既に貞永式目に光って︑ 烏勿 天皇の天永四年四月の宣 ぬに ︑﹁ 我 が 朝は紳 道 基を沸くる 國 ︑釈家跡を留めたる地なり︒ 神威 は 皇威に 依りて威を施し︑伸明は皇明に引かれて明を増す︒ 紳 目ら貫から ず ︒人によって貴し︒ 教 自ら弘安らず︒人に依って 弘 まる﹂︵五清
ホ立 害 ︶とあるの ほ︑ 極めて大大的な考方である︒
而も︑この君方 は 必ずしも神道固有の考方でなく︑ 佛教 の唯︑ゆ的 教理の影響を受けてゐることは右の宣命ににじみ出て め るが︑然し 神道家がこの考に近づ き︑ 殆ど根本的には唯心論に傾 いてしまった
と 思へるものが 歩 くない︒
度会家行の神道簡要に︑﹁凡そ神は正直を似つて先と 窟す ︒正直 ほ 清津 を以 って木と農 す ︒清津なれば む正 を失 はず ︒物に 絨 され ず ︒ 定 準を専らに ヤ ︒
舅以
って︑明光頂か照らし ︑霊徳 単 に入 る 0 願 として成らざらんや 0 万事 は 一心の作なり 0 時 々奉行して︑面々怠ること莫れ﹂とあるのや︑一條 兼 良の日本紀 祀 代巷纂琉に︑
﹁詩道は心を似つて木と為す︒故に神事の宗源は一心を 出でずし等 ぼさ 5 いふ 考の代表的なもので︑ づ玉 と後代までこの や 5 な 見解が 継承せられて来て居る 0 然し︑神道の神がこのやちに︑人間の心によってつく られた神で
あってよいか 杏か ︒これほ改めて問題にしかけれ ばな らないところ
である︒ 歌ヰ は ︑坤道の神が基督教の神の如 き 超絶的な紳でな い事は認め
なければならない︒
坤 2
るれ た
る
在宿 でぜ「
宝あ ら み
を 意味してゐるが︑人間は﹁まこと﹂を 為 すべ き 存在 であり︑﹁ ま
毛と ﹂を 農 すことによって︑人間未来の在り方があら ほ れると共に
﹁なことしが通路となって他の﹁みたましとの交通が開 らげ︑神々 との交渉が可能になる︒ 人間が︑かくの如く理想的な存在となることを要諦 さ れてゐる 事 を 前提として︑坤道 に払 いて教へ且つ実行されてゐ る ﹁みそぎ﹂ ︵ 襖 ︶や﹁はら へ ﹂︵ 祓 ︶の如 き 神秘が意味を興へられ る ︒ 課 まれる 存在を﹁まが﹂として︑ 之 れを貞実の存在に改めよう とする時に ︑ ﹁ なほす ﹂はたらぎがはたらぎ︑その手段としての﹁ き よめ﹂が 喫
や 祓である︒
が 正直な存在であり︑﹁まこと﹂を 農す 存在でなけれ ばならない︒
神道の神々は ︑ ﹁ことしを 嶌し 給ふ 祀 としてあらはれ る 0 ﹁こと﹂
とは祠の功であり︑徳である︒即ち ︑ ﹁ ょぎ はたら ぎ ﹂である 0 こ の︑ ﹁ ょき はたらぎ﹂が﹁まこと﹂である 0 神々は﹁ よ ぎ はたらぎ﹂
を 有し給ふ 祓禧 者であり︑神徳を有し︑神業 を俺し 給ふ 存在である︒
神々も﹁まこと﹂によって規定されて居るのであって ︑人間に ょ つて自由に規定されるのではない︒人間よりいへぼ ︑ 祀 はどこ迄も 目らによる存在である︒だが︑客観的にいへぼ神々も ﹁まことしに 従って居られ︑ 祀 みづからにも守るべ き 法則が存する かくて︑神々 ほ眞 理を媒介としてあらはれる存在であ り︑ ﹁まこ と ﹂を通してのみ祀の認識が成立する 0 人間の洛意 や 自由に よ る 祀 研究報告
では ない︒人間が恐意や自由を棄て へ ︑ 眞理 に任せた 時に認識され る 存在である︒
らない︒ ではない︒
だが︑祀も亦 眞理 に制約され給ふといふ点では人間に 類して ゐ給 ふ ︒故に ︑ 祀は眞理の下に降る存在である︒ こム に︑人間と辞との関係に 拾 いて︑人間は祀の前に か文 んで 辞 を 迎へ奉り︑紳は高ぎ 天 より天降り 拾うて 人間に幸な 恵み給ふ祭祀 0 基本が成立するのてあらう︒ 祀道 祭祀にあっては︑ 祀は客 として 賓 位にあり︑彼方 より此方 へ と爽 るものである 0 人は主として碑を迎へ︑此方より 彼 方 へと 向ふ ︒
