枷 @
65、 図 76‑109)。
陶器では、大堀相馬産が圧倒的に多い。産地が半J明したこの時期の資料のなかで、半数以上 を占めている。中 で も碗類 の割合が多 く、最 も多い灰釉丸碗 のほか、腰折碗 (図8ユー56、 図82‑69)、 筒型碗 (図82‑67、 図
85‑
■8)、 小碗 など多様 な器形がみ られる。 これ らの中碗 には、灰釉 のほか、鉄釉流 し掛 けや鉄釉掛 け分 けな どの施 釉がなされている。釉調 は、18世紀末葉 になる と、18世紀後葉 に比べ、釉薬の透明度が落ち、濁 りがみ られる も のや糠 白色 を呈する灰釉が増 えて くる。大堀相馬産の碗類以外 では、仏飯器 (図85‑124)、 鉄絵土瓶 (図82‑74)、
小 中皿 (図81‑51、 図82‑72、 図86‑139、 図
87‑153)な
どが出上 している。碗 と同様 に、139、 153の皿では、糠 白色の灰釉 の ものが確認で きる。
大堀相馬産以外では、小野相馬産、京 ・信楽産、唐津産、瀬戸・美濃産 などが確認で きるが、非常 に少 ない。
小野相馬産では、小野相馬に特有 の青灰色の灰釉 をもつ灰吹 (図
84‑96)が
出上 している。京・信楽産では、中 型丸碗 (図80‑41'47、 図89‑171)、 小碗 (図81‑60)と
いった色絵碗類 に加 え、土瓶の蓋 (図86‑140)、 灰吹 (図81‑52、 図84‑94)、 合子 (図85‑126)が
出土 している。瀬戸・美濃産では、灰釉丸碗 (図85‑116)、 灰釉 小碗 (図79‑25、 図84‑102)の
ほか、奏 (図83‑80)、 蓋物 の蓋 (図89‑182)、 火入 (図85‑130、 図86‑146)
などがみ られる。発の内部 には、鉄錆 の ような付着物が残存 している。図
89‑182の
蓋 は、瀬戸市杢兵衛西窯で、同 じものが採集 されてお り、図
85‑130の
火入 は、類例が瀬戸市市左衛 門窯跡、仲洞窯跡か らの採集資料 に確認で きる (瀬戸市史1998)。 唐津産では、大鉢 (図
87‑147)が
確認で きる。 また、橋鉢では、小破片ではあるが堺産の もの も出土 している (図78‑13)。
また、東北産 とした陶器 (図78‑9、 図80‑19・ 38、 図81‑44・ 59、 図83‑81・ 82・ 84、 図82‑85。 90、 図 84‑86、 図85‑129、 図86‑137、 図
89‑174)は
、胎土や釉調、作 られている器種が 日用品であることな どか ら、東北の窯で生産 されているのではないか と推測 した ものである。それ らの中で も、胎土や釉薬 には差異が認め ら れるため、い くつかの窯の製品が含 まれていると考 え られる。鉄釉 を掛 けているものがほ とん どである。器種 と しては信鉢や甕のほか、髪水入、灰吹 な どがみ られる。奏類 は、2号溝か らまとまって出上 している。内部 に鉄 錆 の ような付着物が残存 している もの (図
83‑82)も
み られ、鉄漿壺 として使 われていた可能性 も考 え られる。図
80‑19の
橋鉢 は、 日縁部 に丸の刻印が確認で きる。九の刻印は、瓦で も確認 されてお り、製作 された窯のつな が りを推測で きるのではないか と考 える。【19世紀前葉】
この時期の資料はあまり多 くなく、
2号
建物 とその雨落ち溝や、17号溝などか ら若千出土 している他、新 しい 時期の遺構に混ざって出土する程度である。磁器では、瀬戸産が含 まれるようになるのは19世紀中葉以降であ り、この時期は依然 として肥前産が主体である。肥前産では、中碗 (図73‑39、 図76‑114、 図77‑115。 128)、 蓋物 の蓋 (図77‑119)、 瓶類 (図版66‑156・
157)な
どがある。碗類では、この時期にみ られるようになる広東碗や 蓋付碗 はほとんど含 まれていない。陶器では、碗類の他に、土瓶、灰吹、橋鉢などが確認されるが、出土量は少 ない。大堀相馬製品 (図88‑155)の
ほか、瀬戸・美濃産 (図88‑168)、 東北産 と考えられる信鉢 (図87‑141、156)、 水盤 (図
87‑157)な
どがある。【19世紀中葉か ら19世紀後葉】
