――目次――
1,
社会構造と人格の関係:宗派発生の面においてとらへたる, 井門富二夫,Social Structure and its
Relation to Personality: as Investigated on the Growth of Sect, Fujio Ikado, pp.1-3.
2,
法然の戒律観について, 石田瑞麿, Hōnen’s View on the Buddhist precept of conduct, Mizumaro Ishida,
pp.4-5.
3,
祈りにおける請願と帰依, 雲藤義道, Petition and devotion in prayer, Yoshimichi Undo, pp.6-8.
4,
両墓制について, 大間知篤三, The double grave system, Tokuzo Omachi, pp.9-11.
5,
宗教本質論に関して:ヘレニズム・ヘブライズム及ブデイズム, 河合陟明, Hellenism, Hebrewism, and
Buddhism in connection with the problem of the nature of religion, Sh
ōmyō Kawai, pp.11-14.
6,
サーンキャ(数論)学派のグナ(徳)について, 風間敏夫, Study on guṇa in the Sānkhya philosophy,
Toshio Kazama, pp.15-17.
7,
世親の唯識説について, 勝呂昌一, On the theory of Yuishiki (Vijñaptimātratā) by Seshin (Vasubandhu),
Sh
ōichi Suguro, pp.18-20.
8,
大乗経典に現れる宗教的歓喜について, 紀野一義, Religious Joy, as treated in the Mahayāna sūtras,
Kazuyoshi Kino, pp.21-23.
9,
婆羅門教と印度教との異点と特殊性, 木村日紀, Brāhmanism and Hinduism, their differences and
characteristics, Nikki Kimura, pp.24-26.
10,
極微について, 久我順, Study on sūkshma, Jun Kuga, pp.27-29.
11,
四国遍路をめぐる信仰, 小池長之, The pilgrimage (Henro) in the Shikoku Island and its faith Eigaku
Kochi Shinran and Dogen, Nagayuki Koike, pp.29-31.
12,
親鸞と道元, 光地英学, Shinran and Dōgen, Eigaku KŌCHI, pp.31-33.
13,
中世白山の荘厳講について:その組織、機能と成立, 櫻井徳太郎, On the Shogon society
(Shogon-ko) of Mount Hakusan in the mediaeval ages: Its structure, function and growth, Tokutar
ō SaKurai,
pp.34-39.
14,
石器時代小児甕棺葬について, 佐野大和, The burial of infant in the Jar coffin in the stone ages,
Daiwa Sano, pp.39-42.
15,
江戸末期における在家仏教の発生:日蓮宗を中心として, 執行海秀, The birth of lay Buddhism in the
latter period of Yedo: With special Emphasis on the Nichiren Sect, Kaish
ū SHIKKŌ, PP.42-44.
16,
「坐禅」と「止観」, 関口慈光, Dhyāna and shikan, two kinds of Buddhist contemplation, Jikō
Sekiguchi, PP.44-47.
17,
日忌の本質, 竹中信常, The nature of “day” taboo, Shinjō Takenaka, PP.48-51.
18,
宗教民族学の学的性質及び領域の反省, 棚瀬襄爾, The nature and field of religious ethnology
reconsidered, J
ōji Tanase, pp.51-53.
19,
理想的平和の世界性, 津田敬武, Universality of the ideal peace, Noritake Tasuda, pp.54-57.
20,
官社の成立, 西山徳, Growth of Shinto shrines as governmental institute, Toku Nishiyama, pp.58-60.
21,
阿含の四諦観, 早島鏡正, The theory of the Four Truths in the Agama, Kyōshō Hayashima, pp.61-63.
22,
宝林伝の研究, 増永霊鳳, A study of “Horin-den”, Reihō Masunaga, pp.64-66.
23,
聖徳太子の仏教における思惟, 森田康之助, Prince Shōtoku and his Buddhistic thoughts, Yasunosuke
Morita, pp.67-69.
24,
預言と幻, 山崎亨, Prophecy and vision, Tōru Yamazaki, pp.70-72.
populace, Yoshitoyo Yoshioka, pp.72-74.
26,
限界的状況における宗教的適応, 石津照璽, Religious adjustment at the limited situation, Teruji Ishizu,
pp.74-77.
27,
羽黒山行事における「タブー」の一考察, 岡田重精, Survey of taboo in the religious observances at
the Mount Haguro, Jūsei Okada, pp.78-80.
28,
源氏物語の精神構造における宗教的救済の問題, 小野村洋子, The problem of religious salvation as
seen in the mental structure depicted in “the Story of Genji”, Yōko Onomura, pp.80-83.
29,
人間における Natur:特にカントの宗教論を中心として, 楠正弘, “Natur” in man: pacticularly on the
theory of religion by Kant, Masahiro Kusunoki, pp.83-86.
30,
院政初期の宗教思想, 原田隆吉, Religious thoughts during the early period of the Monastic
Government (Insei) in the Heian period, Ryūkichi Harada, pp.86-89.
31,
日本冥界訪問説話の儀礼的背景, 松前健, Ritualistic beckground of the Japanese legends with the
theme of visiting the “another world.”, Ken Matsumae, pp.89-92.
32,
「とひたのまき」考, 松野純孝, On “Toita-go-maki”, Sumitaka Matsuno, pp.93-95.
33,
ワーツスヤーヤナ疏より見たる正理学派の我論,:仏教の無我説との対比, 宮坂宥勝, The theory of
self by the Nyāya school as seen in the Vātsyāyana comentary: contrast to the Buddhist theory of
nonself, Yūshō Miyasaka, pp.96-98.
34,
部派・小乗の『さとり』の系譜, 山田龍城, Genealogy of “enlightenment” (satori) in the sectarian
Hïnayā ua Buddhism, Ryūjō Yamada, pp.98-100.
35,
方丈記の宗教性について, 若山俊次, On the religious nature of the Hōjoki, Shunji Wakayama,
pp.101-103.
36,
神道祭祀における主と客, 小野祖教, Subject and object in the Shinto worship, Sokyō Ono,
pp.103-106.
