第 1 章 日系社会における尺八
1.2 日系コミュニティーを作るための尺八
1.2.3 戦後にブラジルへ移住した家元――琴古流
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合奏の演奏に限らず、稽古場は日系人の仲間が集合し楽しむための会となる。そして、
老人ホームや介護施設でのボランティア活動は、日系コミュニティーに貢献すること になる。つまり、日系人は和楽器の合奏を通じ「グループ」あるいは「コミュニティ ー」を作っていったのである。
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1953)に作曲を学び、化学工学と産業経営学を専攻し京都大学を卒業した (Olsen 1989:147-158)。
ところが、雑誌『三曲』21(1941年7月、第21巻6号45ページ、写真1.5)に掲載 された広告によると、イワミは1941年6月20日に荒木古童四世から「梅旭」を襲名 し、琴古流の系統を受け継ぎ、五世梅旭となった。同年、イワミは飯倉豊童の「追善 尺八演奏会」で《四季の調》を奏した(『三曲』1941年9月、第21巻8号53ページ、写 真1.6)。
イワミは 1956 年に山田流箏曲家の母と共に日本からサンパウロに移り住んだ。ブ ラジルでピアニストの日系二世と結婚し、1978年にブラジルの市民権を得た。彼は日 系人と非日系人の生徒を集め、琴古流の尺八教室を開いた。ブラジルの山田流と生田 流の箏・三味線奏者と共演し、多くの演奏をしていた。ブラジルで尺八の演奏会を行
21 『三曲』は地歌・箏曲・尺八という三曲の音楽を中心に扱い、1921年から 1944年まで東京で発行された、専門
家と愛好家のための雑誌である。
写真1.5:『三曲』1941年7月、第21巻6号45ペ ージ「梅旭」名取の告知」
写真1.6:『三曲』1941年9月、第21巻8号53ペ ージ、「故飯倉豊童師—追善尺八演奏会」
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い、また日系人と非日系人の生徒を集め、後に〈ブラジル邦楽協会〉の第二代会長に 就任した。
現在、ブラジル琴古流の代表者はイワミの弟子である非日系のトミックとリベイロ、
ま た イ ワ ミ の 孫 で あ る 日 系 三 世 の ア レ ク サ ン ダ ー ・ イ ワ ミ ・ ペ ッ ツ ホ ー ル ド Alexander Iwami Petzhold である。Satomi (2004: 155) の著書にブラジル邦楽協会の尺八 奏者・学習者の名簿22が掲載され、その中にイワミの生徒は 8 名が記述されている。
そのうち日系一世はクニジ・ナトリ( 死没)、二世はジュリオ・コバヤシ Júlio
Kobayashi とマキシム・アキラ・ハナダMáximo Akira Hanada 、並びに非日系人はカル
ロス・ライゴロツキー Carlos Raigorodsky 、トミック、アントニオ・マウロ・ロドリ ゲス・ロケ、リベイロ、またアメリカのデール・オルセンDale Olsen もいた。
琴古流尺八奏者であるクニジ・ナトリは、1934 年にブラジルへ移住した。1970 年 代にジュリオ・コバヤシという聖修義塾創立者ミドリ・コバヤシの息子がイワミの最 も優秀な弟子であった。1959年にジュリオ・コバヤシはイワミの元で尺八を勉強し始 め、1976 年に「梅洸」という芸名を得た。1997 年までにブラジル邦楽協会に演奏や 稽古などのため頻繁に通っていたが、それ以降、日本に出稼ぎに行き、ブラジルに戻 っていない。民謡研究会の開拓者である鈴木重夫23は、ジュリオ・コバヤシの演奏・
教育活動について、以下のように述べる。
尺八界の異色に、二世の小林梅洸さんがいる。琴古流家元、石見梅旭氏に 師事、若冠四十代で梅洸の名を許された逸材である。同好の青年の基本指 導に当たり、現在の中監尺八吹奏者、鈴木誠、山田旨朗、菊田隆治、佐藤 洋一の諸君を育てた。小林梅洸さんとは誰あろう前述コロニア尺八界の先 達、小林美登利先生の四男であり、血は争われぬと言うか、たまたま吹奏 される名曲追分節は、父子相伝とも言い得て、その妙なるメロディは蓋し 傾聴に直す。
