• 検索結果がありません。

北極航路の沿革

ドキュメント内 日本北極海会議 報告書 (ページ 92-96)

4. 北極航路

4.3.1 北極航路の沿革

北極圏では、有史以前からインヌ、アサパスカン・インディアン、イヌイットら先住 民の始祖が生活していた。一方、西欧による北極海での活動は、7・8 世紀には僧侶に はじまり、10 世紀にはバイキングが活躍し、エリックソンはグリーンランドを発って アメリカ東岸を発見した。14世紀に入ると、バスク人、次いでオランダおよび英国が、

捕鯨目的でニューファンドランド、ラプラドール沖の北の海に展開した。16 世紀、大 航海時代には、英国やオランダがロシア交易のためにバレンツ海、カラ海へと進出した。

17 世紀にはハドソン(英国)の北西航路探査によってハドソン海峡が発見された。18 世紀、デンマーク人ベーリングはロシア皇帝の命でシベリア沿岸の探査を行ない、東シ ベリア海からベーリング海、カムチャツカ半島、アリューシャン列島、アラスカ西岸を 確認した。そして19 世紀の末、トロムセを出港したスウェーデン人ノルデンショルド

11 ポーランド・ベラルーシ国境の駅で積み替える。距離約3,000km5日間で運ぶ。Annual Report JSCo Russian Railways 2010. による。

12 『北極海航路 -東アジアとヨーロッパを結ぶ最短の海の道-』、シップ・アンド・オーシャン財団、

pp.135、2000.3

によってついに北東航路がベーリング海まで完全航海され、その後船は横浜港に入港し た。こうして、大西洋と太平洋、欧州とアジアを結ぶ最短の海路のひとつ、北東航路が 初めて啓開された。

一方、アメリカ大陸の北をまわる北西航路も、欧州・アジア間の最短航路として期待 されていた。20世紀初頭、ノルウェー人アムンゼンは、バフィン湾から西へ向かい、3 カ年をかけてボーフォート海に抜け、ついに北西航路を完全航海した。

図4.9 北極航路

こうして、新たな領土、新漁場および天然資源をもとめて続けられてきた北極海の探 検は、20世紀に入って、北東航路、北西航路それぞれ新たな局面を迎える。両者の沿 革を以下の項に述べる。今日では、北東航路は欧州とアジア間、および北西航路は欧州 と北米西海岸を既存航路よりもはるかに短い距離で結ぶ新しい航路として期待される ようになった。また、近年の急激な海氷勢力減退は、北極海中央を通る航路(Pan -Arctic Shipping Lane)に関しても、将来の可能性が議論されるようになってきた。

(2) 北東航路の沿革

ロシア沿岸を航行する北東航路は、ロシアでは国内法で北極海航路と呼称しており、

しばしば「北極海航路」と単独で使用される場合には北東航路を指すことが多い。

北東航路による航海はノルデンショルド以降1919年までに、欧州よりカラ海地域へ は122回の航海が行われたものの、それは危険で成功率の低いものであった。ロシア革 命後、1930年代に北極海航路(NSR)管理局が設立され、北東航路の開発管理・管制、保 全を所管するとともに、多くの航海や調査が実施された。また、ディクソン、ティクシ、

シュミット岬、プロビデニア港が建設された。また砕氷船が建造され、これに率いられ た貨物船団が運航し、貨物量も増大した。なかでもシベリア穀倉地帯の産物の輸送、同

じくシベリヤの木材等の原材料と西欧工業製品とのバーター貿易のために活躍した。

第2次大戦以降はロシア北極海沿岸拠点の軍事的な重要性が高まり、北東航路はロシ アの国内航路として北極海沿岸拠点への物資供給などに利用されてきた。またこのため に、多くの氷海商船が建造・整備された。代表的な氷海商船が1980年代に合計19隻建

造されたSA-15型氷海商船である。また氷海商船の運航支援のために、原子力砕氷船を

中核とする強力な砕氷船団も整備された。

旧ソ連時代には諸外国に対して固く閉ざされてきたロシア北極海域であったが、ペレ ストロイカ政策のもと、国際航行海域として解放されることとなり13、東アジアと欧州 を結ぶ最短の商業航路として北東航路に注目が集まった。これを契機に1989年、西側 資本による初めての商業運航が、ロシアのSA-15型氷海商船Tiksiをチャーターしたド イツの海運会社Detlef von Apen社によって行われた14。1995年には、INSROPプロジェ クトのもと、日本財団の支援を得たシップ・アンド・オーシャン財団の主導により、北東 航路の商業航路としての可能性を検証するための横浜からキルケネス間の実践航海試 験が実施された。その後の北東航路の国際的な商業利用は、ロシアの国内事情や経済の 混乱や、北東航路の国際的な経済競争力の低さなどの観点から、国際海運市場の積極的 な関心を得ることはない時期が続いた。

