第 7 章 宗教者の天竺認識~平田篤胤『印度蔵志』を例に~
第 2 節 『印度蔵志』の書誌と構成
『印度蔵志』は完成していれば全25巻の構成だったと考えられ、1巻から8巻と21巻 から23巻のみ現存し、9巻から20巻と24巻、25巻の合計14巻が欠如している。このう ち21巻、22巻のみ清書し終わっていたであろうことは、両巻のみ「巻二十一」「巻二十二」
とされ、その他は「巻之一稿」のように「稿」の字が当てられ、内容にも空白が多数存在 していることからも分かる。篤胤は江戸退去後、再起を図り、江戸が無理であってもせめ て佐竹藩内の下野国仁良川に住み、近村黄梅寺で「一切経を借覧して、印度蔵志を完成し たいと念願していた」ようである24。つまり『印度蔵志』とは平田が没する直前まで完成を 希求していた著作であると言える。
『印度蔵志』の成立年代に関しては未知の部分が多い。一般に文政3年に草稿執筆開始、
文政9年に草稿十余巻が成立し、同年に「印度伝通品」2冊の清書が完了した、というのが 定説である25。しかし近年、この定説に訂正を迫る可能性を持つ、新史料が発見された。そ れが「気吹舎日記」である。「気吹舎日記」とは平田篤胤の子孫が宮司を努める代々木八幡 所在の神社、平田神社に伝来したものである。上述したように2001年に国立歴史民俗博物 館によって調査され、篤胤および平田家の私塾である気吹舎に関係する資料は「平田家資 料」、現在では「平田篤胤関係資料」として整理され、文化末年から明治初頭にいたる時期 の「気吹舎日記」が、安政 6年 8月から慶応元年末の期間を除いて現存することが明らか になった。「気吹舎日記」には『印度蔵志』の成立に関して以下のような記述が見出される。
天保元年閏月廿二日 印度蔵志十 巻清書初る(空欄はママ)。
天保元年四月廿七日 印度伝通品一巻中、清書出来26。
先に見た「大壑君御一代略記」によれば『印度蔵志』は文政3年に執筆開始、文政 9年 に草稿が完成、ということになるが、「気吹舎日記」の天保元年閏3月 22日には「印度蔵 志十 巻清書初る」、同年4月27日に「印度伝通品一巻中、清書出来」との記述がある。
まず、執筆開始に関する記述は「気吹舎日記」に見出せないため、これは「大壑君御一代 略記」にある通り文政3年と仮定しておくのが妥当だろう。「大壑君御一代略記」において 文政9年に草稿が完成したのは「印度伝通品」の2冊であるとされている。この2冊とは 現在完成したと目される2つの巻、すなわち21巻及び22巻のことだと考えられる。「気吹 舎日記」の記述からは清書された巻数が不明であり、「大壑君御一代略記」に記述される年 代と齟齬がある。本書の成立に関しては新たな確定的史料が発見されるまでは、留保せざ るを得ないというのが現状である。
ただ、清書の問題はひとまずおいて、天保 2 年以降の記述を見ると、少なくとも元年ま でには清書されたと思われる 21巻および22 巻の写本が流布していく様子が見て取れる。
近年、中川和明が、『出定笑語』を含めた篤胤の諸本を詳細に比較研究し、その成立過程の
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解明を行っている27。『印度蔵志』に関しても現在流布する諸本を比較研究する必要がある だろう。
『国書総目録』と『古典籍総合目録』によれば、『印度蔵志』の刊本および写本は以下に 所蔵されていることが確認できる28。
国立国会図書館:21巻、22巻、2冊 静嘉堂文庫:2巻、2冊
宮内庁書陵部:天保11年写本、8冊 京都大学:4巻、4冊
東京大学本居文庫(国文学研究資料館中):3冊 東北大学(狩野文庫):21巻、22巻、2冊 東洋大学(哲学堂文庫):5冊
日本大学:11冊
早稲田大学:21巻、22巻、2冊 秋田県立図書館:4冊
大阪府立図書館:8巻後半、1冊
福井県立図書館(松平文庫):21巻、22巻、2冊 岩瀬文庫(愛知県西尾市):9冊
蓬左文庫(愛知県名古屋市):3巻、3冊
