第Ⅴ章 骨粗鬆症の治療
A. 治療の目的と薬物治療開始基準
a. 骨粗鬆症治療の全体像と治療の目的
骨粗鬆症治療の目的と骨格の健康維持との 関係は
骨粗鬆症の予防と治療の目的は骨折を予防し骨格 の健康を保って,生活機能と
QOL
を維持することで ある。骨格は骨とそれを連結する関節からなる構造体で ある。骨強度が低下し,骨折危険性が増大しただけ では,臨床症状は生じない。骨粗鬆症は合併症であ る骨折による疼痛や身体支持機能の低下,それに引 き続く運動機能障害による生活機能障害が問題であ る。さらに骨格で保護されている身体諸臓器の機能 障害も生じる。筋肉は骨に起始部と終止部を有し関 節を越えて運動に関与することから,骨格の健康は 身体の健全な形態と運動性を保障し,人間が人間ら しく生きるための必須の要素である。骨粗鬆症治療 は骨の健康維持を通じて,骨格全体の健康維持に中 心的な役割を果たす。
骨格の健康と QOL との関係は
骨格の健康とは,形態と運動機能の面で個人の身 体能力が十分に発揮される状態のことであり,QOL を維持するために不可欠である。
QOL
は身体の痛み,身体運動機能,活力,日常の身体的役割機能,精神 的役割機能,社会生活機能,全体的健康度,心の健 康など多項目の指標を総合して評価される。
骨折を有していない骨粗鬆症例でも
QOL
が有意に 低いとする報告があるが294,295),骨脆弱化のみで,骨 折を発症していない骨粗鬆症例でのQOL
低下は限定 的である。これに対して骨粗鬆症による骨折とその 結果として生じる骨格の変形などの身体障害は,痛 みだけでなく,運動機能低下,精神的負担,社会参 加や幸福感の減少などを生じ,QOLに大きく影響す る。QOLは年齢と独立して既存椎体骨折数に応じて 低下することが知られている138,296)。さらに,骨粗鬆 症による骨折の変形治癒が,疼痛とは関係なく,骨 格の障害としてQOL
を低下させることも明らかに なってきた。たとえば,Masunari ら297)が57
歳以 上101
歳未満の男女2,021
例についてQOL
の評価を 行ったところ,397例に椎体骨折を認め,1958 年以来の身長データでは,平均で男性
2.2 cm
,女性3.9 cm
の身長低下があった。そこで,QOL
に対する椎 体骨折と身長低下の影響を検討したところ,最大身 長から4 cm
以上の身長低下と椎体骨折の存在とは,どちらも独立に
QOL
の低下に関連していた。身長低 下という形態の変化が骨折による変形とは無関係にQOL
に影響することを示す事実と考えてよい。骨粗鬆症によって新たに生じた骨折の
QOL
に対す る影響が,骨折後の時間経過とともに変化すること を示すデータもある。Hagino
ら298)は,大腿骨近位 部骨折37 例,椎体骨折 35 例,橈骨骨折 50 例につい
て骨折前後のQOL
を縦断的に調査したところ,骨 折3
ヵ月後で大腿骨近位部骨折では35
%,椎体骨折 では24
%,橈骨骨折では18
%のQOL
低下があり,6
ヵ月後では,それぞれ37%, 28%, 13%の低下があっ
た。骨折後1
年でもそれぞれ36%,16%,12%の低
下があり,特に大腿骨近位部骨折によるQOL
低下は1
年後でも有意であった。骨折後のQOL
の低下が骨 折後長期に継続するという事実は,骨折後に筋骨格 系全体の機能とともに全身の機能が低下してQOL
が 阻害されていることを示唆している。骨格の健康がQOL
維持に重要な役割を果たしていることを示す証 拠である。
骨格の健康と加齢に伴い増加する全身性疾 患との関係は
加齢とともに骨格の健康を阻害する要因は増加す る。運動器疾患として骨粗鬆症,変形性関節症,変 形性脊椎症,腰部脊柱管狭窄症,頚椎症性脊髄症な どがあり,これらの運動器疾患は互いに関連・共存 してロコモティブシンドロームの原因となる。骨,
