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ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 114-119)

1地点東 区北壁 断面 図

‑66m

/テ

//・

[       

17地点 1号 建物 と第 1地 点溝 1の 関係 (縮1/500)

57 

二の丸第17地 点 Ⅳa期の遺構 (5)

Fig.57 Features belonging tO Edo period(phase  Ⅳa)at N 笙17(5) 1地点平面図

o

(

2号建物

   │     │ +

1号2号 3号建物 の関係 6尺 3寸×15

2

柱穴の丸印の大 きさは、柱穴の規模の大小 を表す。

白抜 きの丸印は、推定される柱穴を示す。

o       10m

58 

二 の丸第17地 点 Ⅳa期の遺構 (6)

Fig.58 Features belonging to Edo period(phase  Ⅳa)at NA/117(6) 2号建物模式図

【24号溝】(図55、 図版43)

2号

建物 と

3号

建物の間に、東西に延びる石組溝であると位置関係か ら、19号溝・30号溝に続 くものと考えら れる。側石は動かされているものが多いが、西側 と東側では、位置関係がずれるため、小 さく鍵の手状に屈曲す るものと考えられる。上幅170〜 190cm、 下幅105〜 130cm、 深 さ

20cm程

度の掘 り方に、川原石 を用いて狽I石とす る。側石は、一部

2段

積 まれているところがあるが、ほとんどは

1段

である。側看の内法幅は、

30cm程

度 と思 われる。瓦が多数出土 している。土師質土器がやや多い以外、他の遺物はわずかである。

3号

建物】(図54、 図版43。 44)

C〜 G‑8〜

11区に広がる礎石建物である。

3号

建物は、

 3層

上面の精査の段階では確認できなかった。南辺 と西辺の石列は、

 4層

上部上面で確認 した。調査の進展により、この内部に展開する柱穴が 3層 上面から掘 り込 んでいることが判明 した。調査後の検討によって、南辺 。西辺の石列 も、一連の建物を構成することが判明した。

図54では、

6尺 3寸

を一間とした、半間等間隔のメッシュを加えておいたが、石列や柱穴がこれに合致するため、

6尺 3寸

を一間とした柱間間隔を基準 としているものと考えられる。なお

3号

建物は、

 2号

建物 と南北の柱筋を 合わせて造 られている。また

3号

建物の南辺は、

 2号

建物北端の柱筋か ら、

 1間

半の位置にあたる。

南 と西の石列は、扁平な川原石 を、地覆石状に並べている。南石列は、西石列につながる位置で、北に分岐 し ている。ただ、この場所 より西側にも、南石列は続いてい く。柱10から南側にも、地覆看が並ぶ。遺物の項で7

号溝 としているものは、この地覆石列の脇の浅い窪みのことである。これ らの石列以外に、径30〜70cm、 深 さ 15cm前 後の、円形の掘 り方に根固め石を入れた礎石が検出されている。

【30号溝】(図54、 図版45)

G‑11区

で検出した石組溝である。攪乱によって破壊され、ごく一部を確認 したのみである。24号溝が東側の

H列

では検出されないことか ら、24号溝が北に直角に折れ、30号溝 となる可能性が高い。ただ、 より北側への延 び方については判 らない。遺存状況が悪 く、掘 り方の状況などは判然 としない。テキ1原石 を用いて側石 とするが、

動かされている可能性が高 く、正確な内法幅などは判 らない。

【瓦囲遺構】(図54、 図版型)

D・

E‑11区

の、

3号

建物 と24号溝の間で検出された。板塀瓦を立て並べて構築する。東西の長さは220cmで 、 西端は北へ若千折れる。掘 り方の範囲は明確 にできなかったが、

 3号

建物の南石列 と同時に構築 されている。3

号建物に付随する施設 と考えられるが、性格は不明である。

【17号溝】(図55。 56、 図版46)