7号
建物、1号
溝、5号
土坑、6号
土坑、 2層 などか ら幕末か ら明治初頭にかけての資料が多数出上 している。この時期の資料に関しては、これまでの調査でも多数の資料を提示 してきているため、今回は完形に近いもので 代表的なものを主に写真で示 している。
磁器では、碗・皿類の出土量が急増する。瀬戸の「新製染付」製品が肥前製品を上回るようになり、これまで 多かった肥前産の碗類は極端に少な くなる。 また、瀬戸製品によく似た器形、文様をした平清水産の端反碗 もみ られる。瀬戸製品では、小型、中型の端反碗や皿類 などが非常 に多 くな り、平杉碗 (図版
65‑140)や
、合子(図版65‑144、 図版
66‑155)な
どの種類 もみ られる。瀬戸産の碗・皿類では、文様・器形 ともに規格化 された 製品が多い。文様は、手描 きに加え、摺絵 (図版66‑154)や
、型打 による製品 (図版66‑151〜 153)な
どが増 加する。皿では、蛇ノロ凹型高台の ものが大半 を占めるようになる。今回出上 した中では、皿の高台部分に、「青木」のような文字が書かれているものがみ られた(図版65‑147〜149)。 その他、肥前製品では、蓋物 (図版 65‑142・ 143)、 小中皿 (図版66‑154)、 火入 (図77‑127)、 小瓶 (図版66‑157)、 紅猪口 (図73‑41、 図
77‑
158)、 仏飯器 (図版61‑59・ 60、 図版\
62‑77)な
どがある。特に59・ 60の仏飯器は、同 じ文様が描かれてお り、一 対で使われていたと考えられる。陶器は、大堀相馬製品が圧倒的に多 く、その他、東北産 と考えられる製品の割合が増えるようになる。これま である程度の比率を占めていた瀬戸・美濃産や京 。信楽産、肥前産などは、この時期にはほとんどみられなくな る。器種では灰釉丸碗 に加え、土瓶、行平鍋など、さまざまな種類の製品が出土するようになる。また、18世紀 まではあまりみられなかった柔燭、短築、灯明皿 といった灯火具類、瓶類などの器種 も加わる。土瓶は、菊花文 や、山水文などのパ ターン化 された鉄絵文様が描かれている場合が多 く、灰釉の釉調 も類似 したものがみられる。
土瓶の蓋には、身と組みになる文様が描かれている。また、蓋には亀や犬をかたどったつまみが付けられる場合 もある。土瓶の底部には墨書のあるもの (図版
79‑214)な
どがみ られる。その他、土瓶では図版78‑205の
よう な、いわゆる勿来手 と呼ばれる鮫肌釉のものも出土 している。東北産の中には、仙台城下で作 られていた堤焼 も 含 まれていると考えられるが、明確に区分はで きないため東北産 としてまとめている。情鉢 (図87‑141・ 150・156、 図版80‑223・ 225、 図版79‑224、 図版81‑226)、 甕 (図版79‑222)、 餌猪口 (図89‑172)、 土鍋 (図版 79‑219。 220)、 湯通 し (図版79‑221)、 水盤 (図88‑157)、 花生け (図版
79‑217)な
ど、 日用品を中心にさまざまな種類がみ られる。
【その他】
その他、時期が不明確なもののうち、特筆すべ き資料について述べてい く。
磁器では、紅皿が多数出上 している。外面は、いずれも貝殻状に型押 しされている。横長のもの (図72‑26。
33)と
、半円形のもの (図73‑47〜
49・61)と
がある。半円形のものは、指が入る程度の非常に小型のもの (図 73‑47・48)と
、それよりやや大 きいもの (図73‑49、61)と
がある。非常に小型の47、 48だけは高台内まで し つか りと釉が掛けられているが、その他の釉は概 して雑である。図72‑28の
皿は、菱形の器形をしてお り、沢潟文が描かれている。図
77‑131は
、婦人立像 の着物の袖先部分であると考 えられる。色絵 で着物の絵柄が描かれ ている。柿右衛 門様式の人形の袖部分 に近いが、小片のため明確ではない。図88‑1611よ 陶製の額縁のようなも のではないか と推測する。日唇部や内面 には色絵 の文様があ り、底面には釉が掛かっていない。図82‑91の
