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福井康
順聖徳大子が︑いわゆる観世音菩薩の化身である︑とい ち戸 苗仰は︑
現存の文献においては聖徳太子 席暦が 初見の如くにい われている︒
特に平安期末期からして著しいようで︑やや下つでは ︑親鸞聖人が・
太子を以て﹁私闘教主しとするその信仰にも 伴 って い て 特に注目せ
ら︐ れる︒
ところで︑この信仰の由来もしくは意義については︑ 第一には 太
子の当時またはその後につづく観音信仰がまず考えら れるよ う であ
る ︒そして︑かの夢殿の救世 観茸 もしくはいわゆる 百 済 観音︑筑紫
観世音寺の 浩営 その他のことどもが容易に想起せられ るであろう︒
世の多くはここに問題の決着を見出しているのでは 無 かろうか 0 し
かし︑かくの 如 ぎの見解は︑同時に︑太子が何故に棄 師佛 とか運動
佛の化身とかせられなかつたか︑という旨に想到する 時 ︑開題は更
に 残るであろ 5 ︒言 う までも無く︑太子の時代及び 奈 良 朝にかけて は ︑これ等の佛も著しく 俺宿 せられていたのであって ︑この問題に
ついては︑人も知るが如くに︑世に既に多くの論議も 出ていること
てある︒
さて︑太子には︑一時に十人もしくは入人の訴を聞い たといち 有
名な物語が 溥 えられている︒後年︑元亨釈書は︑これ を ﹁一時 善馳 ﹂
聖徳太子の観音化身 説は ついて ︒ ア '
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占め︑婦人の酔客が男子に比して急激に増加してゐる ︒更に溜の害
がゃ 股 学生間に及び︑なほ中等学校生徒に追及んで居る 事を詳述し ︑
らである︒ 之 れの改善は︑幼時から老年 之 れは一に家庭学校友教会全体としての教育的努力に
迄 継続する宗教 ネ 育に依 っ 矛盾があるか
て 生ずべ き 所謂道徳的確信と宗教的崇高観念の上に基 礎づ げられた
生活に入るべぎである 0 依って訪問題に就いての長期解 次 の一部分 は︑ 更に優れた宗教々育にあるべきである⁝ ヒと 叙述 させて居る︒
酒の害は世界的の事実であるが︑結局飲む人の心の間 題 であるっ
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日常口に サる 処方其の外に無い︑其処に生ずるは前記の 迷信である︒ 終戦後其の夢の増加盆々甚しいものが存する︒宗教々 育の徹底を計 る 外に救助の道はあるまい︒ 宗教々育の必要を痛感する者が ︑ 中々に 歩 くない︒某 新制大学に 於ては︑其処に在る熱心なる教授に︑宗教 ヰ 育はやめ て 欲しいと 張 硬に ︑教授人事委員の意見として︑断乎禁止の要請を 行った︒学生 に 要求されて︑一週一回宗教学講義を行って ゐ たのに 対する諸教授 の 嫉妬的反感であった︒宗教々育の必要をめ 旦茜 する 文 嘗む ︑宗教学 会 が全癒 に 布皮した今日に於ける︑文化中心の大学内 に 行はれてゐ る奇 現象である︒ 國 民への普及は程遠いと考へられる 次第である︒ 商業道も底下して ゐて ︑ 只 自利にのみ汲々としてゐる ︒欧米の大 商店が︑店員への訓練は︑顧客前に於ての物品の取扱 顧客の反 感を購はぬ 様 ︑一旦計量器に載せた品物は出してはな らぬ︒入れ過 梼に練習はしても︑一度入れた以上︑と言明して顧客に渡す大商人気質である︒ ぎぬ