B‑14区

から

H‑13区

に延びる東西方向の素掘 りの溝である。

2号

建物 を切 り、次のⅣ

b期

4号

塀 に切 られ ることか ら、この区域の土地利用が大 きく変わる際に一時的に造 られた可能性を考え、当期に含めた。わずかに 蛇行 しているが、ほぼ直線的に延びる。おおよその方向は、N‑23.5° 一

Wで

ある。底面 レベルは、西端 より東 端が

25cm程

低 くなる。

C列

で、北側に幅が広 くなってお り150cm程 あるが、それ以外の部分では70〜100cm程 度 である。深 さは

50cm前

後で、壁はほぼ垂直に掘 られている。瓦が多 く出土 しているが、他の遺物は少ない。

【14号溝】(図55・ 56、 図版46)

G・

H‑14区

で検出された、丸瓦の凹面を上にして並べた溝である。

2号

建物の柱58・ 591こ切 られる。東半部 の比較的直線的に廷びる部分の方向は、N‑41.5° 一

Eで

ある。幅15〜80硼、深さ10cmの 掘 り方の中に、丸瓦の凹 面を上にし、玉縁を東に向けて並べている。

〔29号溝】(図55・ 56、 図版46)

G‑14区

で検出された、丸瓦を伏せて並べた暗渠である。

2号

建物の柱581こ切 られる。方向はN‑26° 一W。

幅25cm、 深 さ15cmの 掘 り方の中に、九瓦を伏せて並べている。

(9)Ⅳ

b期

の遺構 (図59〜62、 図版47〜54)

調査区の中程か ら東 よりの部分 に、溝の中に柱 を立てた塀が、屈 曲 しなが ら南北 に展開す る。北区で は、 この 南北方向の塀 をはさんで、東側では建物跡や柱列、土坑が検出されてお り、西側で も多数の柱列が存在する。一 方中区 。南区では、 この塀の西側 には、ほ とん ど遺構 は確認で きず、東側 にのみ柱列が存在す る。Ⅳ期 の単独 に 存在するピッ トについては、Ⅳ

a期

に遡るか、Ⅳc期に下 ることが確実なもの以外 は、Ⅳ

b期

に含 めている。

〔1号 塀】(図60・ 61、 図版47)

1〜

5号

塀は、いずれも溝 を掘った中に柱を立てた、連続する一連の塀であるが、途切れるところで別の番号 を付 した。方向は、

4号

塀の南側が斜めに折れる部分以外 は、N‑23.5° 一

Wと

一致すると考えて問題ない。柱 間寸法は、全て

4尺

と考えられる。 1〜

4号

塀では、瓦や木製品が多数出土 しているが、他の遺物は少ない。

1号

塀 は、E・

F‑4〜 6区

で検出した。Ⅳ

c期

の16号溝 に切 られる。掘 り方は、幅50〜70cm、 深 さ40〜

60cmで

、壁は垂直に近 く掘 られている。柱3と柱

4の

間が浅 くなっているが、この部分にはⅢ

b2期

32号溝 の側石が存在 し、これに遮 られたものであろう。柱1・ 4・

5で

柱根が残存 していた。柱 1は 径

17cmの

丸材で、

塀 を構築 した当初から据えられたものと考えられ、柱根が掘 り方底面に接する。柱4・ 5の 柱根は、掘 り方を掘 り直 して据えられてお り、柱底面は掘 り方の底 まで達 しない。補4界のために、付け加えられた柱 と思われる。径 は柱

4が

16cm、

5が

11.5cmである。補修用の浅い柱 には、木の板や瓦を用いた礎板が伴 う。

2号

塀】(図60・ 61、 図版47)

E‑2〜 4区

で検出した。

6号

柱列に切 られ、Ⅳ

c期

1号

柱列 。16号溝 にも切 られる。掘 り方 は、幅50〜

65cm、 深さは一部浅い部分 もあるが50〜

60cmで

、壁は垂直に近 く掘 られている。柱3・ 4・

6で

柱根が残って いた。いずれも、掘 り方底面に接するものである。礎板石などは認められない。柱

4が

角材で柱3・

6は

丸材で あった。太さは13〜16cmで ある。

3号

塀】(図62、 図版48。 50)

