第6章 総合考察
6.3 本研究の限界と今後の課題
前項では本研究の目的に立ち返って、本研究の教育実践上の意義及び理論上の意義につ いてのべた。ただし、本研究には研究の計画上やむを得なかったものの、数多くの限界があ った。そうした限界についてここで振り返り、今後の課題を提示する。
まず、データ収集にあたり、PWD-J、PWD-E、及びPWD-TLの順番をランダマイズでき なかった点が挙げられる。このため、PWD-Jよりも PWD-E、そしてPWD-Eよりも PWD-TLの方が参加者の経験が増えていったという懸念がある。ただし、これらの学習者はすで にこのタイプの作文課題になじんでおり、初回の時点ですでに十分な経験を積んだもので あったことで、この懸念はある程度解消されていると考えた。
また、こうした研究では常に悩まされる点であるが、作文課題の難易度が一定であると言 い切ることができないことも挙げられる。今回のデータ収集ではその課題を克服するため、
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複数の課題の中から書きやすいものを選んでもらう方法をとったが、それでもなお、学生た ちの感想からは、「あの課題は難しかった」というようなコメントがいくつも出た。課題の 難易度ばかりでなく、学生たちのコンディションやモチベーションが一定であるとは限ら ない、という問題もある。理想的にはこうした問題の解決のため、それぞれの条件下での作 文について、複数の課題に取り組んでもらうことが考えられるが、データ収集の時間的制約 上難しいことが予想される。
もう一点、本研究の結果を一般化するうえで留意すべき点がある。それは、本研究の参加 者たちが、一般的な教室に見られる学習者たちに比して極めて意欲的に、集中してそれぞれ の課題に取り組み、それぞれの持つ力を最大限に発揮しながらプレライティング・ディスカ ッションと作文を行ったという点である。本研究の参加者たちは、講義の空き時間を利用し て、自ら進んで本研究に参加してくれたものたちで、基本的に英語のライティング力を高め たい、という学習意欲の高い学習者たちであった。そのため、トランス・ランゲージングで のプレライティング・ディスカッションにおいても、「できる限り英語で話しつつ、必要に 応じて日本語を使用する」という指示に忠実に従い、楽をするために安易に日本語を使用す る、という場面はみられなかったし、雑談に相当するようなエピソードもほとんど見られな かった。しかし、一般的な学習環境ではそのように理想的な学習者のみがそろっているとは 限らない。理想的な学習者ばかりがいるわけではないコンテクストではトランス・ランゲー ジングの持つ力は低く出る可能性もあるし、熟議型エピソードの割合が本研究に比べて低 くなることもありうるだろう。この点は、本研究の中では浮上してこなかった、トランス・
ランゲージングを外国語教育に応用するうえでの課題と考えることができる。「必要に応じ て母語を活用する」というような、学習者の自律性を尊重する教育的アプローチにおいて、
どの程度まで教員が介入できるのか、またすべきなのか、今後考察を深める必要があるだろ う。
本研究では、トランス・ランゲージングの条件下のプレライティング・ディスカッション が、熟議的エピソードを産出しやすくまた、その活用においても学習者の英語の運用能力を 前提としないことから、教育的な意義が高い取り組みであることが示された。しかし同時に、
PWD-TL に特有にみられるタイプの非熟議型エピソードもみられるなど、単に学習者の母
語の活用を許容するだけでPWDの質が向上し、より質の高い作文の産出につながるわけで はないことも明らかになっている。今後の研究では、どのようなトランス・ランゲージング がPWDの質の向上、ひいてはより質の高い作文の産出につながるのか検討したい。
大きな手掛かりとなるのは、熟議型エピソードの中でもとりわけ構成に関わる議論の重 要性が示唆された点である。先行研究のHiggins et al.(1992)およびShi(1998)やNewmann and McDonough(2015)でも、構成に関わる議論は内容にかかわる議論に比べ圧倒的に少な いことから、これについては特別な介入が必要であることが考えられる。従って、今後の研 究では、プレライティング・ディスカッションにおいて、どのように構成に関わるエピソー ドを増やしていくか、トランス・ランゲージングがどのような機能を果たし、より質の高い
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L2 作文の産出に貢献するのか、そして効果的なトランス・ランゲージングの活用法を明示 的に指導することは可能なのか、可能であるとすればどのようなアプローチが効果的なの か、という点について考察を深めていきたい。
この点について、今回の研究の中でそのヒントになりそうな発見があった。それは、熟議 型エピソードの中でも秀逸なものの一つとして着目した次のエピソードである。
【グループ④ PWD-J (Age Limit): エピソード15・R-O】
ターン ID 発話内容
1 4-2 なんだろなぁ、ふと…
2 4-1 これ、もしくはさ、運転免許更新ってあるでしょ、わかんないけど… 3 4-2 あぁ、今おんなじことふと思ってた
4 4-1 それを、もっと厳しくする
5 4-2 そう、年齢制限じゃなくて、なんだろう、テストとかを、
6 4-1 うん
7 4-2 もっと厳密というか難しくしちゃえば、
8 4-1 うん
9 4-2 わかるわけだから…disagreeにして
10 4-1 うん
11 4-2 年齢制限作るよりか、だって同じ60歳でもさ、まだまだいけますよっ て人と、もう危ないからって人がいるわけじゃない
12 4-1 じゃぁこれ、Noの方がいいんじゃない?