22 1980年代から1990年代までの名簿である。〈ブラジル邦楽協会〉に正式に属し、イワミから琴古流を
学んだ生徒は8人の名前が名簿に書かれているが、彼の生徒たちの実際の人数はこれより多かった。
23 コロニア芸能史、17ページ(年不明)。ブラジル日本民謡協会会長のアキラ・シオノ氏に提供いただい
た資料。
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クニジ・ナトリとジュリオ・コバヤシ、また都山流のヨシオカ・ソウザンは、〈三 曲若葉会〉という集団を結成しブラジル国内で多く演奏した。三曲若葉会は 1959 年 から 1966 年まで活動し、箏と三味線の山田流と生田流、並びに尺八の琴古流と都山 流の奏者によって発足されたグループであった (Olsen 1982: 111-131) 。マキシム・ア キラ・ハナダはサンパウロ市出身 1933年生まれの日系二世の外科医である。1986 年 にジュリオ・コバヤシの元で尺八の学習を始め、この後イワミの生徒になった。現在、
アキオ・ヤマオカに明暗流の音楽を習っている(2019 年 6 月、筆者によるアンケー ト・サーベイ)。カルロス・ライゴロツキーは土木工学者であり、妻が宮城会で箏を 習い始めたことをきっかけに、彼は尺八の学
習に取り組んだ。アントニオ・マウロ・ロド リゲス・ロケはリオ・デ・ジャネイロに居住 し、笙も習っている (Satomi 2004: 156) 。 トミックはサンパウロ市出身、ロシア人の 父とセルビア人の母の間に生まれたブラジル 人であり、ピアノ奏者・作曲家として活動し ている。彼の両親は第二次世界大戦後、ブラ
ジルへ移住した。1986年から1988年まで、2年間ドイツのベルリンに暮らしており、
Freie Universität で音楽学を学んだ。その当時、アンドレイ・タルコフスキー監
督の映画《サクリファイス》(1986 年)で初めて尺八の音を聞き24、尺八に興 味を持つようになったと言う。1989 年にブラジルに帰国後、イワミの尺八教室に 入門し、尺八を学習し始めた。1998年に、トミックは琴古流の免状と「梅京」という 芸名を得た。トミックは、尺八に関する最初の印象を次のように述べている。
尺八の響きは、私がそれまで聴いてきたどの楽器とも全く似つかないもの でした。尺八は瞑想に関係する神秘的な側面を持ちあわせているのです。
だから、私は尺八に惹かれたんです。その上、尺八は原始的であり、ピア ノとは全く異なります。たくさんの複雑な部品から構成されているピアノ とは違い、尺八は指穴がたった5つだけある、ただの竹ですよ。その原始
24 海童道祖による音楽。
写真1.7:ダニーロ梅京トミックの免状
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的な側面にも、私は惹きつけられたんです25。
トミックはイワミに習い始めたころ、「禅」というのは何だと師匠に聞いた。イワ ミは、スピリチュアルな説明や尺八の精神性などには触れずに、「尺八を学習し、吹 奏すると、いつかわかります」と答えた。ここでわかるように、琴古流のイワミと都 山流のサイトウの指導は、尺八の精神性に触れなかった。
リベイロはジュリオ・コバヤシに尺八を習い始めた後、イワミ自身の稽古にも通っ たという。そして 1988年から1995年ごろ、リベイロは日本に渡り琴古流竹盟社で尺 八を学んだ。現在、ブラジル邦楽協会の四代目会長を務めている。
Satomi (2004: 140-196) によると、ブラジル邦楽協会26は、サンパウロ市で 1989年2
月 24 日に創立され、尺八の都山流と琴古流のグループ、また箏・三味線の生田流、
山田流また正派などが所属する団体である。初代会長は尺八都山流の師範宮下芳山 Miyashita Hozan であった。二代会長はイワミ、三代会長はトミック、現在の四代会長 はリベイロである。
