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第七章 語彙レベルにおける非対称性および相互補完性

7.2 有標・無標と非対称性

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ある。即ち、異なる対を跨ぐことはない。したがって、一つの概念を表出する際に、複数 の三次元形容詞が用いられることと、対の中で一方は用いられるが他方は用いられないこ とが概念群の不均衡によるものかについて、概念レベルからその多義性の特徴を見る必要 がある。各グループの次元形容詞の意味項目をそれが属する概念群によって分類すると、

「空間」、「量」、「度合」、「質」、「状態」に分類することができるため、両言語における三 次元形容詞の多義性は概念メタファー写像によって成立したものであると考えられる。次 の(一)~(四)として挙げられる(「太」、「厚」、「大」と〈粗〉、〈厚〉、〈大〉を+次元 といい、「細」、「薄」、「小」と〈细〉、〈薄〉、〈小〉を-次元とする)。

(一)量が多いことは+次元、量が少ないことは-次元

(二)程度・度合が高いことは+次元、程度・度合が低いことが-次元

(三)質がよいことは+次元、質が悪いことは-次元

(四)状態が明らかであることは+次元、状態が明らかでないことは-次元

第4、5、6章で見たように、語彙レベルで非対称的な表現は同様の次元付けのメタファ ーによって生み出されるものであるため、日中両言語の三次元形容詞は概念レベルから見 るとかなり対称的であると言える。このような対称性は実際に概念群から見る対称性であ る。即ち、次元の概念はプラス方向の次元とマイナス方向の次元によって組み合わせたの である。また、上述の(一)~(四)は日中両言語に普遍的に存在している概念メタファ ーであるため、日中両言語の三次元形容詞を概念レベルから見ると大きな相違はない。そ れに対して、語彙レベルではかなり非対称的であり、また日中両言語の間でかなり異なる が、概念レベルでより対称的であることには何等かの要因があると考えられる。すなわち、

語彙レベルにおける非対称性は何等かの役割を果たしていると考えられる。

その要因と役割を分析する前に、非対称性の要因を先行研究によって示していく。

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“对称”和“不对称”最初是一对日常生活概念。凡是有一一对应关系的就是

“对称”, (略)凡不是一一对应关系的就是“不对称”。

(「対称」と「非対称」はそもそも日常生活から得た概念である。互いに対応す る関係を持つことを「対称的」といい、逆を「非対称的」という。)

沈(1999:1)

沈(1999:1-4)は言語表現における非対称性を主に音韻(清音/p,t,k/と濁音/b,d,

g/のように、/s/の後ろに清音しか現れない)、統語(大陸、*58小陸など)、文法(ある能

動文に用いられる動詞は受け身文に使用できない。例えば、我姓张。(私は張と言う。)*

张被我姓。(*張が私に言われた。))に分布していると指摘している。このようなさまざ まな非対称性が生じる要因は「有標」と「無標」の不均衡性にあると指摘されている。例 えば、対義語(男―女、生―死、大―小、深―浅、簡単―複雑、左―右、前―後など)の 内部に見られる非対称性と語と語の間にある非対称性の両方とも標識の有無で解釈でき る。その要因について沈(1999:178)は次の四つの面から説明した。

①「逻辑(論理)」の面:

例7-2 我不吃肉(私は肉を食べない)。

「吃(食べる)」は肯定的な意味を示す無標の表現であり、「不吃(食べない)」は否定 的な意味を示す有標の表現である。

②「认知(認知)」の面:

認知の面から見ると、はっきり見えて認知されやすい物事は無標である。例えば、形容 詞の「大・長・深・厚・高」などは気づきやすいため、使用上「小・短・浅・薄・低」よ り範囲が広い。「大きさはどれぐらいあるか」は「大きいもの」と「小さいもの」の両方 を含んでいる。一方で、「小ささはどれぐらいあるか」という言い方が許容される場合も あるが、その場合、あるものが小さいという前提に限ってその使用が可能となる。

③「评价(評価性)」の面:

沈(1999:188)は、人間がいつもよい物事にプラス的な表現をつけると主張している

58 *用いてはいけない表現である。

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そのため、対である次元形容詞におけるプラス的な意味を持つ方が数多く使用される傾向 があるため、マイナス的な評価性を持つ他方の語との間に非対称性が生じる。

④「常规(自然法則)」の面:

例7-3 不锈钢(ステンレス=錆が付かない鋼鉄)―*锈钢(錆が付く鋼鉄)

「锈钢(錆が付く鋼鉄)」という言い方が不自然なのは、「鋼鉄に錆が付く」ということ が常にあることだからである。逆に「錆が付かない」の方は特殊なことであるため、「不 锈(錆が付かない)」という標識を付ける。

