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日系人としての背景――フチガミにおける民族性

第 4 章 オートエスノグラフィーからみる尺八とジャボネジダデス形成

4.1 日系人としての背景――フチガミにおける民族性

フチガミの父方の両親である祖父母は子供のころ、海を渡り、日本からブラジルへ と移り住んだ。祖父の家族は、イチゾウ・フチガミ Ichizo Fuchigami (フチガミの曾 祖父)29歳、彼の妻のヨシミ・フチガミ Yoshimi Fuchigami (フチガミの曾祖母)32 歳、2人の息子、キヨト・フチガミ Kiyoto Fuchigami (フチガミの祖父)5歳、キヨヒ デ・フチガミ Kiyohide Fuchigami (フチガミの祖父の弟)1 歳、またミツグ・フチガ ミ Mitsugu Fuchigami(フチガミの曾祖父の弟)19歳、以上の5人家族で、1929年4月 28日に神戸港から博多丸に乗り、同年 6 月 29日にサン・パウロ州サントス港に到着 した(MUSEU DA IMIGRAÇÃO DO ESTADO DE SÃO PAULO: 20192)。フチガミの 祖母も、同様に幼少時に日本からブラジルへ移民した。そして、父方の祖父母は成人 して、ブラジルで結婚した。つまり、フチガミの父方の家族は日本系である。一方、

母方の祖父母はブラジル人であるが、彼らの 両親、つまりフチガミの曽祖父母はイタリア から移り住んだ移民であった。つまり、フチ ガミは日系とイタリア系との間に生まれたハ ーフのブラジル人である。

このフチガミのような存在は、移民によっ て作られたブラジルと言う国家においては珍 しくはないが、自らのアイデンティティーに 関しては、様々な葛藤がある。なぜかと言え ば、ブラジル人・日本人・日系人・ハーフなど、フチガミには複数のアイデンティテ ィーが含まれているからである。

まず、アイデンティティー形成に関して、非常に重要な役割を持つ「名前」につい て考える。ブラジルでの順番だと、ラファエル・ヒロシ・フチガミ Rafael Hiroshi

Fuchigami 、いわゆるブラジル名・日本名・名字の順に 3 つの名が並ぶ。日系人の中

によくあるパターンである。ブラジルでは、一般的に人を呼ぶときに下の名前(ファ ーストネーム)を使う。フチガミは、家族と親戚の間ではファーストネームのラファ エルで呼ばれたのだが、学生時代には学校の教師や友人たちにヒロシと呼ばれた。フ

2 http://museudaimigracao.org.br/ (常設展2019920日)

写真4.1:左からイチゾウ、キヨト、キヨヒ

デ、ヨシミ。1929 年、神戸港から出発した フチガミ家のパスポート撮影

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チガミはハーフの日系人であっても、非日系人の友人からは japonês (日本人)だと 認識されていたのである。しかも、外から思われるだけではなく、「日本人であるこ と」や「日本人になりたい」という願望は、幼い頃のフチガミの胸中に秘められてい たのである。

一つ例を挙げると、ある日、フチガミは叔母と共に外に出かけた時、小さいゴミを 道に捨ててしまった。数年前まで、ブラジルでは道にゴミを捨てることは失礼や悪い ことだと思われなかった。当時、子供が道に小さいゴミを捨てても、大人に注意され なかった時代であった。だが、叔母は「道にゴミを捨ててはいけないよ。なぜかと言 えば、我々は日本人だからだ!」と注意された。「日本人だから」という言葉はフチ ガミの中に大きく響き、それ以降、道にゴミを捨てることができなくなった。このエ ピソードを振り返ると、日本人になりたいという気持ちが幼い頃からあったことがわ かる。

4.1.2 アイデンティティーに関わる悩み

ある日、フチガミは、4 歳年上の従兄弟から次のように言われた。「あなたは日本 人じゃない。あなたはハーフだよ。ほら、私の父と母もどっちも日本人でしょう。あ なたのお母さんはブラジル人だから、あなたはハーフだよ」。ここで、フチガミのア イデンティティーに関して、一番大きなドラマが見えてくる。ブラジルにいると、

「純粋3な日本人の血」を持つ日系人に対して、フチガミは「純粋な日本人ではない」

と思われることが多かった。それに対して、非日系人の環境に身を置くと、「日本人」

だと認められることが多かった。つまり、フチガミの民族性は、一般的なブラジル人 と異なり、日系社会には受けいれられているとは思えなかった。自分に相応しいグル ープあるいは民族性がない、逃げる場所もない。日系人か非日系人のどちらの環境に おいても、自らのアイデンティティーは、他人と永遠に操作・折り合いをつける必要 があると感じていたのである。

序章において述べたように、ブラジルではハーフ(半分)という言葉を使わずに、

混血人 (mestiço) という用語が一般の人々にも使われる。混血人の中に、ハーフ(両 親の一人は日系人、一人は非日系人)がいれば、クオータ(祖父母の一人は日系人、