2012年8月25日に琴古流に入門し、イワミの生徒になったジョゼー・マウリシオ・
フォンザギ・マズッコ José Maurício Fonzaghi Mazzucco27 へインタビュー調査を行った。
彼はイタリア国籍を持ち、サンパウロ市に居住している。教師として高等学校に勤め、
歴史と地理を教えている。尺八に出会う以前から民族音楽を始め、また仏教と瞑想、
さらに日本文学に関心を持っていた。マウリシオ・マズッコは、尺八との出会い、ま たイワミとの繋がりを、下記のように説明した。
私はこれまで、常に民族音楽に興味を持ち続けており、たくさんの CDや レコードのコレクションを所有しております。そして、常日頃から尺八の 響きは非常に美しいと認識してきました。尺八の響きを聴くことは私にと って、瞑想、スピリチュアルな鍛錬なのです。しかし、それは、太古の日 本の一片のような、はるか遠くの夢物語のように感じられました。10 年
25 2018年07月29日、ロンドン、筆者によるインタビュー調査。
26 〈Associação Brasileira de Música Clássica Japonesa〉という別名もある。
27 彼の双子の兄弟である José Gregório Fonzaghi Mazzucco ジョゼー・グレゴリオ・フォンザギ・マズッコ
も尺八を学習している。使い分けるために、 José Maurício Fonzaghi Mazzucco はマウリシオ・マズッコ、
そして José Gregório Fonzaghi Mazzucco はグレゴリオ・マズッコと呼ぶことにする。
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ほど前のある時、尺八に関する情報を含む、和楽器についての長いレポー トが、「メイド・イン・ジャパン」という雑誌28 に発表されたんです。そ して、その記事の中には、後に私の初めの師匠となるイワミの写真も掲載 されていました。その雑誌はそのウェブサイトにもアップロードされ、そ こから先生の電話番号が掲載されているインタビュー記事にもアクセスす ることができたんです29。私は、イワミ先生に連絡を取り、彼から尺八を 購入することもできました。私は日本が私の方へやってきたように感じま した。だから、私は尺八の稽古を始める勇気を奮い起したのです。
Olsen (1989:154) は著書で、イワミは「ブラジルにおける日本の古典室内音楽のも
っとも重要な指導者である」と述べている。Satomi (2004:149-160) の著書で〈ブラジ ル邦楽協会〉の演奏会でイワミは《六段の調》《千鳥の曲》《四季の曲》《春の曲》
《乱》のような箏曲・地歌である室内楽を披露したとある。したがって、イワミは尺 八の独奏音楽である本曲ではなく、箏・三味線・尺八による室内音楽に着目し、尺八 演奏・学習指導を行ったと考えられる。
イワミの尺八指導について、マウリシオ・マズッコは以下のように述べる。
教本は二つありました。一つは、琴古流の本曲の本で、もう一つは、三曲 と呼ばれる箏との合奏曲集ですね。私たちは、本曲の曲と、三曲の曲を交 互に学習しました。特に三曲はたくさん学習し、コンサートでも演奏しま した。レッスンは非常にシンプルであり、理論もほとんどありませんでし た。(...)イワミ先生がまず譜面の読み方を示し、それから私が先生のま ねをして吹くんです。先生はとても厳しく、私は一週間の間にたくさんの 曲を学習しなければなりませんでした。つまり、その時に、私は素早い譜 読力を獲得したのです。
1981 年 2 月 9 日、イワミはカンピーナス市の〈ブラジルの芸術・文化・教育協会 Sociedade Brasileira de Artes, Cultura e Ensino〉から「カルロス・ゴメス名誉賞 Medalha
28 Made in Japan. https://madeinjapan.com.br/.
29 本論「2.1 社会の壁を越え――ソーシャルメディアのストラテジー」では、尺八界に関するインター
ネットと SNS の役割について論じる。