37,
人間ゴータマの神格化, 中村元, Deification of the man Gautama, Hajime Nakamura, pp.106-111.
38,
古ウパニシャッドにおける「般若」の研究, 西義雄, A study of prajña (hannya) in the old
Upanishads, Yoshio Nishi, pp.111-115.
39,
聖徳太子の観音化身説について, 福井康順, On the theory that Prince Shōtoku is the incarnation of
Kwan-in, Kōjin Fukui, pp.116-117.
40,
世相による宗教教育への再考, 藤本一雄, Rethinking religious education for the presentday situations,
Kazuo Fujimoto, pp.118-120.
41,
イエス時代のメシア思想, 大畠清, The ideas of Messiah at the time of Jesus, Kiyoshi Ōhata,
pp.121-122.
42,
村落における氏子組織の一例, 特に新田開発村における, 池上広正, An instance of the Ujiko system in
a rural community, Hiromasa Ikegami, p.123.
43,
宗教的人格の研究, 野村暢清, A study on religious personality, Nobukiyo Nomura, pp.124-127.
44,
孤独感の心理:宗教的適応について, 早坂泰次郎, Psychological investigation of the feeling of
solitude: its religous application, Taijirō Hayasaka, pp.128-130.
45,
上代祭祀と巫女, 平井直房, Worship and shaman (miko) in ancient Shinto, Naofusa Hirai, pp.131-133.
46,
解脱と自由の研究:解脱と涅槃、自由と平和, 宮本正尊, Study on deliverance (gedatsu) and
freedom: Moksha and nirvana, freedom and peace, Shōson Miyamoto, pp.134-137.
47,
キィルケゴールにおける「魔的なもの」, 米沢紀, “Demonic” in Kierkegaard, Nori Yonezawa,
pp.137-139.
Japanese populace, Ichirō Hori, pp.140-143.
49,
いは
斎ふと
いつ斎くと, 西角井正慶, “I wau” and “Itsuku”, Masayoshi Nishitsunoi, pp.144-146.
50,
死者祭祀の一型態, 野田幸三郎, A type of the worship of the dead, Kōsaburō Noda, pp.147-149.
51,
本邦における死霊信仰の実証的研究:山形県大泉村清水モリ山をめぐつて, 戸田義雄, Yoshio TODA,
pp.149-153.
文献目録, pp.154-160.
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その系譜が体系 づ げられるわけである。 以上の結論から之を﹁社会形態が意識形態を決定する ﹂といふ 方 向 に導いてゆく事が出来ろが、歴史的資料を取扱 ふ者 の眼界と危険 性を充分に考慮しつつも、宗教の本質概念の特殊性に 従って、まず、 宗派発生の人格展開上に於ける意義を決定する震に、
意識面即ち 祀 全的心理の面に重点を置いてみたい。何故なら ぼ 如上 の方式に過程 を 簡略化する方向に於て、当時の祀 会 構造に対する﹁ 宗教﹂の歴史 的 特殊機能の問題が見過される畏れがある鴬である。 さて宗教を、
生活環境に対する人格の適 礁 不能の際に於ける高適 傾 の 試み、換言 すれ ば 自己の安全 欲 並びに発展 欲 を照 け 環境の重圧にⅠ 対する行動の 調整過程として考へ、更に後述の如く緊張度を増大し た コムプレ ツ クス の場に於て為された不当なる 適 蕪から表れた代償 行馬︵或る 意 味 での現実逃避︶と考へると、宗教とは、自己の不 充 足 欲求を祀 会 に 投射して、これを権威化し、その権威の下に自己 不 安を解消せん とする試みであると 言ひ 得る。ここに同じ 社 会集園内 の 各人に働 き かける不充足欲求の傾向性の投影からくる強力な希望 が、 歪められ た 方向のまま 斬 らしい﹁勢力﹂となり、一種の神経症 的 現象の姿を とって表れる。故に不安量が大であれ ば ある 種 、自己 の 環境より 腕 出して 斬 らしい社会結集への意欲︵ ree 守 警め㏄の︶が 彊 く 、その点 宗 派の発生は亘 覗 的立場から 飽 蓮社会構造の変動に対す 8 人格の安全観察から、 宗 教が 個人とその環境の交渉から生じた文化現象の意味 で 受取られる 時、 すず社会過程が個人意識に先行する事実を考へ
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として取扱 ふ 必要が強く主張されね ば なら ふ か。然し 3 特に歴史的責 料を追ふ者の限界上、この各人の傾向的意識の面を 、 教義乃至は新 らしく組織される彼等の祀
