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デ ― ―一

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 59-62)

A

使槽遺構 A′

1

62.9m2

3

4

5

6

´

左〜″,一

` 沢ジィ

0      5m

5Y4/2灰オ リ■ブ色 シル ト 粘性弱・ しま り強 ゅ5cm前後の自色岩 片 を比較的多 く含 む 炭化物 を少量含む

5Y6/6オリープ色 砂 質 シル ト 粘性 中・ しま り強 φl〜3mmの白色 凝灰岩粒 ・ φl〜5mmの炭化物 をやや多 く含む

75GY5/1緑灰色 粘土質 ンル ト 粘性 強 しま り強 炭化物 を非常 に 多 く含 む

10Y4/2オ リー ブ灰色 粘土質 ンル ト 粘性 中・ しま り中 オ リープ色 砂質 シル ト・灰 オリープ色粘土・ φ icm程 度の凝灰岩粒 をまば らに含む 10YR4/6褐色 粘土 粘性強 。しま り中 砂利が混 じる オ リープ灰色 粘土 をプロック状 に含む φ4mln程度の凝灰岩粒 をわずかに含む 5Y5/3灰オ リープ色 粘土質 シル ト 粘性強 。しま り中 小礫 を多 く含 む 緑灰色粘上 をプロック状 に含む

7 10CY5/1緑灰色 粘土 粘性強・ しま り強 凝灰岩粒・植物遺存体 をわ ずかに含 む

8 5GY5/1オリープ灰色 粘土 粘性 強・ しま り中 φ icm程 度の礫・砂 利 と暗オ リープ灰色粘土 をプロック状 に含む

9 75GY4/1暗緑灰色 粘土 粘性強 。しまり弱 φ lcm程 度の凝灰岩粒・

小礫 を微畳 に含 む

0      1m

18 

二の丸第17地 点 Ⅱ期の遺構 (1)

Fig。18 Features belonging to Edo pe od ohaSe Ⅱ)at NM17(1)

また、紐 に通 した古銭が、

 2群

に分かれて出土 した。

A群

9点

B群

は39点 である (図129〜131)。 ほぼ完形 の櫛 も出土 している (図119‑164)。

6号

塀】(図19,21、 図版13・ 14)

E‑8区

か ら

F‑15区

にかけて延びる、溝を掘った中に柱 を立てた塀 と考えられるものである。南北 とも攪乱 によって破壊 されてお り、本来はさらに続 くものである。ただし、北区では

6号

塀の延長 と考えられる遺構は検 出されてお らず、

 7列

8列

の途中で終わるか、折れ曲がるものと考えられる。方向は、N‑25° 一

Wで

ある。

2号

石敷、ピット410・

411'412に

切 られている。

柱 を据えるための掘 り方 となる溝は、上幅90〜 115cm、 下幅35〜 55cm、 深 さ

95cm前

後で、溝の壁は垂直に近 く掘 られている。柱根が、柱5と柱

6で

遺存 していた。いずれも丸材で、径21〜

23cmで

ある。柱の基底 に置い たと考えられる礎板石 を含めると、10ヶ所で柱の位置を推定で きた。また、調査区南端の大学造成時に削塀 され た部分に1ケ所、かろうじて礎板石が残存 していた。これ らの柱の位置関係を検討すると、柱間寸法は

4尺 6寸

と復元できる。柱は径

20cm程

度の九材で、柱 5は 底面が平坦に加工されず尖った状態 となっていた。

7号

塀】(図19。 20、 図版13・14)

F‑8区

か ら

G‑15区

にかけて廷びる、溝 を掘った中に柱 を立てた塀 と考えられるものである。方向は

N一

25° 一

Wで

 6号

塀の東側に平行 して造 られてお り、

 6号

塀 との間隔は

8尺 4寸

である。

6号

塀 と同様に、南北 とも攪乱によって破壊 されてお り、本来はさらに続 くが、北区では検出されていない。 7列 か

8列

の途中で終わ るか、折れ曲がるものと考えられる。12号建物・ピット517に切 られている。

掘 り方 となる溝は、上幅55〜 90cm、 下幅30〜 45cm、 深 さ100〜120cmで 、溝の壁は垂直に近い。礎板石 と柱痕 跡が各lヶ所で確認できた。柱間寸法を