軟骨,靭帯,筋肉などの骨格を形成する組織の加齢 に伴う変性,力学的負荷による微細損傷の集積とそ れに対する生体の反応などが,局所的および全身的 に複雑に関連しているものと思われる。骨格系以外 の全身疾患および全身の代謝の変化が,加齢に伴い 骨格の健康障害を生じさせる。閉経による女性ホル モンの消退が,骨吸収を亢進させ,骨粗鬆症の誘因 の
1
つとなっている。女性ホルモンの減少が関節痛第Ⅴ章 骨粗鬆症の治療
の誘因となっているという指摘も古くからあり299), 最近では,乳癌の症例において女性ホルモンの合成 を阻害するアロマターゼ阻害薬を使用することで,
関節痛の頻度が上昇する事実も示されている300,301)。 加齢に伴う女性ホルモンの減少が,骨格の健康を阻 害する方向に作用することは明らかである。
近年,糖尿病,高血圧,脂質異常症,肥満などの 生活習慣病およびこれらの病態が重層して出現する メタボリックシンドロームと,骨脆弱性との関連が 指摘されている。特に
2
型糖尿病では,骨密度は保 たれているにもかかわらず骨折リスクが上昇してい るという報告が増加している302)。また,慢性閉塞性 肺疾患(COPD),慢性腎臓病(CKD)なども,骨折 リスクを上昇させる可能性が指摘されている。これ らの加齢に伴い増加する全身性の代謝異常に起因す る疾患では,骨ミネラルの減少だけでなくコラーゲ ン代謝異常による骨基質の脆弱化が病因になってい るものと考えてよい。
骨粗鬆症治療と骨折の予防との関係は
骨粗鬆症治療は骨折の予防が目的であり,中でも 生活機能やQOL
の悪化を引き起こす大腿骨近位部 骨折,椎体骨折の予防がその中心に位置づけられる。治療の対象は骨折リスクが高い例であり,これは骨 折リスクの低減が必要であると同時に,治療効率が 良好な例であるためである。骨粗鬆症によって増大 した骨折リスクを低下させ健全な骨格を維持すると
いう目的の達成には薬物治療が中心となるが,栄養,
運動などを含め,骨強度を維持・増大させる生活習 慣を確立するとともに,転倒など骨強度低下に依存 しない骨折危険因子を回避する生活習慣をすすめる ことも必要である。
近年の薬物療法の進歩によって骨粗鬆症の骨折リ スクを低下させることが可能となり,ビスホスホネー ト,抗
RANKL
抗体薬,SERM
などの骨吸収抑制薬が,骨折リスクの増大した状態を是正することは明らか である。しかし,その効果は,あくまでも骨強度低 下の進行により増大する骨折リスクを部分的に抑制 しているにすぎない。また,転倒頻度の上昇,座位 からの起立困難,母親の骨折歴,喫煙習慣など,骨 強度との直接の関連性が明らかでない骨折危険因子 によって骨折リスクが増大した例では,骨吸収抑制 薬は骨折抑制効果を発揮していない303)。骨形成促進 薬も骨折リスク低減をもたらすが,使用期間に制限 があるため長期的な治療効果を得ることはできない。
したがって現状の骨粗鬆症治療薬に期待できる効果 の限界,すなわち「骨粗鬆症の薬物治療は,あくま でも,骨強度の低下により骨折リスクが増大してい ることが明らかな例において,そのリスクをせいぜ い
3
〜5
割低下させるにすぎない」ことを理解する ことが必要である。それに加え,わが国では骨折リ スクが高い大腿骨近位部骨折例に対する薬物療法の 実施率は20
%に満たないのが現状であり304),その 改善が喫緊の課題である。56
第Ⅴ章 骨粗鬆症の治療
A. 治療の目的と薬物治療開始基準
b. 骨粗鬆症における骨折
( 1 )大腿骨近位部骨折
大腿骨近位部骨折にはどのような骨折が含 まれるか
大腿骨近位部骨折とは通常,高齢者の
hip fracture
を意味しており,大腿骨近位部の骨折(fractures of theproximal part of the femur)とは異なっている。高齢者
に発生する大腿骨近位部骨折に含まれる骨折には,近位 より,大腿骨頭軟骨下骨折(subchondral insufficiencyfracture of the femoral head)大腿骨頚部骨折(femoral nech fracture), 大 腿 骨 頚 基 部 骨 折(basal neck fracture