会
活動の点でとらへる事に 止めておく。 但し、宗教が斯様に代償的行動として 見徴 される限り 、一 % は 亡親 美的行動実践﹂に対する﹁代償的行動11儀礼し の姿をとって 表 はれるから、この点で他のイデオロギ l 的現象と区別 される上に 、 この事実により当時の宗教的行動の生じた社会の愛海 に 従って 、そ れに 伐 るべ き 何等かの現実的社会制度の発生が促進さ れる所から、 宗派の発生が自然一種の祀 会 不安帯の構成されざるを 得ぬ周辺 期的 状況︵ mon@p ロ リガ 0 ∼ 聴圧檸 式目︶に多く見られるといふ 事実も理解され る 。即ち社会解体の経過に従って生ずる 祀会 不安は 、 社会稽 浩 の 変 動 に常に立おくれる産会性格の危機を意味し、ここに その 溥統的性 格 構造がそれの欲求調整過程の行詰りに対して 再適蕪 の 試みを起す 時 、その危機的心理傾向が宗派の展開起点となる。 故 に斬 らしい 祀 会 傑作に対する社会性格の構造上の歪みとその特殊性 に、斬 らしく 発生した宗派の特徴が見られ、之に従って新宗派の活 動 分野並びに 活動粗織の限界が決定されるのであるひ但し社会心理 学的に意識を 亘覗 的立場ょり 敬 ふ農にほ、社会構造特に社会 階暦の 移動が比較的 明瞭な社会を対象として選択する必要上︵歴史的取扱 ひに於て危険 性 が少ないといふ意味で︶、対象を西欧の近代資本主 義 社会に限定 する時、宗派発生の系列を規定する社会不安の歴史的 展開の原則と して、資本主義の発展に 俘ふ 社会構造の変動を求め、 そ 5 して経済 史的資料の上に立つて﹁儀礼﹂としての制度を捷絆さ せる 々デォ p ギ l 的 現象の特殊柱を考慮し︵当時の人格と社会稽 浩 の 関係に 於げ ︵ 十︶ , る 時代 桂を ︵ 笘 ︵き目として︶設定せんと試みた ねげ である。 ︵Ⅰ︶生活環擁 に 於ける人格 は 主体としての限界から 、 全く適応 可能の範囲が決定されている 0 之の逸脱は、適応不能 を 生じ 行詰 り 打開の努力が必要となる。行詰りの混乱から生じた 不安の量が 増大するにつれ、自己温存の態勢から不当適応なる 現 象 即ち異常 なる再調整過程に入るっ現実の不安から逃避する為に 人格をして 歪曲された行動即ち抑圧からくる代償行為をとらし める事とな ㌔宗教的適応とほ、所謂﹁現実逃避﹂の形として、 不安の重圧 の下に、自失した個人が自らの不充足欲求を裏返しに して、自己 の外に自らを超越する権威を仮設し、それに依存する 事 によって 自らを危機に迫ひやりた心内争闘を止揚 し 、安全感を 取 戻す経過 であるっ 例 へ ぼ 精神分析 学 上に去 ふの Ⅱ日ま。 旨 ︵共生感 的 ︶現象も この意味で解釈され め ・ 目 ∼ 0 ヨヨ が之を ト 三才 oq@ ︵ 締ぎ耳 の 迂曲Ⅱ 雙 。神のⅠ として解釈しているのがそうした事例であるっ即ち 之 が 不安の根 本 的解決でなく、代位 的 解決である事から疑惑の復 活を畏れて、 現実にほ権威が様々な修行即ち自己否定を課し、斯く 不充足欲求 を 否定して、それかかくる﹁病みし即ち﹁自己犠牲﹂ 0 代田とし ての救済が規定され、この救済 袴 象徴される権威との 合一が 、そ のまま現実に対する再遊 応 としての歪められた自己 肯 定 になり、 斯くして不安 は 解消される 0 換言すれ ば 不安の動 槻は 、自己卑小 感 になって 表は わるが、之が増大する度に比例して、 権 成よりの・
ア
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ヨⅠ 70
サキ
救済の代償たる修行
め
努力も高まり、この努力の意
調
が
反動的に
救済の確信となりて表はれると、その
共珪悪
意識が
様
々
な
﹁選ら
ばれたる者﹂即ち信徒意識になって展開する。この
束
縛感と、根
本
的にほ解決されていない
唯
抑圧されたの子の不安か
ら
浮かんで
くる疑惑を再
捷
抑圧せんとする努力とが、原罪感にな
つて
表はれ
る
。﹁宗教的意識﹂の斯様な解釈の上に立つて、本論が
成立する。
︵の
"
︶・精神分析学派でほこの方式を
づ Ⅰか呂
ゅ屯
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ゅに
於ける安全感を求めてめ
お
。 コ黛
屯田
ざに入りて
義者である事実を考察し、本論の主題として、十九世
ゆく経過として解明しているが、
之卍
絶えざる宗派
発
紀
階級社会
生の起因解
釈
として
斬
らしい暗示を示すものだと
云
へよう。
︵
S︶心理学的にはめ
0 色
巴
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い 尽
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日日
0 ロ
ヰ
軋甘と
解釈
されてよいと考へる。
︵
4︶宗教の特殊機能に基づき宗派発生が周辺
期
的状
況
に多いと
ぃふ
点と、それが現実的行動に対する
代棋的
行動であ
る
事から、
社会構造の変化の激烈な時代︵
例
へ
ぼ
産業革命に前後
ずる時代︶
に
於て、宗派としてのメゾヂストが過渡期的性格の最
も
明瞭な
代
に
於て、一応安定を見せるに至る迄の十八世紀英国の
一般民衆
|
|
特に前世紀的聖公会
並
ぴに他の非国教派の教理と
粗
織
活動に
飽
き
足らぬ大衆、換言すれば産業革命の経過に
伴ひ斬
ら
