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阿讃地域の長大型竪穴式石室の出現について

はじめに

最近の阿讃地域における埋葬施設の発掘調査の成果や研究をみれば、長大型の竪穴式石室の初現 も、粘土槨構造の初現も阿讃地域に起こったような状況を呈している。前者は阿波地域では西山谷 2号墳の竪穴式石室であり、讃岐地域では鶴尾神社4号墳の竪穴式石室の評価である。後者は阿波 地域では蓮華谷(Ⅱ)2号墳であり、讃岐地域では石塚山2号墳や国分寺六ツ目古墳の埋葬施設であ る。

この小論では、阿讃地域における長大型の竪穴式石室の出現を中心に、阿讃地域の竪穴式石室を 概観し、この地域の竪穴式石室の特質を少しでも摘出できればと思考している。

都出比呂志は列島全域の竪穴式石室の長さと幅の関係を整理し、その長幅比が 4.5 以上のものを 長大型石室と規定し、首長墓の埋葬施設に採用される形式であると指摘(都出 1986)した。

また、長大型石室の出現は、弥生墳丘墓と最古期の前方後円墳とを分ける指標のひとつであると されてきた研究史があるが、最近の発掘調査の資料の蓄積やその分析によって、その考え方がゆら いできている。ますます、弥生墳丘墓と最古期の前方後円墳の線引きが難しくなり混迷を深めてき ている。特に、地域の古墳の出現を論じるとき、古墳のもつ斉一性と地域性という個性をいかに把 握するか、その仕方によって困難さが伴うことが多い。

これは、土器にもみられ、布留式土器の成立の特徴は、複数の地域の要素を統合するようなかた ちで土器様式が成立する(次山 2000)という指摘がそれであり、そして、それがまさに前方後円墳の 成立事情と通底している現象である。

讃岐地域の竪穴式石室については、渡部明夫が積石塚と盛土墳の竪穴式石室を分け、主に長さと 幅を中心にしたこの地域の先駆的な研究(渡部 1977、1983)があり、阿波地域では、最近、一山典が 阿波地域の前期古墳を通覧するなかで竪穴式石室のことを纏めている(一山 2001)が、時期比定の根 拠が示されてなく混乱している。菅原康夫(菅原 1997)や國木健司(國木 1993)が基底部構造の分類を 行い、畿内地域と比較している研究がみられるが、畿内地域の基底部構造との直截的な比較には問 題があり、切り離して考える時期にきているのではという指摘(森下 1997)を森下英治が行っている。

これらの研究や発掘調査の成果を参考に阿讃地域における長大型の竪穴式石室の出現の様相をみ ていきたい。

第1節 阿波地域における竪穴式石室の概観

阿波地域の竪穴式石室の長幅比を表1に示した。この表をみれば、天羽利夫がこの地域の竪穴式 石室を短小型、中間型、長大型の3群に分類された(天羽 1984)のも頷けるが、しかし、小型から中 間型を経て長大型と推移すると想定された進化論的な考え方は当を得たものとは言えないであろう。

ここでは、天羽が中間型とされる以上の石室を長大型石室と捉えておきたい。

阿波地域で、最大の長さをもつ竪穴式石室は国高山古墳の 8.0m であり、次に長さ 6.6m の前山古

墳である。前者の長幅比は 8.0 であり、後者は 7.6 である。

阿波地域でも長幅比 4.5 のところで一線を画する状況であり、長幅 4.5 以上の竪穴式石室を、一 応、長大型の石室としておきたい。

一応とつけたのは、長大型の石室を有する古墳の墳形と規模が、有力な首長墓と捉えていいかど うかにある。西山谷2号墳は 20m の円墳であり、前山古墳は径約 15m の円頂、長谷古墳も約 13m の 円墳である。そして、曽我神社1号墳は「突出部を有する円墳」とされており、その長さが 14m と いう小規模な古墳であるというところにある。

長大型の石室で最も規模の大きい古墳は、全長 65m の前方後円頂である愛宕山古墳で、次いで全 長約 51m の前方後円墳である国高山古墳である。長幅比 4.8 の宮谷古墳は全長 40m の前方後円墳で ある。この3古墳が阿波地域の古墳時代前期の有力な首長墓とみなしてよく、橋本達也が「水系単 位あるいは大河川による隔絶などの地理的分布を中心とした古墳群のあり方」から設定した「地域 群」(橋本 2000)にあてはめれば、愛宕山古墳は吉野川北岸群に、国高山古墳は那賀川群に、宮谷古 墳は気延山群に属する。

この3古墳の竪穴式石室の使用石材には、いずれも結晶片岩の板状石材を使用している。阿波地 域の竪穴式石室の使用石材は、墳丘規模の大小にかかわらず、長大型の石室はもちろんのこと短小 型の石室にも、箱式石棺にも結晶片岩の板状石材が使用されているという共通項をもつことが指摘 できる。このことは、古墳時代前期の期間を通じて、眉山周辺で採取される結晶片岩が有力な首長 のみの独占物ではなかったことを物語るのであろう。

数値では長大型の石室のところに収まるが、簡略な配石的な構造の石室状の埋葬施設をもつ安楽 寺谷1号墳(約 11m の円墳)の墳頂部の2基と十楽寺谷古墳(径 15m の円墳)の短小タイプの2基の竪 穴式石室には、例外的に和泉砂岩の塊石を使用している。

