第二章 道徳授業諸理論の概観と問題点
第1節 内容重視の道徳授業諸理論の概観と問題点 1伝統的な道徳授業論
(1)伝統的道徳授業論の概観
伝統的な道徳授業論とは、瀬戸・青木両氏によって提案された基本的指導過程 による心情主義の道徳授業論であると言えよう。基本的指導過程とは、導入、展 開前回の価値の追求・把握、展開後段による価値の主体的自覚および終末の4段 階からなっているものである。それぞれの具体的内容についてはここでは割愛す
るが、その中心は、資料の登場人物の心情を中心にして、いかにねらいとする幾 分を伝達していくかに重点が置かれている。
また、この道徳授業論は、学校現場において最も中心に行われている指導形態 である。なぜならば、筆者が、現在各出版社から出されている実践事例を掲載し た道徳関係の本別50冊を検討した結果、ほとんどの実践事例が心情を媒介とし た授業形態を取っていたからである。具体的には次の通りである。
約300例の実践事例を上記の4段階ごとに検討していった結果、導入において は、230例(77%)が呼時の価値に関わる内容を取り扱ったものであった。また、
展開前段においては、資料に出てくる主人公の心情を中心に展開するものが、258 例(86%)であった。展開後段においては、追求された価値に照らして、今まで
の自分を振り返るというものが、243例(81%)であった。最後に、終末部分に おいては、価値に関わる教師の説話によって授業を終えるというものが206例
(69%)であった。
このことから、標準的な道徳授業の展開は、導入での価値への方向づけ→展開 前段での心情についての話し合い→展開後段での価値に照らした振り返り→終 末での説話、という形態を取っていることが言えるであろう。
(2)伝統的道徳授業論の問題点
伝統的道徳授業論の最も大きな問題点は、価値の教え込みの問題である。伝統 的道徳授業は、4段階の基本的指導過程を取って行われていたが、この4段階毎 の価値の教え込みの問題を捉えてみる。導入部分でねらいとする価値への方向づ けが行われ、展開前段では、登場人物の気持ちや行動の背景にある心情について、
ねらいとする価値にかかわる発言を取り上げ、ねらいとする価値を感じ取らせる。
そして、展開後段において、ねらいとする価値をもとに自分達の今までの生活を 振り返らせ、終末の教師の説話でその徹底を図っている。まさしく価値の教え込 みの構図が出来上がっているのである。更に、ねらいをより効率よく子どもたち に感じ取らせるために、資料も一見しただけで価値がすぐ分かるものが使用され ているのである。
しかし、子どもたちはそのような価値については、家庭内における親子の会話 など、それまでの生活経験の中ですでに先取りをして、知っていることが多い。
すなわち、子どもたちは、既に知っていることについて意見発表をしたり、話し 合ったりしなければならないのである。このように子どもたちは、分かっている
ことを心情を媒介として教えられているので、道徳的実践力が育たないと考えら れる。なぜならば、価値の教え込みの道徳授業においては、子どもたちに豊富な 事実認識が保証されていないために、子どもたちの思考が多様にならず、論理的・
合理的に社会のしくみを捉え直していくことが難しいと思われるからである。そ のために、仮にこのような方法において子どもたちの内面の価値が高まったとし ても、それは心情的に高まったもので、それぞれ心情的に高まった個人が、集合 的に同じ気分でいるに過ぎないのである。これでは、学級という集団の質が高ま
り、いじめを許さないという規範意識を育てるには不十分であろう。なぜならば、
心情というのは、個人や規範や学級というものが存在する社会的環境とは直接的 なつながりをもっことができないものであり、そのレヴェルでの話し合いでは、
いじめを解決する力にはなり得ないものと考えられるからである。
また、伝統的道徳授業においては、第1章第2節において論じた誤った子ども 観のもと、子どもたちは、価値を伝達されなければならない存在、伝達されて初
めて道徳的になる存在、すなわち、教育の客体としての位置づけが前提とされて いるのである。そのため、いじめなどの問題が顕在化してきているのである。
2価値観の類型による道徳授業論
(1)価値観の類型による道徳授業論の概観