しかし近年、地球規模の気候の変化が指摘され、実際に北極海の海氷勢力の減退が顕 著に認められるようになり、北東航路の商業運航の可能性に関心が集まるようになって きた。同時に、エネルギー資源・天然資源需要の急速な拡大、東アジア地域の産業・経 済発展に加え、スエズ運河航路の海賊リスク拡大など、北東航路をめぐる背景は大きく 変化した。こうした背景のもと、北東航路を利用した海上輸送の国際的な需要が生まれ はじめた。2009年、Belugaグループ(ドイツ)の2隻の重量物運搬船15が、韓国ウルサ ンで発電所用大型機材を積み、北東航路をアジア側から西進してロシア沿岸のオビ川河 口に位置するノビイ港まで輸送し、さらにその後欧州まで帰港した。これはロシア以外 の船籍船による、北東航路をアジアから欧州まで通り抜ける初めての商業航海となった。

さらに2010年には、初めて外国船がロシアに寄港せずにノルウェーのキルケネス港か ら、北東航路を通じて鉄鉱石を中国に輸送した。同年はこのほかにも商業航海による複 数の運航が実施され、ガスコンデンセートが中国に輸送された。続く2011年には、同 様の商業運航としての北東航路運航が、合計34回実施された。

13 1987年、ゴルバチョフ書記長がムルマンスクにおける演説において、北極海航路の国際商業航路とし

ての解放を宣言した。

14 1989712日にハンブルク出港、NSRを航行し、同年84日に千葉港へ入港。貨物は金属貨物

14,019トン。出典:『北極海航路 -東アジアとヨーロッパを結ぶ最短の海の道-(シップ・アンド・オーシ

ャン財団、pp.1352000.3)』

15 Beluga Fraternity とBeluga Foresight

(3) 北西航路の沿革

20 世紀、アムンゼンによる初めての北西航路完全航海は、バフィン島の北のランカ スター海峡からピール海峡を南下、北米大陸とヴィクトリア島を西進してボーフォート 海に出るものであった。その後20世紀半ば、ラルセンはSt. Roch号にてアムンゼンと 同様のルートを辿り、北西航路を西側から東に向かう初めての航海に成功した。また同 船は1944年、東から西への航海を初めて1年で達成した。この際の航路は、ランカス ター海峡を西進、バンクス島とヴィクトリア島の間のプリンス・オブ・ウェールズ海峡 を南下してアラスカ沖に出たものであった。

西から東に向かう航海を単年で成功させたのはカナダの砕氷船ラブラドル号で、1954 年のことであった。その後1969年には、耐氷仕様に改造された米国船籍のオイルタン カー・マンハッタン号が、カナダの砕氷船John A. Macdonald号のエスコートのもと、

東から西に航行した。

北西航路はカナダ北極海に浮かぶ 19,000 もの島々の間を通る多数の航路から成って いる。この海域において、カナダは北極海の島々に直線基線を適用し、その内側の北西 航路が自国の内水であることを主張している。この根拠としてカナダは、北西航路の海 域及び海氷が先住民族イヌイットにより歴史的に利用されていたことを指摘している。

一方米国は、北西航路は国際海峡であり船舶は通過通航権を有すると反論している。

1985年、米国沿岸警備隊の砕氷船Polar Seaがカナダの了解なしに北西航路を航行し たため、カナダは国際司法裁判所へ提訴する準備をするに至った。同年には、欧州議会 がカナダ北極海における直線基線採用に反対したが、これは基線長が長すぎるという点 においてでありカナダの内水としての主張に反論しているのは米国のみである。こうし た北西航路に関する米国とカナダの対立は現実的な問題とはならず、1988 年には両国 は互いの主張の違いを尊重するとともに、米国砕氷船の北西航路航行に関してはケース バイケースで認容するする協定に至った。しかしながら近年の海氷減少はカナダ多島海 域でも進んでおり、2011年は北西航路もIce freeとなったように、北西航路の船舶航行 の可能性は増している。このため、北西航路における海洋環境の保護や安全保障問題は カナダとアメリカにとって更なる協議の必要性を投げかけている。なおカナダでは1985 年の出来事以来、北極海航路での活動のため、砕氷船の建造、原子力潜水艦建造、次い で潜水艦建造の議案が持ち上がったものの、いずれも予算や政治上の問題で廃案となっ ている。

以上、近年は北西航路においても海氷減少が進んでいるものの、依然として北東航路 に比して氷況は厳しく、その変化も激しく予測には困難が伴うため、実際には、商業運 航は容易ではない。また、沿岸域での産業活動が限定的であること、管轄権の問題があ ること、商船を支援できる強力な砕氷船がないことなどから、現時点で際立った活動は 行われていない。

ドキュメント内 日本北極海会議 報告書 (ページ 92-96)