第七章 語彙レベルにおける非対称性および相互補完性
7.3 非対称性が存在する要因の再分析
前節では日中両言語の三次元形容詞における非対称的表現の例を挙げた。先行研究で指 摘された「標識の有無」は一部の非対称性しか解明できないことも明らかになった。さら に、非対称性は認知上の特徴と関連する主張(沈 1999、周 2006、徐 2010)によって、
プロトタイプ的意味は非対称的であるため、拡張的意味も非対称的になると主張されてい る。しかし、第4、5、6章でまとめたように、各対の三次元形容詞のプロトタイプ的意味 は対称的である。その拡張的意味が非対称的になるのは、むしろ各次元形容詞のプロトタ イプ的意味が成立する背景知識が非対称的だからであると言ってよいであろう。そこで、
三次元形容詞における非対称性の要因を次の通りに分析していく。
①背景知識の範囲が異なるため。
背景知識は理想化認知モデルともいい、Lakoff(1999)、河上(2005:41)によって、「組 織化された知識のこと」と定義され、カテゴリー構造もしくはプロトタイプ効果もこの組 織化された知識から生じるものであると河上(2005:41)は述べている。そのため、これ らの三次元形容詞のプロトタイプ的意味が成立するために、それを支える背景知識もいく つかあると考えられる(表7-4、7-5、7-6を参照)。「太・細」、「厚・薄」、「大・小」・〈粗・
细〉、〈厚・薄〉、〈大・小〉を確保するためには少なくとも次の条件を満たさなければなら ない。
表7- 4「太・細」・〈粗・细〉という概念を成立させる背景知識
太 細
①三次元的な柱体の物体 ①三次元的な柱体の物体
②直径(ab)が標準値より大きい ②直径(ab)が標準値より小さい
③abが大きくても柱体の中心線(C)の長 さより短い
これらの背景知識に合致する場合は「太・細」・〈粗・细〉のプロトタイプ的意味と見な しているが、上述の背景知識①、②のいずれに違反しても「太」としては成立しないのに 対し、条件③に違反する場合には、次のようになる。
C
a b b
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図7- 3「太」の条件③に違反する場合
直径abが中心線Cより長ければ、図の通りになる。この場合は「太」というより「厚」
に近い。それに対して、「細」の場合は直径の長さには制限がない。
表7- 5「厚・薄」・〈厚・薄〉という概念を成立させる背景知識
厚 薄
①三次元的な物事である ①三次元的な物事である
②顕現している面が二つある(面aと面b) ②顕現している面が二つある。面aと面bと の間に隔たり(辺EF)は標準値以下である(重 なる場合もある)
③面aと面bとの間に隔たり(辺EF)がある
④辺EFが表されるものの標準値以上である が、最大でも辺CDと辺DEのいずれよりも短 い
これらの背景知識に合致する場合は「厚・薄」・〈厚・薄〉のプロトタイプ的意味と見な されるが、上述の背景知識①、②、③のいずれに違反しても「厚」としては成立しない。
ただし、条件④の違反は、図7-4のような二つの場合がある。
D E D E 面a 面a F C
F C 面b
面b
図7- 4「厚」の条件④に違反する場合
A.辺EF(面aから面bまでの隔たり)と辺CDの長さが同じ場合、左側の図になる。
この場合、「厚」として扱われることはできるが、顕現的な面は面aと面bではなくな り、見方を変えなければならない。見方を変えない場合に、「厚」というよりむしろ「高」
174 と言った方がよい。
B.辺EF(面aから面bまでの隔たり)と辺EDの長さが同じ場合、右側の図になる。
この場合、面aと面bは顕現的な面ではなくなる。右側の図からわかるように、図形を 構成する四つの長い面の面積はすべて同様であるため、条件②に違反する。この場合、
「厚」とは言えず、「太」というようになるだろう。
また、条件①に違反すれば、「薄」として成り立たないが、次の②、③のいずれに違反 しても「薄」として成立する。そのため、「厚・薄」を認識する際の基盤とする背景知識 が異なると言える。
例7-5
a.今日も曇り空が見えている。細く(*太く)開けられた窓からは、湿り気を帯びた風 が弱々しく流れ込んでいた。
b.時は刻一刻と過ぎ、行灯の炎も細く(*太く)なった。
c.サロメはいとおしげに頬を寄せてその首を抱き、薄く(*厚く)開けた目は恍惚状態 を表わしている。
d.勇介の口もとに口元に薄い(*厚い)笑いが浮かんだ。
例7-5のように、意味拡張する場合に、背景知識の異なる部分が活性化されると異なる 拡張的意味になる。例えば、aの「窓」は少し開けた際に、窓と窓枠の間に隙間を形成す る。「細」が使用できるのは「直径はゼロになってもいい」という条件があるため、即ち