G‑8区

か ら

G‑10区

にかけて検出された。北側は攪乱で破壊されている。南側の

4号

塀 と途切れる部分には、

b2期

3号

木樋が存在 し、この木樋に述 られて溝状の掘 り込みを途切れさせざるを得なかったものと推測さ れる。南端のピット32は、柱 6の 位置に重なるため、改修 した際の柱穴の可能性が考えられる。掘 り方は、幅55

75cm、 深 さは

70cmで

、柱の位置だけさらに10〜

20cm深

くなっている。壁は垂直に近 く掘 られている。柱 1〜

5で

柱根が残存 していた。いずれにおいても、掘 り方底面に接する構築当初の柱以外に、掘 り方底面 より浅い、

掘 り直 して据えられた柱が

1本

ないし

2本

認め られた。後者は補修のためであろう。いずれにおいて も、礎板石 などは認め られない。柱

4の

当初か ら据えられたものが太 さ13cmの 角材である以外は、九材である。柱の太さ は、当初から据えられたものが径15cm前 後、補修用のものは、径12〜15cmで ある。

4号 塀】

(図62、

図版

48〜50)

G‑10区

か ら

H‑13区

で検出 した。南北両端 とも途切 れる。10号柱列お よび、Ⅳc期の

1号

溝 。13号溝 に切 ら れる。Ⅳ

a期

の17号溝 を切 っている。南側の

H‑13区

の部分では、北西か ら南東方向へ、斜めに届折す る。 この 部分の方向は、N‑58° 一

Wで

ある。掘 り方は、幅55〜80cm、 深 さは約60cmで、柱の位置だけさらに10〜20cm深

くなっている。壁 は垂直に近 く掘 られている。柱2・

3で

柱根が残存 していた。いずれ も掘 り方底面 に接す るも ので、九材である。柱の径 は、柱

2が

15cm、

3が

12cmである。柱

7で

、礎板石が認め られる。

5号

塀】(図60、 図版49)

G・

H‑6区

の、攪乱 を免れた部分で検出 した。東西方向に延 びる溝状の遺構で、北側の一部が残存するだけ で、幅は不明である。垂直 に近い角度で掘 られてお り、深 さは

95cm前

後である。柱根・柱痕跡 あるいは礎板石 は見つかっていないが、断面形状が他の塀 と類似す ることか ら一連の塀の一部 と考えた。

6号 柱列】

(図60。 61、

図版

50)

E‑2・ 3区

で検 出された。2間分のみの検出である。

2号

塀 を切 っているが、柱穴の位置が、

 2号

塀 の柱の す ぐ北東側 に接する。方向はN‑23.5° 一W、 柱 間寸法

4尺

で、いずれ も

2号

塀 と共通する。幅30〜 40cm、 深さ

10cm前

後の掘 り方 に、川原石 を置 き礎石 としている。柱が埋 め られないため、柱列 として、単独で 自立するこ

とは難 しい と考えられる。位置関係 も含めて考えると、

 2号

塀 を補修す るための柱列の可能性が高い。

7号

柱列】(図 60・ 61、 図版50)

F‑4・ 5区

で検出された南北方向の掘立柱列で、

 1号

塀の東側にほぼ平行 し、両者の間隔は

3尺 5寸

程度で ある。方向はN‑23.5° 一W、 柱間寸法

4尺

で、いずれも

1号

塀 と共通する。柱の位置 も、

 1号

塀の柱の位置と

合致する。柱

2で

は、柱根が

1号

塀の方向に大 きく傾いて残っていた。径13.6cmの九材である。柱筋の方向を重 視 して、柱 3を

7号

柱列 を構成するもの としたが、ピット378でも柱根が

1号

塀の方向に傾いて残ってお り、こ ちらが当柱列の一部 となる可能性 も残る。また柱 1の 南側に存在するピット1521よ、柱間寸法が合わないため含 めていないが、当柱列の一部 となる可能性がある。

