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その整然たる配置によって意識的に統一されたもので ある事が知ら れる︒ 次に同様な祭に月次祭がある 0 南祭の関係を考究する のに重要な 史料として延暦 廿ヨ 年の皇太神宮儀式帳 と 上白気 宮儀 式帳 とがあ る ︒これによると︑﹁月次祭 と 前年祭とは 所 りの内容 に 於て同性質 のものであり︑月次祭も自とし ごひヒ の 舞と 考え ろ ね ︑新年祭も 円月次目の名を以て呼ぼれたし事を知るのである︒
が ︑儀式帳及び延喜式等に於て明らかなる如く︑伊勢 神宮で最も嚴 ちらが古く成立し 且 つ重要なる祭であったかを注意す る 必要がある こ の 雨祭は︑ど 事 ﹂と考えられて居たに過ぎない︒ 促 つて月次祭 は所 年祭よりもそ の 成立が古く重要なる祭であった事が知られる︒この よ 5 に 考う れ ぼ ︑祭祀として固定され︑神祇 令 ・延喜式等に規定せ られた 嚴 密な 意味の新年祭は古代から﹁とし ごひ のまつり﹂と呼ば れたものとは 明かに区別すべぎであって︑その前年祭の成立に至る までに﹁とし ごひ のまつり﹂と呼ぼれ新学祭と相対的地位にもつ た のは月次祭で あって ︑ 古き 箇 々の祭を統一したる月次祭を基として 律令制の施行 にふさわしく 全 國の天秤地祇に奉幣する 國家的 祭祀の ために意識的 に成立せしめたものと考えられる︒ 然ら ぼ ︑かかる意味の所年祭の成立はいつ頃となすべ きか︒官祭 としての性格からみて当然大化改新が行われ︑中央集 権の制度が相
六 O
当 に完成をみた頃と考えられる︒ 私は 新年祭の成立時 期 については 当時の政治情勢︑祭祀制度の整備︑大宝律令の成立 事 情 ︑及び前述 の 新年祭祓詞の成立等から考慮して︑天武天皇の御代 にあり︑ 浮御
原今 に規定をみたものと考えて大過なかろう 老思 5 ︒
五
以上︑官位の成立をめぐり︑最もそれと密接不離の関 係 にある 祀 舐 官の成立及び祈年祭の本貫と成立についての考察を ︑結論のみを
略 減しで大方の御叱正を乞いたいと 思 50
盤 S
㍉Ⅱ
阿
含の四諦観
早
鼻鏡玉
の 危険性を梯 抗 する分別論の立場であり︑合理性に基
く眞 理体得の の 葉 ・苦の
滅 ・苦の滅に趣く道の四諦である︒苦を以つて一貫し てゐる点でこ
の 四諦は佛教の根本原理を示すものといへる︒何とな れば ︑釈尊 は
現実の正しき観察を以て一切の行 は苦 なりと悟られた のである︒ 従 つて四諦は現実に対決した 我 れなる自己の現
観し
r@ め p‑ コ aya である から四諦は法 額 であり︑ 眞理 観に外ならない︒親親 の ま 場は観念論 ま場である︒そこに四諦観が成道・説法の内容たると 共に︑師弟 同 一所証の軌範として 又 悟りの観法として原始 佛教 以来 研究され 来ったのである︒
そこで今︑此の四諦観が主として 阿 含の中でどの様な ものとして
実践され︑ 又 いかなる類型を産み出して︑四諦の現 観 が 把捉されて
いったかをみたいと思ふ︒
阿 含の阿毘達磨︑特に大尾娑婆 論 ︵第七十八巻︶に 於 いても︑ 四
諦観を把へるに︑ 現 観を以てし︑加ふるにその詳細な る 論義を展開
してゐる 程 てあって︑ 釈 奪の立場は見失はれてゐ な か つ たとい ひ 5 る ︒だが︑四諦観そのものが悟りの規定を形式化した ことにより︑
やがて大乗の龍 樹 をまつて本来の清新さを取り戻すこ とになるわ け
研究報告
