第 2 章 イリイチの医療批判における人間的な生
2.4 終焉に向かう産業社会とイリイチ思想の展開-シャドウ・ワークとジェンダー
イリイチの思想はその後『シャドウ・ワーク』40『ジェンダー』41と題して産業化社会 における人間的な生の在り方を問う仕事へと進んでいく。
『シャドウ・ワーク』を執筆した理由ついてイリイチは、医療批判の完了の後に、1974 年版の第三章、1975 年版の第三章、1976 年版の第六章42についてもっと綿密に手を入 れたいと考えたためであると述べている(Illich, I, 1981=2006 : 261-265)。それは、逆 生産性に関連した社会経済の商品―集中社会の様相というインフォーマルな部門につい てである。彼は、産業社会において経済学の光が深い影のなかに包み込んでいるという
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様相-に関心を抱き「影の経済(シャドウ・ワーク)」と名付け研究を進めた。
「影の経済」という用語は、経済学において「金で活動を算定する部門から締め出さ れていて、しかも産業化以前の社会には存在してないような人間の活動について議論す るため(Illich, I, 1981=2006:1)」であったと言う。この研究の過程でイリイチは、か ねてから共同研究者であったデュピュイと、新たにカール・ポランニー(Polanyi, Karl, 1886-1964)の経済論43から示唆を受け産業社会の経済性について構造分析を展開するこ とになる。
イリイチは、経済学の表舞台となる市場経済の影となる部分に対して関心を寄せてい た。彼は、社会経済的に、貨幣化されるものと、されないものが生じるのは産業化以前 には一般的ではないとしている。またこの二つの領域はともに環境にそなわる利用上の 大切な価値を劣化させることから、人間生活の自立と自尊の基盤(ヴァナキュラーな世 界)を破壊すると考えていた。
「影の経済」を分析する過程でイリイチは、女性労働の位置づけに関する論文に出会 い、現代の「主婦」という労働活動が産業社会を現存させるための基礎であることを認 識した。現代の「主婦」に代表されるような労働は市場経済で示されることのない「シ ャドウ・ワーク」であり、産業化時代の経済活動の特徴と言える。イリイチは「主婦」
という労働が、女性特有の労働ではないことを確信した。
イリイチにとって、産業社会とそれ以前の社会における労働の在り方を区別すること は、産業社会の成長に対する限界づけの必要性を理解するためには欠かせないことであ った。しかし、「シャドウ・ワーク」と題したイリイチの社会経済批判は、性差別的なも のとして受け止められ、女性運動の標的となった。
イリイチは『シャドウ・ワーク』について重要なことを見落としていたと述べている。
それは「賃金労働によって生産された商品というものは、それらを有用なものに変える ためのさらなる労働を要求するという事実(Cayley, D ed., 1992=2008:233)」がある ということだ。産業社会におけるあらゆる商品やサービスが、使用することで価値付け られるという関係性が、無給の労働を生み出している。つまり産業社会における人間の 労働活動の逆生産性の状況がシャドウ・ワークとして表れ出ていると指摘した。
市場経済が成長すればするほど、価値づけされない労働活動が増えていく。市場経済 の拡大によってシャドウ・ワークが増加する、つまり、産業社会において有用だとされ
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るものには経済の光が当てられ、そうでないものは影に包まれる。このコントラストは 産業社会の発展とともに鮮明となり、富める者とそうでない者との間を分別していくこ とをイリイチの指摘は示唆している。
さらにイリイチは『シャドウ・ワーク』の論考について大事なことは、産業化社会に おいて、価値が善 the good に変わったことで、人間の思考も想念も時間も、資源 (resource)と化したということであり、価値ということばはそうした(意識)移行を反 映しており、その言葉を用いる人間は希少性の領域に取り込まれるということだという
44。イリイチは、善とは望まれるものであり、価値とは必要とされるもの、選択される も の 、 選 び と ら れ る も の で … … ニ ー ズ は 満 た さ れ る も の で あ る ( Cayley, D, ed.,1992=2008:244)としている。イリイチは、私たちはニーズの世界に住んでおり、
そのニーズはケア(世話)によって満たされなければならないと考えている。この変遷 の経緯についてイリイチは、次のように述べている。
開発は、人間による自然の管理という生態学的に実現不可能な観念によって導かれ る企画である。それは、いわば文化にとっての温かい隠れ家や活気に充ちた時代遅れ の精神病院を専門家のサーヴィスに都合のよい無菌で不毛な病棟ないし監房にとりか えようとする、人類学的にみてきわめて悪質な試みである
(Illich, I, 1981=2006:63-64)これは、産業社会のサービス国家ないし福祉国家の諸制度を考えるときの基礎になる としている。医療がケアとされている現代社会において、その医療に位置づけされてい る出産と助産においてもこの理論は展開されている。出産はニーズ化され助産はケアと なって互いの間が結ばれている。その関係性は「善い」という価値によってニーズとケ アの関係性が定められているのである。
