第 3 章 社会的人間の「生」と出産と助産
3.1 人間の社会化
3.1.1 近代社会と人間の身体化
近代化に向けて構築された国家は、当時の先進諸国に追いつくことを目標としていた。
社会には、道路や水道、鉄道や学校など人々の生活と関わり合いのある施設や設備が設 置されるなど、西欧社会の生活様式が次々と導入された。西洋医学の導入もその一環で あった。近代国家としての西洋医学の採用は、国家衛生の機関となること、裁判医学(法 医学)として機能することなどが求められた。そして当時、国内の大半を占めていた漢 方医の医術に比して、西洋医学は外科手術に優れ患者の回復が早く、これが間接的では あるが国家経済に影響を与えるという点 (金森 2011 : 314-315)にあった。
国内における産婦人科医の歴史は、古くは平安時代の『医心方』5まで遡ることができ るが、産科医師としては江戸時代後期の『子玄子産論(産論)』を著した賀川玄悦
(1700-1777)、国内初の産婆向け教科書『座婆必研(病家須知)』を著した平野重誠 (1790-1867)などの存在が知られている6。
また、西洋医学の導入は、国家としての近代的な「医」の在り方を国民に対しても示 すのである。それは人々の「病」や「出産」「死」に対する概念を西洋的なものへと植え 付けることになる。そして、近代化以前から「病」や「出産」を取り扱ってきた医師や 助産師(産婆)たちに対しても同様に、西洋医学の概念を受け入れることが求められる のである。
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西洋医学は、診断や診療技術のみでは成立しない。患者を入院させ治療する医師と看 護師、そして病院が必要となるである。つまり西洋医学は、社会の中で医療が機能する ための制度を布くことを前提としている。
日本の近代化の過程において、医師や助産師が国の規定に基づく公的な職業となった のは西洋医学を機能させるためにも必然であった。また、公的な医師や助産師の誕生は、
医療や助産の在り方に国家の意思が反映されるということである。近代化以前から人々 が用いた「病」や「出産」を乗り越えるための儀礼や仕来りなどは、公的な医師や助産 師が関わるべき物では無くなった。むしろ、「病」や「出産」に儀礼や仕来りを用いるの は誤った考え方を植えつけ病気の発見や治療を遅らせるだけである。公的な医師や助産 師にはそれらを正すべき立場であることが求められていた。
しかし産婆は、人と人との関係性が変化する出産という出来事に係る以上、公的な立 場になったとしても、人びとから地域の習わしや儀礼を重んじることを求められる。そ のため、産婆が西洋医学の助産技術だけで出産に対応することそれは、地域で生活する 人々との間で軋轢を生むこともあった。公的な産婆による「助産」が全国的に配置され る過程では、西洋医学に従うよりも地域の習わしや儀礼を重んじる者もあった。そのよ うな産婆が「産婆改良」などとして地方局から指導される様子が官報にも掲載されてい る。
福岡縣ニ於テハ諸般ノ業漸次進歩スルニ拘ハラス獨リ産婆ハ依然舊習ヲ固守シ弊害 モ亦隋テ多ク毫モ改良進歩ノ状況ヲ見ス(官報, 第 1119 号 明治 20 年 3 月 28 日:
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近代化以前の産婆による「助産」には、人と人との関係性を結ぶための役割が担わされ ていたことが明かである。このような産婆の位置付けは、近代化に向かう日本において 産婆を公的な立場とするだけでは容易に転換されるものでは無かったことを表している。
この対応策として、国は産婆に対して産婆会を設立することを勧告する7。産婆会の設 立により、産婆の再教育を目的とした講習会は各地で開催された。講習会の具体的な内 容は、妊娠・出産・育児に関する医学的な知識の普及であり、やがて講習会は産婆会に
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公的な存在となった産婆はこのような過程を経ることにより、産婆自らが出産を医学 的、衛生学的に取り扱い、その行為が助産として捉えられるようになった。人間の出生 に対する近代化の要請は、公的な産婆による助産によっても反映されていくこととなる。
それが、国家的な政策が外部からの力だけでなく、産婆会という内発的な力によっても 変容していったのである。
この変容は、産婆が出産する女性や家族、地域に対して助産を行うというだけでなく、
出産を介して施される助産行為の在り方の中に、国家の再生産のために機能するという ような、二重の在り方を示されるようになったということである。
さらに、「病」や「出産」を新たに規定することとなった西洋医学の概念は、「病」や
「出産」にある人を、「患者」や「産婦」へと置き換える。この置き換えは、「医療」や
「助産」にあたる医師や助産師の人と人との関係性を、「医療」や「分娩介助」を施すた めの「患者」や「産婦」という関係性に置いていく。このような関係性の置き換えは、
出産する女性と助産する人間との会話や交わりを、症状や既往歴の聴取と視診や触診な どの診察手技へと変えてしまう。
医師や産婆であること、あるいは国民や患者、産婦であることによって人々は、一人 の人間でありながらその内面がさまざまな次元に分割される。つまり、一人の人間の「生」
が分割されパラドキシカルな状態にあるのだということである。また、一人の人間の内 面的な分割は、人と人との関係性を複雑化し、部分的な混乱や摩擦を生み出す。これら は軋轢や葛藤などを生じさせ、互いの関係性を分断し、人と人とを個とする要因となる。
このような人間としての在り方の変化は「身体」という概念にも変容を与える。人は 自分の体でありながら、医師や助産師により語られることによって公的な身体が示され るという二重性を認識する。イリイチは、こうした身体の在り方には歴史があると述べ ている。それは一般的な理解としては、「国民国家の登場と共に現われた(Illich, I, 1991
=2010:255)」と指摘する。このような身体の表われは、国民国家における人々を「人 口」という資源として置き換え、さらにその質を「健康」という概念によって追求する ことでこのような身体の表われ方を強めて行くとしている。国家による健康の追求は、
軍隊の質をはかる基準であったこと、そして 19 世紀には労働者や母親の健康の質をは
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かる基準となったことであると説明している8。つまり、国家による「健康」の追求が一 人一人の身体の公的に示される部分を拡大させ、個別に示される部分を縮小させていく。
これによって一人一人の身体は、国家のための身体へと変容する。
イリイチは、このような身体の在り方について「どの時代でも、身体は、〔人びとが生 きている〕文脈のなかでしか存在しません。つまり、身体は、その感じられた現実の中 にある時代をそっくりそのまま表現している(Illich, I, 1991=2010:265)」と述べてい る。つまり、人間的な「生」と「身体」の分断と二重性は、近代化そのものをそっくり そのまま表現していると言えるだろう。