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第四章  コールバーグ理論とディスクルス倫理学

第2節  ディスクルス倫理学の基礎的理解

 ディスクルス倫理学は、コミュニケーション的行為の理論をもとに構築され ている。その意味では、ディスクルス倫理学それ自体に、コミュニケーション的 行為の実質が含まれているのである。コミュニケーション的行為は、二人以上の 当事者間において、了解を目指して行われる発話行為であった。真理性、正当性、

誠実性という妥当性要求のもと、お互いに意見を交わしながら、ある何かについ て、当事者間で了解を形成すること、すなわち、社会を形成していくことが目さ れたのである。このように考えてくるならば、討議倫理学であるディスクルス倫 理学においても、当事者間でディスクルス、すなわち討議を通して、ある道徳的 事象について了解を行い、社会を形成していくことがディスクルス倫理学の大き

な眼目であろう。

1ディスクルス倫理学の背景

 ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論は、社会統合の在り方を追 求するものであった。アドルノやホルクハイマー、ウェーバーらの現代に対する 悲観主義を乗り越え、新しい社会統合の姿をそこに見出そうとしたのである。そ の意味では、社会統合を目指すハーバーマスにとっては、この状況に諦念するこ

とはできないのである。

 さて、現代社会は、さまざまな価値が混在し、価値の多元化・相対化が進行 している社会である。すなわち、どのような行為や考え方が善いことであり、ま た悪いことであるかという、個々人の判断基準が曖昧になっている社会である。

この「価値の多元化と曖昧化」が現代社会の特質であろう。このような現代社会 において、個々人の判断基準となる文化的伝統や慣習もさまざまに多元化し、曖 昧化されてきている。このように考えてくるならば、ある行為の価値判断を一つ の文化的伝統や慣習によって決定することは、もはや不可能であろう。なぜなら ば、そのことは、対立する別の文化的伝統や慣習の否定となるからである。この ように、文化的伝統や慣習は、どちらが正当であるかを判断することが不明確に なってきているのである。なぜならば、現代社会においては、絶対的な価値判断 の基準を見出すことができないからである。このことは、価値の相対主義につな がるものである。しかし、ハーバーマスにとって、新たな社会統合のありかたを 模索していく上で、この価値の相対主義は乗り越えなければならないものである。

だからと言って、この普遍的な価値判断をもはや近代以前のように神や自然に求 めることはできない。そこでハーバーマスは、この文化的伝統や慣習の問題を克 服するために、道徳判断の再構成を図るのである。このようなハーバーマスの道 徳の再構成について、中岡は、「ポスト慣習的道徳」と定義し、次のように述べ

る。

もはや特定の文化的伝統や慣習に囚われていない道徳は、具体的・実質的な

内容を持つことは難しい。だとすると、ポスト慣習的な道徳は、守られるべ き規範の内容には立ち入らず、ただその規範の「形式」面にのみ限定される ことになる。言い換えると、どのように行動すべきかは直接に規定せず、行 為の規範を決定するための条件や前提、そのための手続きなど、間接的な側 面についてだけ、倫理学は発言することになる。(7)

 すなわち、ハーバーマスにとって、現代社会は、何が人間として善い生き方 なのか、また社会の正しい在り方なのかを一律に、その内容的側面からはかるこ

とはできないが、それを判断する形式、すなわちその判断のプロセスにおいては、

ある普遍的な原則が成り立つと考えられたのである。

 そして、このプロセスの場として実践的討議が企図されたのである。すなわ ち、ある事象に関して利害の対立が起こり、当事者間で合意が損なわれていると き、関係者すべてが従うべき規範をもう一度考え直す場として設定されたのであ る。それは、神の権威を持ち出したり、一部の人間が指針を決定するのでもなく、

規範の決定によって影響を受けるすべての人々が討論する場として考えられたの である。そして、その場において、それぞれの立場から合理的な妥当要求を行い、

自分の主張がみんなのためになるということを論証していくのである。そして、

このように論証を行っていく上では、コミュニケーションの参加者が、自分勝手 な方法で話し合いに従事するのでは、それは無秩序なものとなってしまう。そこ には、ある話し合いのきまりを設定しなければならない。そこで、ハーバーマス は、この論証の基盤になる普遍的な原則を措定したのである。すなわち、普遍化 原則(U)を定式化していったのである。