),大腿骨転子部骨折(trochanteric fracture
) 大腿骨転子下骨折,(subtrochanteric fracture)となる。骨折の部位によって手術適応や手術法が異なること,
また,予後が大きく異なることなどのため,骨折自体の 治療という観点では骨頭軟骨下骨折,頚部骨折,頚基 部骨折,大腿骨転子部骨折,転子下骨折を明確に分け る必要があると報告されている。しかし,骨頭軟骨下骨 折はきわめて稀であること,頚基部骨折は診断が難しい ため,頚部骨折あるいは転子部骨折のいずれかに含まれ て分類されることが多いこと,転子部骨折と転子下骨折 の区別は明確でなく,同一症例が転子部骨折に分類さ れたり転子下骨折に分類されたりすることなどのため,疫 学的な調査では,大腿骨近位部骨折を頚部骨折と転子 部骨折と大きく2つに分けて報告されることが多いのが 現状である305,306)。
大腿骨近位部骨折はどのように評価するか
(診断はどのように行うか)
大腿骨近位部骨折のほとんどは転倒により発生する。
まれに転倒歴がなく疲労骨折として発生することがある。
最近徐々に増加しているのは,寝たきり患者の介護の際 発生する「おむつ交換骨折」である。
大腿骨近位部骨折が疑われた場合は股関節のエック ス線前後像と軸写像の
2
方向を撮影する。大腿骨頚部 には前捻が存在するため,大腿骨頚部の正前後像を得 るには軽度の内旋位で撮影する必要がある。次のCQ
で 述べるごとく,骨折があると股関節は外旋していることが 多く内旋すると疼痛があるため,正確な2
方向撮影をす ることは困難が伴う。それでも正しい診断には正確な撮 影が欠かせない。エックス線で診断ができない骨折を不顕性骨折(occult fracture)と呼ぶ。大腿骨近位部骨 折のうち頚部骨折は不顕性骨折であっても正確に診断す る必要がある。不顕性骨折の診断には
MRI
あるいは骨 シンチグラフィが必要であるが,骨シンチグラフィ発症後72
時間経過しないと診断できない305,306)。大腿骨近位部骨折の臨床症状はどのような ものか
大腿骨頭軟骨下骨折では歩行時の疼痛を訴える。こ れ以外のほとんどの大腿骨近位部骨折は,「転倒し股関 節部の強い疼痛があり歩行できなくなった」と訴える。股 関節には圧痛があり,自動運動を行うことはできないこと が多い。股関節は外旋位をとることが多い。症例によっ ては屈曲位をとることもある。他動的に動かすと強い疼痛 がある。しかし,不完全骨折では疼痛はあるものの歩行 できる場合もある。その場合でも圧痛は存在し,他動的 な運動特に内旋を強制すると疼痛を訴える。歩行できるこ とが大腿骨近位部骨折を否定することにはならない306)。
大腿骨近位部骨折の治療はどのようなものか
● 大腿骨頭軟骨下骨折
杖使用を勧めるなど荷重歩行を制限して経過観察を行 う。疼痛が持続する場合は,人工骨頭置換術や人工股 関節全置換術などの手術を勧める。テリパラチドが有効と する報告があるが,高いエビデンスのある報告ではない。
●大腿骨頚部骨折
原則として保存療法の適応はない。転位の小さな骨折
(Garden stageⅠ,Ⅱ):非転位型は骨癒合を目的に内 固定することが勧められ,転位の大きな骨折(
Garden
stage
Ⅲ,Ⅳ):転位型では比較的若い症例では内固定することもあるが,多くは人工骨頭置換術が行われて いる。エックス線像で診断できない不顕性骨折(occult
fracture
)でも内固定するのがよい。C-CHSR
(cannulated cancellous hip screw
)などと呼ばれる中腔スクリュー を経皮的あるいは小切開で3
本刺入する方法,ハンソ ンピンR
を2
本刺入する方法,CHS(compression hipscrew
)を使用する方法などがある。術後リハビリは,内固定術では術後しばらくは荷重制限することが多く,人