6号

塀 と同 じ

4尺 6寸

と仮定すると、この両者の位置関係 とうまく整合 するため、

4尺 6寸

と推定 した。

【25号柱列】(図19。 20、 図版14)

F‑8区

か ら

G‑15区

にかけて検出した、南北方向に延びる掘立柱列である。途中攪乱で壊 されている部分が あるが、

 7間

分の長 さを検出している。柱間寸法は

9尺 2寸

で、西に平行する6・

7号

塀の、ちようど

2倍

とな っている。方向はN‑25° 一

Wで

 6。 7号

塀 と平行する。

6号

塀 との間隔は12尺、

 7号

塀 との間隔は

3尺 6寸

である。6・

7号

塀 と同様に、南北 ともさらに続 くものと考えられるが、北区では検出されていない。

北側の柱

5〜

7に ついては、

 4層

下部上面を精査 した段階では検出することができず、地山上面まで下げてか ら検出することができた。そのため図に記載 した掘 り方の形状は、本来の形状 より小 さくなっている。柱穴形状 は、柱列の方向に直交する東西方向に長い隅丸長方形を呈する。遺存状況の比較的良い柱

2で

は、掘 り方上面で の規模は170cm× 100cmで ある。柱穴の深 さはいずれ も90〜100cmと 深い。柱痕跡 を確認で きたものはない。柱 穴の底面は、素掘 りのままとなっている。

(11号建物】(図19。 20、 図版14)

GoH‑11区

で、東西 2間 、南北 1間 分を検出した。さらに西 と南に延びる可能性 もあるが、攪乱のため確認 で きない。柱

1が

、25号柱列の柱 4を 切ってお り、当建物が新 しい。柱 間寸法は

6尺 3寸

と思われる。方向は N‑25° 一

Wで

ある。柱穴の形状は変異が大 きいが、隅丸長方形 に近い形が多い。深 さは40〜

60cmで

、小礫が 堆積土中に多量に含まれてお り、礎石の根固め石の可能性 もあるが、柱穴が深いため、掘立柱建物の可能性が高 い。

12号建物】(図19。 20、 図版14)

F〜 H‑13・

14区で、東西 1間 、南北 1間 分を検出した。調査時には

7号

塀が新 しいものとして掘 り進めたが、

柱1と柱 2の 礎板石が、

7号

塀の掘 り方の中に大 きく突出する形になることか ら、この12号建物が

7号

塀 を切る、

新 しいものと考えた。位置的に25号柱列 と重なるが、柱穴が接する程度で、確実な切 り合い関係はとらえられて

いない。方向はN‑25° 一

Wで

、柱 間寸法 は南北が

6尺 3寸

1間とした1間分、東西 はその1間半の寸法であ る。柱穴の平面形 は、台形 に近い形 を呈する。ただ し、東側の柱 3と 柱

4は

 4層

下部上面 を精査 した段階では 検出す ることがで きず、地山上面 まで下げてか ら検 出で きた。そのため図に記載 した掘 り方の形状は、本来 より 小 さ くなっている。深 さは

60cm前

後で、全 ての柱穴 に、扁平な川原石 を用いた礎板石が存在す る。柱根 は残 っ ていなかったが、柱3では、底面の石の上面 に、一辺15cm程の角柱の痕隊が残 っていた。

2号

石敷遺構】(図19。 21、 図版15)

D・

E‑10。

11区で検出された。

7号

塀 と46号溝 を切 っている。これ らと、ほぼ平行する方向で造 られている。

南北290cm、 東西220cm、 深 さ

50cmの

掘 り方の底面 に、

20cm前

後の扁平 な川原石 を並べている。側壁 は、底面 の石 よ りやや大振 りな石 を使 ってお り、石の比較的平坦な面を、内側 にそろえるようにしている。側壁は残 りの 良い部分で も