 その際、ハーバーマスは、すべての参加者が対等の立場に立ち、全員の利益 を念頭において自由に議論する理想的コミュニケーションの必要性を指摘するの

である。

 コミュニケイション的実践に参加する人々の合理性は、かれらが適切な状 況のもとで自己の発言を根拠づけうるかどうかで測られる。だから、コミュ ニケイション的日常実践のなかに合理性が内在するためには、これらを正当 化する手段として議論の実践をおこなわねばならない。つまり、意見の不一 致が日常的なしかたではもはや解決できない、にもかかわらず直接的にしろ 戦略的にしろ権力の介入によってこの不一致に決着をつけてはならないとす れば、別の手段を用いてコミュニケイション的行為をおこなえるような、そ

うした議論の実践を必要とする。(8)

 そこで、ハーバーマスは、このような考え方のもと、A・マッキンタイヤの 世俗化された道徳を改めて根拠づけようとする啓蒙のプロジェクトは失敗したと いう主張に対して、認知主義倫理学の立場から道徳事象の根拠づけを行っていこ

うとするのである。このことについて、ハーバーマスは次のようの述べる。

 わたしは、輪郭はすでに明らかなこのディスクルス倫理学が今日もっとも 有望なアプローチであると考える。私が何より課題としたいのは、そうした 諸理論を非=認知主義的アプローチから分かつ共通の問題設定を明確化する

ことである。(9)

 それでは、ハーバーマスは、このような普遍化の原則をどのように根拠づけ ていったのであろうか。

2道徳原則の根拠づけのプログラム

 ディスクルス倫理学を規定するのは、普遍化原則および討議規則である。な ぜならば、この二つの原則によって、従来の倫理学を越え出ることができたから である。そして、このディスクルス倫理学に基づいて、ハーバーマスは、道徳性

というものについて考えていくのである。その意味においても、このディスクル ス倫理学成立の基盤であるこの二つの原則がどのようにして根拠づけられていく かを明確にすることが必要になってくるものと考える。そのようにすることによ って、ディスクルス倫理学の内実も明確に押さえることができるであろうし、こ の普遍化原則と討議規則自体の中身も明らかになるものと考える。そこで、この 普遍化原則の根拠づけについて、ハーバーマスの論拠を追いながら考察していき

たい。

 ハーバーマスは、倫理への客観主義的アプローチと主観主義的アプローチにお ける考察を通して、道徳的命令や規範はいかなる仕方によって根拠づけられるの かという問いについて再考することの必要性を考えるのである。

真理性と類似した妥当請求というより弱い仮定から出発して、トゥールミ ンが哲学的倫理学の根本問題においてなした問題把握へと立ち戻る必要があ る。すなわち、「われわれは、道徳的意思決定を指示するときに、どのよう

な論拠や理由付けを受け入れることが適切であるのか」というのがそれであ

る。(10)

 すなわち、われわれがある事象について論議を行う場合には、その話し合いを 正当化する論議の規則が必要なのである。

(1)論議規則としての普遍化原理

 われわれが、ある事象について論議し、それを共有のものとして決定してい くとき、その根拠となるものは、さまざまな文化的伝統や慣習である。しかし、

このような文化的伝統や慣習というものは、現代のように価値の多元化の時代に あっては、それは相対的な意味しか持ち得ないものとなってしまった。例えば、

ある規範について論議の参加者たちが、それを決定していく過程を考えてみよう。

論議においては、ある規範が妥当であるということが論議の参加者たちによって 提出される。その場合、その規範の妥当性主張の根拠は、論議参加者によってさ まざまである。また、論議参加者から主張された規範を受け入れようとする動機 も参加者によってさまざまである。ハーバーマスも述べるように、その規範的妥 当請求を承認しようとする動機は、「確信に由来するものであったりサンクショ ンへの顧慮からきたり、あるいはまた洞察と威力が複雑に入り交じったものであ ったりする」(11)のである。このように、今までの経験や要求という概念では、

話し合いにおいて参加者がある規範を打ち立てていこうとするときの論議の規則 とはなり得ないのである。この事に関して、ハーバーマスも次のように指摘する。

論拠が論理的な推論に従ったすきのない形で提出されている限りでは、そ れは実質的に新しいものを明らかにしているわけではなく、また、そうした 論拠が実質的に新しい内容を持っているのなら、それは経験や要求に支えら れていることになる。しかし、そうした経験や要求というものは、理論が変 化し記述システムが替わるに応じてさまざまに解釈しうるものであり、それ

ゆえに究極的な基盤を与えることはできないのである。(12)

 このよう1こ考えてくるならば、現在社会的に規範が成立している場合、それ だけでは、その規範が妥当性をもつとは一概に言えないのである。また、規範は、

その妥当請求をディスクルスによって請けもどして確証しうるとしても、それだ けで実際にも承認が得られるとは限らないのである。すなわち、ある規範を長期