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世界の宗教⑵ 仏教  (前号研究報告No.81の続き)

ドキュメント内 宗教にかかわる教育の研究.indb (ページ 126-142)

世界の宗教についての基礎知識(2)

5.  世界の宗教⑵ 仏教  (前号研究報告No.81の続き)

 前項では世界の代表的宗教としてのキリスト教についてその原理的なところの解説を試 みた。しかし、キリスト教がわれわれ日本人の間に定着しているとはいいがたい。現時点 で日本人のキリスト教徒は約300万人で、それは日本の全宗教人口の1.5%程度の数値であ る(文部科学省 宗教統計調査 平成18年12月31日による)。それに較べて、信者数は約 8900万人というように、同じ外来宗教でありながら長い伝統の中で日本人に溶け込んで いった宗教が仏教である。本項ではその仏教について、同じく原理的なところのみを述べ てみたい。

 まず仏教が言葉の語源的な意味で宗教であるかという問題がある。少なくとも仏教は religionの訳語としての宗教であるとはいいがたい。ラテン語のreligioは「再び(re)結 ぶ(lig)」という言葉から派生したと考えられる。すなわち、religionは何らかの理由で分 裂した神と人とを再び結びつけることを意味している。かくしてreligionは、神と人との 新しい関係を意味する言葉となる。そういう意味では仏教がreligionであるとはいいがた い。仏教は神を前提としないからである。事実、仏教は明治以前には「仏法」や「仏道」

などと呼ばれていた。しかし「宗教」がreligionの訳語に限定される理由もまたあまりない。

「宗教」とは「宗の教」、「宗」は「尊いもので主となるもので、それは言語によっては表 現されない究極の真理」、そして「教」は「言語によって表現された教え」すなわち「宗教」

とは「根本の教え」というような意味と考えるならば、仏教もまさしく宗教にちがいない。

1)仏教とは何か

 仏教を単純明快に定義するとすれば、仏教とは「仏陀になるための宗教」であると同時 に「仏陀の説いた教えとしての宗教」である。この「仏陀」という語は、キリストという 言葉と同様に、固有名詞ではなく普通名詞である。サンスクリット語buddhaを漢訳にお いて音写したものである。初期には漢語で浮図や浮屠と音写され、それが古代日本に伝来 し、フトにケを加えてホトケという日本語になったといわれている。ただし、この説では ケの意味や付加された理由が不明なので反対する学者もいる。例えば柳田国男(1875-1962)は『先祖の話』で反対している。少し不明なところもあるが、ともかくわれわれ も今日例えばcomputerを「コンピューター」と音に写して使っている。意味には翻訳せず

に片仮名書きで使用するのが一般的だ。片仮名用語の乱発の是非はともかくとして、今日 は音写の傾向が強い。しかし、かつてはcomputerを「電子計算機」と翻訳して使用してい た。正確かどうかは別にして意訳して用いる外来語の処理もある。handsomeを「ハンサム」

というか「かっこいい」というかの問題だ。これと同じように古代中国の人々は仏典を漢 訳する場合に意訳すれば違和感を禁じえない場合にはそのまま音に漢字を当てた。仏陀も その例である。buddhaの浮図や浮屠が佛、人偏は「人」で旁の「弗」は「不」の意味で「人 であって人でないごとき」の意となり、さらに玄奘(600-664)以後、佛陀(仏陀)となっ た。ホトケについては今日では「死者の霊」を意味するようになるが、これは儒教の影響 で先祖供養が仏教に取り入れられたからである(先祖供養は本来仏教にはない)。一方、

buddhaについては意訳を施した仏典もある。それによるとbuddhaは「覚者」と訳される。

つまり、仏陀の意味は「目覚めた者・悟れる人」という意味なのである。当時のインドに おける「宗教的な意味で最高の真理を悟った者」のことである。

 仏教は基本的には全ての者が仏陀に成りうると考える。その意味で仏教は「仏陀になる ための宗教」である。しかし、その困難な道を実際に完成した人は歴史上ゴータマ・シッ ダッタ(BC463-BC383)ただ一人とされる。以後、ゴータマ・シッダッタその人のこと を仏陀と呼ぶようになり、仏教はこの「ゴータマ・シッダッタ=仏陀の説いた教え」の意 味にもなったのである。ゴータマ・シッダッタという表記はサンスクリット語に近く、ガ ウタマ・シッダールタはパーリ語に近い表記という意見もあるようだが、原語に近い音な ど日本語で表現できるはずもないからどちらでもよいと思われるが、ここでは以下ゴータ マ・シッダッタとして論を進める。

