• 検索結果がありません。

4.『徳川時代の宗教』解題

ドキュメント内 宗教にかかわる教育の研究.indb (ページ 114-126)

 1957年にベラーの著作『徳川時代の宗教』が刊行されると、翌年の58年には日本の政 治思想史の大家、丸山真男が「国家学会雑誌」に「ベラー『徳川時代の宗教』について」

と題する綿密な書評を載せた。彼は、戦後のアメリカ学者の日本研究には顕著な二つのア プローチ法があり、一つは研究対象について広範な資料を収集して個別的文脈的に叙述す る歴史主義的アプローチと、もう一つは方法的スキームに従い要素間の意味関連を分析す る方法主義的アプローチで、ベラーの研究は後者に属すると言う24。先述のごとく、ベラー

23 ロバート・ベラー著、池田昭訳『徳川時代の宗教』岩波文庫、1996年、p.245.

24 丸山真男「ベラー『徳川時代の宗教』について」『日本近代化と宗教倫理』未来社、1966年、p.321-322.

の歴史社会分析の概念枠組みはパーソンズの構造機能分析図式に依拠しており、果たして この概念枠組みが研究対象の解明に適合していて、その適用によって著者の仮説がどこま で検証されたかが問題となる。

(1)産業社会と宗教の定義

 ベラーは、『徳川時代の宗教』第1章でまず「近代産業社会」を、社会体系においては 経済体系に、価値体系においては経済価値に非常な重要性をおく社会であると定義する25 ここで言う経済価値とは、図に示される類型変数のうちの普遍主義と遂行を規準にして手 段を合理化する過程を特徴づける諸価値を指す。経済価値の表現としては、生産性への高 度の関心、すなわち能率的な生産への実行があって、これに過剰に関心をいだくようにな る傾向がある26

 非産業社会から産業社会への発展過程では、一般に基本的価値類型の変化が見られるが、

基本的諸価値の転換なしに、経済価値がある分野で重要となって経済体系が合理的に発展 できるような段階に達することもある。ヨーロッパの大部分の産業社会と同様に、日本も そうした経緯を辿ったとベラーは言う。日本は、政治価値の優位性を特色とし、政治は経 済よりも優位を占める。政治価値は、遂行と特殊主義の類型変数を特徴とし、中心的関心 は生産より集合体目標にあって、忠誠が第一の美徳である。

 またベラーは、宗教を、究極的関心にかんする人間の態度と行為と定義する。そして宗 教のもつ社会機能とは、社会道徳の基礎となる一連の究極的価値を供給することであり、

そのような価値が制度化されると、宗教は社会の中心価値となる。宗教のもつ第二の社会

㊟『徳川時代の宗教』p.48

図 社会体系の機能的下位体系

A G

I L

類 型 変 数

Pattern Variable 普 遍 主 義

四つの次元

A 適  応 Adaptation  I  統  合 Integration G 目標達成 Goal Attainment  L 潜  在 Latency

遂  行

素  性

経 済 体 系

<経 済 価 値 > 動機づけもしくは

文 化 体 系

<文 化 価 値 >

統合あるいは 制 度 体 系

<統 合 価 値 > 政 治 体 系

<政 治 価 値 > 特 殊 主 義

業 績 本 位Achievement

所 属 本 位Ascription

25 『徳川時代の宗教』p.36.

26 前掲書、p.37.

機能は、死のように制御できず道徳的にも意義のない究極的挫折に説明を与えて、挫折に 直面しても社会生活を営み続け得るようにすることである。 

 原始的あるいは呪術的な宗教では、精霊、霊鬼など拡散した神的な観念が日常生活まで 浸透して生活の停滞をもたらす。しかし偉大な世界宗教のもつ神的なるものの観念は、原 始宗教よりも高度に抽象的であらゆる状況において信仰され得るような単純な性質なもの となって、直接に神と関わり救済に到達する手段を与えるものとなる。

 伝統主義の宗教は、無数の慣習に固執し社会変化を妨げるのに対し、救済宗教はヴェー バーの言う「呪術世界からの解放」をもたらし、倫理的行為の原理を示し行動の合理化へ と導く。プロテスタンティズムによって人間の神に対する新しい観念が世俗の合理的支配 を宗教的義務にまで押し上げ、普遍主義と業績主義の価値を制度化させる方向へと導いた。

ヴェーバーは経済的合理化に貢献したこのプロテスタンティズムの発展を「世俗内禁欲主 義」と名付けたのである。

(2)徳川時代の社会構造

 ベラーは第1章でパーソンズの社会体系の枠組みの提示と産業社会および宗教の概念定 義を行った後、第2章では具体的に日本の江戸時代の社会構造分析にその概念枠の適用を 試みる。まずは日本の価値体系に関する分析から出発すると、上述のように日本では図の 範疇の政治価値が第一義に優先される。この政治価値は、特殊主義と遂行という二つの類 型変数の結合したもの、あるいは社会体系の目標達成の次元に適合する諸価値であると規 定される27。主要な関心が体系目標にあるというとき、そこには特殊主義の価値が含まれ ており、家族であれ、藩であれ、当該集団のメンバーが属しているのは特殊な集合体で、