お茶ノ水図書館(成簣堂文庫):21巻、22巻、2冊 多和文庫(国文学研究資料館中):8冊
無窮会図書館(神習文庫):稿本、4巻2冊、1巻~8巻、21巻~23巻、4冊
大洲市立図書館(矢野玄道文庫):21巻、22巻、2冊(「印度蔵志抄」1冊、「印度蔵志抜書」
1冊)
弘前図書館:1巻~6巻、8巻、21巻~23巻、10冊
一見して21、22巻の2巻が最も多いことについては、上述の清書に関する事情によるも のと思われる。次に版本についてであるが、活字になった『印度蔵志』について時代順に 記すと以下のようになる。
明治21年(1888)矢野玄道(編)『印度蔵志略』平田以志 明治39年(1906)『印度蔵志』神風会出版部
明治39年(1906)「『印度蔵志 第1輯』大日本慈善協会 明治39年(1906)『印度蔵志 第2輯』大日本慈善協会
明治44年(1911)『印度蔵志』平田盛胤ほか(編)『平田篤胤全集』第13巻、法文館書店 昭和7年(1932)『印度蔵志』上田万年ほか(編)『平田篤胤全集』第10巻、内外書籍
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昭和52年(1977)『印度蔵志』平田篤胤全集刊行会(編)『新修平田篤胤全集』第11巻、
名著出版
平成13年(2001)『印度蔵志』平田篤胤全集刊行会(編)『新修平田篤胤全集』第11巻、
名著出版
全集は明治44年~大正7年に平田篤胤全集期成会から出版されたものと、昭和7年に出 版された内外書籍版、それからこれを復刊した名著出版による『新修平田篤胤全集』があ り、これは現在、オンデマンドでも出版されている。筆者が分析に用いた『印度蔵志』は 主に内外書籍版であり、必要に応じて国会図書館、秋田県立公文書館の写本を参照した。
また、『印度蔵志稿』は書名から当然推察されるように、『印度蔵志』の稿本と考えられる29。 また上述したように24巻、25巻の稿本は、玄奘による新婆沙を抜粋した「大毘婆沙論抜萃」
に当たることが指摘されている。以上を勘案すると『印度蔵志』の構成は以下のようなも のと考えられる。
1巻 印度国俗品上第一 2巻 印度国俗品中第二 3巻 印度国俗品下第三 4巻 大千世界品上第一 5巻 大千世界品上第二 6巻 大千世界品上第三 7巻 大千世界品上第四 8巻 大千世界品上第五
9~20巻 不明(『印度蔵志稿』仏祖生涯品に相当か)
21巻 印度伝通品一 (清書済)
22巻 印度伝通品二 (清書済、稿本が「大毘婆沙論抜萃」に相当)
23巻 印度伝通品三 24~25巻 不明
『印度蔵志』は本文、注、割注という三層構造を成している。篤胤が選定した本文を説 明する形で注が施され、さらに自注が割注の形で記されている。秋田公文書館本を見ると 本文と注、割注を区別するのが難しい部分もある。このような記述法については『古史伝』
との類似が指摘される30。篤胤の代表的著作の一つである『古史成文』は記紀や風土記など 古典を比較検討して、自らが正しいと判断したものを「古伝」としたものであるが、『古史 伝』はこれに詳しい注釈を施したもので、宣長における『古事記伝』と同様、篤胤の学問 の中心に位置づけられるものである。篤胤は日本の古典の代わりに仏典を中心にからイン ドに関する古伝を確定し、『印度蔵志』の本文としたものと考えられる31。
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『印度蔵志』の本文として選ばれているのは「印度国俗品」では主として玄奘の『大唐 西域記』、「大千世界品」は主として『長阿含世起経』や『起世経』、『起世因本経』、『樓炭 経』、『立世阿毘曇論』などであり、「印度伝通品」以下は『異部宗輪論』、『八宗綱要』など から選んで作られている。また、『印度蔵志』9~20巻に当たると目される『印度蔵志稿』
の主たる資料は『長阿含経』、『仏本行経』、『太子瑞応本起経』、『過去現在因果経』である。