2)開祖ゴータマ・シッダッタとは誰か

 仏教はゴータマ・シッダッタを開祖とし、仏陀(覚者)となった彼が説いた宗教という ことができる。ゴータマ・シッダッタはインドに生まれ、インドで思索した。その生涯を 素描してみよう。その生涯は普通「仏伝」といわれる記録に記載されているが、これは「聖 者伝説」につきものの奇跡物語に満ちているが、それは語り手が伝えたいことはただの事 実ではなく、宗教的事実、すなわち、信仰の目で見られた事実といえるからである。ゴー タマ・シッダッタについても、例えば、誕生において母親マーヤーの右脇から生まれ、生 後すぐに七歩歩み、「天上天下唯我独尊(自分が仏陀として生まれたことの宣言)」といっ たということなどはその典型的な例である。われわれはそのような信仰の目で見られたも のを嘘だと排斥することもできないが、ただ、誰にも理解可能なものとして宗教を考えて いく以上、明らかに信仰の目のみで見られたものに関しては真偽の判断を中止したい。

 ゴータマ・シッダッタ(ゴータマが姓、シッダッタが名)の生死年に関しては諸説あり 一定しない(戸籍制度もない時代の人間の生死の年の確定に心血を注ぐことに意味はある のだろうか)。尚、ゴータマ・シッダッタの異名(名号)として、仏陀のほかにも、例え ば「釈迦」といわれるが、これはゴータマ・シッダッタの出自の部族名である。また、「釈

迦牟尼世尊」やその省略形である「釈尊」ともいわれるが、これは釈迦族の聖者(牟尼)

で世間で尊敬されている人(世尊)という意味である。また、「如来」という名号もあるが、

これも古代インドの理想的な人間を表す尊称の一つでタターガタが原語である。タターガ タとはタター(真如と訳され、その意味は真理、真実)とガタ(ガム「行く」の過去分詞)

あるいはアーガタ(アーガム「来る」の過去分詞)との合成語である。

 そこでいろいろな修飾を排して、史実としてのゴータマ・シッダッタを浮かび上がらせ ると、生涯の輪郭は簡単に次のようになる。ゴータマ・シッダッタはヒマラヤの山麓近く に住んでいたシャーキャ(釈迦)族の王子として生まれた。しかし、母親のマーヤーがそ の後しばらくして亡くなったことは史実らしい。彼は新たに王妃となった叔母(マーヤー の妹)の手で育てられる。そして17歳の頃結婚して(3人の妃がいたが正妃の名はヤショー ダラー)、一人の男子(ヤショーダラーの子でラーフラという)をもうけてまもなく、29 歳のとき、城から脱出して修行者の群れに入った。つまりその頃までにシッダッタの内面 では宗教によって真理を求めようとする気持ちが熟していたといえる。青年シッダッタの 心に宿っていた問題は仏伝によると老・病・死の問題とされるが、それらの問題はわれわ れにとっても日常の問題であり、別に突飛な話ではない。ただ多くの仏伝は悩めるシッダッ タの姿を劇的な物語として語っている。

 彼は郊外の遊園に行くためにある城門から出て、途中で老人を見、「あれは何か」と馭 者に尋ねて、それが人間の老いゆく姿と知り、更に、別の門から出て病人を、更に別の門 から出て死人と出会い、そこで人生の空虚さを知り、最後の門から出た際に修行者と出会 い、その円満な容貌を見て、これこそが自分の理想と出家する決意を固めたという。これ が「四門出遊」の話である。この出来事がそのまま事実とはいえまいが、われわれ人間に 共通して起こる出来事の象徴的な語りであろう。

 ともかく、彼はある日城を出、それから6年にわたる修行を始めるのである。彼は家庭・

身分・財産を捨て沙門(シュラマナ、修行者)の仲間に入り、良い師を求めて次第に南下 し、ガンジス川を渡って当時のマガダ国に入り苦行を続けた。それは節食から断食に入り、

呼吸を抑制し、肉体を苦しめることで精神的自由を得ようとするもので、当然ながら死と 直面した。しかし、それでも安心立命の境地に達することができなかった。そこで彼は苦 行の空しさを悟り、ナイランジャナー河のほとりにただ一人瞑想して真理を悟ることを試 みる。

 そして彼は菩提樹(ピッパラという木)の下で座禅して、仏陀としての自覚を得た。と きに35歳であった(「成道」)。そして彼はその真理を世に伝えるべく、ベナレスという所 に赴いて最初の説法をした(「初転法輪」、「輪」とは世界を支配する帝王の象徴で、「法輪」

とは最高の真理を表し、「法輪を転ずる」とは最高の真理を世に宣布するという意味であ る)。それ以来、出家者の教団を組織して修行を指導するとともに、在家信者を教化した。

そして45年間にわたる宗教活動の後、80歳のときに故郷に近いクシナガラで亡くなった といわれる。死因は老衰ではなく赤痢であったらしい。死因についてはスーラカ=マッダ

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