価値観のi類型を道徳授業に生かす取り組みは、昭和61年に青木試案が発表さ れたのを機会にその使用が高まってきた。青木によれば、価値観の類型は、「道 徳の指導過程の展開前段において、中心発問に対して児童生徒からさまざまな発 言が出たときに、それらの整理・分類をどのようにすれば効果的であるかを追求 する過程で生まれてきた」(1)のである。ここで重要になってくるのが、価値観 の類型を行う中心発問の捉え方である。このことについて青木は、「主人公に託
して、ひとりひとりの子どもに自分の現在の価値観を反映させた考え方や感じ方 を表明させることを意図する発問に対して価値観の類型を生かす」(2)と述べて いる。このことは、授業における中心発問が最も教師がねらいとする場面におい て行われることを考えれば当然のことであろう。その後、価値観の類型に基づく 授業実践を通して、価値観の類型は中心発問だけではなく、その他の面において も有効であると認識されてきたと言う。そこで青木は、価値観の類型を道徳授業 で活用する意義について、次の5点をあげている(3)。
①授業以前における児童生徒の道徳性の実態を把握する上で役立つ。
②資料活用の段階での中心発問に対する児童生徒の発言を、効果的に整理・分 類することに役立っ。(この段階で3つないし,4っに分けられる類型を「資 料における類型」と呼ぶ。)
③価値の一般化の段階で、児童生徒に自分の価値観を自覚させる際に役立つ。
(この段階で示される類型を、「一般化の類型」と呼ぶ。)
④授業全般において、意図的な指名を行う際に役立つ。
⑤授業後において、児童ひとりひとりの価値観の自覚が図られたどうかの評 価にも役立っ。
このように価値観の類型は、中心発問の場面だけではなく、道徳の授業に関わ ってさまざまな場面で有効であると言うのである。それでは、この事に関して具 体的に青木の論にしたがって概観する。
道徳授業実施前の子どもの価値観の実態把握においては、価値観の類型を生か
した担任による子どもの日常の観察に基づく方法が有効であると述べる。具体的 には、「四類型を参考にしながら、ひとりひとりの子どもを、A、 B、 C、 Dの 四段階に評定し、その資料を持って授業に臨む」(4)と述べる。その際、このこ とは子どもの格付けではないかという批判に対しては、指導のための一つの方法 であり、何ら問題はないと明言する。
資料における価値観の類型は、前記したように、資料の共感的な活用において 中心発問に対する子どもの発言を整理・分類する場合に、四類型を参考にするこ とが有効であると言う。授業の展開前段において子どもから出された意見・考え を、整理分類するのである。そのため、子どもの発達段階にふさわしい言葉で表 現しなければならない。具体的な例として、青木が掲載している授業実践から一
例を抜粋する(5)。
中心発問における類型化の例(こおりついた風力計より)
発問:おくさんが病にたおれ、そして、自分が動けなくなっていくときに至 が考えていたことを話し合う。
類型:アここであきらめるわけにはいかない。目標を達成するまではがん ばる。
イあきらめて山を下りたいが、目標は捨てたくない我慢しよう。
ウあきらめて山を下りたい、どうしたらいいんだ。
エもうだめだ、あきらめて山を下りよう。自分だけがこんなに苦し まなくてもいいんだ。
なお、この場合の類型化は、子どもたちから出された意見をもとに行うので、
必ずしも教師が意図する意見が出ない場合がある。このような場合、青木は、「意 図的な指名を行い、それでもでないときには、強いて子どもから出させようとせ ずに、類型化の際に、教師のほうから類型の中に加えることがよいであろう。」(6)
と述べている。
一般化の類型は、前記したように子どもたちがそれまでの学習を通して自分自 身を振り返り、自分の価値観を自覚する上で有効であると言う。なお、資料にお ける類型と一般化における類型との関連については、「前者が資料中のさまざま な特定条件などを含んでいるため、そのままでは後者の類型として用いることは できない。しかし、前者からそれらの特定条件などを取り去ったものが後者の類 型と質的には同じであることが望ましいのであり、そうでなければ、指導過程の 構想そのものが否定されることになりかねない」(7)と述べ、資料の類型と一般 化の類型の関連を強調する。このことを明確にするために、上記の「こおりつい