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第4章では、「太・細」、〈粗・细〉の多義性を語彙レベルと概念レベルから分析を行っ た。本章の日中両言語における三次元形容詞「厚・薄」、〈厚・薄〉の多義性も4章と同様 に分析する。

5.1「厚・薄」、〈厚・薄〉についての先行研究

日本語の「厚・薄」に関しては、西尾(1972:71)によれば、「『あつい―うすい』は(略)

2つの平均的な基準面の間を、直角の方向にみたへだたり」である。言い換えれば、「厚・

薄」は2つの面が関係しあうことを表している。また、国廣(1982:164)は次のように 定義している。

アツイ(ウスイ):<‘A>B>C’という長さの関係にある立方体において、ほかに 限定的な条件がない時、Cの値が標準値より大きい(小さい)>

国廣(1982:164)

以上の指摘とは異なり、久島(2002:24)では、「板の断面に物差しを1回当てれば済 んでしまう。これは、棒の『長さ』(図ア)との測り方と同じで、『厚さ』は1次元の線と いうことが分かる」と述べられている。即ち、「厚さ」は「長さ」と同じように1次元の 嵩と見なされている。しかし、「厚さ」の存在する前提として、その「厚さ」を持ってい る物体は3次元的な物体でなければならないということである。「厚・薄」は三次元的な 物体の二つの面の間にあるへだたりを中心に表していると考えるため、本研究では国廣

(1982)の定義を踏まえ、新たに定義する(5.2における表5-2のプロトタイプ的意味を 参照)。

一方、中国語の〈厚・薄〉に関しては、陆(1989)で提唱されている「A+了+表示定量 的数量词(A+了+量を限定する数量詞)」という文法形式に適用するか否かによって次元 形容詞を判断し、次元形容詞の各意味、用法を詳しく分析した以外に、〈厚・薄〉の多義

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性を分析するものは少ない。吴他(2008)は、〈厚・薄〉の認知ドメインの発達を中心に、

児童が次元形容詞を習得する順序を分析した。無標の項目は有標の項目より先に捉えられ ることは一般的であるが、この研究によって、〈厚・薄〉を例として、「行為」というドメ インに写像される際に、有標の〈薄〉は無標の〈厚〉より児童に先に捉えられるという興 味深い結果が見られる。しかし、なぜこのような現象があるかについて、論文では、はっ きり分析されていない。

以上の先行研究から、「厚・薄」と〈厚・薄〉の多義性研究はまだ不十分な状態である ことが分かった。そこで、本章では、日中両言語の三次元形容詞「厚・薄」と〈厚・薄〉

の多義性を語彙レベルと概念レベルから分析していく。ただし、中国語の〈薄〉は“bo”

と“bao”という二つの発音があるが、両方を含めて分析を行う。

5.2「厚・薄」の語彙レベルの多義性分析

まず、第3章の研究方法に基づいた「厚・薄」の抽出例を、表5-1として再度挙げる。

表5- 1 日本語各三次元形容詞の抽出例総数

研究対象 太 細 厚 薄 大 小 抽出例総数 2944 3738 3348 5453 37111 13114 実際に分析す

る例文数 2178 3703 2165 5304 30901 13107

(表3-1と同じである)

5.2.1「厚」の語彙レベルの多義性

表5-1における「厚・薄」の抽出例に基づき、瀬戸(2007:46-56)の多義項目の認定方 法によって、「厚」の意味項目を表5-2のようにまとめた。

表5- 2「厚」の意味項目

順番 意味項目 例文

プロトタイプ 扁平な物体の一方の面から他方の面 までの隔たりが標準値以上である

彼は厚い本をぱらぱらめくりながら、ひとつ ひとつの言葉に読みふけり、絵をむさぼっ た。

(果物などの)肉質の部分が豊富で ある

で、シルバーレースの名がついた。もっとも レースのように薄くはなく、多肉質で少し厚 い。

筋肉が発達している 胸は厚く、肩は広く、なかなかの男ぶりだ。

量が多い

配当を抑えて内部留保を厚くするような、日 本の上場企業の経営者たちの常識は誤りだ と竹田さんは主張する。

(霧、雲などの)密度が高い 遠くには、このあたり特有の厚い霧がかかっ ている。

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(化粧、塗りつけなどが)濃い その女は厚く化粧をして、ほれぼれするよう な服装をしていた。