これまでの形容詞非対称性に関する研究は、日本語ではあまり研究されておらず、楢和

(1998)の方向認識の非対称性という視点から日本語の「マエ」と「サキ」の意味を対照 した研究および、徐(2010)の日中両言語の「上・下」を中心に、それぞれの拡張的意味 における非対称性を分析した研究以外は管見の限り見られない。それに対し、中国語では 数多くの研究が主に空間位置を表す「上・下」、または空間的な量を表す「大・小」、「長・

短」を中心に行われている。これらの研究はほぼ次元形容詞と他の品詞との共起における 非対称性を記述するもの(皮2012)、また、沈(1999)が論述した標識の理論を元にして 音韻、統語、文法と慣用表現という四つの面から分析された(周2003、周2009、皮2010、

窦2011)。その非対称性の要因として主にプロトタイプ的意味の非対称、心理的な要因、

認知上の顕著度とプラスの評価性を選ぶ傾向、写像の非対称性というものがあると指摘さ れている。一方、袁(2004)は修飾された物事の特徴および人間の記憶力の制限も要因の 一つであると提示した。

しかし、「上・下」や「前・後」などの方向位置を表す言語表現は空間の顕示度と人間 の主観的認識に左右されることが多いため次元形容詞とは性質が異なる。また、認知の顕 著度およびプラスの評価性がある言語表現を選ぶ傾向は一部の非対称性しか解釈できな い。また、すでに述べた児童の次元形容詞についての習得順序に関する研究結果では、有 標の〈薄〉が無標の〈厚〉より先に習得されるという結果が見られた。この結果から分か るように、有標と無標は決まったことではなく、場合によって有標の方を先に捉えること や広範囲に使用されることも可能である。そのため、非対称性の要因を考え直す必要があ ると思われる。

語彙レベルの非対称性に関しては、先行研究では「有標・無標」が要因の一つであると 主張されている。言語の有標・無標を規定する条件は沈(1999:32-34)、山岡(1996)に 基づき、表7-3のようにまとめることができる。

170 表7- 3有標と無標を規定する条件

無標 有標

①分布が広い ①分布が狭い

②下位区分を多く持つ ②下位区分が少ない

③形式が簡単である ③形式が複雑である

④範疇に最適なメンバー

(プロトタイプ的意味)

④範疇に離れているメンバー

(周辺的意味)

⑤包括性 ⑤包括される

⑥要素が非限定的意味を持つ ⑥ある要素限定的意味を持つ

⑦使用頻度が高い ⑦使用頻度が低い

しかしながら、表7-3の条件に基づいても、非対称性すべてを説明することはできない。

沈(1999)によると、対義語において意味的に積極的なものは無標である。なぜなら、人 間はよいこと、意味合いが積極的な物事を強調する傾向があるからである。この点から見 ると、「厚」や「太」などは「薄」、「細」より意味の範囲が広いとが推測される。ただし、

標識の有無という現象自体は客観的に存在する現象ではなく、人間が自らの期待や感情を 言語表現に付与し、使用に好まれる言語表現、また、基準を表す表現を無標として定義す るだけである。また、無標の物事がより認知されやすく、顕著的であるということは間違 いがないが、それによって、無標のものは必ずしも認知されにくいとは言えない。なぜか というと、そもそも認知しやすいかしにくいか場合によって反転する可能性もあるからで ある。その反転によって、本来無標の言語表現が有標の言語表現に変更する可能性も十分 ある(例えば、「小伙子」は「若い男の人」を表すが、強調する場合に、「大小伙子」とい う表現を用いることも一般的である)。したがって、標識の有無は人間が言語表現に意図 的に貼り付けた「マーク」である。標識の有無に関しては、その要因として、認知上の顕 著度が関わっていると沈(1999)は主張している。そのため、言語表現の非対称性の要因 は標識の有無というより、むしろ認知上の顕著度が異なると言った方が良い。顕著度が高 いものは認知されやすく、意味拡張されやすく、逆は、認知されにくく、意味拡張もされ にくい。しかし、本研究で分析した三次元形容詞の中で、特に日本語の「薄」は「厚」と 比べると、認知上では際立たないはずであるが、その拡張的意味は「厚」よりはるかに発 達している。

さらに、第五章も述べたように、吴他(2008)の研究には、中国語母語話者の児童が次 元形容詞〈厚・薄〉の拡張的意味を用いることができる諸段階を研究する際に、特に〈厚・

薄〉は「行為」というドメインに写像される際に、児童が有標の〈薄〉は無標の〈厚〉よ りに先に捉えられるという興味深い結果を提示している。なぜ有標のものが優先的に発達 するかということに「使用率が低い」、「収集されたデータが不十分」という要因しか提示 しなかった。しかし、吴他(2008)の分析結果から見ると、有標・無標が絶対的ではなく、