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四八 

而して 斯る 月の盈 麗が 何故に忠行馬を生むかとい 5 に ︑ 矢 張りそ 

こには 月の形の変化︑潮の干満︑及び農事 暦 との深い 結びつぎ等に 

よって︑凡俗ならざる時期とされるによるものと考え られる︒伊豆 

セ 島の日忌の本質が神降臨の観念にあるとは既に山口 貞夫氏の指摘 

している如くであり︑而も神降臨が十四日と結びつく のは下鞍の 月 ︵ @@ ︶ というところに起因するものと考えられる︒ 

︵Ⅰ︶山口﹁伊豆諸島の正月十四日行事﹂ 昌 一の ニ︑一 二九頁以下 

いい得るなら ぼ︑ 月の変化 又は 月の変化のもたらす 諸 事象に対す 

る 異常なる感覚がこの時期をして平常ならざる﹁ 時 ﹂ の 感覚を典 え︑ 

斯る ﹁時ならぬ 時 ﹂を平穏にすごすための行事として 0 日忌が聯想 

されるのである︒ 

季節の変化は農事暦を生み︑また弘くば 節 として年中 だ 事の起因 

ともなっているのであるが︑日忌に 放 いてもまたこの 自然的季節の 

変遷か重要な要因として作用しているのである 0 季節 の 変化とそれ 

によ る慣習とが結びついて節日︑節供が成立するわけ で︑それはす 

べて︑﹁トキ﹂と呼ぼれて︑特に﹁時間﹂が意識化され る 様な場合︑ 

逆にい 5 なら ぼ 平常の意識されない﹁ 時 L 以外の﹁ 時 ﹂ なのである︒ 

斯る 時が特殊化され︑それに諸々の観念なり儀礼なり︵ り " が 結びつくに 

至ったことは数多く報告されているところである︒ 

︵ 2 ︶民間伝承二の九︑広島でほ 旧 五月十六日をトキ といい 以 一別 

ほ妹 らず田植を休んでトキダンゴを作ってたべた︒ 正 月三日 

に 盆の三目 も トキの 目 と呼 は れた︒︵和歌森︐日本 民 俗論 

五五頁︶ 

216 

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ト 

     

       

  

  

  

    

