第 2 章 実験手法
2.3. 放射光電子分光装置
電子分光測定チャンバは、高分解能化、極低温化、UHV 化のために、様々な工夫がなさ れている。まず、PES測定の高分解能化のためには測定チャンバ内に入り込む地磁気を軽減 する必要があり、真空チャンバ内部を1層のミューメタルシールドで覆っている。また、こ のシールドは光電子分析器のミューメタルシールドとも磁気的にしっかり接合させること で、漏えい磁場の影響を排除している。茨城県では470 mG程度の地磁気があるが、このミ ューメタルシールドによりチャンバ内の残留磁場は数ミリガウス程度に抑えられる。
本研究では、試料の温度・角度・偏光依存測定を行うため、測定試料の温度及び角度を制御 する必要がある。本装置では、アールデック社製の5軸制御型マニピュレータi-GONIOを 採用し、液体Heフロー冷却クライオスタットを用いて試料温度を11 Kまで冷却しながら、
試料の角度を 2 軸方向に制御することが可能である。試料の角度を鉛直方向及び水平方向 に任意に制御し、ポインティングベクトル周りで回転させることで、偏光ベクトルを連続的 に変化させたり、プローブ長を制御したりすることが可能となる。
UHVを実現する真空排気は、機械的排気を行うターボ分子ポンプ(TMP)を主に用いてい る。主な真空チャンバである真空排気チャンバ、試料準備チャンバ、電子分析アナライザに おいては、全てのTMPを2段の直列排気にしている。更に、真空排気チャンバには、大型 のイオンポンプとクライオポンプ、チタンサブリメーションポンプ、非蒸発型ゲッターポン プを併せて用いることによって、到達圧力として1 × 10-8 Pa(~8 × 10-11 Torr)を実現している。
イオンポンプは真空排気チャンバに最下部に取付けて測定位置からの距離を十分にとって ある。静電半球アナライザにも同様の直列に接続したTMPを取付け、電子エネルギー分析 機器内でも、10-8 Pa台のUHVを実現している。マニピュレータのローターリーフィードス ルーは差動排気型のものを用いており、小型のTMPで排気している。これらの工夫により、
測定時においても常に10-8 Pa台の圧力が実現されている。
次に試料準備チャンバ及び試料導入チャンバについてのべる。試料を測定チャンバに搬入 する度に、電子分析チャンバなどの真空チャンバを大気に曝さらしては、到達圧力が下がらない ばかりか、ゴミなどの混入でマイクロチャンネルプレート(MCP)などの繊細な部分が傷つ く可能性がある。更に、過度なベーキングは各電極の静電場にとっても良いことは無く、火 災事故の危険性も上がる。したがって、PES装置内部は常にUHVに保っておくべきである。
そのため、測定チャンバ内の真空を損なうことなく、大気から試料を移送するための試料導 入チャンバ及び移送機構が設けられている。導入チャンバと準備チャンバの間はバルブで仕
バのみを大気リークして試料ストックに入れる。本装置では、1度に5個の試料まで真空中 に入れることができる。この試料台の後端にはM4ネジがついており、搬送の際は、ロッド の先端のネジ穴に試料台をねじ込んで行う。導入チャンバの真空排気を始めてから 2 時間 程度で試料準備チャンバに搬送可能となる。
試料準備チャンバは10-8 Pa台のUHVを保っており、試料導入チャンバから搬送された 試料は速やかにレーザーMBE 装置や PES 測定チャンバへと更に搬送することが可能であ る。また、試料準備チャンバには低速電子線回折装置のほかに、試料加熱機構、Ar スパッ タ、アルカリ金属蒸着源、水素クラッカーセル、膜厚計等が取付けられており、試料の表面 清浄化や表面蒸着等の様々な測定前準備を行うことも可能である。
2.3.1.
