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戦前から伝えられた尺八音楽――都山流のルーツ

第 1 章 日系社会における尺八

1.2 日系コミュニティーを作るための尺八

1.2.2 戦前から伝えられた尺八音楽――都山流のルーツ

本節では、邦楽を次世代に伝承するための団体、日系人の仲間を集め楽しむための 会、日系のコミュニティーに貢献するための団体という、三つの意味を通して存在し てきた都山流ブラジル支部における演奏活動と尺八学習について考察する。

ブラジルにおける都山流のルーツについてまとめるために、Satomi (2004) の著書及 び都山流ブラジル支部長のシンザン・サイトウ8の体験談を基にした。また都山流の アキオ・ヤマオカ(日系一世)にインタビュー取材を行い、彼から都山流と神仙会に 関連する資料を入手した。

1931年、広島県呉市出身のヨシミ・ミヨシ9とミワ・ミヨシ10夫妻は日本から移民と してブラジルに渡った。その折、尺八、三味線(二つ)、胡弓そして鞨鼓の五つの日 本の楽器を持参したと言われる。彼らはサンパウロ州ミランドポリス市の農場に入植 後、コーヒー園で働いた。そのころは演奏会や日本文化活動などはせず、農業経験の ない夫妻は大変な苦労を経験したらしい。

ところが彼らは、4 年後、農業から手を引き、サンパウロ市に移り、領事館に就職 した。1936年には「日本音楽の夕」と

題し、日本の伝統楽器のイベントを開 催した。Satomi によると、この演奏会 のプログラムには長唄と箏曲と地歌が あり、三味線、箏、胡弓、そして尺八 という四つの楽器が演奏されている。

この公演は大好評で、その成功を機に ヨシミ・ミヨシは尺八の会を作り、ミ ワは長唄と箏曲のグループを作るに至

った。またそれがのちに合流し〈日本音楽研究会〉となり、3年後の1939年には第一 回の演奏会が開催されている。この演奏会では邦楽に限らず、ブラジル音楽11も演奏

8 斉藤深山。

9三好好実。

10 三好美和。

11 アントーニョ・カルロス・ゴメス Antônio Carlos Gomes (1836-1896) の《グワラニー族》オペラの一つのアリアが演 奏された(Satomi 2004: 121)。

写真 1.2:第一回日本音楽舞踊研究会演奏会(斎藤

2011)

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されたが、そこには深い意味があった、と Satomi は指摘している (Satomi 2004: 118-123)。つまり、両国の音楽を演奏したのは、日系社会にブラジルの一般社会と交流さ せ、両者を合体させることを目的としていた。

1940年代になると国家主義が高まり、1942年8月22日、ブラジルは第二次世界大 戦の連合国と連携したため、日本は敵対国となってしまう。当時のブラジルでは抗日 antiniponismo 運動が起こっていた。例えば、ヴィヴァルド・コアラシ Vivaldo Coaracy

(1882-1967) という抗日的な思想家は、日本人はブラジルの中に入り込んで自分の

「ムラ」を作り、居座っているが、決してブラジル社会に馴染むことはない民族とし た。さらに敵対国の人間はブラジルまた南米にとり、とても危険な存在である、と批 判したのである (Nicci 2015: 3)。かつて、ブラジルに限らず、アメリカの日系人も 大変困難な状況にあった12。日本音楽研究会はこの渦中、大変な苦難に見舞われ、

1941年からは日本音楽の演奏会も禁止された。こうした経緯を経て、戦後の 1948 年 になり、やっと〈日本音楽研究会〉としての演奏会が再開されるのである。斎藤は、

1941の演奏会について、次のように述べている。

演奏なかば七時頃でしょうか、突然町中でサイレンが鳴り出し騒然となり、

事の次第を聞いてみますと、日本がハワイの真珠湾を攻撃し俗に言う太平 洋戦争、日米は戦争を始めたのでした。演奏会は中止になり観客は半信半 疑呆然として会場をあとにしたのです。ブラジルは先に始まった第二次世 界大戦の連合国側ですから、日本とブラジルは敵対国になったわけです。

以後我々日系人の公的活動はすべて禁止され、六年にも及ぶ間日系社会は 隔離状態になりました(斎藤 2011:10)。

日本音楽研究会の公共活動を禁止された約 6 年間に、隔離状態にあっても、ミヨシ は家内でひっそりと尺八を教え、セツザン・スズキ、ホウザン・ミヤシタ、ヨウザ ン・サガラ、タンザン・ヤマチカの 4 人13の都山流尺八師範、また嫡男ジュカイ・ミ

12 “The attack on Pearl Harbor engendered increasing public suspicion of, fear of, and hostility toward people of Japanese ancestry in the United States. Responding to calls for the removal of “enemy aliens,” President Roosevelt issued Executive Order 9066 in 1942, authorizing the incarceration of a total of more than 120,000 people of Japanese ancestry, two-thirds of whom were American citizens. Many spent the next three years in the camps, deprived of their property, social status, and dignity, which many had worked hard to acquire since immigrating to the United States in the late nineteenth century.” Waseda (2005: 171).

