第 3 章 対象的なむすびつき
3.9 受身的なむすびつき
〔受身的なむすびつき〕を表わす連語は、自動詞の場合は、「捕まる」「見つかる」など のような語彙的に受身的な意味が含まれている動詞と人を表わすニ格の名詞とのくみあわ せであり、ある動作がニ格の名詞で示されている人によって引き起こされることを表わす。
他動詞の場合は、「教わる」などの動詞と人を表わすニ格の名詞と事柄を表わすヲ格の名詞 とのくみあわせであり、ヲ格の名詞で示されている事柄について、ある動作がニ格の名詞 で示されている人によって引き起こされることを表わす。ニ格の名詞は受身的な動作を引 き起こした人を示す。「受身的な構造」を示すと、以下の通りである。
受身的な構造
【 <人>に <受身的>Vi 】
[動作主] [受身的]
・例:警察に捕まる、先生に見つかる
【 <人>に <事>を <受身的>Vt 】
[動作主] [受身的な動作の内容] [受身的]
・例:母親に料理を教わる
(355)Hは、「兄チャンが警察に捕まった」と思うと、急に怖くなり体が震えだした。
(『少年H』(上巻))
(356)あの奥さん、とても料理が上手でね、私は今でも時々、彼女に教わった料理を 作ります。(『泣かない子供』)
この2例は下の(355’)と(356’)と大意は変わらないであろう。
(355’)兄チャンが警察に捕まえられた。/警察が兄チャンを捕まえた。
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(356’)私が彼女に料理を教えられた。/彼女が私に料理を教えた。
このように、(355)においては、ニ格名詞の「警察」は他動詞「捕まえる」で表わさ れる動作を実際に行う人間である。自動詞「捕まる」によって表わされる結果状態は「警 察」によって引き起こされるという意味合いが、ニ格の名詞と動詞との間に存在している。
同じく他動詞同士であるが、(356)と(356’)の「教わる」と「教える」の間にも同様な 対応関係が見られる。(356)において、ニ格名詞の「彼女」は「教える」動作を実際に 行う人間である。
〔受身的なむすびつき〕を作ることができる動詞は、すでに挙げた「捕まる」「見つか る」のように、ほとんどが対になる他動詞(「捕まえる」「見つける」)を有しており、
そして他動詞との間に(355)と(355’)が示しているような意味的・構文的な対応関係を 持っていることが特徴であろう。この構文的な特徴(「対応する他動詞の受動文と同様な 位置づけを持つ」(杉本(1991:234))から、杉本はこの種の動詞を「受動詞」と呼んで いる。「捕まる」「見つかる」の他に、杉本(同:239)では「苦しむ、傷つく、驚く、喜 ぶ」などの感情を示す動詞も挙げられている。前述したように、〔受身的なむすびつき〕
を作る動詞は語彙的に受身的な意味が含まれている動詞であり、また「受身的な構造」に おいては、ニ格は人名詞でなければならない。この2点から、本研究では「苦しむ、傷つ く、驚く」などの人間の感情を表わす動詞とニ格の名詞のくみあわせを〔受身的なむすび つき〕に入れず、〔感情的な態度のむすびつき〕を表わす連語として分類している(3.6.1.1 節参照)。
「捕まる」とはやや性質が異なるが、以下の「育つ、ばれる」の例も〔受身的なむすび つき〕として扱っていいであろう。
(357)たとえば、中流の家庭に育ち、教養のある両親の下で成長した少年が、なぜあ んな非行をなしたのだろう、という疑問である。(『性格はいかにつくられるか』)
(358)風呂屋へ三日つづけて行かなかったので、母親にバレそうになった。(『少年H』
(上巻))
(357)では、自動詞「育つ」が「育てる」という対応する他動詞を持っており、上掲 の(355)の場合と似て、「中流の家庭に育つ」は「中流の家庭で育てられる」の意味で ある。(358)において、自動詞「ばれる」は「母親に知られる」という意味を表わして いる。
このように、この2例においても、ニ格の名詞と動詞との間に受身的な意味が表現され、
連語全体は〔受身的なむすびつき〕を作っている。ただし、「育つ」「ばれる」は「捕ま る」「見つかる」などに比べ、動作主性が低い。動詞で表わされる結果状態がニ格の名詞 によって引き起こされるという意味合いも弱い。
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「濡れる」「揺れる」「染まる」など自然現象を示す動詞があり、それぞれが「雨」「風」
「夕日」など自然現象を表わすニ格の名詞とくみあわさると、連語全体は受身的な意味を 帯びている。例えば以下のような例である。
(359)雨に濡れた街路の匂い。一巡ごとに心がしずかに鮮明になり、私はまた一人に なるときがきたのを知った。(『泣かない子供』)
(360)すると、動いていないはずの電車なのに、校庭の花や木が、少し風に揺れてい るせいか、電車が走っているような気持ちになった。(『窓ぎわのトットちゃん』)
(361)それからグランドに大の字になり、ぐったりした体を大地のひんやりと心地よ い抱擁にゆだねて、夕日に赤く染まった雲を眺めながら覚えた恍惚感、あれは いったい何だったのか。(『読書のたのしみ』)
実際に、これらの例においても、それぞれは対応する他動詞(「濡らす」「揺らす」「染め る」)との間に上で見た(355)と(355’)が示しているような意味的・構文的な対応関係 を持っている。すなわち、「雨に濡れる」は「雨に濡らされる」のことであり、「風に揺 れる」は「風に揺らされる」のことであり、「夕日に赤く染まる」は「夕日に赤く染めら れる」のことである。この点においては、この種の連語は〔受身的なむすびつき〕を表わ す連語に近く、何らかの関係を持っている。
(359)~(361)のような連語は、奥田(1962[1983])では〔状況的なむすびつき〕の うちの〔原因のむすびつき〕に分類している。〔原因のむすびつき〕を表わす連語について は、奥田(1962[1983]:322)は「自然現象や生理的な現象をしめす動詞が、現象をしめす に格の名詞とくみあわさると、原因のむすびつきができる。かざられ動詞でしめされる現 象が、かざり名詞によって条件づけられるのである。」と述べている。
しかし、(359)~(361)におけるニ格の名詞と動詞とのむすびつきは、奥田氏の言う
〔状況的なむすびつき〕に属する他のむすびつき(〔空間的なむすびつき〕(例:「ねこがひ なたにまあるくなっている」)、〔情勢的なむすびつき〕(例:「雨にやってくる」)、〔時間的 なむすびつき〕(例:「六時にしまる」))に比べるとより強い。さらに下の2例と比べてみ よう。
(362)そのあまりの不自然さに、にぶい私もやっとわかった。(『キッチン』)
(363)だからチンパンジーにいちばん近いのは、ゴリラではなく、われわれ人間であ る。そんな話に、クラス中が笑った。(『世界の中心で、愛をさけぶ』)
この2例においては、ニ格の名詞と動詞とのむすびつきが弱く、ニ格の名詞と動詞には 制限がなく、かなり自由である。本研究では、基本的に〔状況的なむすびつき〕を連語と 考えないので、(359)~(361)のような例をどう扱うべきかは今後の課題にしたい。
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以上、本章では、〔対象的なむすびつき〕を9つのタイプに分けて、それぞれについて見 てきた。次に、第4章では、〔規定的なむすびつき〕を述べる。
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