光電子分析器光電子放出された電子の運動エネルギーを測定する装置が静電半球型電子分析アナライ ザと電子レンズであり、本装置の心臓部でもある。本装置では、VG Scienta社の高分解能PES アナライザSES2002を用いている(図2.3.1)。電子分析器システムは真空中に配置された幾 つかの電極によって構成されている。この電極に直流電圧を印加し、静電場を作ることで、
真空中を運動する電子の軌道を制御して光電子の運動エネルギーを分析する。真空中に放出 された光電子は、電子レンズによって集められアナライザの入射スリット上に集光される。
集光された電子はアナライザを通過することでエネルギーを振り分けられ検出器に到達す る。
高いエネルギー分解能を実現するためには、この静電場をいかに高精度で制御できるかが 決定的に重要である。このため、各々の電極の電位を独立した電圧印加モジュールにより制 御することで電極間の干渉を抑えている。また、各電極の内部表面はグラファイトでコーテ ィングすることで電場の均一性を保っている。更に、電極間とモジュールの全てのケーブル にシールドを施し、電磁波吸収などによるノイズを防いでいる。
電源のふらつき等による分解能の低下も考慮し、電圧系配線の整備にも注意が払われてい る。更に、固体測定の際は、試料と装置全体のアースが問題になるが、太い銅製の線をマニ ピュレータと試料チャンバに接触良く付けることにより、アースが強化されている。
静電半球型アナライザのエネルギー分解能は、半球を通過する際の電子のエネルギー(パ スエネルギー)、アナライザのスリット幅、二重半球の平均半径をそれぞれ、DE (eV)、EP (eV)、
w (mm)、R (mm)とすると、近似的に
(2.2)
で表される。したがって原理的には R を大きくすれば幾らでも高い分解能が得られるが、
余りにも大きいと半球の加工精度が問題となる。現時点ではR = 200 mmまでが経験的に最 適な大きさとして知られており、本装置ではこれを用いている。また、スリット幅を狭くす る、あるいはパスエネルギーを小さくしても高分解能が得られるが、検出される光電子強度 は減少する。実験室光源に比べて格段に高い輝度をもつ放射光を励起光とすることで、これ が補われている。
従来型のチャンネルトロンを用いた電子分析器は半球の出射面の 1 点において電子を検 出していたのに対し、本装置は同じ出射面において通過した電子の 2 次元(2D)分布を検出 できることが大きな特徴である。検出面において、電子軌道の直径方向(スリットの幅の方 向)がエネルギー分布、それと直交する方向が入射スリット上の電子分布に対応する。入射 スリット上での電子分布は電子レンズの集光モードにより分類され、光電子放出時の「空間 分布」に対応するモードと「角度分布」に対応するモードがある。特に、「角度分布」モードは 一度に±7°の角度範囲で電子を取り込むことができ、これにより高効率での角度分解測定が 可能である。
2D検出のために、アナライザの終端にはMCPと蛍光板がついている。MCP間には1400–
1700 Vの高電圧がかけられており、MCPに到達した電子は106倍に増幅される。MCPと蛍
光板の間にも3600 Vの高電圧が印加され、MCPで増幅された電子はこの電圧で更に加速し て蛍光板に衝突し蛍光板を局地的に発光させる。この様にして入射スリット上の電子分布の イメージが、蛍光板上の光の分布に変換される。特に、MCP と蛍光板はこの装置の中で最 も繊細な部分でありゴミや水に非常に弱く、常に高真空に保っておく必要がある。この光は ビューポートを通過し、真空の外に取付けてあるCCDカメラにより検出され、それを電気 信号に変換して測定系に送る。したがって、いかに電子の2D像を精密に取り込むかが、高 エネルギー分解能、高角度分解能にとって重要となる。そのためCCDカメラの焦点を蛍光 板上に合わせる調整においては細心の注意を要する。
図2.3.1. VG Scienta社製のSES 2002アナライザの外観.
2.3.2.
ビームライン光学系図2.3.2に、本研究で使用したPF BL-2A MUSASHIの光学系配置図を示す。このビーム
ラインでは、VUV(hn = 30–300 eV)用とSX(hn = 250–2000 eV)用の2台のアンジュレータを タンデム配置し、利用する放射光のエネルギー領域に応じてそれぞれのアンジュレータ及び 回折格子を切り替えて使用する。アンジュレータからの放射光は、平面鏡M2と不等間隔刻 線平面回折格子により特定の波長の光が出射スリット上に集光され、出射スリットを通過し た後に平面鏡 M4 により再び集光され、試料上へ照射される。本ビームラインは可変偏角
Monk-Gillieson型分光器を採用しており、エネルギーに応じてM2により最適偏角を調整す
ることで、回折効率やエネルギー分解能を損なうことなく広い範囲で使用エネルギーを変化 させることが可能である。
図2.3.2. PF BL-2A MUSASHIの光学系配置図.