しく発生し
た
新工業人口及び後にそれに転換さるぺき中小企業者
達
の
不
安
の
荷ひ手
として、
メソ
ヂスト的性格の出現を提出す
るわけであ
る
0
﹁古木
教
研究
レ第
︶二三号に略述し、
又
前提した
メ
ソ
ヂスト的
研究報告
一-
-
ア I 性格 辞 本論の規定に従って展解される時、宗派として の 彼等の荊 諸士の 地 拉が更に明瞭となる " Ⅱ 成 聖教理﹂に見出さ れるこの型 の 取扱ひが本題の核を構成し、之に従って 、 後にプリ @ メ l ソソ リ一 、クエ l カ l 、シュ @ カ 一 ︵の すリマ縛 ︶の各派の状況 がメソヂス ト と平行して、画かれて始めて、十八世紀英国の宗教 ゑ上の意義 が 整理され ぅ ると考へている。レ
"'",
ⅠⅡ L け,お
法然の戒律観について
石田端
麿 念僻 者としての法然が作善持戒という 諸佛 の 制 誠に対 してどのよ 5 に考えていた転のであろ 5 かとい 5 問いを考察する に 当つて留意 しなけれ ば ならないのは、法然に於けるパラレル な表 現 である。 例 えば一方に 焚 いては 七ケ條 起請文の如 き 、 道 北陸道書 状 の 如 ぎに そ の 極端を見出し 56 所の、いわば﹁悪人なを ち まる、 いかにいほん や 善人をや﹂とい 5 、﹁善人にして 念佛 すべし﹂とす る上無修善の 態度がある。しかるに他方においては、河瀬階梯の 木 願 の 念佛は念 佛 者の持戒作善を條 件 としないとい 5 立場に放いて、 彼の自己反省 を 通してみられる﹁われら残品のふねいかだもやぶれた Ⅰ 二ワ もの ン Ⅰ い 5 、或いは﹁わがこの 芽は 、戒行にをいて、一 成 をも たもたず﹂と いち 作 恕罪善も止むをえないとする否定面がある。 従 つてこのパラ レか な二面を検討するには、特にその資料的な償値 さ 考慮に入れて 置くことが大切であって、この意味にないて、従来 無 批判的に 償値 づけられていたものに対して特に留意すべ き ものがあ る 。 例えぼ偉 散大師授とされた末法澄明記を通して語られ 6 法然の戒 偉観である。この末法澄明記を引用したものには、﹁ 十二の問答し と﹁逆修説法﹂との二つがあるが、従来これらは、博教 の 表 5 末法 無 戒の論をそのま ム 受けて、法然は無残破戒も止むこと なしとした、 その証 佐に 用いられて 爽 たものである。しかしこれら は 実はその ょ 四 5 な事を語らない。特に逆修説法に放いてそのことが 明かにされ 5 るから、今澄明記を前後して法然の言葉を見 は げれば ならない 0 そ れは観無量書経の下品中生について展開された部分で ある。 吹 下品中生者 即是 破戒文男凡夫 也 。 却 経説 云 。︵略︶ 一 本 一太 葦船目近来僧尼 - 凡下 レ可レ論ニ 持戒破戒 づ 何者論 亡 持戒 破 成 - 者 是 桂ニ正法像法 之 侍ゅ 至 二台末法 づ但是 名字比丘両口。 故 僅教 大師 末法燭明記 云 。 設 末法中有 ニ 持戒者 - 朗 是 怪異虹二市有ヮ 虎 。 此誰可レ信 。 於 ,末法中一世 有 :言教一面無, 行証 ゆ君 有 ,戒法 - 同 レ有 , 破 戒づ マ下 朝熊,戒法や由 レ 敬ニ 何成 - 両者,破戒 - 。破戒 尖無何況持 戒 。 夫 受戒 之 法中園 請 ,持戒 暦 十人 - 証明律 戒 。 於 ,辺地 - 議毛人
- 証 明得戒 。 然 近来 永 二持戒 偕 - 衛 難レ得 ,一人 円況 五師 子 。 然則 此経 論 -@ 戒 - 者 且約 ,正像 時 - 耳 。 先ずこれを理解するに当って、傍点の﹁ 於二 末法中 - ⋮ 耽 無 ,戒法 ニ は 法然によって如何に解されたと見るべぎであろ 5 か 。法然が浄土 三部経の 一 とたてる無量詩経の下巻に、﹁当来走性 経道 演義。 我 は :慈悲黄惑
。 特留 ,此経 - 山 佳 百歳ピ の 一文があっ て 、法然は 、 この 経道滅 蓋の時には大小の戒律は滅し、持戒の行が 修せられるこ とはないと説いているが、この 経 潰滅蓋の時は決して 恵心隈源信が 妙行必要 案 にい う ような末法の時でほなく、明かに 善 導 に従って 末 法 が終った後の法滅の時と解されている パ 即ち澄明記 がい 5 / 5 に 末法中に朗に戒法なしとは考えていない。蓋し 燈 明記 の 記述にほ 輻 172"
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自於
,末法十一世吉,言教
ニと
記し乍ら
、
﹁ 若有
,戒法
ニ
とレ
ム、﹁
朗無
,戒法二とい
5
ことは明かな茅盾である
。従って法然
は
達明記の﹁
若
有年戒法
ニや
﹁ 耽無甲
戒法
ニ
をその
言
葉
のま
ム
に
睦
解しなかったと見なけれ
ば
ならないのである。
所が先の購明記の文と葉
く
似た法然自身の文章が親無
毒溥経択めマ
ヰヰ
郊卸
輔翼
嬢峠
- 糾鱗瑞紺轄繕起弔
。 蜘弗肋蹄紺
て
、末法に放いて実際上無いのは戒法
郎ち
残品ではな
く
・その戒法
を
受けるとい
5
こと、
却ち卦距
なのでもる。いわば
末法に
焚
いて
ほ
多く受戒がなされない驚に戒法がないのである。
従
つてこの意味
に授て
法然に
掩
いてほ、﹁
於
,末法中
- 但有菩
口数
- 両
無
二行
証ぅ若
有年
愛吟
可レ有
,破戒づ
耽無
, 吏跨己
と読み改められていた
と
解すべきヰヰ
ものである。
そ
ろでなければ、この澄明記を引用して
、
次に﹁
夫受
跨
立法﹂と受戒がなされない理由を説く理由がわから
