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ジャポネジダデスを形成するための尺八――過去と現代を

第 3 章 ジャポネジダデス形成としての尺八

3.1 非日系人集団によるジャポネジダデス形成

3.1.3 ジャポネジダデスを形成するための尺八――過去と現代を

本節では、まずジャポネジダデスの関わりに、尺八の先祖やルーツなど、いわゆる 過去と現代をつなぐ尺八について論じる。続いて、ジャポネジダデス形成と Stuart Hall による文化的アイデンティティー Cultural Identity の共通点と相違点を明らかにする。

ただ、本研究では、吹禅道場において、尺八のルーツ、先祖、本質、過去などは、証明 できるものか、また日本における尺八の歴史に関連するものかを別に置く。彼らによ るディスクールを分析することに着目する。

吹禅尺八道場のメンバーへのインタビュー調査を進めていくと、ある人は「身体は ブラジル人だが、魂は日本人」と言ったり、またある人は「日系の友達に『あなたは和

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食が作れるし、尺八も吹ける。まるで日本人のようだ!』と言われた」と語っていた。

しかしこれは吹禅道場の中に限った話ではない。都山流の尺八愛好家の中にも同様に、

自分は日本人だと感じている人もいた。例えば、都山流のヴァレリオへインタビュー した際、自分の前世は日本人であったと信じているという発言を聞いたことがある。

ヴァレリオは、生まれて初めての尺八の稽古で、いきなり師匠に尺八の楽譜を見せら れた。楽譜の読み方の簡単な説明しか受けていなかったヴァレリオであったが、師匠 の前ですぐに吹くことができた。彼は喜んで、「楽譜がわかりました!」と師匠に言っ た。しかし、師匠は「いいえ、わかったのではなく、思い出しただけですよ」と答え た。ヴァレリオが言うには、彼は前世では日本人だったが、今世はブラジル人に生ま れ育った。尺八に出会い、また師匠の稽古に通うことで、前世に習った尺八の楽譜を 思い出したということであった。吹禅道場では、「前世は日本人だったので、今でも尺 八を吹いている。もしかしたら、私は虚無僧だったかもしれない」という冗談を聞い たこともある。「前世」、「祖先」、「魂」のような現象は「過去」の世界を示しているの である。つまり、以上のようなディスクールから見ると、彼らは「本質」は「日本人」

であると感じているのではないだろうか。しかし、現在ブラジル人であることと、過 去の本質との間には壁がある。その壁を打開し、過去の本質に繋ぐための道具こそが

「尺八」である。ここが、ジャポネジダデス形成の大事な点である。

まず、最初のポイントは、尺八は楽器ではなく、我々は道場で音楽を勉強 しているのではないということを明確にしておくことです。これは、先祖 から脈々と受け継がれてきた尺八のルーツに基づく肯定です。尺八を通し て、私たちは自分たちの真の本質とつながることができるようになります。

音を再現することを学ぶことは、他の人々も呼び込み、この一つの共通の 本質とつながることになるのです。もし、あなた方がこの禅の思想、本曲 のための尺八に出会う準備ができているなら、予約をして、道場について 知っていただきたい。(フェレイラ 2014)

このことから分かるように、吹禅道場での尺八、またその尺八を吹奏することで、

自分の「本質」に繋がることができると思われる。この本質は、吹禅道場における「尺 八」を実践することによって、「先祖から脈々と受け継がれてきた尺八のルーツ」と繋 がることができると考えられている。要するに、吹禅道場における「精神」「言葉」「身

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体」を実践することができれば、日本人の遺伝子や容貌を持つかどうかに関わらず、

日本人と同様に尺八のルーツと先祖の本質に触れることができるとされている。プロ フェッショナルの演奏活動やハイレベルなパフォーマンスを目指している集団ではな く、「人を育成する」ためのグループとなり、ジャポネジダデス形成が溢れている環境 になったのである。

吹禅道場における言説は、 Stuart Hall の Cultural Identity 概念の二点と共通する。

その一点目について、Hall は下記のように述べる。

The first position defines 'cultural identity' in terms of one, shared culture, a sort of collective 'one true self', hiding inside the many other, more superficial or artificially imposed 'selves', which people with a shared history and ancestry hold in common. (Hall 1989: 223).