灰吹 は、相馬駒焼の製品である。灰 白色の胎土で、外面 には鉄絵の一部が確認で きる。相馬駒焼 は、文化年間 (1804〜18年
)に
相馬藩御用 田代窯で開始 された とされていることか ら、 この資料 もそれ以降の もの と考 え られるが、詳細 な年代 は不明である⑤図89‑1791よ 、中国産の茶入れである。肩部 には目跡があ り、逆 さで焼成 されている ことが推測 される。
(2)軟 質施釉陶器 (図93、 図版81、 表13〜15)
軟質施釉 陶器 は、焙烙317点、土鍋5点、鉢
1点
、 ミニチュア2点が出土 している (接合、同一個体の識別後の 破片数)。 大部分が2層か らの出土で、幕末か ら明治以降の ものである。軟質施釉陶器の大半 を占めるのは焙烙で ある。 フライパ ン形 を呈 し、中空の柄が付 くものがほ とん どである。図93‑CNlの
焙烙 は、柄の部分が短 く、柄 の中程 に小子とが貫通 している。木などを差 し込んで使用 した もの と考えられる。図93‑CN21ま器種が不明なためミニチュアとした。ロクロ整形 されてお り、底部 は回転糸切 りによって切 りはなされている。
(3)土 師質・瓦質土器 (図90〜94、 巻頭図版10、 図版82〜84、 表13〜15。 34〜36)
土師質土器 は、各期の遺構・層か ら出土 しているが、特 に
BoC‑10〜
12区3層、1号
溝、2号
溝、9号
溝、32 号溝、5号
建物、7号
土坑、14号土坑、19号土坑、2号
井戸 などか ら多 く出土 している。皿7519点 、耳皿22点、 焼塩壷61点、焼塩壷の蓋6点、火鉢5点、鉢3点
、不明634点が出上 した (接合、同一個体識別後の破片数)。 こ れ までの二の九地区の調査 と同様 に、土師質土器の中で も皿が圧倒的多数 を占めている。皿 については、回縁 もしくは底部外周の
6分
の1以
上が残存 し、なおかつ器高が判明す るもの、す なわち口縁 端部か ら底部 までが残 ってお り、日径、底径の復元お よび器高の計測がで きるものを抽 出 し、諸属性の観察 を行 った。抽出 した資料 は119点である。 また,こ
れ らの うち器形や調整方法な どが特徴 的な もの、墨書が認め られ る ものな どについて、57点を図化 して掲載 している。119点の うち、年代が限定で きる遺構 か ら出土 した資料 と なると、さらに数が限 られて くる。また、それ らのほとん どが18世紀後葉か ら19世紀初頭の遺構 に限 られるため、今 回は時期的な変遷 を検討することがで きなかった。
皿の製作技法 は、内外面 ともにロクロナデが なされてお り、底部 は無調整で回転糸切痕が確認で きるもの
(A
類)と
、 ロクロナデの後、外面や底部 に ミガキが施 される もの (B類)の
大 き く2つ
に大別で きる。抽 出 した 119点の皿の うち、底部が観察で きた ものは89点である。その うちA類
は77点、B類は12点で、8割
強の ものがロクロナデの ものであった。B類のみが集中 して出土す るような遺構 はみ られなかった。
また、皿の底部には回転糸切 り痕が観察 され、
2つ
の種類が確認で きる。その うち、糸切 り痕の中心が どち ら か一方 に片寄 るものを技法 aと し、糸切 り痕 の中心が底面のほば中央 に位置す るもの を技法bと した。 またa,bの
技法 にはそれぞれ右回転の もの と左 回転の ものが存在す る①法量 を比較すると、大 きくは口径
10cm以
下の小型の もの、10〜15cmの中型の もの、15 clll以上の大型のものも3つ
に分 け られる。 日径15cm以
上の大型の ものは非常 に少 な く、最 も多いのは10〜15cmの
中型 の ものである。これは、 これまでの調査で出土 した土師質土器皿の傾向と同 じである (年報9)。
また、皿の回縁部 には、 タール状の付着物が観察 されるものが存在する。付着の仕方で最 も多いのは、厚みを もって日縁部 に付着 し、日縁部全周 にわたるものである (図90‑1・ 6・ 7・ 12、 図91‑16・ 17・ 18、 図92‑40。
49)。 その他、日縁部の数 ヵ所 に点々と付着 している場合 (図90‑5、 図91‑21・ 24・ 32、 図