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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 35-47)

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中 レ   甑

瞳土 強 軒 鶏 直 は

9 二の丸第17地点調1査区の位置 Fな9 Locattn of NM17

船 属 目 書 館

=学部 口本文化研究施設 牧古学部・大学枚育DEkセンター

に設定 した。 ここには、東西方向に大学が設置 した共同溝が延びてお り、それによる撹乱 を利用 して、下層の状 態 を把握す ることとした。調査面積 は、建設予定面積 の

3割

弱 に相当す る288∬である。 これ までの川内地区で の調査経験か ら、少 し場所がずれると様相が大 きく異 なる場合が多いことが知 られている。そのため、試掘調査 は、可能な限 り広い面積 で実施す る方針 としているが、現地での制約か ら、

 3割

程度の面積 に留 まっている。

調査 にあたっては、明治時代 の第二師団以降の盛上である1層を重機で除去 した。2層は明治15年 (1882年) の火災 に伴 う整地層であると考 えられるため手掘 りで除去 し、

 3層

上面か ら遺構の精査 を実施 した。3層上面の 遺構 を掘 り上げて記録 を作成 した後、一部の遺構 を残 して3層を除去 し、

 4層

上面の精査 に移 った。

4層

上面の 遺構 は、複数時期の切 り合 い関係が認め られたため、最 も新 しい段 階の遺構 のみ掘 り上げ、それ以外は遺構確認 に留めた。共同溝 による撹乱の断面で確認 された ものを含めて、

 3層

上面・

4層

上部上面・

4層

下部上面 。6層

(地

)上

面の

4面

で遺構が確認 された (図1)。 3層上面では、中奥西端の塀 に相 当す る可能性 のある柱列 な どが検 出された。 また、出土遺物の中では、瓦が最 も多 く、その中で も板塀瓦が多数を占めるとの見通 しが得 ら れた (年16)。

以上の ような試掘調査結果か ら、今 回の調査区が中奥西端付近 に相当す るとい う想定は、ほぼ間違いない もの と判断 した。 この調査結果 を踏 まえ、当セ ンターの運営委員会・専門委員会での検討を経て、当初予定地での建 設はやむを得 ない と判断 し、本調査 に備 えて具体的な調査計画の策定 に入 ることとした。

②2000年度本調査

1999年 度の年度途 中の補正予算 で、文系

4学

部総 合研究棟 の新営が認め られた ことによ り、工期 との 関係で早急 に調査 に着手す る必要が出て きた。その ため

H月

よ り、支障物 の調査や詳細 な計画立条 な ど の作業 を開始 した。並行 して進め られた施設部 との 協議の結果、2000年 度事業 として調査 を実施す るも のの、一部 は前年度 に前倒 しで行 うこととし、

 3月

1日 か ら作業員 を投入 した作業 を始めることとした。

当初 の年 間計画 を大 き く変更す る こととなるため、

1999年12月 3日 に開催 したセ ンター運営委員会 と同 専門委員会での 審議・了承 を得 た上 で、準備作業 に入

ることとなった。

2月24日 よ り重機 による表上の除去 を開始 したが、

様 々な要 因か ら、重機 による表土除去 は、

4回

にわ たることとなった (図10)。 調査着手後 に建物の設計 が確定す る と、建物建設範囲が 当初 の予定 よ り東側 に約

lm広

が ることとな り、調査範囲 を広 げる必要 に迫 られた。 この東側 に広が る部分 は、

 4月

下旬 に 重機で表土 を除去 した。大学で使用 している共 同溝 については、冬期 間の暖房終了後 に、迂 回路 を設営 す るまで撤去で きないため、当初 は共同溝 を残 して 掘削 を行 った。迂 回路工事 が完 了 した後 の 5月 に、

共同溝 を撤去す るとともにその部分の掘削 を行 った。

10 

二の丸第17地 点調査区模式図 Fig 10  Pattern diagram oflocation at N [17

調査 区周辺 には、排土の仮置 き場や調査事務所のプ レハブを設置で きるような空 き地は、調査 区東側 にしか確保 で きなかった。仮置 き場 の面積 も限 られてお り、そ こが満杯 になる と、更 に離れた置 き場ヘ ダンプで移動 しなけ ればな らず、作業用通路 を確録す る必要があった。そ こで、北側約

5mに

ついては大型 ダンプが進入で きるよう、

当面 は作業用通路 として残 して掘削 を行 った。北側の通路部分 については、調査区の東側 を使用 しな くて も済む 目処がたった後の11月上旬 に、重機 を用いて拡張 を行 った。

重機 による表土除去 と一部併行 して、

 3月

1日 か ら作業員 を投入 し、攪乱内の埋上の除去・清掃 か ら作業 を開 始 した。川内地区の調査では、大規模 な攪乱が多 く存在するのが通常である。 これ らの攪乱の中には、かな り深 い もの も多 いが、深 さの大小 にかかわ らず、最初 の段 階で全 て掘 り上 げることを基本方針 としている。 これは、

井戸 などの深い遺構が、攪乱の底面で検 出される可能性 もあることと、攪乱 内の埋土に由来す る新 しい遺物の混 入 を防 ぐことが 目的である。 また、整地層 をはさむ複雑 な遺構 の様相 を把握す るため、調査 の最初の段階で攪乱 を完全 に掘 り上げ、断面 を充分 に観察で きるようにす るためで もある。

今 回の調査 区では、

 7〜

8列を東西 に横切 る形で、大学の共同溝 による大規模 な攪乱がある。12列を東西 に横 切 り、

C列

で北 に延 びているのが、米軍の給水本管 による攪乱である。調査 区南端 は、大学造成時の削平で、江 戸時代の地層 は残存 していなかった。 これ らの攪乱 によって、調査 区は大 きく

