〜被災現場,仮設・復興住宅の8年間〜
〈平成15年10月・神戸市〉
大野 かおり
神戸市看護大学看護学科講師
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スライド1
たことになります。
次に,神戸市の医療機関の被害状況ですが,ス ライド2のとおりで,神戸市は全部で9区ありま すが,被害の大きかった6区──北,垂水,西を 除いて──では,全・半壊,全・半焼合わせて,
病院は26%,診療所では24%が大きな被害を受け ました。
震災後,9日目に診療の再開できた医療機関は 病院で89%,診療所では41%で,被害の大きかっ た6区ではわずか29%しか診療再開できません でした。
私は,現在看護大学で勤務しておりますが,震 災当時は神戸市東灘区で保健師として働いており ました。東灘区は,長田区と並んで神戸市での被 害の大きかった区です。長田区が地震による火災 の影響で壊滅的な被害に遭ったのに対し,東灘区 はちょうど活断層の上に位置したことから,地震 の揺れによる建物の倒壊による大きな被害を受け たところです。
被災現場での被災者の状況と救援活動の実際を,
私の保健師としての体験をもとにお話しさせてい ただきたいと思いますので,東灘区の被害状況に ついても,少し説明させていただきます(スライ ド3)。
東灘区の死亡者数は全市の31%を占め,当時の 東灘区の人口の0.74%が死亡したことになります。
家屋の被害状況も全半壊は神戸市の42%と半 数近くを東灘区で占めており,医療機関の被害状 況も同様に東灘区で被害の大きい状況です。
このように,神戸市のなかでも特に被害の大き かった東灘区での救援活動の実際について,これ からお話しさせていただきます。
ご覧いただいております表(スライド4)のよ うに,地震が発生した1月17日の段階で,すでに 避難所に救護の医師を派遣することを区の医師会 に依頼して,調整が始まっております。ご自身の 診療所もかなりの被害を受けておられるにもかか わらず,医師会の先生方には地域住民のためにご 活躍いただいた次第です。
当初,13カ所の避難所を立ち上げましたが,避 難所に併設している救護所には1カ所について約 600人の受診者がおられました。受診者には,医 療機関を受診したもののトリアージが行われてい る最中で自分の診療の順番がまわってこないとい う方もおり,医療物品の揃っていない状況で野戦 病院のような状況でした。軽度裂傷などは縫合な どもその場で行われました。
死亡者の多くは保健所にも搬送されましたので,
職員総出でエンゼルケアをさせていただきました。
18日くらいから,すぐ近隣からの後方支援が行 われ,医薬品なども少しずつ被災地に届けられる ようになりました。避難所では,保健師が中心と なった巡回型の訪問健康相談なども行いました。
20日には,地元の精神科の医師や相談員などを 中心として,避難所を巡回しながら,こころのケ アに当たりました。
21日には,各地からボランティアの方々がたく さん訪れてきました。震災のあった年が「ボラン
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阪 神 淡 路 大 震 災 被 災 者 の 健 康 と 生 活
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︱ 被 災 現 場
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・ 復 興 住 宅 の 8 年 間
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ティア元年」といわれるように,被災者を助けよ う,被災者同士も助け合おうといった暖かいムー ドが高まった時期です。しかし,ボランティアの 数が非常に多く,調整が困難を極めた時期でもあ ります。
また,医薬品なども充足してきて,被災者への 配布も行ってきました(スライド5)。
このころ(スライド6)から,健康状態だけで なく,生活面での支援にも力が注がれ,自衛隊に よる仮設の公衆浴場設置なども開始されました。
精神科の救護所も保健所と避難所に設置して,
本格的なこころのケアが始まりました。
このころは,被災者といえば避難所で生活して いる方を中心とした報道も多く,在宅で生活して いる被災者の1人ひとりには十分な目が行き届か ない状況に陥りがちです。避難所で生活している 方には,集団生活のなかでプライバシーが守れな かったり,感染症のリスクが大きくなるなどの問
題点も多いのですが,災害関連の情報が避難所に は必ず集約されることから,新しい情報が得やす い状況ではあったわけです。そのため,在宅で生 活している被災者の状況・ニーズを把握するため に,東灘区全域のローラー作戦を展開しました。
2月に入りましたら,厚生省の派遣で全国から 保健師が被災地に後方支援としてやってきました。
このころになると,ボランティアのなかには,
燃え尽き症候群に陥る方が多く出てきました。ボ ランティア自身が自分の健康を守れない状態にな ったりしまして,せっかく来ていただいたけれど もお帰りいただくというケースもありました。こ のような状況でしたので,ボランティアの方やカ ウンセラーの方々に対しても,こころのケアの講 習会などを行いました。
また,冬の時期でしたので,インフルエンザの 予防接種も始めました。
そして,3月に入りましたら,少しずつ仮設住宅
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︱ 被 災 現 場
︑ 仮 設
・ 復 興 住 宅 の 8 年 間
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スライド7
の建設も進んできましたので,後方支援の医療班 も一部撤退し,区の医師会の先生方による救護所 での時間診療を開始しました。
また,避難所を中心として,アルコールの問題 も顕在化し,こころの問題が大きく出てくるよう になり,巡回訪問などの対策が綿密に行われまし た。
4月になりましたら,本格的に仮設住宅への入 居が始まり,仮設住宅への巡回訪問も行ってきま した(スライド7)。
2.被災地のローラー作戦,その結果
ここで,東灘区独自の活動でもあり,当時,被 災者支援として非常に有効であり,他の災害時の 初動活動としても活用できるのではないかと考え られる「被災地のローラー作戦」について説明い たします(スライド8)。
当時は,保健所や福祉事務所で把握している障 害者や高齢者については電話などで安否確認を行 っておりましたが,避難所や救護所での救援活動 が中心となり,在宅で生活しているすべての住民 に対しての援助が滞っている状況でした。避難所 で生活されている被災者については,情報や生活 支援,支援物資などが届きやすい環境でしたが,
在宅で生活されている方々にとっては,近くの避 難所まで出向かないと,さまざまな援助が受けに くい状況であり,できるだけ早急に在宅生活者の 健康と生活に関するニーズを把握し,援助につな げていくために,ローラー作戦──悉皆訪問──
を行いました。
訪問は震災後13日目から行い,6日間で区内全 域の訪問を完了しました。
スライド9のように東灘区はクリスマスツリー のような形をしています。幹の部分は本土に当た りますが,土台の部分は瀬戸内に造られた人工島 で,震災により人工島に渡る道路が壊滅的な被害 を受けました。人工島へ安全に渡れるかという心 配はありましたが,情報や支援物資の供給もまま ならない地区ですので,余計にサポートの必要性 を考えて人工島も含めて訪問することにしました。
保健所の保健師は当時東灘区では管理職以外に 12人配置されていましたが,そのうち3人がロー ラー作戦要員になり,ローラー作戦実施の計画立 案を行いました。
図のように,東灘区を25の地区に分割し,それ ぞれの地区を2人1組で訪問しました。訪問者は ボランティアを中心にし,ペアリングについては 1人は必ず看護職者になるように配慮しました。
活動したボランティアの実人数は279人で,その うち看護職者は64人でした。その他のボランティ アは,医療・福祉系の方々やその学生さん,また 医療とは全く関連のない会社員の方々などでした。
ボランティアは自主的に保健所へ来所された方の ほかに,パソコン通信などを活用して確保しまし た。今でこそ,インターネットやメールなどで情 報は広く伝えやすい状況ではありますが,当時は 携帯電話も出始めたころでしたので,パソコン通 信での呼びかけもボランティアの力を借りて行え
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