要するに、Hall の「共有されてきた文化」は、吹禅道場の「先祖から脈々と受け継 がれてきた尺八のルーツ」である。すなわち、彼らの「過去」は共通の状況であり、ご 先祖様の尺八である。つまり、吹禅道場の「祖先」と「本質」は、Hall の「歴史や祖先 を同じくする人々が共有するもの」に当たるのである。共通の祖先や歴史を持つことに ついて、二点目では Hall が立場を変え、「相違」について述べる。

This second position recognizes that, as well as the many points of similarity, there are also critical points of deep and significant difference which constitute 'what we really are'; or rather - since history has intervened - 'what we have become'. (Hall 1989: 225).

共通の過去と歴史を持つ人々は、現在自らの祖先の本質との繋がりが途切れてしま っているのである。すなわち、過去は共通であるが、現在はそうではない。その差を 超えるために、ある「規則」を実践する必要がある。要するに、尺八を吹奏するだけで はなく、規則、あるいは、マナーである「正しい精神」、「正しい言葉」、「正しい身体」

を実践する必要がある。ここで一つ例を挙げよう。筆者が尺八で西洋音楽の演奏をし たことで、吹禅道場に破門されるという出来事があった。吹禅道場の創立者やメンバ ーたちとの友情は辛うじて守ることができたものの、以降グループに参加することは できなくなってしまった。彼らの言い分によると、破門の理由は、日本の伝統楽器で

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西洋音楽を演奏することは、尺八の伝統を守ってきた先祖を蔑ろにする非礼極まりな い行いだということであった。改めて、日系人と非日系人における相互作用を考える と、吹禅道場における尺八は、日系社会における尺八より、最もオーセンティックな 尺八であり、最も日本のルーツと先祖に繋がるとされている。

Hall の Cultural Identity 概念が吹禅道場のディスクールに相当するとしても、吹禅

道場はディアスポラの過程によって生まれた集団ではない。Hall が言う共通の本質と は、アイデンティティーに相当し、ある民族の中に共有されているものである。しか し、吹禅道場では、アイデンティティーによ

ってメンバーたちを一つの民族にまとめあげ ることはできない。彼らは、共通のアイデン ティティーを形成するグループなのではなく

、複数のジャポネジダデスを形成するグルー プなのである。つまり、ジャポネジダデスは アイデンティティーではない。ジャポネジダ

デスは、日本人を真似することや日本人のステレオタイプに近づくことだとも言えな い。精神、言葉、身体に関連し、勢力関係によって「人を育成」していくのである。

日系社会における都山流や琴古流や民謡などの場合、「人」と「文化」が同時に移動 したが、一方、吹禅道場の場合、「人」と「文化」が独立し、その文化がインターネッ トやメディアなどの普及によって移動したといえる。

こうして収集した資料を整理、考察、分析し、吹禅尺八道場の理想や展望などを確 認することで、ジャポネジダデスを形成する意味での「尺八の役割とは何か」を明ら かにした。非日系人の集団であるが、日系社会との相互作用によって、独特な尺八学 習のアプローチとなったのである。

2014年にフェレイラはアメリカに移住した後、3年間遠隔的に尺八を教えていたが、

2017年に吹禅尺八道場の活動が終了になった。吹禅道場のメンバーは尺八学習を続け るため、今度はヤマオカの稽古場に通うようになった。

次節では、現在の日系人と非日系人に向け尺八学習を発展させようとするヤマオカ の尺八活動を検討する。

3.2 日系人と非日系人が合流するグループ