3区

域 に分かれる。 しか も、それ ぞれの区域で基本層序や遺構 の状況 に違いが見 られるため、調査の進行 にあたっては、

 7列

以北 を北区、

 8列

か ら12列を中区、13列以南 を南区 と分 けて作業 を進めた。

大学の共同溝のす ぐ北側の

F〜 H‑6区

には、第二師団時代の共同溝がある。これは、側壁 に秋保石 (凝灰岩)

を積み、蓋 には稲井石 (粘板岩

)が

用い られていた。

C〜 E‑4〜 6区

E〜 G‑11〜

12区のほぼ方形の攪乱 は、大学造成時 に重機で穴 を掘 り、廃材 を捨てた もの であった。 これ らの大規模 な攪乱以外 に も、大小 の攪乱が存在す る。攪乱内の埋上の除去 にあたっては、重機 も 利用 したが、周囲を破壊 しかねない場合 には、手掘 りによって掘 り上げているもの も多い。攪乱の中には、掘 り 方の内側いっぱい まで コンクリー トが充填 されている場合 もあ り、重機で撤去す ると、周囲の地層 を破壊 して し まう。そのため、 コンクリー トの破砕のため、電動ハ ンマーを多用 した。米軍時代 の給水本管 については、鋳鉄 製で手作業での撤去が困難であったため、専 門業者 に委託 して撤去 した (図11)。 また、石組溝 な どの石材や、

大型の木樋 の取 り上げなどでは、入力 による作業が困難な場合 もあ り、必要 に応 じて、 クレー ン車 を手配 して作 業 を行 った。

攪乱の掘 り上げ清掃が終了後、順次精査 に移 った。2層は明治

15年

(1882年)の二の丸建物群が焼失 した火災 に伴 う整地層 と考 え られることか ら、

 2層

以下の層序 は、

 4層

下部の一部 を除 き、手掘 りで掘削 している。3層 上面の遺構 の精査 は、試掘調査範囲外の南区で、大規模 な礎石建物跡が検 出されたことなどか ら、予想以上の時 間を要 し、終了 したのは 9月 5日 であった。

4層

上部上面の遺構 は、中区が極めて複雑で遺構 の数 も多かった反面、南区では遺構 は少 な く、場所 による差 が大 きかった。そのため、地区によって調査 に要す る時間に大 きな差がで きることとなった。調査期 間 との関係 もあ り、調査範囲の全域 で進行状況 を合わせて調査 を進めることは困難 となった。そこで南区の調査 を先行 させ て進めることで、あ らか じめ下層の状況 を把握す ることとした。

その結果、南区では10月 4日 には、

 4層

上部上面の遺構 について、おおかたの調査 は終了 した。 さらに

4層

下 部上面 について も、11月15日に終了 した。引 き続 き、

 6層

(地

)上

面の調査 も12月 5日 には終了 した。

中区は、複雑 な遺構 に難渋 し、数段 階に分 けて中区全体の写真 を撮影 しなが ら調査 を進めた。11月 29日に4層 上部上面の調査が終了 した。

4層

下部上面 については、遺構密度は少なかったため、12月 5日 に終了 した。先行

していた南区の調査 によって、

 4層

下部 には遺物 はほぼ含 まれていない ことが明 らか となっていたので、中区の 4層下部 については重機で除去 した。6層 (地

)上

面の調査 は12月13日に終了 している。

1.共

同溝撤去作業 (5月 9日)

2.米

軍給水管の撤去作業 (7月21日)

3.写

真測量による遺構実測 (12月 7日

)      4.雪

に埋 もれる調査現場 (12月 12日)

11 

二 の丸第17地 点作業状況 Fig.1l  Situation of excavation at lWM17

北区については、

4層

上部に相当する地層が存在 しなかったため、

 4層

上部上面 と

4層

下部上面の遺構 を、同 一面で調査することとなった。さらに、北区のほぼ過半以上には

4層

が分布せず、

 6層

が露出 していた。

4層

が 分布する範囲でも、

 4層

上面の遺構の掘 り込みのため、

 4層

が残存 している範囲はかな り限定されたものであっ た。また、先行 して調査を進めていた中区 。南区の調査において、

 6層

(地

)上

面の遺構はほとんど存在 しな いことが明らかとなっていた。以上の点から北区では、

 6層

上面の様相は部分的に確認することとし、全面的に

4層 を除去することは行わなかった。北区の調査は12月 20日 に終了 し、これにより全体の調査を終了 した。

③記録方法

調査にあたっては、建物建設予定区域が、既設建物 と方向を合わせて計画されていたことから、既設建物に合 わせて、

 3mグ

リッドを作成 した。このグリッドは、1998年度の試掘調査の際に作成 したものを、2000年度の本 調査においても踏襲 して利用 した。試掘調査の際に設定 した基準点の国土座標値は、以下のとお りで、基準点の 位置は図 9に 示 した。平面直角座標系は、

X系

である。グリッドは、北で17° 38′ 44〃 西偏 している。

NM17‑A 

日本測地系

 X=‑193,747.748  

世界測地系

 X=‑193,439,013 Y=+  1,878,991

NM17‑B 

日本測地系

 X=‑193,754.113

Y=+  1,579.094

世界測地系

 X=‑193,445。

378 Y=+  1,858。980

Y三

十  1,559.084

なお、2002年 4月 1日 に施行 された改正測量法 によって、測量基準が旧来の 日本測地系か ら世界測地系へ変更

されている。平面直角座標系の各原点の経緯度数値 は変更 されていない ものの、経緯度の測定基準が変わったた

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