なくなる。
また法然は鐙明記の引
丈
に先立って、﹁
蓋於
Ⅰ近来僧尼
一九
本レ可レ
論ニ
持戒破戒
づ
⋮⋮
至
二合末法
一但是
名字比丘
而已
。﹂と
なし、当世の
借居
と
称するものが如何に持戒破戒を遠く距つた無愛
戎の名目だ
け
0%
尼
であったかを示そ
5
としている:そしてこの
言
葉は確かに
当
時の世
状
をいい当てたものであって
、
例え
ぼ
元久二年
、専修志
佛禁
止の訴えがなされた
興禧寺
奏上には、専修のものが、
囲碁鍵穴に興
じ
、女犯肉食を好み、末世の持戒は市中の虎の如く
見
難しなどと
云
研究報告
つているということに対して、﹁戒律に非ざれ
ば
六根
守り
珪し
﹂と
強調しつ
ム
も、﹁但し末法の沙門の無
戒
破戒
は
自他
と
もに説く
所し
と
反省しなければならず、そして漆に﹁如実に受けず
と
娃も、如説
に
持せずと難も
、
之を怖れ、之を悲
む
﹂といわざるを
えなかったも
つて、事実上﹁
無
受戒しの現状にあったのである。
以上によって法然が末法
燈
明記に於ける
無
戒法を無
受
戒の上にみ
たことが明かとなったが、この
無
受戒は如何なる戒の
それであろ
5
か
。これを語るものは
燈萌
記を引用した後に語られて
いる部分であ
って、そこでは末法に
掩
いて受戒がなされえない理由
として、南都
威に
捲
いて立てる
中國
十師、
辺國
五師の制があげられ
イし
Ⅱ リる
0
Ⅰしれ
によってみれ
ば
受戒がなされないのほ、南都
戒
であって
、その限りに
捲
いてほ、法然が
血泳
相承した天台宗の円
戒
には無関
係
であるとみ
られるのである。従ってこの意味に
掩
いて、江戸中期
の海士宗の
学
蹄鍵パ鴇輔鯛鴇り帖
﹁
法
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淋ノっ我
ハ軒
利
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い
い
ぬれ
る
以前の資料であって、法然の戒律
親
は
当俺
さらに
これより進ん
87
で円戒
のそれにむけられれ
ば
ならないのである。
五
Ⅰ
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一
祈りに於ける請願と帰依
雲藤
義道
古家﹁ 祈 り﹂に関する多くの宗教学説があるが、それ の 立場 によって見解を異にしているので、その間に一貫した 通説を見出す ことは容易ではない 0 ハイラーが 所鳶論 ︵ し戎 00 汀ミ ︶の中で﹁ 所 りは宗教の中心的現象公器 "0 コ︵Ⅱ a@e 市プ a 口 o, ちのコ 宙の∼ め o-@ の @0 わ ︶で め ら る ﹂と述べていることは、神学の立場から言われたこ とであるが、 宗教学の立場においても注目せらるべきことである 0 宗教意識の存 するところに必ず斬りの現象があらわれると言われる が 、この場合 所 りとは宗教意識が何らかの動作となって現れたもの と 解すべ き で あろ 5 。 ところでその動作と言っても里に身体的行馬又は言語 と 解する 見 方と 、宗教意識の内面における心的傾向としての渇仰 ︵卜 しヴ 。 田缶 コ内︶ の 態度や帰依︵ま
桂島 ぎ ︶の 、 り情をも含めて演義に解す る 見方とがあ る 。前者は主として宗教の儀 祀的 側面に重ぎを置く見 解 であって 、 宗教 儀 祀の研究分野においてか ムる 研究態度が重んぜ られることは 当然であるが、斬りの本質を理解するためにはか ムる 見解のみでは 充分とは云われない。 これに反しで演義の見解は 、 祈りにおける宗教意識の 内面的な 勧 頗るⅠしの用
受れ
の と とて年譜取ら
意思かい義の
らの 識わ「るか
内れ宗
Ⅰ 74
-@
, 曲 ・ J ニ つ ・ @@@ア
"" ""研 ・ 究
報告
が 発生すると
一
一
%
ず斬
りの原初的形態において請願の意識が如何に働
いているか
ほ
ついて考えて見たい
0
プれ
l ザ
l
︵ 田
Q.
甲斡泣
∼︶
肘
呪術詮を主張
して宗教起源論に新しい問題を提供して攻衆、ハ
l ト
ラソド
︵㏄
出宵持甘
& ︶の
詮と
共に、呪術先行論の立場をとったので
、呪術と宗教
との関係がそのま
ム 呪文と所
高
との関係にも適用され
﹁呪文より
所 *
宙へ
﹂︵
申 。 呂
m 耳目︵
o づ ra
Ⅱ 宵
︶という事が・一般に認め
られていた。
ブレ
l ザ
l は﹁呪文の失望し︵
よ
憾
め
@ro
市日
轟ざ
︶から
宗教が発生す
しかしその後、人類学や宗教学の発達によって宗教的
対象が人格
的な対象のみでないことが明らかにされ、宗教と呪術
との関係も
自由な任意の形式をとることが出来るが、呪文は常に
一定した形式
るので、両者の相異が認められるのはそれぞれの心理
的 態度にある
と 思われる。
ゴ
要る表の宗あ
い べにり原動のすてな
呪175
ぽ,
…
ヰ
@-
㌧
られている
所
りにほ全く請願的な欲求は含まれていな
い 。そこに
謂
願の意識とは全く別な宗教意識の働いていることを
認
めなけれ
ばな
らない。勿論感謝の所りにほ
た蟹
、請願の結果得られ
た 物質的な利
谷や効果に対
サる
感謝もあるが、感謝の所りの本質は
霊的な
禧計
、
無限なものと感得され、人間の罪悪性が反省目覚され
るとき、
所り
︵ エ
︶
ヨ
・ ツ 目のの
- 目の
づ pH
ぃ毎
@6n0
構は比
㌔。兎口もの
サめ :
あづ
・も
塞
︵
2
︶
陣審吉
0q.