1号

塀 との位置関係や柱根の状況か ら、

 1号

塀の控え柱、あ るいは補修の際に加えられた控え柱の可能性が考えられる。柱

2か

らは、比較的多 くの遺物が出土している。

8号

柱列】(図62、 図版50)

G・

H‑8〜

12区で検出 した南北方向の掘立柱列で、

 3号

塀の東側にほぼ平行 し、方向はN‑22.5° 一W、 柱 間寸法は

4尺

である。柱の位置も、

 1号

塀の柱の位置に合致する。なお ピット2201よ、柱間間隔が合わないため 別にしたが、柱筋が合致することか ら、この部分だけ柱間間隔がずれていた可能性 もある。形状は柱穴ごとの達 いが大 きいが隅丸方形を基調 とすると思われる。平均的な大きさは40〜60cm、 深 さは

30cm前

後である。柱

1〜

4・ 6・ 7に 柱根が遺存 してお り、柱

2で

2本

の柱根が残っていた。いずれも九材で、径は11〜16cmで ある。

9号

柱列】(図62、 図版50・ 51)

H‑11・

12区で検出した南北方向の掘立柱列で、4間 分を検出した。

7号

柱列のす ぐ東側に並ぶ。柱間寸法が、

1間

6尺 3寸

とした場合の半間等間で並んでいることから、掘立柱建物の一辺である可能性 も高いが、組み合う 柱穴が確認で きなかったので柱列 とした。方向はN‑23° ―

Wで

ある。掘 り方はほぼ円形で、径50〜 60cm、 深

さ40〜

45cmで

ある。柱 1〜 3に 柱根が残っていた。いずれも径14cm前 後の九材である。

【10号柱列】(図62、 図版51)

H‑13区

で検出した北西から南東方向へ延びる掘立柱列。

4号

柱列 とほぼ同じ位置に造 られてお り、

4号

塀 より 新 しい。Ⅳ

c期

1号

溝 。13号溝に切 られる。柱穴の位置が、

 4号

塀の柱の位置 とほぼ重なってお り、

4号

塀を 改修 した柱列の可能性がある。方向はN‑63.5° 一W。 柱 4に 柱根が遺存 していた。14cm×15cmの 角材である。

【11号柱列】(図60。 61、 図版51)

G・

H‑2区

で検出した東西方向の掘立柱列で、

 3間

分を検出した。柱間寸法は

4尺

で、方向はN‑24.5° 一 W。 柱穴形状はほぼ円形で、径35〜 45cm、 深 さ30cmで ある。柱 1〜

4の

全てに、柱根が遺存 していた。柱根は、

径11〜16cmの 丸材である。全ての柱穴に礫が認められるが、柱を横から押さえる形で入れられたものである。

【12号柱列】(図60、 図版51)

F〜 H‑3区

で検出した東西方向の掘立柱列である。柱2と柱

3の

間に存在 したはずの柱が検出できていない が、

 3間

分を検出した。柱 間寸法は

5尺

で、方向はN‑26.5° 一

Wで

ある。この柱

2か

ら柱 3の 間は、先行する 石組溝である69号・32号溝が存在する。柱2と柱 3は 、これらの溝の側石や裏込め石の間に造られてお り、掘 り 方がこれらの石に制約され、柱 よりわずかに大きい程度である。このような状況のため、間の柱がとらえられな かつた可能性がある。また、西端の柱 3の ところで北に直角に折れ、ほぼ

5尺

の ところにピット337が存在 し、

一連の柱列を形成する可能性がある。柱 1は 径30cm、 深 さ

25cm程

の、ほぼ円形である。柱

2'3で

柱根が残っ ていた。いずれも径15cm前 後の九材である。

【13号柱列】(図60・ 61、 図版52)

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 114-119)

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