である︒苦の四諦が基本型であるが︑その 苦 ・ 集 ・ 滅 ・道の四 聴型 ハ体・
集 ・ 波 ・ 道 Ⅰが正親・十二因縁・大内外処などに適用 され︑ 南博清
俘 道 諦に 於ては︑一切法の名の下に二十余の法数名目 が 此の四樽 型
によって説明せられてゐる︒今︑日刊 阿 含の申で多く 見られる 四轄
型は ︑十二因縁の各 支 に関するもので︑ 申阿 含の正見 経は代表的な
ものの一つであら 5 ︒但し︑無明の四 % 型が ︑そこで ほ︑ 漏の四睡
型 と互に順境論法を示しており︑更に他の経典の個所 に 於けるが 如
く ︑十二因縁の四睡型がいづれも無明の部分だ け 欠い て 十一文の 四
轄型 となってゐることが注意される︒ 相礁部の Ⅱに 於 て ︑この十二 OO 因縁 各 支の 四 遮を合計して四十四智 事 七名付け︑分別 論 では道具足
智 としてゐる︒
次に︑玉繭の 四轄 型は相 蕪 部の皿に多く示されており ︑ 而してこ
の型が五 取 薙の生滅 額 であり︑四諦観となってゐる︒ ﹁五敗 繭は苦
なり﹂と知見親見する処に︑自己の身心・外界の環境 に 対する四諦 観 が施設されるのであって︑己身の芽蘇活・世間 す鯨 ・四大に関す 8 匹 轄型 があるのも当然のこと ム 云はね ば ならぬ︒ そ の他︑信・ 精 進 ・ 念 ・ 定 ・慧の五根︑楽・ 苦 ・ 喜 ・ 憂 ・捨の五根︑ 眼 ・ 耳 ・ 鼻 ・
舌 ・ 身 ・意の六根︑身・ 受 ・ 心 ・法の四念処にも四睡 型 が見出され
る ︒こムで特に注意 す べきば︑苦の四諦・漏の四諦であ る ︒そして︑
色利河合 に掩 いて︑由郎・ 橋 支部・ 律 ・大義 釈 ・小義 釈など十六個
ⅠⅡ 一ノ
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れてみ る ︒ 以上ぼ 体 ・ 集 ・ 滅 ・道の四睡 型 が苦の四諦を基本とし て︑ 他の法 数に適用された事を見たのでもるが次に・苦の四諦の 行相は何 んで あるかを見たい︒ 行 相の説明はいづれ 軒 阿毘達磨的色彩の加ったもので あるが︑ 然 しながら︑実はこの 行相 分別の中に︑三法印・ 塞 ・ 縁 起などの 佛教 の 根本思想がコソ デノス されており︑観法としての 四 誰 がその思想 的基 磐を醸に目らの中に内合してみると考へてよいと 思ふ︒ 無蕨解 道及び 清 海道論では︑ ﹁苦は害︵ 逼悩 ︶・有為・ 熱悩 ・変易の義であり︑集は存 続 ・因縁
・ 合 ・ 障硯 の 義 とし︑ 滅 ぽ山・ 離 ・ 無震 ︐不死の義 と なし︑道は 出 ・ 因 ・ 見 ・増上の義となし︑かくの如 き 十六行相の 義 によって
苦 ・苦業・ 苦滅 ・ 順苦 滅道が 諦 ︵ 眞理 ︶ なの ︐である 0 ﹂
と 述べてゐる 0 特に大息娑婆論の十六行 相は︑
星白諦 む縁 じて四行 相 ありとし︑ 苦 ・非常︐ 塞 ・非我の 義を立て︑
道 ・ 如 ・ 行 ・ 出 0 ﹂
と分別してゐる 0 この十六行相観が三十四行相となつ て ︑阿羅漢の 観法として 又 悟りの型として重んぜられ︑所謂﹁三十四 心 成道断結﹂
と 表出されるのである︒ 祝樽法輪経に磨いては︑四諦の三韓十二行相を説いて ゐ るが︑ 苦 ・ 集 ・ 滅 ・ 道は遍卸 せられ︐断ぜられ・証せられ・修せ らるべ き もの
としてゐる 0 所で︑この 知 ・ 断 ・ 証 ・修の四行相が正 観を修習する
幸 ︑二Ⅰ
方法と考へられたことほ︑ 無畷解道 Ⅱに 放 いて︑修習 を 説明し︑① 傾 心して修習︑②知りて︑③見て ︑ ④観察して︑⑤ 心 を括 持して︑ ⑥信によりて 肪 解して︑⑦精進を精勤して︑⑧念を近 住せしめて︑