理の支配したり︑ ない︒ 眞 創 潰したりづる主とはなり得ないのである︒ 而も ︑ 客である祀は︑あたかも︑上にあって人を支配 する主人の 如く君主の如く見えるけれども︑ 紳 みづからも 亦 ︑﹁ まこと﹂を 佃糠 てム のみ人に対し給ふ︒ かく﹁まことしを媒介として神人が軽 遍 するが故に ︑ 神道祭祀に 一 O 五
273
拾 いては︑
られるもの
る ︒
主客に ょつぞ 神と人︑信ぜられるものと信ずるもの︑ 祭
と 祭るものの関係を表明することになるのだと考へら れ
人間ゴータマの神格化
几 中村
釈貧ゴ一 タマは︑永遠の 眞理 ︵ 卸す浅日り ︶をさとったが ぬに ︑覚者 ︵安目 蘇 ︶と呼ぼれる︒しからば︑ 眞埋 むさとった 人 はみな覚者で あるといはなければならぬ︒その人は何ら超自然的な 存在でもなげ れば ︑神秘的な人物でもない︒いはんや超越神のごと ぎ 存在でもな いぃト ‑ ず い ︵ ︑ ‑ ナ め る︒ 原始 佛 散聖典をみると︑古い 属と 新しい 暦 とでは︑ 非 常に思想の 相違があるが︑その古い層についてみると︑ 佛教 の 開 創者 ゴ l タマ ほどこまでも革にすぐれた人間として考へられてゐ た 普通後代の佛教徒はゴ l タマのことを 釈貧 ︵釈迦牟尼 の由 k@ Ⅱ り屋ち ︒
︒ ボ " パ触寮終溜瑚が邱浮 ㈹ ひれ額咄笘援沖鮮 Ⅰ
つげないで﹁シャカ よ ﹂と呼びかけ ろ ことほ ︑ガ ﹁ タ 1 のうちにの み 現れ︑散文のうちには存しないや ぅ である︒故に最 初期の神教徒 はゴ ll タマ をシャ マ Ⅰ 力 卜 族の Ⅰ 下 Ⅰかのか 訃 Ⅰしの ア叶見 な L して る たのである︒
また後代の佛教徒の観念によると︑何らかの 貧称 をつ げないで︑
た 盤の︒ 使ヒ村 と呼ぶのは︑信徒にとっては愛敬を失し たことであ っ
を レし呼 ︑ 何ら ⅠⅠⅠ Ⅰ ルホ
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賛、 称、 Ⅰ 「 の を 附、 げ な で ) た 」マ 呼 で も ん ゐ る の み へ
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一 O 土
また古いガ l タ l では修行者を仙人︵ 笛 Ⅱ 聲 .. 軽 ︶
と 呼ぶことが
相当多い︒ ︵ 1 ェ ︶11 ところが散文の部分では多くびく︵ サォ 守友ォロ 比丘︶
航 するものとー ︐ 少くともその主観的意識においては 思って ゐ たのであらう︒ さ 5 してガ @ タ l では グッダ 一般をも
仙 人 ︵ @ ︒ @ ︶ と
礫一網 ㍼ 捌 ︐一 %" 紀紀 出離 甑捌 ㍊ 一
︵ところが後になって グソダ が神格化されると︑信徒げ ︐アソダ の こ とを﹁仙人﹂と よ ぶのを 好 まなくなった︒そこで ガ Ⅰ タ @ の中で︑ でも︑散文の説明︵ ﹁大仙人﹂︵ 汗 % キ ま ︶ 日 と 苗色︶と呼んでゐる 書 き 換へてゐる︒ Ul 場略 ︵︶ では ﹁世 母こ
8 人し︵ ざ ニ % ︶であるとか︑ とかいはれる︒三種の明知とは普通﹁宿命通しと﹁天眼 適 ﹂と﹁漏壺 通 ﹂の三明をいふと解せられてゐるが︑ 佛 教の最初に おいては 三ザ ヱ一ダの 学問になぞらへたのであらう︒最初期の佛 典 では 三ダェ l
円 f ミ "
"" Ⅰ " タ
青年﹂︵沐浴者㌧ か ︑また﹁バラ モソ aFa 守ガ としての学習を邱へて沐浴をすまして annB@Sta 紅 ︶ ︵︶ 2 とも呼ぼれてゐる︒ 家 に 帰る