     日忌もまた 斯る トキと結びつく︑とい 

としている場合が多い 0 即ち正月十六日 

日待 ︵信州︑上高井郡︑京都府綴喜郡 草 

庄 ︶ イナツミ ︵能登︑鳳至 郡 ︶ ホヲツム 

m ︑筑前伊予︑稗貫郡湯木村︶ ナ サイ 耳 

休み︵信州 小欺郡 ︶等となり︑春には 四 

り ︑五月五日の節供には︑牛を使わず︵ 

和島 ︶田に入らず︵栃木須賀川︶等の習 

のカゼコモリ ︵滋賀 両 神山村︶八朔休み 

より︑形は少 ネ 崩れて大根のとしとりと 

りが地方々々で二十日頃にまでつ 蟹 いて 

ての神の上り下りの信仰も矢張り︑田の 

節 的要素が中軸となっている︒十二月八 

新年への鮮明な季節感が盛られている︒ 

てみても︑季節的変化︑即ち特異な﹁ ト 

味 で平常の生活とは 興 った生活を嬢ると 

っ てそこに は︑斯る ﹁トキ﹂を無事に通 

の 態度が生まれることは極めて自然なこ 

以上の如く︑日忌は サ べて︑例え ぼヤ 

二十五日の夕方から二十七日の朝まで︑ 

セ日 ︑安房の ミハリは 十二月二十八日の 

べて日及び時間的に精確に規定されてい 

ということは︑時間そのもの︑時間的経 

研究報告 

     5 よりほむしろそれを中核 の 小正月と結びついては︑ ぬ村 東 ︑宇治郡宇治村正 ケ 

︑クロ ヲツム ︵羽後 李鹿 

チ とて物忌︵北安 曇 ︶道具 

月 八日を中心と サる 春山人 

各地︶機織せず︵大和︑宇 

俗 がみられる︒夏には八朔 

︵兵庫加西部︶十月十日頃 

なったが 矢 張り一種の忌 籠 

みられる︒それに 司っ埜い 

碑の山へのお帰りとい 5 季 

日 のこと納めには来るべき 

この様な素描的叙述によ つ 

キ ﹂に際して︑何等かの 憶 

いち心情が溢れており︑ 従 

過するための籠り︑ 慣 しみ 

とといわなけれ ば ならぬ︒ 

ウカグ の八日︑ シ ガナイの 

中の鳥の シ チゲは正月の十 

夕方からとい 5 ふちに︑ す 

る ︒ 斯る 時間的 條 件の墨守 

過そのものを本源的にほ 忌 

の  対象としたことを物語るもので︑  余  他の忌が諸々の  原因乃至契機  によって悪行斧を惹起したり︑それを終末せしめたり  |︐  而も冒頭  に  述べた如く︑そのこと自体に既に時間的意味も含ま  れているので  あるがするのであるが︑日忌の場合には︑月の変  化と季節の移  り  変りという絶対的時間がその本質的要因をなしてい  るものとみる 

的に特定の忌行馬が要請され︑而して  斯る  状況のもと  に一定の時間  を  経過すれ  ば  また必然的にそこから抜け出でて平常に  復帰するので  あり︑その間の出入を規定するものは定められた時間  以外に何もな  い  ︒逆にいえ  ぼ  ︑時間によって規定されることによ  つ  て  日忌が成立  するのである︒  このことを明確に示すものとしては︑日待月待の事  例を挙げるの︵  エ ︶  が  よい︒即ち﹁待ち﹂という語感には︑その本束  的意  義  とは別に  ︑ 

明かに時間的意識が明確に観取し得る︒  ︵Ⅰ︶  でチ  は古くてプリ︑マプロ  ウ  とて祭りの意味で  あった︒  ︵柳田編︑民俗学の話  一  0  三頁︶ 

ぅ  風習が固有的なものとされていた︒  意味での口持古くは月毎の下弦の一夜か物  玉  お下として︑その  此  女 

  

    

り  ︑その際色々の食物を持ち寄り︑これを料理して  会  食する︒集り  0  行事としで何等かの宗教儀礼  さ  行  5  ︒  例えぼ  飛騨  吉  城都坂上村で︵  8 ︶  ほ  寺に集り︑住職に一  ケ  年の無事なことを  所  卸して  貰  5  ︒豊後直入 

四九 

217 

  

  

    

  

   す行  「寮のにへ  らるにてに 

  

る農ア  遊んつと離も  日会は 

  

     

(( 

3    

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る  と  が 

     

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と  な  忌 

頁 

0  同大の 

四  じ  陽  変 

貫  で 異  形  林  あ  拝  で 

氏論 

丈 

     

と  う 

  

後  は 

の  な 

  

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卑下 ヰ︐   

部 地方では 旧 十月十四日の夜から十五日の朝にかけて ︑お日待とて 東方に拘って竹で棚を作り供えものをす 狡ゆ このよ 5 に ︑所定の日 

時に集会し︑所定の宗教的行事を中心として︑会食を し ︑翌朝の日 

の 出を拝んで帰るといちのが日待の大体の形式と思わ れる︒ 

︵ 1 ︶主持語彙三五七頁        ︵ 4,‑ ︶井上・京都古音 

志之 

o.uo め ㏄ の ︵ 2 ︶ 同 

き ︵ 8 ︶ 同 

以上の如き内容的変化ではなしに︑時間的短縮の結果 生れたもの に 月待がある︒月待とはい 5 までもなく︑夕方より 月 の 出を待つこ 

とであるが︑これが日待の一夜に比して短く時によ つ ては数時間で 終ることにもなり︑時間的に短縮されたものである︒ 但し︑月待で は ︑悪行為が若干みられ︑而もそれが 一麒 ﹂という 形 に 変化してい るものがある︒即ち︑長野 欺 諏訪郡では十月二十三日 の夜﹁二十三 役儀Ⅰとて月待をするが︑その際軒下︑庭先︑屋根の 上などで︑ 水 を 入れた椀を片手に捧げ︑別の手にけ線香に火をつげ て 持つたりし て︑ 思い思いの願をかけて月の出を待つ︒而も此 際 ﹁ ねてもいげな 