13 4-2 うんなんかNoの方が… 14 4-1 Noにする?
15 4-2 うん、Noにしよう。
このエピソードの直前まで、この二人の学習者は高齢者の運転免許に年齢制限を設ける ことに賛成の立場で議論を進めてきていた。しかしこのエピソードを経て、二人はともに反 対の立場の方が論拠を提示しやすいことに気が付き、それまでの議論をすべてひっくり返 してライティングプランを作り替えたのである。その際、それまで議論してきたことを白紙 にするのではなく、反駁すべき意見として活用していった点がとても見事で、作文終了後に 本人たちに話を聞いた。そこで彼らは、ディベートの授業で学んだ、予想される反対意見へ の反駁について意識しながらこの課題に取り組んでいたことを筆者に明かした。今後、ディ ベートの授業とライティングの授業を融合させた形の教育的介入を行いながら、その中で 効果的なトランス・ランゲージングの在り方を模索してみたいと考えている。
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謝辞
本論文の執筆にあたりまして、多くの方々にご支援とご指導をいただきました。こ こに記して心からの感謝を申し上げます。
博士課程在籍の長い間、本論文に関わる研究だけでなく、他の多くの研究を含め、
常に温かく、辛抱強く支えてくださった指導教官の河合靖先生には、言葉に尽くせないほど の感謝の気持ちでいっぱいです。研究が立ち止まった様々な局面で、先生がそっとかけてく ださる言葉に励まされてここまでの道のりを歩んでこられたと思います。研究者として、ま た教育者として、これからも先生の背中を追いかけながら進んでいきたいと思います。本当 にありがとうございました。
また、お忙しい中、副指導教員及び副査をお引き受け下さった鈴木志のぶ先生、山 田智久先生にも、研究上の手法についてたくさんのアドバイスをいただくと同時に、なかな か進まない私の研究をいつも応援して下さったこと、本当にありがたく心から御礼を申し 上げたいと思います。そのほか、北海道大学国際広報メディア研究学院の多くの先生方から、
温かい励ましの言葉をかけ続けていただきましたことも、長きにわたる博士論文執筆の 日々の大きな支えとなりました。
My gratitude is extended to those who participated in my study, too. I was very grateful at the time when so many of you voluntarily signed up for my study, but I became even more grateful while I was analysing the data, because all of the discussions and essays showed that you tried your very best. I feel extremely fortunate and honoured to have met such bright and enthusiastic students in my teaching, and I thank you deeply.
また、この博士論文を書き上げるにあたりまして、これまで研究を共にしてくださ った多くの研究者の皆様にも心より御礼を申し上げたいと思います。中でも、本論文の予備 論文の共同研究者であるトロント大学名誉教授の中島和子先生、元中部大学准教授の生田 裕子先生、北星学園大学准教授のHaidee Thomson先生、ブルックリン日本語学園名誉学 園長の中野友子先生、元トロント補習授業校教諭の福川美沙先生にはここに記してお礼を 申し上げます。
I owe special thanks to the three friends/ colleagues amongst many others, Ms.
Sarah Richmond, Dr. Makoto Mitsugi, and Ms. Mizuho Tanaka, who not only helped me analyse the data with me but also cheered me up when I had unbearably and selfishly devoted myself to my study.
最後に、父と母にも心からの感謝を述べたいと思います。カナダの地で修士論文を 書き始めたときからずっと、この博士論文を書き上げるこの日まで、研究する私のことを励 まし、支え、およそ考えうるすべてのやり方で支えてくれたことに、改めて感謝の気持ちで いっぱいです。私の研究の源は、多くの教え子たちに慕われ、尊敬された父の教育観と、愛 情深く育ててくれた母の教育観にあるものです。敬愛する父と母にこの論文を捧げ、言葉に あらわすことのできない謝意を伝えたいと思います。