「細長い」という特徴を確保できれば直径があるかどうかを問わず「細」が使用できる。
それに対して、「太」の背景知識には「直径が大きくても中心線より短い」という条件が あり、窓を大きく開ける場合にはこの条件が当てはまらないため、「細」と対応する表現 として用いられない。また、bの「炎」は「気体、または液体や固体からの蒸気が燃焼し 高温となって光を発している部分」(『大辞林第3版』)であり、見た目では細長い特徴が 最も顕著である。上述の背景知識の条件を参照して「細」は使用できるが、炎が強くなる とその形を確保できない(強くなっても必ずしも柱体の形が確保できない)ため「太」は 使用できない。有標・無標で説明することができないことはないが、前述ように、有標・
無標は本来主観的言語表現につけたマークであるため、場合によって反転することがある。
背景知識の活性化の部分は客観的であるため、その非対称性の要因を説明することに適切 な方法であると考える。
一方、「大・小」・〈大・小〉は他の2組と異なり、それを認識する際に基づく背景知識
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は対称的であると言える(表7-6を参照)。「厚・薄」・〈厚・薄〉のプロトタイプ的意味を 成立させる背景知識から見ると、「厚」と〈厚〉は四つの条件を同時に満たさなければな らないのに対して、「薄」と〈薄〉は表7-5の①、②を満たせば成立できるということが 分かる。そのため、「厚・薄」・〈厚・薄〉の非対称性はより顕著であると言える。また、
「大・小」・〈大・小〉のプロとタイプ的意味を成立させる背景知識は同じであるため、拡 張的意味もほぼ対称的であることは考えられる。
表7- 6「大・小」・〈大・小〉という概念を成立させる背景知識
大 小
①三次元的な物体 ①三次元的な物体
②三つの次元の大きさはほぼ同様である ②三つの次元の大きさはほぼ同様である
③三つの次元は無限に伸びることができる ③三つの次元は無限に縮むことができる
しかし、「大・小」・〈大・小〉にも非対称性が全くないとは言い切れず、その非対称性 の要因に関しては次のように考えられる。
②内在化された自然法則に違反する可能性があるため。
例7-6
a. ねえ、悠太ちゃん、大きくなったらお医者様になって、この病院を継いでおくれ(略)
b. まず、いつぐらいから夢を見るかですが―小さい頃からだそうです。
c. 村上人也曾劝翠花她爹想法替她物色个城里女婿,可姑娘大了由不着父亲,……(村 の人も翠花の父親にどうにか町の出身の旦那を物色させていたが、娘が大きくなった ら父親のいうことは聞かない。)
d. 吃饭时妈妈说:“肖潇小时候喜欢写诗。”(食事の時に、母が言った。「肖瀟が小さい
頃、詩を作ることが好きだった。」)
人間を含め、動物と植物という生命体は生まれて、成長して、老衰して、死亡して、
また生まれるという順で循環している(図7-5を参照)。
176 図7- 5循環している自然界
言い換えれば、自然界における存在物は始まりと終わりがない。しかし、我々にとっ て、自然世界は一定の法則に従っている。言い換えれば、個々の物事は始まりと終わり があり、一方向性的であると考えられるため、主観的に自然界に規則付けをしている(図 7-6を参照する)。
生まれる(小さい)
↓
成長する(大きくなる)
↓ 成熟する
↓
老化する(小さくなる)
↓ 亡くなる
↓
生まれる(小さい)
図7- 6内在化された自然法則に従う循環
そのため、言語表現から見ると、「成長する」という段階のみ「大きくなったら」とい う表現が用いられ、「老化する」という段階で「小さくなる」という特徴も含まれている かもしれないが、「小さくなる」に焦点を当てることはない。我々にとっては、「小さく なる」ということは自然法則に違反しているように見える。したがって、「成長する」と いう抽象概念を理解するために、それと密接している特徴、すなわち、形状の変化を参 照点とする場合が多い。そこで、「成長したら」という意味を表す際に、例7-6aのよう に「大きくなったら」という形状の変化を表す言語表現が使用できる。一方、「小さくな る」という言語表現は自然法則に違反するため存在しないと考えることができる。
また、成長する前の段階は形状の面から見ると「小」という特徴が最も顕現的であるた め、「幼い頃」を表す際に「小さい頃」が用いられることが一般的である。しかし、成長
老化する
(小さくなる)
亡くなる 生まれる
(小さい)
成熟する 成長する
(大きくなる)