だけである。小規模 な石組溝や土坑が存在するだけである。当期 に帰属する

2号

溝の埋土 か らは、多量の炭化物 とともに、18世紀末か ら19世紀初頭の陶磁器類が まとまって出上 した。 このことか ら、文 化元年の火災 により、二の九建物群が全焼 した後、

 3層

の整地 を行 う以前 の片づ けの際 に、臨時的に構築 された 遺構群である可能性が高い。

2号

溝】(図51、 図版37)

C‑10区

から

G‑10区

にかけて検出した東西方向の石組溝である。緩やかに鍵の手状に屈曲する。

D‑10区

3号

溝が接続する。Ⅲ

b3期

4号

建物や18号 。19号柱列を切っている。底面のレベルは、微妙な凹凸があるが、

東側 より西側が低 く、東か ら西に流れていたものと推定される。ゆるやかに屈曲してい くため、方向を厳密に計 測できないが、E・

F‑10区

の比較的直線的な部分では、N‑18° 一

W程

度である。掘 り方は、あまり明策には 確認できていない。断面観察をした部分では、幅150cm程、深さ10cm程 の、浅 くて幅広い掘 り方である。側石は、

1段

のみ並べ、ほとんどは川原石であるが、一部扁平な角礫 も使われている。長軸を溝 と直交差する方向に並ベ るものが多いが、必ず しも全てではない。側石の内法の幅は30〜

50cmで

、深 さは

10cm程

度である。F・

G‑lo区

では、南北両側 とも、抜 き取 り溝を掘って石が抜 き去られている。埋土には炭化物が多 く含 まれ、遺物 もまとま って出土 している。陶磁器 。土師質土器 。瓦 。金属製品が多 く出上 している。陶磁器は、18世紀末から19世紀初 頭の一括資料 として評価できるものである (図73・

74‑54〜

58・ 61〜67、 図77‑163、 図81〜

83‑60〜

74・ 76〜

86)。 陶器では、奏や悟鉢が、比較的多 く出土 している。土師質土器では、皿 (図

91‑32〜 34)が

多 く出土 して いる他、焼塩壷が出土 している (図93‑60・ 61・ 67)。 焼塩壺は畿内系のもので、在地系のものは含まれない。

3号

溝】(図51、 図版38)

D‑9・

10区で検出した南北方向の石組溝で、南側は

2号

溝に接続する。北側は

4号

土坑に壊 されている。Ⅲ

b3期

4号

建物 を切っている。検出した長さが1.5m程 と短いため、方向を厳密に計測するのは難しいが、ほ ぼN‑21° 一

Wで

ある。掘 り方は明確 にはとらえられてお らず、ごく浅いものと思われる。側石は川原石を使い、

1段

のみ並べる。側石の内法幅は

30cm前

後である。埋土には炭化物が多量に含 まれている。

6号

I(図

51、 図版38)

C‑8区

から南東方向に延び、

C‑9区

で東に屈曲し

E‑9区

に至る石組溝である。

4号

土坑に切 られて、一 部が壊 されている。東西に延びる部分の方向は、N‑20° 一

Wで

ある。掘 り方は、石の部分を掘 り下げる程度 と 思われる。川原石を一段並べて側石 とし、ほとんどは長軸を溝に直交させる。石組の内法幅は、40cm程 度である。

量は多 くないが、陶磁器・土師質土器・瓦などが出土している。陶磁器は、

 2号

溝など、当期の他の遺構出土遺 物 と基本的に共通する (図

74‑68〜

70、 図

82‑87〜

90)。

【27号溝】(図51、 図版39)

B‑8'9区

で検出した南西か ら北東方向に延びる、素掘 りの溝である。北側は攪乱で壊 され、南側は調査区 外に廷びる。Ⅲ

b3期

の15号 。19号土坑、44号溝などを切る。わずかに曲がるが、方向はおおむねN‑11° 一E。

断面形状は逆台形で、上幅40〜 60cm、 下幅15〜 30cm、 深 さ

30cm程

度である。底面の標高は、南端 より北端が約

15cm低

く、南か ら北へ流れた ものと推定される。量は多 くないが、陶磁器 。土師質土器・瓦などが出土 してい る。陶磁器は、当期の他の遺構出土遺物と基本的に共通する (図74‑71・ 72、 図82‑92、 図84‑93'94)。

14号

土坑】(図51、 図版38)

D‑9区

で検出した、南北230cm、 東西210cmの 、ほぼ円形を呈する土坑である。

3号

溝 。

6号

溝を切ってお り、当期の遺構の中では最 も新 しい。断面形状は橋鉢状で、深 さは

40cmを

測る。埋上の最下層か ら自然木が出 土 してお り、水 をためるような機能を想定することも可能と思われる。

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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 102-105)

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