来るのである︒ 四諦の四 % の 中 ︑特に集 諦 の 行 相を三分別して︑縁起 ・差別・ 異 熟 としてゐる型がある︒即ち︑ 増 支部Ⅳの︑ 欲 ・ 受 ・ 想 ・ 漏 ・ 業 ・ 苦の各々に関する四樽型で︑注意して よ いものと思ふ 択に ︑ 前 湘の四諦観に就いての囚縛 型が ︑ 集 ・滅の二 轄型 ︵二種 旗観 ︶となってゐるものと︑ 集 ・ 滅 ・ 味 ・ 患 ・離の五 処善 乃至 セ処 善 のものになってゐるものとが挙げられる︒ 前者の集・ 滅 型は十二因縁の順逆 両 観の場合︑阿舎 で ほ 屡々 繰遮 される型で︑順縁の時にほ﹁かくの如きはこれ全音 荘 0 集なり﹂と いひ ︑通観の場合は ︑ ﹁かくの 如 ぎはこれ全 音誼 の 滅 なり﹂といふ のがそれである︒其の他︑五 % 尊な集 ・滅に約して 詮 く 用例は非常 に 多く ︑ 殆どこの四諦の集・ 減 観に外ならぬ り 後者の集︐ 滅 ・ 味 ・ 患 ︐雄の五 処善 ︵ 五 姻親︶は ︑そ の申 ︑味は 集に︑ 患は苦に ︑ 離は滅に相当するから 矢 張り四諦観 としてこの型 がよく用ひられてゐる 0 例へぼ︑ 欲 ・ 力 ・ 見 ・無明に 就いて︑或は
230
五 % ほ ついて適用されてみるのが 相礁部 に見られる︒ 七処善 といふれてこの問題を解決せられたが︑ 阿 含 ではこの説明に附属して︑ 四
のは︑囚縛型に味・ 患 ︐離が付加してゐるものである 諦を説くこと・四諦を思惟すること・四諦を知見親親 することが 義 以上で四諦の諸型を概観したのであるが︑それが 昔 ︑ 四諦観とし 利 乃至連理 に 資するものであると強調 してゐる︒ こム に四諦 説が釈
ての観法に基いた諸型式であると共に︑淫薬への悟入 を 期して るた 賛成道の目内証を示す最初説法であ りつ 虫 最勝法論たる所以がある ことを 窺 ふたのである︒今︑この様な四諦観に於ける 意味を補足しのであり︑四諦 現 観の意義が軸史記 の 問題を通して︑ 眞理 認識の積極 て ︑四諦 と慧 との関係︑及び四諦と無記 詮 との関係を みることにし的分別 説 たる性格を有してゐるとい ふ 事が首肯出来るのである︒
それに入れられてゐる点で︑草に四諦観が一種の譚 観 而して此処では︑ 苦 及 び 漏の四諦観が定の範 樽に 入ら 相の目性は慧なりと述べてゐる︒大義 釈 ︐小義 釈に於
と 解すべぎである︒ た い ︒
は 慧を以て知・ 断 ・ 修 ・ 証 すべし﹂とい ひ ︑﹁四諦 十
いことを意味しており︑如実知見の現観を正しく発揮 で 一段に説く苦及び漏の四諦が共に増上意学の的容と
四諦と無記について︒ ずして 慧学の
してゐるもの に 上って るな 六行相の各行 されてゐる︒ いては︑何台 四諦と意について︒ 相蕪部 V では︑五根を何に於て観ずるかについて 信 根は 四子 流
支 ︑精進根以下慧根を各々 四 正勤・四念処・ 四 静慮︐ 四聖諦に於て
観ず才 なし︑他の個 処 では四諦如実 知は 菅蓋 に順 ずる 生滅慧を成就
サ るとも述べてみ る ︒そしてこの四諦智の慧を三十二 種 に分けて 譚
いてるるのが 無 顔癖 道 の 智論 である︒娑婆 論 ︵七九巻 ︶は︑﹁四諦
無記のことがらに 関説 することは︑自らが 義利 ・ 梵行乃至は寂静
・菩提・ 浬穏 の 俺 めとはならないといふ理由で︑釈 尊 は 措置 記答さ
研究報・
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