ios 三巻 rs
/IXqsi 2677 theJ,IA Fl me ee
︑︑
︑
︑︑ ︑︑︑thlo
麹艮β
瞭1?
裏卿 33 ,ユ亀購 19
野 63
、
\藻・・iA4s
棚倉 (800) ,
, 大扇
藪 9 鼠鼠8
9鞭 3
」
里
26
泉
ee la
豆井s 窪D.t
り備4
q 136
4 仙 長 14
偏2躯、
一監
gt塩i◎
髭島203
批ド}48
長鍛tg
穴野 9
夜,轟
i 竜田 5t
又ノ
8
5
寒⑤はloo荻訊善&示事
響雛雛繋奮
概、瓢τ」あb・
奪鷲舞濃塑怖蘇
石縷2
k
66
ノぶサマチが国鉄白河駅前から棚頭町に至り,棚禽で水郡線に接続する。南湖,登町,
セキリンゲチ
関山㌶,ktLLIなどに駅がある。大正15年(1916)開但したが・現在は蓮休 している。
バスは白河市を起点として,放射線脚こ走ウていて,票内のほかの町町 や玉村との連絡に軍要な役割を果している。すなわち,
国蜘ミ界 棚倉行(槻食行1日8圓,金山止わ1肩4圃)
サ ゴ
県酪バス 石川行(1臼4回),郡山行(郡出行1臼5園,須賀川止り1臼 1劉), 東館棚倉行(棚倉行1H3回,東館行1H3回,釜子止 り1H1翻), 川谷行(川谷行IH2頃1,折隠原止り王日1圃),
、滑津行(1日4回), 矢吹行(日1圓4)
なお,交逓無謬を白河駅からの国鉄の着駅別切符売上枚数によって調べ てみた。その結果は図・17が示すとおりであるが,特に注目されるのは,層 白河駅から牛島駅までの各駅への総売上枚数と歯河駅から宇都宮駅までの 姦駅への総亮上枚数とを比較すると,
駅のi数 売上放数
輻馳駅まで 16 13, 539
宇都宮駅まで14 8,053
のように,前者が著しく多いことである。これに対して,郵山駅までと西 郵須野駅までとを比較すると,
駅 δ数 売上枚数 郡山駅まで 7 3,883
西那須野駅まで6 7,018のように,i磁に後者のほうカミ多・い。白河市民から,自河との行き来は北と よりも南(栃木県)とのほうが激しいということをよく耳にしたが,この印 象は上の調べのうち後のほう(狭い交通圏)の結果によウて裏づけられる。
なお,東寮行の切符の売上げがどの駅行よりも多いことは注目される。
り
これによって見ると,東京との行き来のひんぱんさは白河市の共通語を話 す度合を高める有力な要因の一つになっているのではないかと考えられ
67
る。なお,この図には定期線の放i激やバスによる行き来(棚倉線,、国鉄バ スを除く)については示されていない。この着駅別切符亮上野数の分布は,また白河市と利害を共にする地域の 範囲を知る一・つの手がかりにもなる。
(ii) 白河市の経済圏
白河市が商工業活動を営むために,どこから原料を持ちて来て,どこへ 製晶を移出するか,また,どこから三三を仕入おて来て,どこへ回すかとい う白河市の trade ayea(取引圏,すなわち経済圏)の罰から,利害共岡 三を考えてみよう。
その前に,まず,白河市の商工業が白河市の産業のうちで占める位鐙 や白河市の商工業そのものの性格を明らかにしておこう。これは,白河市 が城下町でなくなつだ明治以後,この町の都市としての就会的機能が何で あるか,という問題に対する解答であり,白河市の都市二二格を決定する。
昭額23年度(1948)の産業別人欝構威は次の表が示すように,商業●
工業人口の多いのが注目される。この競計は大沼を合併したのちのもので あ多から,白河町だけでは農業人口の比率がこれより低くなり,したがワ て.商業・工業入口の比輩はさらに高くなるわけである。つまり,白河市 の都市としての営みがおもに商工業によって行われていることになる。と、
ころで,商業,工業のどちらに:重点が澄かれているか,工業はどのような 牲格のものかを調べてみよう。これは,白河市の三会的機能,都市として の性霊を決建するものとして重要である。