三人は非日系人)という人々もいる。ハーフかクオータの場合、様々な背景がある。

3 「純粋な血」や「純粋な遺伝子」のような現象が実際にあるかどうかを別にして、このことを信じる

人はいる。

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例えば、両親の中の一人は非日系人だとは言っても、イタリア系ブラジル人、ドイツ 系ブラジル人、アフリカ系ブラジル人、中国系ブラジル人など、多様なバックグラウ ンドの人々がいる。ここからわかるように、ハーフという民族性は簡単にまとめるこ とができない。

ブラジルにおいて、日系人のハーフのアイデンティティーに関する研究は少ない。

一つ例を挙げると、Hatugai (2013) はアララクアラ市における和食とジャポネジダデ ス形成についての研究を行った。Hatsugai は、ハーフにおけるジャポネジダデスにつ いて述べ、彼らはどの程度日系コミュニティーに「ジャパニーズ」として認められる かについて検討している。そこでは血と容貌に留まらず、衣食習慣によって日本人に 近いか、ブラジル人に近いか判断されると述べる。

日系三世ハーフのヨシワラ4も、フチガミと同様に、日系コミュニティーに受け入 れられにくいと、以下のように述べる。

(…)若い頃、バルエリ市5の日系コミュニティーの中に、私と兄弟たち しかハーフの日系人はいなかったんです。当時、大変虐められたことがあ ります。(…)けれども、日本から移民した、私のお婆ちゃんは非常に優 しくて、彼女のお蔭で日本の伝統文化に触れることができました。8 歳ま で、お婆ちゃんと日本語で話し、また日本民謡を歌いながら家事をしてい たお婆ちゃんの姿をよく見ました。私たちが病気になった時に、早めに健 康になりますようにお婆ちゃんがお経6を唱えてくれました(ヨシワラ7)。

ヨシワラの体験からは、日系コミュニティーにジャパニーズとして認められにくい が、家族の中に日本文化に触れる機会があったことが読み取れる。

1996年、フチガミが11歳のときに60歳の祖母のタツノが脳梗塞で逝去すると、そ れ以降は、家族の中で日本語会話を聞くことがなくなった。しかも、近い親戚の中に 日本料理が作れる者もいなくなった。つまり、祖母は家族の中でのジャパニーズ・ア イデンティティーの唯一の柱であったのである。

4 第3章に述べたように、男、45歳、三世、ハーフ、尺八製管師。

5 サン・パウロ州。

6 浄土宗による「南無阿弥陀仏」という祈りであった。

7 筆者によるインタビュー、202011日。

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フチガミの 6 歳年上の兄がサックスの勉強を始めた。兄の姿に影響を受けた幼いフ チガミは、11歳のころリコーダーの勉強を始め、その2年後にフルートを吹き始める と、クラシック音楽、また、ブラジルの音楽に興味を持つようになった。それからは、

日系人であることより、自らがブラジル人であることを強く意識していくようになっ た。一般的な日系人のように、日系社会の県人会、日系人のイベントや日本音楽に関 わるグループなどへも参加したことがなかったうえに、26歳まで日本語を全く知らな かった。つまり、フチガミは子供の頃に日系人の環境に触れ、日本人としての経験を いくつか重ねてきたものの、青年期以降は、その「自分と日本」の関係性が希薄にな り、一般的なブラジル人として生活を送っていた。

ここで、フチガミの民族性に関わる悩みを乗り越える力を持つのは、音楽であった のである。音楽を通して「自分」を表現することができ、日本人であってもブラジル 人であっても、自分と社会が繋がったと感じられたのである。

本研究の序章において述べたように、Machadoの研究によれば、日本人の遺伝子と 容貌を持っている日系人であっても日本文化から離れ、一般的なブラジル人の生活を 過ごす日系人がいる。すなわち、日系人だからといって必ずしも日本と特別な関係を 持つわけではない。このように、フチガミは日本から離れ、自らが日系人であること を認めず、一般的なブラジル人の生活を送ろうとしていた。

改めて、ジャポネジダデスの概念について考える。日系人のフチガミは、ジャパニ ーズ・アイデンティティーを持つかどうか、彼はどの程度そのアイデンティティーを 表現しているのか、また三世としての特徴など、そのアイデンティティーの問題に関 して簡単に解決することができない。ジャポネジダデスの観点から見ると、フチガミ の考え方や生き方において日本から逃げようとしていた。

つまり、フチガミは、容貌は日系人だとしても、日本語が話せない、日本文化に興 味がない、一般のブラジル人として生きていきたいということを示していた。子供の 頃に日本人になりたい願望があったものの、中学生時代には日本文化から離れてい た。彼は日本文化圏外の一人であり、彼はジャポネジダデスを形成していない日系人 であった。

次節に、非日系人と日系人における相互作用について論じながら、フチガミによる ジャポネジダデス形成を明らかにする。