結晶片岩板石を使用した長大型石室の出現は、後述する西山谷2号墳が最初で、和田編年1期(和 田 1987)の宮谷古墳とつづく。両者の竪穴式石室の構造は小地域性を超えて極めて類似している。

いずれもU字形にくぼむ粘土棺床をもつ構造であり、割竹形木棺を採用しているとみられる。ただ し、粘土棺床を設置する墓壙底の形状が異なり、前者は墓壙をU字形に掘り窪め、そこに薄い粘土 を直接設置するが、後者は平坦な墓壙底に直接粘土棺床設置する構造であるという違いがある。両 古墳の竪穴式石室の構造は阿波地域の古墳出現期前後から前期前半の特徴ということができる。こ の基底部の構造の違いは、讃岐地域の奥古墳群の奥 14 号墳と奥 3 号墳でも認められる。

丹田古墳は全長 35m の積石塚前方後円墳で、後方部に墳丘主軸と平行に竪穴大石室を築いている。

石室主軸は東西方向である。石室は長さ 4.51m、幅 1.32~1.28m、高さ 1.3m である。長幅比は 3.4m で長大型石室からはずれるが、幅が広いことによるのであろう。合掌型の石室で、壁体基底石から 50~70cm 前後の大振りな板状石材で垂直に積みあげ、そこから急な持送り手法を使って構築してい る。この手法は香川県の積石塚古墳の鶴尾神社4号墳や猫塚古墳の石室と同じ構築手法で、猫塚古 墳中央石室に近い構築手法である。床面は礫床であったとみられる。

愛宕山古墳は後円部に墳丘主軸と直交に竪穴式石室を築き、石室主軸は東西方向である。石室は 長さ 6.0m、幅 1.1m、高さ 1.0m である。石室の横断面は内傾する台形を呈し、壁体基底石から持送 り手法で積み上げ、天井石を架構する。阿波地域のなかでは、石室の全体的な構造は畿内地域の竪 穴式石室に近い印象を受けるが、粘土棺床はなく、床面は礫床である。

長谷古墳は径 20m の円頂で、墳頂平坦面に東西方向に竪穴式石室が築かれ、石室主軸は東西であ る。石室は長さ 3.71m、幅 0.82~0.86m、高さ 0.66m、床面はU字形の粘土棺床である。壁体は柱状 の結晶片岩を垂直に積み上げ、横断面の形状は箱型を呈する。

清成古墳も円墳で、竪穴式石室は長さ 5.52m、躯 0.86m、高さ 0.4m で、床面はU字形の粘土棺床 で、壁体は垂直に積み上げ横断面の形状は箱形を呈する垂直系統(高松 2005)である。

前山古墳は約 15m の円墳で、墳頂に東西方向に主軸をもつ竪穴式石室と粘土槨の2基の埋葬施設 が築かれていた。石室は長さ 6.6m、幅 0.83~0.9m、高さ 0.45m である。床面には粘土棺床を設置し、

天井石は粘土で被覆している。この石室の特徴は、側壁は結晶片岩板石を小口積みするが、小口壁 は1枚の板石を立てている構造にある。小口壁に立石をもつ石室は、徳島県曽我氏神社1号墳第1 石室や香川県岩の清尾山古墳群・石船塚石室や末則古墳石室にもみられ、その中では長さが最も長 い。このタイプの石室は箱式石棺を覆う竪穴式石室とともに阿讃地域に一定数みられる埋葬施設で ある。

奥谷2号墳は「突出部をもつ円頂」の積石塚で、墳丘主軸と斜行ぎみに2基の竪穴式石室が築かれ、

石室主軸は東西方向である。第1石室は積石塚ではめずらしい墓壙を掘り、長さ 3.18m、幅は 1.1

~0.95m で、壁体下半は垂直に、上半は持送りで積み上げている。第2石室は長さ 2.27m、幅 0.8m の短い石室で4壁は箱式石棺に近い構造である。

曽我氏神社1号墳も「突出部をもつ円墳」と把握され、その長さ 14m で、墳頂に竪穴式石室2基 が築かれている。第1石室は長さ 4.3m、幅 0.95~0.7、高さ 0.73m 前後で、床面はゆるやかなU字 形をもつ礫床であるが、頭部側にのみに粘土を使用しており、東小口壁は2枚の結晶片岩を立てる 立石構造である。第2石室は長さ 2.0m、幅 0.7m、高さ 0.6~0.75m で、床面は平坦な粘土棺床で、

箱型木棺とみられこの木棺を粘土で包むように覆われており、大阪府真名井古墳の粘土槨に似た木 棺を覆う手法である。第2石室には新しい型式の石釧が副葬されており、古墳の築造時期は前期後 半の和田編年3~4期である。

曽我氏神社2号墳は長方形墳で、規模は長辺 12m、短辺 10m で、墳頂に竪穴式石室が築かれてい る。石室は長さ 3.46m、幅 0.75m、高さ 0.63m で、石室中央に長さ 2.0m、幅 0.4m の粘土棺床を設け、

棺の東側に粘土の固まりを置いているのは曽我神社1号墳第1石室と同じである。川西編年(川西 1978)2期の円筒埴輪が出土している。曽我神社古墳群は1号墳→2号墳と順に築造されている。