爽糞簗簾酒造職他 由 .肝遇霞 の 務蕪エ商鉱交公無そ 戸 数
9.:s7 エ,898 1,969
28
530 832 211 52
123
490﹁08230 53542938
%1
人 口 6,573 8, 865 9,882 97・
2,394 2, 685 1, 041
266
/0ρノ
7Q︾13 0710 223 54﹇38 7830
Ψ
欝 6フ457 エ00% 31, 803 100%
劔
断肺の工業生産額(昭和24.年度)は次のとおりである。
数335823715284018824
11 ︐2 ︑・1 1 2類溺そ盤た紙漉醐横材糸顯天早計
戸濁しみ繊が広げ和かこ聞わ製紡飲機寒雲
生産無繍
57,904,512円 20.3%
3, 277, 031 1. 1
4,475,623 1.6
2, 030, 581 O. 7 45, 492, 560 16. 0 12, 872, 551 4, 5
6,239,679 2.2
33, 616, 504 11. 8 1, 109, 358 O. 4 9, 302, 811 3. 3
9,572,500 3.4 1,61e,720 O.5
25, 157,423 8. 8 2, 845, 061 1. O
H,309,318 4.0 53,197,623 18.7 2, 239, 41e O. 8 2, 824, 82e 1. 0 285,078,085 100.0
1戸当りの平均生産醐 19,301,504円 252, 079 298,375 253, 823 22, 746, 280
559,673
891, .382 33, 616, 504 221, 871 775,234
1, 196, 562
402, 680 2,515,742 2,845,e61
1, 413, 665
1, 185, 629 1, 119, 7e5
706, 205
平均月商
1, 608, 459 pt
21, 006 24,865 21, 152
1, 895, 523
46, 639 74,282
2, 801, 375
18, 489 64, 603 997, 135 33, 557 209, 645 237, 088 117, 805 988, 024
9. 33, 088
58, 850
上の表を見ると,生産額の点からは瀬類,ガラス製品および早舞を除い ではほとんど見るべきものはない。白河市の大灘分の工業は家内工業であ る◎それは大部分が一一家の生計をささえる程度のものか,せいぜいわずか 数人の従業長を持つ小企業である。ただし,酒類の製逡には近代的な組織
を持った:工場がある。ガラス製造も,やや多数の従業員を有し,生1産轟を 中:央一霞すほどの株式会解で行われている。
生産晶の点から怠ると,多くのものが附近の農村で生産されたものの加 工品である。みそ・しょうゆ,木製贔,・げたなどがそれである。しかも,
その加工品の販価先は大部分,白河布を中心とした地域であって,中央市 場ではない◎
ぽ
このように,現在の白河市の工業は中央市場と密接な関係を持っていない。これは過去についてもあてはまるようである。すなわち,明治以来の 人口墳加に念激な変動が見られないことは,多数の従業員を必要とする大 規模な商工業の発展がなかったことを物語る。
聡05(明治38)
1915(メ:正4)
1925(大工旺14)
1935(}{召耳…質三〇)
1945(昭i和20)
1946(目召和21)
1947(躍召和22)
1948(昭和23)
1949(鐸召和24)
人 口 16, 612 16, 696 20, 556 23, 23e 28, 7e7 27, 845 27, 919 28, 025 31, 494
男 女
8, 633 7, 979
7, 971
8, 725