目ぷ乱
mse
Ⅰ ナ ︵︶ほの
田庄
-0 臣
0 づ す
ざ音す
日出
而 @0
タ ・七も
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Ⅱ
@b
印
︵
M
︶
荻
者、
かレ糠也艶
地中世。
航
接着
斗呼
面訴
レか也
。
甘
肴台
レ
かキレ祷也
。
卸
, 疾暉かレ軒也
。︵修験道
疏
養三、五六八
頁
︶
利
俺の﹁いのるしの語源も﹁
斎
宣る﹂である
0
︵大言海
( ( ( (
(
8 7 6
5@4
) ) ) )
)
る檸
八
接幅 @0 せ
臼下
・ か帝 ・口口
176
""' "' 。
4
㌢
i
大聞知篤二
死者を祭る所である。それに反して、両墓制と呼ぶの
は
、遺骸な
葬
つた
墓を比較的短期間に
5
ち
棄
てて、以後その死者を
祭るための
墓
を別地
に設ける墓制である。昭和十一年に私が初めて
円 両墓制の脊
科ヒ︵山村生活調査第二画報告書︶を発表した時、
僅
か
十三箇所の
事例しか知らなかつた。昭和十九年に円増補両墓制の
資料
臼
︵ 家と
在
までに報告は逐次増加して、約七十箇所に達した。
ここにそれら
を
通観して、両墓制の特質を指摘し、二三の結論もし
くは推論を述
べ
、また疑問の諸点をあげて、
御
教示にあ
づ
かりたい
と
思ふ。
両墓制には、
死潮を
忌避する観念、またそれに関聯
し
て
、死体を
放棄して早く忘却に委ねようとする観念が認められる
0
そしてかか
る
観念こそ、両墓制を発生せしめ且つ維持し
き
たった
根本的原因に
属するとみなし得るものであり、その観念は次ぎの
如
ぎ
種々の形式
を
以で其体化してゐる。
第一に、
両
墓の所在地点が問題になる。大部分の事例
に捲
いて、
死体を埋めた基部
ら
第一次墓地は山林、谷の奥、浜辺
など、部落
もしくは家から比較的濃い地点に位置し、そして死者
を
祭る
墓即
研究報告
両基
制は
ついて
177
宝 ・ タ ・・ @,-
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さ
4
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廿ド甘 ".""""'t""@ イ ""."--,""., Ⅰ"
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㍉
。諸げ
異
を
しく 二重葬 骨を 洗 示して れたと 両墓制 極めて ふ もの 指摘し、五
し ろ。
60
こ 地を意 ラム カ とさへ バ サ メ 都大海るが、
死体を力、
なる称す
制の 介し るる解を示でたっ
す必唆あ
。
遣
れら抹
す
ジョ呵秀
・姦
恵
Ⅰ 78
鐸
。 、, ﹂・・ , ﹂・・ ,、 ・ ,研究報告
今日両墓制法次第に消波する傾向にある。その根本的 原因は 、死 織を忌避する観念が薄らぎ、 謂 ほぼ 苑 休を棄て去るに 忍び ぬ といふ 気持が強まり、そして遺骸埋葬の地を以てその死者を 祭る地とする 習 ほしが普及したことによる 0 火葬の採用といふこと もまた、両基 制を崩壊せしめる一つの原因である。とにかく現在で は 。両墓制の 拙 にあっても、第一次墓地に参る期間が一般に氷びく 傾向を示し、 またそこに石碑を立て始めたといふ例が珍しくほない 最後に両墓制の分布について述べる。今日まで得られ た 資料に ょ つて判断すると、近畿及びその周辺の地に分布が最も 密 であり、 こ とに丹波や淡路島に事例が多い。それより東は東海道 の諸 欺を点々 として、関東の各 麻 にかなり多く、北限は茨城懸から 福島 怒 海岸部 であり、東北五豚からは 未 だ一つの事例も報告されて みない。近畿 以西では、山陰山陽の所 ヰ から、飛んで対馬に及び、 瀬戸内では 東 部 の 島 々、 四國 でも東の二 % だけから比較的多くの事例 が 報告され、 そして九州本土からは一例も確実な報告がない。この よ う に近畿に 密 で、東北と西南に薄いといふことは、里に採集がお くれてゐる た めではなく、その根本的原因について種々の推論も可 能 であるが、 ここではその事実を指摘するにとどめて、私の報告を 終へる。 179宗教本質論に関してへレニズム・
ヘブライズム
及ブデバズム
河合
陵明
人文古今の大問題は哲学と宗教・知識と信仰の問題で ある 0 面 て 西洋文化はへレニズム とへ プライズムとによって宇宙 と 神とを担当 するも 、 共に一面にのみ 跣跨 して、哲学と宗教、合理 と 非合理は全 く 分裂し 、 人と 神 とは永久に隔絶して居る。他面、東 洋文化の最 た る 印度思想を見るに、某はイ
籠り思想を発展せしめた 口耳 乱め ad 哲 単 に於て め rah ヨ甲舘昆 占守 ち日 梵我一如を高調する も、 然もその 梵の観念に於て創造の原理と救済の原理とは全く混乱 され、 即 ち字 富本体と人格神とは全く 雑躁 せられて居る。併もそれ は 後のめす 巨 の 竃もめ ロ ︵ 勒 乃至 づ絃卸 まり学派等に至るまで一貫してこ の 深刻なる 混 乱を脱却して居ない。さら ぼ 西洋文化は分裂、東洋文 化は混乱とい わるべぎであろ 5 か 。否、西洋文化にあっても所謂 形 面上学的第一 原理とか内在的世界 霊 ともい 5 べき宇宙本体はやがて 途 に神とせら ね 、かくて藪にも本体と何とは既に混乱せられて居る 0 グロチ ノス の 一者、乃至へしゲルの絶対精神、就中現代日本の西 田 哲学にお け る ﹁場所的論理と宗教的世界観﹂はその絶好代表たり 。朋之キリス ト 教に所謂世界創造者と世界支配者なる唯一神は、 某 が 何等の眞 理 の 根拠なくして宇宙の外に孤立超越する独断碑なる 点 に 於て、かの 一・一戸 。
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ヰ
@
宇宙的人格
神
たる
梵
とほ全く異るにも
拘
ちず、然も創
浩者
と支配者
なる二管概念に於て
、
実には非人格的本体性と完全人
格的
恩寵
神
と
を
