第1章 問題の提起と分析
第5節 生物学的要因(脳の障害)-最も主流の考え方-
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る。摂食障害は、これらの神経回路網が何らかの形で障害されるものと考えられる。生物 学的要因は以下の三つである遺伝素因 predisposing factors、発症要因 precipitating factors、持続要因または慢性化要因 perpetuating factors に分けられる。
(1) 遺伝素因 predisposing factors
AN は二卵性双生児に比較して、一卵性双生児に一致率が高いことや、米国では兄弟発症 例や家族内発症例が多いことが報告され、摂食障害の遺伝的側面が注目されている。
カイら(Kaye,W.H.,et el.,1998)は、摂食障害とセロトニン系の機能異常は密接に関連し ていることを提唱した。セロトニンは食欲調節、性行動、ストレス反応において重要な役 割を担っており、これらには性差が見られ、AN も男性より女性に多い。さらに、5‐HT2A
受容体遺伝子の発現がエストロゲン(卵胞ホルモン、女性ホルモン)によって調整されて いるという報告があり、5‐HT2A受容体遺伝子が AN の病因に関連しているのではないかと の仮説が立てられている。
(2) 発症要因 precipitating factors としての神経内分泌学的異常
AN や BN などの摂食障害において、視床下部-下垂体系の機能異常を生じることはよく知 られている。AN 患者の性心理発達は未熟で無月経は必発症状の一つとされる。そして一部 の患者は摂食行動異常により痩せをきたす以前に無月経を生じることから、この発症機序 を明らかにすることは AN の病因解明につながるのではないかと多くの研究がなされてきた 歴史的経緯がある。視床下部-下垂体-甲状腺系や副腎皮質系の機能異常については、う つ病においても同様の異常を生じ、摂食障害のうつ病仮説の一つの根拠と考えられた時期 もあり、多くの研究がなされてきた。切池(1999)は、このように摂食障害において、視床 下部-下垂体系の機能異常を明らかにすることは、摂食障害の病因や発症機序を明らかに する上で重要であると述べている。
(3) 慢性化要因 perpetuating factors としての脳の変化
摂食障害患者において、種々の身体合併症を生じることはよく知られている。これらの うち、低栄養や低体重による脳の形態学的、機能的変化が、摂食障害の持続、慢性化に大 きく関与している慢性化要因の一つとして考えられる。切池(1998)は、医療検査器具ごと に以下のような脳の変化を捉えることができるとしている。
① CT
AN 患者では、痩せや低栄養状態により、頭部 CT 上脳委縮像を呈し、認知面において注意 集中力、反応時間、認知スピードが低下することが知られている。剖検でも脳委縮と浮腫、
組織学的には大脳皮質グリア細胞の増殖、神経細胞の委縮、変性、脱落などが報告されて いる。そして大部分の症例では栄養状態の改善と体重の正常化により頭部 CT 上脳委縮像は 改善するが、一部の症例においては脳委縮像が持続すると言われている。
② MRI
AN 患者の治療前には側脳室と脳溝の拡大が見られ、体重増加後に改善するが完全ではな く、低体重が認知機能低下や脳室の拡大と関連していることや、低体重児の AN 患者の脳脊
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髄容積が増大し、灰白質と白質体積が減少し、体重増加後には正常化すること、総脳室容 積は BMI と負の相関を示すことなどが報告されている。しかし、ラムら(Lambe,E.K.,et el.,1997)は、最低 1 年以上体重が回復している AN 患者 12 例に MRI を施行し、その結果を 13 人の低体重の AN 患者と 17 人の健常女性の結果と比較した。体重が回復している AN 患者 群では低体重の患者群に比し、脳脊髄液容積が減少し、灰白質と白質の体積が増大してい るが、健常女性と比較すると、なお脳脊髄液容積が大きく、灰白質容積が小さいことを認 めた。これらの結果から AN 患者が体重を回復しても灰白質体積の減少が持続し、これによ り認知機能の低下が持続するものと考えられている。
③ PET
AN 患者の休息時に尾状核のグルコース代謝は亢進しているが、BN 患者においては正常で ある。一方、抑うつ症状を呈する BN 患者においては脳グルコース代謝に左右差があること が報告されている。
また AN 患者の低体重時に頭頂部と上前頭皮質の代謝低下と尾状核と下前頭皮質において 代謝亢進が認められ、体重増加に伴い概ね正常化するが、頭頂部の代謝低下傾向と下前頭 皮質に亢進傾向が持続したと報告されている。
2 厚 生 労 働 省 神経疾患研究委託 摂食障害研究班 の 研 究
2001(平成 13)年度厚生労働省精神・神経疾患研究委託 摂食障害の治療状況・予後等に関 する調査研究より抜粋して、生物学的要因に関するものを列挙する。基礎研究では、摂食・
エネルギー代謝調節関連分子あるいは受容体の遺伝子改変動物を用いて、AN の成因と病態 に関する摂食・エネルギー代謝調節の分子機構と AN における主要な中枢性神経伝達分子の 病態生理的意義が検討された。臨床研究では、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)や近赤外線 スペクトロスコピーなどの方法論が新たに導入され、摂食障害の病態が解析された。
(1) 摂食障害の成因・病態に関する研究
骨格筋アミノ酸代謝の主要な制御因子として FOXO1 の機能的意義が検証された。妊娠中 の摂取カロリー制限を行った母ラットからの出生時低体重ラットを用いて、痩せた女性や AN 女性が妊娠中は胎児を良好な栄養状態に維持することが重要であることを証明した。グ レリンの欠損マウスを用いて、絶食時の体温やエネルギー保持におけるグレリンの機能的 意義を明らかにした。中枢性ヒスタミンが飢餓誘発性の体温低下作用に対して拮抗するこ と、高次脳の責任神経核として扁桃体に作用して飢餓状態の体温維持作用を有することを 証明した。レプチン欠乏により過食を呈する脂肪委縮症患者を対象として fMRI による脳神 経活動測定の意義を検証した。重症の AN 患者の低栄養状態からの回復過程は脂肪合成より も除脂肪合成が優位であり、痩せが進行しても安静時代謝量は正常に近いこと、過食行動 を示す患者では、過食期に糖質や脂質が吸収され、糖質から合成が可能な脂肪酸の一部は 上昇することが明らかになった。ラットを用いてグレリンと GLP-1 の同時投与あるいは単 独投与の効果を明らかにした。MRI による検討により、AN 患者群で前頭前野、頭頂連合野、
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帯状回において特に、左側視床枕が体積低下した領域として同定した。本症患者の 50%が ビタミン D 摂取不足であり、43%がビタミン k 摂取不足であることが明らかになり、これ らのビタミン補充療法の有効性が証明された。
(2) 専門的・学術的観点からの成果
飢餓と過食に対する生体反応の解明、妊娠中の栄養状態とストレス過剰反応の解明、グ レリンの自律神経制御作用の解明、情動異常とエネルギー代謝調節の解明、食欲制御に関 与する脳神経活動領域の同定、低栄養状態における有効な栄養療法の確立、消化管ホルモ ンの早期治療効果判定法の確立、AN の神経画像解析、骨粗鬆症の薬物療法の確立、小児期 の実態調査と病態解明により中枢性摂食異常症の成因と病態の理解に貢献した。
脳医科学の飛躍的進歩により、今後生物学的要因における調査研究での成果が最も期待 されている分野であることは言うまでもない。
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