91 984 10) 572 11, 79. 0 11, 440 13, 473 15, 234 13, 211 14, 634 13, 439 14, 480 13, 512 14, 513 , 15, 224 16, 270
6肇 戸数
2, 314 2, 578 3, 922 4, 162 5, 506 5, 805 5, 948 5, 779
6,392 (大沼孝≒i合βi:〉
さて,白河市の商業は,上1と述べたように,附近の農村で生産されたも のを加工し,それをふたたび販売することに一つの機能があるが,このほ かに,京浜地方や関西:方面の製晶を仕入れてそれを附近の農村へ供給する
という中継所の役目も果している。
ところで,白河市のこのような商工業の機能の地盤をなす地域的範臨 ・ すなわちtrade areaはどの辺までであろうか。白河市の商工業は大部分 が個入経営ないし家族経営の小規模なものである。それはいわゆるrしに せ」によって支配されている場倉が多い。いま,隙居腐川屋染物店(薪蔵一 町)亀屋金物店(本町)および須i釜蒙の三つのしにせの経営(仕八・販彊 先)を例にとって,白河市のtrade areaを知る一つの手がかりとしよ
う。
纒居士1il麗染物店は宝麿ないし享保(175!−1844)のころからの営業で,
瞬夏至代は藩の御用達を勤めていたが,明治以後は,白河町内,郡由,石 jii,棚倉,那須,越後をはじめ附近の農村から注交を受けることが多かワ た。染料の「アイ玉」は昔は徳島へ買いに行くか,徳島の行商人から買う かしだが,大阪,江戸の問屋から仕入れることも多かった。20年ほど葡か ら化挙染料を使い始め,東京の浅草あるいは,本所あたりの店,または京.
都の唐などから仕入れた。しかし,親在は組合の配給によワている。
亀甲金物店は金物,農機具およびはかりの轟門店で勇る。金物は取蘭はtr 三部産の鉄鉱が東白川郡あるいは砺木県の郵須で精錬され,その勉鉄を一 度亀屡が買い取り,それを臼河町内の鍛冶屋に打たせて,その製晶を販Wt a
ぎ 磁
70
していた。はがね類は伯州,雲州から産したものを大阪で精錬し,それを 趣屋が買い取って鍛冶堅に打たせていたという。一物は越後から三二製品 を仕入れるか,涯馬の三二を買い取るかした。現在は,ほとんど東:京の製 品を買い取っている。以上の金物頸の販売先はもちろん白河市内,附近の 村および郡内の諸町村である』
亀屋金物店は昔はたばこと油との製蓬・販売も鍍ねていた。たばこの製 輩づ競は交化年間(1804−1818),4代目の租先が水勲ゆ養子に来たの を縁として始められ袴。水戸葉を仕入れ,江戸に出した。、油は燈用のえご
漉二二であるρ瀦門内の原醜力瘍儲は障磯村捗野
入れて販売していた。
須釜家の総本家は,銀行を営み,のち,油屋に変り,現在は質屋をやっ ている。白河市内に多くの三宅(分家のこと)があり,営業の種類によっ い こて,r足袋須f釜」,「生糸須i釜」,「お茶須釜」などと愁せられている。その
.trade areaは,白河市内,郡内各村をはじめ,県内では棚倉,石lll,矢吹,
も クロ か ワラ
県外では栃木県芦野,那須,黒磯,黒田原に及んでいた。
tt上3軒のしにせおよび白河市の全般的な商工業の考察によワて,白河 布における商工業のtrade areaは,郡内を主要1な地盤iとし,東白川郡の 石川町,浅川町,棚倉町,栃木県の芦野町,西那須町,黒磯町を綾ぶ範囲 内に及んでいると言えよう。
さて,白河市の特殊商業として馬の売買があるe白河の馬市の歴決は相 当旧いようであるb市は春秋2圃立ち,せりが1週闇ぐらい続く。白涛市 の発展は馬声に負うところが少なくな恥。
売方・買方は郡内はもちろん近県からも集まり,鉄道が開通してからは 北海道,九州からも集まる。いま,白河市役所の本二三氏から提供された、
へi資料によって,三二24年(1949)10月の馬市の売:方・翼方の地方を見ると 次のようである。ちなみに,この晴の馬市は非常に盛んであッたとは言え
ないそうである。