混乱せるものなる点は異ならず。就中アリストテレ
スと
アウグス
チヌス
とを結合せるト
@マス神学は最も甚だし
0
波多
野
宗教哲学
亦
然り。更に東洋文化の主流たる
佛教に
於ても、
華密譚
浮
等々悉く
眞
如と佛陀
、法性と本
佛
とを混乱し、法身常律
と報礁鰯
本
との大問題
を解決せず。かくて人文思想の大分野
は
殆ど悉く分裂
か
混乱に陥
の外
なし
0
彼等は凡て未だその
惑
源を知らず。
さて今や東西文化を綜合並置して来りてその解決如何
0
云く
印度
哲学的
梵
、沓人文の大牢
を覆
5%観念の混乱に対してほ
、そこに厳然
たる
浄
腓を教え、以て﹁碑の毛
目目耳ぎ
︵宇宙本体︶
と
戸田山
ト 曲り曲
︵人格神︶﹂とのレロ
田
江守を示し、更に西洋文化的分裂
そこに円融至極なる
互
其の妙理を教え、似て叡智の愛
と
不可抗なる
︵ 即
ち哲学と宗教︶
との
㏄
遣
きの
d@
ガを
示す。
而て
この五具的善
別の間にその媒介原理として入来たる所のものが即ち
かの梵我一如
的なる
我
1人間
|心
なるを知れ。佛も媒介者とは実は
大問題を藏
す、
何となれ
ば
其こそ長根本的に宇宙剣法原理たり、
而
てその発展
形式を困
果
と称する。勿論創造とは本有の受用を意味
す
。本有の
必 三目り
目
ぎなくしてほ何等の創造なし。
而て
我が己心
一念の自由意
志は宇宙法界の創造作用として
ノヱ
シス面をなし、
已
心
に内在する
無作本有の眞
如
本体はその創造内容として
ノニマ
面を
なし、鼓に迷
悟
る
一貫して大乗実相論的業感縁起論が成立つ。而も
宇宙生命の絶
了一
180
OOOO
かくて万有の根本動向は一大軌範として
従迷
至情とい
5目的論をな
し
、一実講
ぬ
発展をなす
に
至る。さらば媒介者とは実に本体より祀への必須の
通路・架橋・
体験・認識・実践原理・自覚・自証・
自
受用原理をなし
、 以て宇宙
根
鵬
より耐の王座に達する者となるに至る。此に於てか
東西の全人文
を
練木口
し末
って宇宙本体と我と
祀
とは実在の根
抵と渦
程
と完成とい
@0
必須的三段階をなし、これを
体
・
宗
・用の三玄義
と
い亙
、
而て体
・用は合して一大城
諦
、宗は道諦とい
5ものとなる。
従ってこの由木
玄
・道諦とい
5実在発展の
0 盛りコ目
0 口中呂のめ。
q 。︶
目艮を
ま
ののの
品臼ヰめ
︵ - ∼音に規定して観心哲学とい
ム、
以て三
軌郎
至妙の
一
大僻業
却
十乗観法となし、之を入,実相
- 門即ち
質
実在
界
に入るの
大
形而上学プラス認識論プラス実践哲学となす。故にそ
の勇
頭ま
づ詔
識の対象、実践の目的・体験の規模と内容たる法界の
実相を提挙し
て
之を観不思議
境
一念三千とい
ム
、全実在を拉し
爽つ
て論
己心中坊
行法門という
0
その要諦ぼこの神秘曲直観
界
に対して
一心三観を修
するにあり、
云く従奉
入室とはこれ﹁一切現実の山口
@ 串
Ⅰ 后甘
探究
法
﹂
として哲学
問
、吹で
従
空大阪とほ﹁
塊已ら桶
ぎの
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として道徳間、
但ヰ
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宕の里
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のなる宗教
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践
としての大道徳間、更に入中正
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日
倖め笘笘
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﹂と
して宗教門、けだし神とはの
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Ⅰ 目
ぎと山王
宙片ま
串の
レコり由
︵ おと
㏄甘口
臼笘守
﹂なる
神学原理にし
哲学を以てする
0
二にほこの神と我との関係を求めて
﹁全能者に
於
て 安当する所のものが一人間に於て妥当する︵有罪者
に 於ても妥当
OOO
する
ピ
なる人間学原理を以てし、これ観心木曾・
本
国本条,当体
蓮華の教学である
0
而てヨ
には長根本的に我と宇宙
と
の 関係を尋ね
OOO
て
﹁己心本有の自受用しなる宇宙論原理を以てし、
こ れ理具
反掌
具
共に全
き
一念三千の法門である。併もこれ天台が法華
経渉水二門に
亘
りての衆生と
佛陀
、固体
と 果体の各々
休廣
・位高・
周長論を
、更
に 百尺竿頭一歩を進めて日蓮教学に開
鮪
したるもの
也
、あ
上古道
照
。
顔色
-
かくして総ての人間が
祀と
成り得、神とは実に人問
よ
り 成れる者
なり。
某
始は入間の全体を以て始まり
其
終は神の全体
を 以て終る。
致
に人間革命のみならで
紳 革命
サら
同時に闘さる。
そ
ほルッタ
Ⅰ
の
此に非ずキリストの此に非ず、唯我が大聖釈尊の佛
教
に 於てのみ
此
本佛教は
、今や木樋実在・観心本尊・一念三千といち
大有神論・
OO
大
有我論
OO
・大感礁の理法とい
十世紀。。
5-
一
︵以後︶の法華
縄梯
教
により
てこそ
成途
げられざるべからず
士
祀國
の 民ょ
、由来哲学にして宗教に
達
せさるは哲学の
恥厚也
、 云
く 未熟、
亦 宗教にして哲学に基かざる
ほ 宗教の恥辱
也
、云く
独断。
而も西洋文化は此恥辱を免る
ム 能わず。
又 東洋文化の
大多数も亦
然
000000
り 。されど見よ
唯 我が大聖釈尊の佛数の正統たる妙法
開額
教学のみ
一四 が此 人文万古の大問題を解決する。併も此大宗教が 全 世界中 唯 我が 祀國 日本にのみ厳存し、其が途に 國 境を越えて全人類 救済の最後の 霊光となるに至らん時、お 曳其時 始めて 此 敗戦 祀國の 日本人が今日 の 屈辱を一挙に解消し、剰へ全人類の大指導者として 正に﹁日は東 より出でて西を照 す、
