第 4 章 出産と助産の Conviviality
4.1 助産技術再考
4.1.3 技術の本質
現代社会において、技術の在り方はテクネー、テクノロジー、アートなどのように様々 に語られている。イリイチは、産業化された技術社会に生きる人間をホモ・エコノミク スとしたのに対して産業的ではない人間の在り方をホモ・アーティフィクス( homo
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artifix )として置いた。それは、経済成長に仕える社会に対立した生活の自立と自存を 志向する社会に生きる人間である。ホモ・アーティフィクスは、共同の環境の使用が生 産と消費にとってかわることに高い価値を与える社会を実現することができるという15。
戦後の日本の医療技術の開発は、高度経済成長期に開花し現代においてもその追求が 続いている。産科医療における生殖補助医療の発達は、出産の安全性を根拠にしてあら ゆるリスクを排除した出産を目指している。先端技術となる再生医療研究は理論上、ヒ トの卵子のみ、精子のみ、あるいは髪や血液の細胞からでも生殖が可能な段階へと到達 している。この技術が人間の生殖方法として社会に定着した場合には、人は母を介せず に生まれることができるようになり、複数性(共同性)という人間の特性は排除される。
それは、人間が自己複製によって増殖する科学的生物として在ることであり、人間的な
「生」が技術に媒介されることになるだろう。
出産の場所が自宅から病院へと転換された後の出産は、医学技術の実地の場となった。
医師や助産師の研修の場所となった病院での出産は、安全性の確保という目的の下にす べての産婦を分娩台に寝かせ拘束している。出産の安全性のためには「産婦の生みやす さ」や「羞恥心」は後回しにして良いものになった。病院での出産は、助産師たちが行 う助産(産婦の会陰を保護し、裂傷を最小限にするように時間をかけて産道から児頭を 通過させようとする)技術を、胎児のストレスと、母体の消耗を増大させる要因として 取り除き、医師による会陰切開16がそれに代わった。臨床における医学的判断は、安全 性を最優先として体系化17しているが、それは同時に医療技術を実施するための科学的 な根拠にもなっている。医学的判断が確立し、正当であることが認定された技術は、そ れ以外の技術を排除する。
しかし、医療の現場で優先される「安全」とは、必ずしも母子の生命的な危機に主眼 がおかれているとは限らない。分娩所要時間の平均値や出産予定日の正常範囲が定めら れるということなどには、急増する病院出産において、経済性を背景とする医療の効率 化や合理性を追求する医療管理的な課題から要請されるものでもある。
高度経済成長期以降、病院出産において増加した医療事故18の背景には、医療の行き 過ぎた標準化や効率性の追求がある。近年における診療ガイドラインの作成には、安全 で質の高い医療を提供するという理念と同時に、医療訴訟から医療者自身を守るという
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意味合いがある。これは、ガイドラインが患者や産婦を診療する為ではなく、医療の正 当性や質を担保するための道具として用いられ目的と手段を逆転させてしまう。
イリイチは、道具は人間の手を逃れて成長する能力をもっている(Illich, I, 1973=
2015:188)と述べて、成長した道具がやがて人間を苦しめるようになることを推察し ている。このような道具の性質を制御するためには、科学の非神格化、ことばの再発見 法的手続きの回復が求められると提言している19。
イリイチは、科学的な根拠にたいする過剰信頼が、人々の自分で決定をくだす能力を 誤らせ、人間的な「生」を奪うものとなるという。医療現場において「安全」を根拠と して行使される出産時の医療介入が、産婦のためのものであるのか、医師や医療者側の ためにあるものなのかは曖昧な場合が多く、進行する出産の過程においては十分な検討 をすることが難しい。
産科医療の臨床では、このような分娩時のリスクを回避するために「アルゴリズム」
や「フローチャート」による医療介入の対応表や、医療の質を評価するスコアの開発が 盛んである。これらの図表は、臨時応急的な対応を迫られる場合には効果的に働くもの である。しかし、これらが医療行為の正当性を示す道具として用いられる場合には、出 産時の母と子の人間的な「生」が、さらなる医療技術開発のために投入されることもあ るために、それらを道具として用いる場合には充分に留意する必要がある。
出産は人間の生が継起するために起こるものであり、それを人間が技術化することに は限界が生じるものである。出産のために開発された技術は、画一的に用いることで人 間の生きることに様々な問題を生じさせてしまう。
出産や子育て期にある女性にとって、自己の持っている力を最大限に発揮するという 経験は、生命的な危機や、身体的な負担を軽くするということだけではない。その経験 は、出産後に母親として生きていく女性自身の自己肯定感や自己効力感を高め、自信へ と繋がる。これは、出産や育児を引き受けていく上で欠くことのできないものとなる。
助産は、個々の母親と妊娠期から産褥期までを「共に在る」の準備・生成とし、自由 に意見交換しながら信頼関係を築き、母親としての自立を支える。助産をとおして母親 を支える助産師は、助産によって自身の技術を高め自立へと向かう。しかし、現在の産 科医療システムでの母親に対する助産ケアは、「安全」という制約の中での母親との関わ
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増加する診療の補助業務により「安全」の制約は拡大している。助産師が産婦に対し て必要なケアをもれなく行うためにはマニュアルに沿った操作手順に従わなければなら ない。その場合に助産師と母親との関係性は助産師から母親への一方通行になる恐れが ある。それは母親としての自立を阻みかねず、助産師も本来の助産を行うことができな いことになる。
また、助産師にとって女性と「共にある」ということがあまりにも自明的であるため に、その意義が十分に探求されていない。そのために、助産師自身が助産の意義を社会 的に表明できていないという現状もある。助産師は、開発が続く医療技術に呼応するよ うに、助産の意義を科学的根拠で立証し、助産技術の有用性を明らかにしようとしてい る。
近年では、助産師が分娩時の創傷の縫合や薬剤投与など一部の診療行為を、助産師の 裁量で実施できるように業務を拡大し、助産師の自律を目指すという動きもある20。こ れらの動向はいずれも、高度専門化する医療実践の場に対応することによって助産師の 存続を期するというものである。
現代社会の女性にとって出産は、人生の一大イベントとなっている。出産を考える女 性たちは出産により良い意味を求め、自己のライフコースを設計する。いつ生むのか、
どこで生むのか、何人生むのか、就業を継続するのか否か、育児休暇の期間や職場復帰 の時期、病院や出産方法など様々に想いを巡らせる。
しかし、人口減少に転じた産業社会は、シャドウ・ワークに追いやっていた女性たち を総活躍させることで発展を続け、存続しようとしている。このような社会の中で女性 達は、産業社会の生産システムに取り込まれ、自身が予測したライフコース通りに出産 や結婚の時期を実現することが難しい環境に置かれている。第一子を出産した母親の平 均年齢は 30 歳を超えており年々上昇している。出産する母親の年齢が上昇することで 出産後の母子をサポートする親世代も高齢化し子育てと親の介護が重なるケースも増え ている。出産する女性達を取り巻く環境は、仕事と子育てや家事、親の介護など厳しい 状況にある。
助産師は、医療現場における「助産」の技術化に向かうだけでなく、出産が人間的な
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「生」を支えているという観点に立ち戻り、あらためて「助産」技術を見直すことが必 要だ。
産業社会とは人間的な「生」を生産システムへと投入することで成り立つ社会である。
助産師は、出産する女性と出生する子を産業社会のための一部へと取り込まれないよう に、両者をささえることができるような技術を備えることが Conviviality のための道具 として求められている。