2段

しか残 されていない。石組 の内法は、南北200cm、 東西

120cmで

ある。底面の石の一部 と、側 壁の上部の石 は取 り去 られている部分がある。堆積土の状況か ら、石 を取 り去ったあ と、人為的に埋め戻 された

もの と考 えられる。

【24号土坑】(図20、 図版12)

D・

E‑13区

で検 出 した。46号溝 よ り新 しい。同 じ平面図に記載すると、46号溝の詳細が判 らな くなるため、

図20に別 に掲載 した。そのため、図17の遺構配置図には入 っていない。攪乱や上層遺構で破壊 されてお り、全体 形状 ははっきりとしないが、不整形 な形状 を呈す るもの と思われる。底面 も凹凸があ り、深 さは最 も深いところ で

30cm程

である。

【42号溝】(図19、 図版15)

GoH‑14・

15区で検出 した、東西方向の溝である。東側は調査区外へ続 くほか、大学造成時の削塀 によって、

かな り破壊 されてお り3.4m分を検 出 しただけである。西側への延 び方や、西側 に展 開す る25号柱列や6・

7号

塀 との新 旧関係 などは不明である。調査 した範囲では、石組は残 されていなかったが、調査区東壁の断面 (図 14)

では、北側の側石 と思われるものが残 されてお り、石組溝であった と考えられる。方向は、石組が取 り去 られて いるため確実ではないが、掘 り方のラインでは、N‑26.5° 一

Wと

なる。掘 り方の深 さは

30cm程

である。

石組 を取 り去 った後、人為的に埋 める際に瓦 を廃棄 した もの と思われ、埋土には多量の瓦が含 まれている。瓦 以外の遺物 は、 ご くわずかである。

46号溝】(図18'19。 21、 図版10・ 11)

C,D‑6区

か ら

DoE‑15に

かけて南北 に延 びる看組溝で、途中攪乱で破壊 されているが、28.6m以 上続 く。

方向はN‑25° 一

Wで

、東側 に存在す る6。

7号

塀、

25号

柱列 と平行 している。検 出 した範囲の北端での底面 レ ベルは62.05m、 南端の底面 レベルは62.20mで 、南か ら北 に流れていた可能性が高い。

北端 はⅢ

b2期

の32号溝 に壊 されている。北区では4層上部の整地層が分布 しないため、 Ⅲ

bl期

とした69号 溝あるいは70号溝 と接続 し、 これ らが

H期

に遡 る可能性 も残 るため、その点 を検討 してお く必要がある。 ところ が32号溝 と攪乱のため、46号溝 と69・ 70号溝 との直接的な関係は不明である。 しか し、 Ⅲ

b2期

の32号溝が、69 号溝 とほぼ同 じ場所で造 り替 えられていること、69号溝の底面 レベルが46号溝 よ りかな り深いことか ら、46号溝 が69号溝 に接続す る可能性 は低いであろう。一方70号溝 は、底面 レベルが46号溝 に近いため、両者が接続する可 能性が残 る。ただ、70号溝 もほぼ同 じところで69号溝 に造 り替えられている。この点か らは、70号溝か ら69号溝、

さらに32号溝へ と一連の造 り替 えとも考 えられる。以上の点か ら、70号溝が Ⅱ期 に遡 り、46号溝 と接続する可能 性は残 るものの、確実ではないため、70号溝 は69号溝 と同 じⅢ

bl期

に下 るもの としてお く。

46号溝の南端 は攪乱で破壊 されているが、溝の規模が類似することか ら、47号溝 につながる可能性がある。た だ し、47号溝の方が底面 レベルが若千低 く、 この点で問題が残 る。 また両者が接続する場合、折れ曲がって47号 溝に至 るのか、46号溝が さらに南 に延 び、47号溝 と

T字

形 に接続するのかは、破壊 のため不明である。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報18 (ページ 59-62)

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