のみならずパラ モソ の 5 ちの特殊な一つの家系である ﹁ アソギラ ス族 ﹂といふ名を ゴ Ⅰ タマ の呼称としてゐることがあ る ︒すなは ち と呼びかけ ︶﹁ゴ i タマ ろ ょ のである︒︵ ﹂と呼びかけ 10 ろ 場合に﹁ アソギラ ス 族よ ﹂︵戸ロ 取げ pfip ︶ のみならず︑当時の神話的存在の呼称を以て呼びな すことが 多 では正反対の観念のやちに思はれてゐるが︑経典の︵︶ 叉 に ﹂︵ 対しても用 ya ガ庁 プレ︶と呼んで ゐ られたのであら る ることがある︒ 5 ︒また 佛轍ひは釈 2 のち ︵︶ お 2 ︒ もと修行完成した人を鼠 何 へぼ・ 釈貧 または グソダ gp は と呼んで 寵 の︵または ゐた 象混や ︶︵︶ 2
ほ ︑﹁夜叉﹂も佛の呼び名の一つとされてみ る ︒
が ︑これは当時の非バ% モソ教 的な諸宗教 に おいても 以上にみられるごとく︑最初期の佛 教 では バうそソ教
まねく一般に の種々なる 呼称を用ひてみたが︑また当時の非パラモ ノ教 的な諸 宗教の種々 な る 呼称を附せられ︑またそれを 標傍 して るた ︒バラ モ ソ教 以外の宗
用ひられてゐ た 呼称である︒ また当時インド一般に︒主として沙門の間で完全な知 慧 ガ ︵ e づ 占ト︶ を 得た人のことを 審 4% ロと 呼んで ゐた ︒︵ 銘 ︶ ヂャィ ナ 教でも修行お を 完成した人をやはりⅠ 0 つ p‑@ ロと 呼び︑この呼称は
ヂ ャ イナ教では
" わ 引いⅠい門 嫡め籠樺円 ㍉ 沖糖 ㌶㌻ リ われ フリ Ⅰ
ゴ一 タマが神化されてみない︒社会的には他の哲学者 の 一般のすぐれた哲学者︵六師など︶に適用されてゐ と 同じ資格の る ︒ こム では ものと見なされてゐる︒ ともかく ブクダ はどこまでも人間であったから︑かれ は ﹁人間の
弘瑚 Ⅱ W 田 目変な 一翻 で 一 だ一
陣で ゴ Ⅰ タマ またはブッダのことを ヨ 偉大なる英雄臼 ︵ ヒうす亡柑 Ⅱ 甲ヰ ︶ ? ︶ と 呼 ぶ ︒これはブッダを特別親してゐるわけでほ なくて︑修行 鱗︑ ︶ ロ卜 ㈹ 町はポ期榛哩抑パ ︒︶ パし煕お ㍑ 睡鱗娃呵 行を完成した人をお 鼠 とか嵩 ま卸づ wHu とか呼ぶのは ︑ヂャ イナ 教
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ら ︑以上の諸 ガ一 タ l がつくられたのは︑ ど 5 しても マウ 9 ヤ王朝 以前であら ち ︒ ところが 佛教が 発展し︑マウリヤ王朝時代に 殆 んど 國 教 ともい ふ へき地歩を占めると︑ ず I タぜは もはや人間でほなく て ︑超自然的 な 神的存在と考へられ︑神格化されるに至った︒この 過程の瞼 討は
仙の機会に譲りたい︒ H ︒ q. ︵ 蛉 ︶チャイナ散聖典でほ パ ラ モソ のことを田村 サ 曲中韓 といふ 0 そ
ればヴ舌 サロ︶ 鰯 p の崩れた語形である 0 アル ダマ ︶ ガデ イ 1群 共 によると︑その他異二の意味として 芭 轟音 ざ コザ 0 憶 の 思 Ⅰ㊤ ヰダ 江口 0 俺 0 ㏄ サ 0 自在四 % Ⅱ 鳶 Ⅱ 0 申のといふ語義を 挙げ︑
出典としてほウ ソタ ラフチャ ヤナ ︑アーヤーラ ソ ガ︑ スト キ ガダソガ ︑タ l ナの冴を挙げてゐる 0 臣卸 +
人引
と 解した‑ @@
に向つて口舌 き雙と 呼びかけても ろ 0 またぎ・ののめで は 仙人 と 共通である︒ が 帝釈天に向つてかく呼びかけてゐる 0 た Ⅰしこの 呼 称は散 少くとも以上に列挙した称号に関する限り︑それら ほ ダ I タ マ に な 区 男ャヰマ けま存在しない︒両者はともに人間なのである︒
も 一般修行者にもともに適用され得るのであり︑両者 の間に本質的
親はアジ ョ Ⅰ 力 正時代の佛崇拝の情趣とぼ大分様子を 異に サるか