イリイチによる『シャドウ・ワーク』は、産業社会における人間の「生」の経済化に おいて、人と人との関係性が失われていることを明らかにしている。イリイチは産業社 会における経済性において Conviviality を取り戻すための思考を次のように提言する。
コミュニティが人間生活の自立と自存を志向する生活の仕方を選ぶときには、いま
とは正反対の仕事観が広まってくる。その場合には開発を逆転させること、消費財
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をその人自身の行動におきかえること、産業的な道具を生き生きとした共生の道具 に変えることが目標となる。そこでは賃労働と〈シャドウ・ワーク〉はそれこそ影 をひそめるだろう。なぜなら、賃労働と〈シャドウ・ワーク〉によって産み出され る生産物である商品やサーヴィスは、ひとつの目標すなわち従順な消費として評価 されるよりも、むしろ主として、創意に富んだ活動のための手段として評価される からである。
(Illich, I, 1981=2006:51-52)産業社会において出産と助産の人間学的な意義を取り戻すためには、出産と助産は人と 人との関係性の中にあること、そしてそれが産業社会の発展に限界をおくことに繋がる のだということをイリイチは示唆している。
産業社会におけるジェンダーとConviviality
『シャドウ・ワーク』に続いて執筆されたのが『ジェンダー』である。ジェンダー執 筆の経緯は、シャドウ・ワークにおいて産業社会の労働と経済について研究を進めてい た際に、女性は無給、男性は有給の仕事に従事することになったという歴史的な事実を 追うことによって着想されたものである。イリイチは、ジェンダーという概念が人間の 精神的な諸観念を生み出すだけでなく、肉体や知覚や社会的実現を構成する感情をも生 み出すものの一つであるのではないかという疑問を抱く。
イリイチは『ジェンダー』の冒頭部分において「経済学にはそれ自体、本質的にセク シスト的性格があることをあばきだし、〈稀少性=欠如性の仮定のもとにある価値の科 学〉としての経済学が組み立てられている最も基本的な公準のもつセクシスト的本性を 解明しようと考えている」と述べている。経済成長のすべてが、いかにヴァナキュラー なジェンダーを破壊しているのか。またそれが経済によって媒介されるセックスを相場 にして繁栄しているのかを明らかにすること。そしてそれが、女性に対する経済的な差 別を生み出しているのではないかということを検討したいとしている45。
イリイチによれば、性別による仕事の分離は、男性は発動機として、女性は再生産す る有機体というように男性と女性の身体に対しても新しい見方を見出させるものとなっ たという。このことは、おもにバーバラ・ドューデン(Duden, Barbara, 1942-)の論文
46から示唆を得ている。イリイチは、彼女の手稿から「生誕の転倒とともに、女性によ
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って生じたジェンダーは、子宮を自然的資源とする新しい biocracy の手で再生されたセ ックスへと転じた……生命、 、 は、科学と管理のための新しい指導概念となる(Illich, I, 1982
=1999:279)」ということを確信したという。その新しい指導概念である生命は、妊娠 した女性が生命をつたえる機械と見做される。近代国家は、その合法性をひき出す多様 な専門体制を構築し、生命の医学的管理をその根本から決定すると分析している47。
『ジェンダー』を通してイリイチは、人間が女と男という異なる性質を持つというこ とが、区別や分類という性質を表すためではなく、互いに共に存在するという相補性を 示すものでもあると考えていた。しかし、産業社会においてジェンダーは、女と男の違 いを生理学的な差異である性別(セックス)として表し、機能的な分類と役割分与の手 段にしてしまったと指摘する。
イリイチは、『ジャンダー』を執筆することで、自身が医療批判において「死」の医療 化に重点を置いたことを振り返り、人間の出生について十分な検討が行えていなかった ことを自ら指摘している。それは、当時の医療化が、人間が「生きること」のためにあ る医療が、「死」のために在るという転倒によって、それが人間の出生に対しても多大な 影響を及ぼしているということである。イリイチは、社会と出産の変容をたどりながら 考察を続けている。
女性のあいだのなかば社会的な出来事でもあった出産が、いかにして医療のコント ロールを受けて管理される胎児生産に変わったのか……分娩と陣痛〈緩和〉に際して とられるヴァナキュラーな助産の慣行が、まさしく 19 世紀の新しい助産婦教育とと もに生じた〈女性〉助産婦の専門化によって、 〈胎児〉のための中性的で器官に適した 産婆術に変化したことを見ようとしない
(Illich, I, 1982=1999:281-282)この文節からは、産業社会における女性の開発が人間の「生み」「生まれる」ことを分 断し、それぞれを資源として活用してきた過程であったのかを顧みることができる。そ してその最たるものが、出産の病院化でありそのことについてイリイチは、さらに次の ように述べている。