これに献身することが、真理とか正義などの普遍主義的献身よりも優先する傾向をもつの である。そして、集合体に対する特殊主義的結びつきは、集合体の長に対する忠誠として 象徴される。この忠誠はまた、集合体の長の人物自体よりも地位に対する忠誠であること が肝要であって、個人的関係のない天皇とか将軍といった人物に対する心からの忠誠を可 能にし、個人的影響の範囲を越えて強力な政治的影響を及ぼし得ることを意味する。

 政治価値の主要な関心が体系目標にあるということはまた、体系維持よりは目標達成の ための遂行あるいは業績本位が第一義的な価値となる。それは、家族においても子どもに 厳しく遂行の義務が課せられ、無能力やわがままのために廃嫡や勘当もあり得ることに示 される。美術工芸などの師匠は、特に才能のある弟子をしばし養子にしている。

 日本社会全体の価値体系はすべて家族にも当てはまる。家族では、忠誠の代わりに子と しての親に対する恭順=孝が最高の徳であるが、その機能は忠誠と同じである。日本の家 族は、代々の祖先から絶えず継承されたものとして考えられ、両親に対する尊敬の念は祖 先に対する尊敬という、より広い観念の中に包摂される28

27 前掲書、p.54.

28 前掲書、p.62-63.

 政治価値体系においてはしかし、政体は家族に優先し、忠誠と孝行が矛盾した場合には、

第一の義務は自己の家族より主君に尽くさねばならない。中国では、これと反対の場合が 真実とされ、日本とは好対照をなす。然れども、忠誠と孝行の両価値は矛盾するものでな く、相互に補強しあうものと考えられ、孝子は、忠臣たるべく、家族は社会道徳の訓練の 場となっている29

 次に日本の中核的価値を担った政治体系の分析に移る。徳川の支配は日本において権力 の普遍化と拡大がかなり前進したことを示しているが、明治時代のように合理化され、集 権化された権力構造を作り出すには成功しなかった。すなわち、徳川権力の普遍的性格に は二つの主な限界があり、一つには封建諸侯に一定範囲の自由が残されており、藩が国家 よりも重要な政治単位であったこと、二つには現実に将軍家が日本における実際上の中心 権力であったものの、理論的には天皇が中心権力をもち、将軍はただ一人の官吏たるにす ぎなかった。天皇に付随するこのカリスマ的地位は、明治維新で藩制を打破し天皇政府を 中央政府たらしめることによって、権力の普遍化にかんする先述の二つの制約を取り除く ことになったのである30

 政治的権威に対する圧倒的な忠誠は、他方で恩という観念に支えられていて、政治的権 威は民衆に恵み=恩を施す義務がある。藩と将軍家の支配は、飢饉救済、洪水防止、土地 開発など民衆にとって「恩」と考えられる計画の実行によって正当づけられた。忠誠は絶 対的な義務で恵みの施しに左右されるものではなかったが、後年になって武士階級に貧困 化が進み、物質的恵みが履行されなくなると忠誠心は衰え、将軍家の権力を弱めることと なったのである31

 ベラーの論文の第2章「徳川時代の日本社会構造の概要」は、図(前掲)の図式に従っ て政治体系の分析から経済体系、統合体系、動機づけの体系、そして、地域、家族、宗教 などの具体的構造単位の分析へと叙述を進めているが、本論稿の主題からは離れるため論 文の核心部分の第3章「日本の宗教」へと論を進めよう。

(3)日本の宗教

 1970年、イザヤ・ベンダサンとの著者名で出版された『日本人とユダヤ人』がベスト セラーとなり、その後の日本人論ブームの先駆けとなった。一人のユダヤ人の視点から見 た日本人論となっているが、そこで指摘された「日本教」という考え方は、それまで自分 は無宗教であると信じ日本人自身が自ら意識していなかった「人間」を中心とする日本人 の身体に染み込んだ宗教の存在を浮かび上がらせてくれた。ベラーの日本の宗教の研究も ベンダサンと同様、日本人自ら認識できない共有の宗教的心情や日本人であるが故に子細 に拘泥して捉えられない各宗教宗派の底流に流れる共通性を外国人の視点から大胆に提供

29 前掲書、p.63.

30 前掲書、p.65-66.

31 前掲書、p.67.

ドキュメント内 宗教にかかわる教育の研究.indb (ページ 114-126)