﹁ねてはならぬ﹂﹁Ⅰ﹂ 

き 

︑︑︑︐︑主︑︑ 

目があるとⅤわれてⅠ 

巫 

つてもⅠげなⅠ﹂︵﹁㌔立待﹂とて立ち通してⅠ 

る巨ち 

エ ︒ D   

ね ﹂とい 5 禁止が﹁ねては利き目がないからいげない ﹂という 願と 

結びついた功利的態度に変って来てはいるが︑時間的 に 極度に短縮 

した代りとしての悪行馬の変形である︒ ︵ 1 ︶民族学研究五の 一 ︑八三頁︑有賀恭一 

ところが 斯る 月待にも 矢 張り退化が行われ︑日待の ァ スビ への 変  化と同穣の現象が起る︒飛騨吉城郡坂上村の九月二 十三日の月待 ︵ エ ︶ は 家の者が集って雑談をしつつ月の昇るのを拝してね る ︒更には肥前 

五 

  

  

Ⅰ 

ヰ 

    

  

  

  

     

五一 が 

先報告 

     

    

        

  

して  東彼杵  酒  郡丹 なとをのみ乍ら月の出を待つのてある︒  る|  @   細村で旧七月  出 ︐  六日に行  う  月待は抹 ︑  婚  の  青  年男女が集合 

︵ 1  ︶民族学研究五の四︑一  0  七頁  林  ︵ 2  ︶民俗学辞典上︑七二六頁  この  ょう  に徳一般にみられる共通特質  は︑  ﹁まち﹂﹁  まつしとい  5  時間的性格でもって︑日忌が持っ本質的性格  を︑形  や  内容の点で  は  多分に変化しつつも︑最後まではつぎりと保持して  いるという  事  が田  凍  る︒  このようにして日待を含めての日忌の本質は  ︑  おくま  でもそれが  時間的  條  件の上に立ち︑その息の中心的内容をなすも  のもまた﹁  時  間しということにある︒但し︑日忌にほ  斯る  類型の外  に  ︑  暉正  待と 

    

此等のものも詳細にその  男寛  因を尋ねれ  ば  時間的なも  のに本質があ 

ない︒  宗教民族学の学的性質及び領域の反省  棚瀬襄爾 

宗教民族学が如何なる研究対象を特つかに 就 ては故宅 野月 塞 博士  ほ ﹁大体古今の未開宗教がその対象を震すと見て差文 ないであら  ぅ ﹂としておられる 0 此の言葉の中にほ二つの未開 宗 教が 含まれて  る る 0 一つは古の未開宗教であり︑ 二は 今の未開宗教 である︒所謂 

pr@ ︑ し @*@Ve  の二つの意味 即 ち太古の宗教と現存未開 民 族の宗教であ 

る ︒然し前者の研究 は 先史学が 鳥サ から︑宗教民族学 は 後者即ち 現 

有未開民族の宗教がその主要な研究対象を鴬すものと して 堵 丹土の山本  教 民族学は成立してみ る ︒民族学一般に於ても レ ・㏄ 蚤 ぎタ トロの 圧 ︒ 

% の r ︒弔文 桂 @ づ ︒ めヴ ︵ a‑@ 臣 0 コめ村 ︒ 喪 ・ め ・目銭 毎 ダ リ ・ 目ま 0 コ 等 が民族学の 

対象は未開社会能に文化の研究である︒乃至少くとも 過去に於ては  そちあったとしてるるのは現存未開民族の研究である    ことに二つの開題が出て来る︒一つほ時間的に古い未開 民族と現  存 未開民族には如何なる関係があるかと 言ふ 問題︑ も ぅ 一つは未開  民族と文化民族とは如何にして区別されるかと 言ふ間 題 である︒ 

一の問題に就ては宗教進化論の場合のよ 5 に時間関係 と 本間関係  が ごつちやにされてゐるものもあるが︑文化史学の場 合 にほ現存 民  族を中心として 質 規準︑ 量 規準を用ひて 察 開関係を決 定し︑ 更に丈  化の接触関係を観察して時間の前後を決め︑更に先史 学 との平行関 

  

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