佛法 必ず東土の日本より出づ べ ぎ也 ﹂とい 5 意味深長なる聖者の予言を、光輝 燦 として人類史上に、
否 、大法界 の 絶対歴史に 額 現実証しゆくに至るであろ 5。
182簗
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。 """ナーンキャ︵数論︶学派の
ダ 々
︵ 徳 ︶に就いて
サ i ンキャ,カ
l リカ
l ︵数論
頚 ︶を中心とする所謂
古典
サ T ン
ットダ
、ラジャス、タマスの三者を意味し
、 此の三者
が プラクリテ
ィ ︵自性︶の内容を構成しつ
ム 万有を展開する。プラ
クリテⅡは
一
名ア ギャ
クタ
︵ 非 顕現︶とも
称 ぼれ現象の背後に実在
するものであ
るから、従って
グナ も 亦其
れ目体は現象の底に在る
原 理 と考へ
ね ば
ならぬ
0 然し一度眼
な カ @
リ カュ
以前の
サ T ンキャ
的 文献に
鱒 ずる
と 、事情は相当に異
る 。 先づ
﹁ グナ
﹂なる語の用例
は 極めて多岐で
あって必ずしも
サクトダ
、ラジャス、タマスの三者を
意味しない。
研究報告
て音
男驚ミ
巻ミ
,る
。
ご釜舌
鱗芽 窩て
る。
差患締
なぎ 菅ぎ
ュる境ッは
0
るる 0ェ ㏄
尹
の
囲ひ一指なの
般ト出産に
想ヱ刀心
一よⅠ ノ ナは ﹁五大の グナ ﹂であり、又五官の働きは根の グナ であり、 喜 、 怒 、 迷等は 夫々 サソトブ 、ラジャズ、タマスの グナ であり、或は マナス︵ 意 ︶はサ ブトダ の グナ であり、サット ダ、ラ ジャス、タマ トマ ソ は更にパラマ l トマ ソ の グナ であるとも言はれ スは ジー ダ の グナ であり、ジ l ダ は ア Ⅰトマンの グナ であり、 ア| てゐる 0 サ l ソキャ 思想は特に此等の関係を個体の奥に 向 つて追求 したから、 几 そ 個体に現はれる作用、属性と考へられるものを一切 ね汰し 、 某等 の 根元なる実在を求めたのである。然しひたすら此の 方向に 溥進す る 時は 、 此の蓮動の完結の保証を何処に求むべ きか文 当然問題にな らざるを得ない。 即 ち常に淘汰不徹底の不安に悩まさ
れねばなら
ね 。﹁ グナ は破壊されても土忌することはない。 歩 く とも土忌した といふ︵証拠︶を現実に見届けることは出来ない。 そ の ︵ グナ の 存 続 ︶といふことは超感覚的な事柄であって、比量に ょ って推知され るのである 0 と、或る人々は信じてゐるが、久一派 の 人々は土忌 を 確信してゐる。入は両者を考量して自分の考へに依 っ て 判断すべ き である 0 ﹂︵ 串 0 下田 す 片思い お A.S |ぎ ・ etc ︶といふ 様 な 章句は グナ の 完全な淘汰といふことが種々に検討された痕跡を示 してゐる。 そ こで此の問題に理論的な結末を付ける窟にぼ、グナ と プルシャとを 初めから本質的に興ったものとして立てれ ば ならぬ。 即ち自ら一切 のグナ を展開し 又 此等を自己の内に収めるといふ 古 レ ア @ トマン 的な思想を排して、グナを 創拮寸る 原理と究極の解 駐 の 当体とを 峻 則 する必要が生ずる。此が前述のサット ダ 、クシュⅠ トラジュニャ 0 区別 智 であり、その 儲 古典サ l ンキャに於ける ブ ル シヤ、プラクⅠ 84
ヴテ Ⅱの区別 智 ︵ づ ︵ 40 片や す勒暴 ︶であって 、サ Ⅰ ンキ ャ 学説の根幹 を成サ ものである。古典サ l ソキャ のプラクリティ は 常住な実在で あるから、 里 純に無常を棄てふ常住に帰するだけの 趣 旨 なら ぼ、別 にグ ルシャを必要としないわげであるが、然しプラク リテ,ほ 常に 無常なる現象に展開する可能性を有するが故に、 独存 のブ ルジャが 要請せられるのである。此の様にしてプルシャは一切 のグナ 的なも を 産み出すものでもない。 従うて ブラ クり ティの万有 のに対する絶縁体となったが、 亦 現象を離れ切って し 展開は却・ 三 ま へぼ体系が 成立しないから、両者を繋ぐ何等かの関係が無けれ ば ならぬ。即ち それが所謂﹁話者﹂︵ mwF は巨 ︶の詮であり・古くは クシ ヱ @ トラに 対 するクシュ @ トラ,﹁ジュニャ﹂、古典サ l ンキャに 於 ナし はチエ l ク カ ナ、アチヱ @ タナ ︵ 知 、無知︶として説かれるもので ある。比を グ ナに 即して見れ ば 、古典サ @ ンキャの三徳は一 % ブラ クリテⅡの グ ナと 見られるけれども、実質的にはプラクリティその ものの構成典 素 であって、プラクリティは三徳の上に在るものでも なく、文三徳 徳 の 轄変 ︵ 塔偲 ・ モ n@ ゆ りき雙 ︶である。此の関係は恰も﹁ グナ ﹂の古義 である 撚称 とそれを織り成す個々の 魅筋 との関係に復 したものであ つて、古典 サ Ⅰ ソキャ 体系の極めて巧妙な点である。 一般にそれ 以 前の用例の如く、グナがより高次な何等かの存在を予 恕 する時は同 じ 論理を域 て 無限の廻轄を免れず、 又 現象を個々の グ ナの里 なる 集 積 と見る時は解腕に際して此等 グナ の帰趨に難点が存 するからであ る 。 鱒 変説を合狭した古典サ l ソキャ の三徳は ブ ル ジ ャに 対して 謂 ほセ 不即不離の関係を保た 5 とするものであって 、此 の 意味に於て
研究報告
資
曲集 に題似
神会説諫
然でのつ
俊一
七 料 サ 天狗 と 上あ サ の
索の
@
つ め Ⅰ ヴP@
ノ す ンキぬ
l
成であ泥
する したこ 笠 し る。
ンキl
就的 いの的
余述キ
跡は 近 詰 お 地ベ ャ を 常 す り でがたの示に
る で いお吹三しグ
にもり肚
ある。
ハ ㏄Ⅰる。
第であ至った
徳論は、必ず
の海 ナる其し
汰 のそ田、 @ く
れ枚
蚊
暦有。
等の結 も三館 を中心 も方当 185礒
'
婬
"
。@ 下メ﹂ くワ
Ⅰ
こ つ ⅡⅡヨ,
々勝
弁理
つ唯の考
・なすわかな説を
想 し 眞186
世親の唯識
説は
ついて