13 鈴木節山、宮下芳山、相良洋山、山近淡山。

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ヨシ14準師範を育てた。ヨシミ・ミヨシは1952年に病に伏してしまい、前記の5人の 弟子に都山流ブラジル支部の尺八指導を任せた。1967年にミヨシは大師範を得、それ を祝いに「日本音楽と舞踊の夕」というイベントが行われた。同年、先駆者であるヨ シミ・ミヨシは逝去した。

都山流ブラジル支部を引き継いだのは、第二代支部長のホウザン・ミヤシタである。

彼は、20人ぐらいの生徒に月に六回(土曜日と日曜日)尺八指導を行った。

1960年代に入るとヨシミ・ミヨシとその弟子たちによって都山流尺八楽会ブラジル 支部が正式に創設された。1970年代にはブラジル都山流は〈楽友会〉〈神仙会〉〈ア カデミア都山〉という 3 つのグループに分派したが、そのうち現在では楽友会しか残 ってない。ミヤシタとジュカイ・ミヨ シは楽友会、サガラとヤマチカは神仙 会の責任者となり、尺八指導をしてい た。1973 年に、サエキ・シュウザン15 がブラジルに移り住み、アカデミア都 山を設立した。

2000 年、サイトウがブラジル都山流 の第四代支部長に就任し、名称を楽友 会から深山会に変更した。 2012 年には 都山流ブラジル支部の開設 50周年を記念する演奏会が開催され、1980年代に〈和楽 器研究美和会〉となった日本音楽研究会は、現在では、ミリアン・サイトウというミ ヨシ夫妻の娘がその会長を務めている。サンパウロ市ヴィラ・マリアナの立正佼成会 会館16で開催され、ブラジル邦楽協会、美和会、深山会、コーラス太刀ミリアングル ープという四つの集団が共演した。都山流の参加者はサイトウ・シンザン17、アキ オ・ヤマオカ、シンシン・シノハラ18、シンカン・タグチ、テルオ・ミテイ、シンス

14 三好寿海。

15佐伯秋山。

16立正佼成会伯国教会 Risho Kossei-kai do Brasil。ホームページ: http://rkk.org.br/

17 斎藤深山、現在の都山流尺八楽会ブラジル支部長であり、大師範である。

18 篠原信俊(芸名)、篠原俊巳(本名)は都山流のメンバーであり、小路流民謡尺八道ブラジル支部の支部長で

ある。

写真1.3:神仙会、1970年代後半(ヤマオカ撮影)

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イ・ニシタニ、エイチ・タナカ19、ドグラス・オクラ Douglas Okura、ペドロ・カゼー ラ Pedro Cazella、ルイス・アパレシド・フルラネティ Luiz Aparecido Furlaneti、マル シオ・ロジェリオ・メリット・ヴァレリオ Márcio Rogério Melitto Valério、ブルーノ・

アドマン Bruno Adhman の12人であった。また、琴古流のトミックとリベイロも共演 した。

2012年08月18日のインタビュー調査で、カゼーラ20は自らの尺八学習経験につい て次のように述べた。ブラジル都山流に入門し、尺八の音出しが済み次第、美和会の 箏・三味線の生徒と合奏し、すぐ尺八のベテランの隣に座り、皆と一緒に吹くことに なる。尺八譜の読み方はまだ十分に理解できなくても、師匠と先輩たちを真似しなが ら、尺八を吹く。しかも、和楽器と 合唱と共演する機会が多くて、尺八 の勉強を始めたばかりのカゼーラは、

師匠に励まされ先輩たちと共に舞台 にでることになった。これは、高い レベルの音楽を目指すグループでは なく、音楽で楽しめるようなグルー プであり、日系コミュニティーを維 持するための集団であると考えられ る。カゼーラの話から、尺八の稽古が終わると、師匠と生徒たちは日本語で楽しく会 話をし、食事や飲酒も行う。日本音楽研究会は定期的に老人ホームや介護施設でボラ ンティア活動として演奏し、また車椅子の寄付なども行った。

Satomi の著書には日本音楽研究会、美和会、ブラジル邦楽協会など日系社会におけ

る日本音楽のグループの演奏会についての記述があるが、それによると箏と三味線、

尺 八、 胡弓 との 合奏 があ るが 、尺 八独 奏曲 であ る本 曲の 演奏 機会 は少 なか った (Satomi 2004: 118-147)。

日系社会では、演奏会等において、演奏家やグループとしての交流が盛んに行われ る。「合奏」は音楽を通じ「人」を糾合していく。合奏で人と人が交流し、そこに

「コミュニティー」が作られていく。この意味では、都山流ブラジル支部の事例から、

19 田口深観、未定照雄、西谷深水、田中栄一。

20 サンパウロ市、筆者によるインタビュー調査。

写真1.4:都山流尺八楽会ブラジル支部(2012年)

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合奏の演奏に限らず、稽古場は日系人の仲間が集合し楽しむための会となる。そして、

老人ホームや介護施設でのボランティア活動は、日系コミュニティーに貢献すること になる。つまり、日系人は和楽器の合奏を通じ「グループ」あるいは「コミュニティ ー」を作っていったのである。