感情が深い 時に尊敬し、時に夢を語り合える厚い友情の 二人です。

保護や優待する程度が高い すべての客を厚くもてなすことに誇りを持 っている。

攻撃や警戒が強い 続いてマルちゃんとヴィドゥカの2枚代え で、一気に攻撃を厚くした。

次に、「厚」のプロトタイプ的意味を瀬戸(2007)が提案した条件と照らし合わせて認 定する。図5-1が示しているように、「扁平な物体の一方の面から他方の面までの隔たり が標準値以上である」という意味が最も具体的であり、共起する制限も少なく、最も想起 しやすい意味であると言える。

例5-1

a.彼は厚い本をぱらぱらめくりながら、ひとつひとつの言葉に読みふけり、絵をむさぼ った。

b.その間に底の厚い鍋に水百二十c cにキャスター糖三十gを入れ、弱火で溶かす。

c.水ギョウザには、手作りの厚めの皮が合うみたい。

C’ D’

C D

(標準値) (厚)

図5- 1「厚」のプロトタイプ的意味

また、次の例における「厚」は「面の皮」と共起して「厚かましい」という意味を表す が、「厚」の拡張的意味であるとは言えない。

例5-2

a.そうした日常のかけひきに慣れるためには、かなり面の皮が厚く、よほど立ち回りが うまくなくてはいけない。

b.面の皮が厚い野郎だ。

F b E a

F’ b F’

E’ a

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例 5-2a、b の「厚」は「厚かましい」という意味を表す場合に、「厚」は拡張していな

い。なぜなら、「面の皮が厚い」という文から分かるように、「面の皮」は確かに厚さを持 っているため、最も具体的な意味を表すしかないからである。「厚かましい」という意味 はどこから生じるかというと、むしろその文全体がメトニミーリンクを介して、「面の皮 が厚い」の結果としての「傷を付けにくい、ずうずうしい」という意味へ拡張していると いうところである。そのため、「厚かましい」という意味は「厚」の拡張的意味として認 めずに「面の皮が厚い」という表現に含まれている意味として認定する。

次に、「厚」の拡張的意味を次の通りに分析する。

(一)拡張的意味①:(果物などの)肉質の部分が豊富である 拡張的意味②:筋肉が発達している様

例5-3

a.で、シルバーレースの名がついた。もっともレースのように薄くはなく、多肉質で少 し厚い。(拡張的意味①)

b.胸は厚く、肩は広く、なかなかの男ぶりだ。(拡張的意味②)

例5-3a、bの「厚」はそれぞれ「植物の葉や果実の肉質の部分が豊富である」と「男性

の胸郭を取り囲む筋肉が発達している」という意味を表す。肉質が豊富であることと筋肉 が発達していることとは「厚みがある」という点で類似しているため、拡張的意味①、② はそれぞれメタファーリンクを介し、プロトタイプ的意味から意味拡張している。

(二)拡張的意味③:量が多い

例5-4

a.ウクライナは 4-5-1で、特に右サイドに厚く人を配置し、日本のサイド攻撃を阻もう

としていた。

b.配当を抑えて内部留保を厚くするような、日本の上場企業の経営者たちの常識は誤り だと竹田さんは主張する。

例5-4aの「厚」は「人数を多くする」という意味であり、bは「社内に留保する利益金

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額が多い」ということを表す。例文に挙げられた「人(数)」、「内部留保」は実際に「た まることができる」ものとして、ゲシュタルト的に捉えられている。物理的に厚みがある ものは量的にも多いことと常に共起し、隣接関係がある(図 5-2 を参照)。そのため、拡 張的意味③はメトニミーリンクを介し、プロトタイプ的意味から拡張している。