り ︑量器の目盛りを覗 き 込む日本商人の苦 な 態度は ︑ 一大反省を要 サる ︒此処にも宗教的精神訓練の必要が感ぜられる︒ 粗製乱 浩 ︑品物が早く 鍛 れないと 費 行きが 減 ると奇妙 な擢怖 心を
凄 い︒紙数に限りがあって統計表が示され無い故に ︑ 僅な 数字を似
て 示すに止めるが︑青少年の犯罪は廿四年︵ 七 0 八二 四人︶は 廿ヨ
年 ︵三七二七 0 人 ︶の倍数である︒然し事実上︑親や 周囲の カ で︑
年少者の理由から︑公表されずに終る数が移しい事を 見腱 してはな OOO000 らない︒法務 府 では︑成人の犯罪を含せて︑約六 0 人 に 一人と公表 してゐる︒筆者が 廿 五年四月から六月に渉る調査に依 るに︑静岡・
愛知・︵男囚︶岐阜︵女囚︶を統計合算した 処 ︑成人 ︵ 二 二三五人︶ OO ヨルに対して世才迄の少年︵七七 0 八 ︶一人強の比率 である︒ 全國 的の数も大同小異と聞いてゐる︒正に 亡國 の過程であ る ︒静岡 刑務 所員の談に依れ ば ︑増加する一方である由︑万々一 ︑ 二対一と成 っ た 廃は︑一大事である︒ 之 れを 教 ふ宗教々育の外に何 があらうか︒
小田原の少年刑務所は十年前から宗教々育を行って ︑ 好 成績を公表
してゐる︒
而して此の苦境に奪 く 人々の宗教心がどの様であら う か 0 筆者は 刑務所員の援助を得て其の手記を取って見た︒其の結 果は ︑前記 三 十五人の犯罪人中︑宗教に関する何事かを︑ 梢 々明確 に又 辛うじて 読むに堪える者 迄 強ひて加算し 三 0 五名を拾ひ集めた ︒而もこの中 に 文宗教者︵碑も佛もあるかい︒宗教は阿片 だ ︑乃公 は 紳など頼ま ない等々︶が 一 0 ガは 含まれてみ る ︒十人に一人の比 卒を八 みは 何 と 見るか︑多いと見るか 杏 かは︑其の人々の心に委す としても 抑ヰ 此の三千人悉く苦労人ぶある︒二回以上の入所者四百 廿 四人︑三回 は 上の人 ヰ 百十二人︑其の流離 轄 々の間︑教 講鴇 の 語 も 聴 き︑ 種々 の 訓話も耳にし︑訪問者親兄弟の愚痴交りの叱責 も 受けたであら
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に 此の数字である︒宗教 セ 育の不行届に依る敬虔 心の 不足 | ・ 怖る べ ぎを怖れ︑考へるべきを考へ︑ 春 すべぎを春す事の 出来なかつた 結果を示す外の何もので無から 5 ︒ 之 れを見るにつげ︑現今の少年津の宗教心はどうであ ら 5 ︒十五 才 乃至十六才の記述を見るに︑宗旨名を知る者が一二 0 一人︑神棚 に 毎日一回以上 乱 拝する者が四一二人である︒全家嫡 つて 祀丼 を行 八 であった︒家庭にも学校にも教へる人が無いに近い とさへ老 ︐へら れる︒宗教心の起る或は発達する道に立って居ない人 ヰ である︒ ブ プ シ ケ l ル 戦後派思想の横行却走 チソピラ の増加︑パチンコ 其他 射幸心を易 る 賭博的遊戯の流行︑更に 怖 るべぎは青少年男女の性 道徳の混乱で
人 が成人と二対一に到達するも間近と考へられる世相 を︑ 世の識者 は 何と眺めるのであらう︒
受刑者の殆ど無い事を誇示してみ る ︒是非可否執れを とるべぎであ
一二 Oろう ︒刑を重くするを果して良法と見るべ きか︑ ・宗教 セ 育を盛んに
芙
しと力説しょうか︒後者が自然の大道であ ヶ︑闘 者は止むない道であら 5 ︒江湖諸賢の賢断は如何
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