図5- 2人数、利益などの量を表す「厚」

一方、次の例は一見量を表すようであるが、実際には例5-2と同じく、文全体の意味拡 張によって得られた拡張的意味であり、「厚」の拡張的意味とは言いにくい。

例5-5 ドイツでは一流から五流まで揃っていて、研究者の層が厚い。

例文にある「研究者の層が厚い」という表現は「研究者の人数が多い」という意味を表 す。この表現では、「厚」を拡張的意味「量が多い」として用いられているのではなく、

むしろ「層が厚い」という表現から「量の多さ」という意味に広がっていると言えよう。

つまり、この構造における「厚い」は「層」と共起して初めて「量が多い」ことを表すよ うになる。それゆえ、例5-5における「厚」は意味拡張していないと考える。

(三)拡張的意味④:(霧、大気などの)密度が高い 拡張的意味⑤:(化粧、塗りつけなどが)濃い

例5-6

a.遠くには、このあたり特有の厚い霧がかかっている。(拡張的意味④)

b.わたしはそそくさとヒースが厚く茂っているところを寝床に選び、防水布に包まつて 横たわり、くつろいだ。(拡張的意味④)

c.その女は厚く化粧をして、ほれぼれするような服装をしていた。(拡張的意味⑤)

d. 蜂蜜をパンに厚く塗る。(拡張的意味⑤)

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例5-6a、bとc、dの「厚」はそれぞれ「気体の密度が高い」、「(化粧、塗りつけなどが)

濃い」という意味を表す。a、b における「霧」と「ヒース」は厚みを持っていないもの であり、「厚」は実際は霧やヒースの密度が高いという意味を表している。ある物質の密 度が高いという場合に、その物質の量が多いという前提が含まれている。そのため、拡張 的意味④は拡張的意味③「量が多い」という意味から共起関係に基づき、メトニミーリン クを介して拡張している。また、c、dの「厚」は、「化粧」や「蜂蜜」を多く塗りつける と物理的な厚さが変化するため、その変化に「化粧」と「蜂蜜」の濃さが常に伴っている。

そのため、拡張的意味⑤はプロトタイプ的意味からメトニミーリンクを介して意味拡張し ている。

(四)拡張的意味⑥:感情のこもった様子 拡張的意味⑦:保護や優待する程度が高い

例5-7

a.時に尊敬し、時に夢を語り合える厚い友情の二人です。(拡張的意味⑥)

b.それが厚い信頼をつくりだし、人間同士の連帯と安心をただよわせているのです。

(拡張的意味⑥)

c.人望が大変に厚く、家の召使いたちも大変に多かった。(拡張的意味⑥)

d.すべての客を厚くもてなすことに誇りを持っている。(拡張的意味⑦)

例5-7aの「厚」は「感情が深い」という意味であり、bは「確信する様子」という意味 を表す。また、cは「世間からいい評価をもらう」という意味を表し、dは「他人を保護 する、或いは優待すること」という意味を表す。感情は、利益や恩恵などと同じように形 がないものである。しかし、我々は感情、信頼、評価、保護などの抽象物を存在物と見な し、その量が増加すると抽象物として、存在物の体積が大きくなるのと同じである。その ため、拡張的意味⑥、⑦はプロトタイプ的意味からメタファーリンクを介して意味拡張し ている。ただし、これらの抽象物が量化されることができるが、「量」を意味しないため、

拡張的意味③「量が多い」と根本的に異なる。

(五)拡張的意味⑧:攻撃や守備が強い

例5-8 続いてマルちゃんとヴィドゥカの2枚代えで、一気に攻撃を厚くした。