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第三章 イラン革命と井筒の比較哲学の認識論的な問題と結果

第二節 伝統と革命

一九六四年に、イラン国王がホメイニー師をトルコに追放した。一九六五年には、ホメ イニー師はイラクに亡命した。ホメイニー師は、モッラー・サドラーとイブン・アラビー 学派の信奉者と解釈者であり、シーア派の卓越した法学者でもあった。つまり彼は、マド ラサや伝統を代表する一人であった。ホメイニー師がイラクに住んでいたとき、彼は『法 学者の監督論(Velāyat-e Faqīh)』を書き、イスラームの政体、あるいは、宗教の政体の 理論を構築した。

『法学者の監督論』は単なる法学についての理論書ではなく、イブン・アラビーとモッ ラー・サドラーの神秘主義に基礎をもつ書物である。筆者は以下で、同書の理論について 簡潔に解説したい。

本論文の第二部と第三部で、「預言の周期」と「イマームの周期」、および、「神の代理人」

について繰り返し論じてきた。ここで、この二つの主題を次のように結び付けることがで きる。

 神の代理人はムハンマドであり、ムハンマドが預言者として人間を「聖なるもの」(内 面)へと導く。しかし、ムハンマドが最後の預言者であるので、また、神聖史はムハ ンマドの死とともに終わるので、シーア派が宗教的・政治的な権力を、「預言の周期」

から「イマームの周期」へと移した。

 「預言の周期」から「イマームの周期」への移動によって、イマームが神の代理人に なり、人間を「聖なるもの」(内面)へと導く。しかし、第十二イマームは隠れ、一 般者はイマームに会うことはできない。ここから、非常に重要な神学的な問題が出て くる。イマームが「お隠れ」になっているとき、いかにして彼と関わることができる のだろうか。言い換えれば、イマームがM領域にいるとき、誰がシーア派の信徒たち をイマームの「光」の方へと導くのか。この神学的な問題は現在まで、シーア派思想 において最も重大で複雑なものである。

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 ホメイニー師は、モッラー・サドラーとイブン・アラビーの学派の下に、法学者たち を「イマームの代理人」として提示する。その結果、シーア派の信徒たちは、法学者 の指導によってイマーム(内面)と繋がっている。ホメイニー師の『法学者の監督論』

は、神学の観点からも、また政治的観点からも、三つの大きな問題をもたらしており、

これから論じるように、コルバンと井筒の比較哲学の基礎をなしている。しかし、そ の三つの大きな問題について論じるに先立って、「ウィラーヤ」(wilāyah)の意味に ついて論じなければならない。筆者は、コルバンと井筒の比較哲学と、ホメイニー師 の理論の、この両者の関係における差異を説明するために、コルバンの意見と解釈に 基づいて分析しようと思う。

「ウィラーヤ」という単語の原語は「ワリー」(walī)である。「ワリー」は、文字通り には「監督」や、「維持者」を意味する。従って、「ワリー」はあるものやある人を監督す る人である。そして、「ウィラーヤ」は「監督」することを意味する。この単語はシーア派 の思想において、次第に重要な術語となっていった。コルバンがまさしく指摘しているよ うに、「ウィラーヤ」はシーア派の術語で「コーランの維持者」を意味し、「コーランの維 持者」はイマームをおいて他にはいない。こうした文脈でコルバンは、「ウィラーヤ」を以 下のように定義する。

シーア派にとっては、預言(nubwwah)の終末は新たな周期、ワラーヤ(walāyah)、 もしくはイマーマ(imāmah)の周期の発端であった。換言するならばワラーヤに よって最も直截に表現されるイマーム学は、預言者学を必然的に補うものなのであ る。ワラーヤは、一語にしてそのすべての意味内容を表現しつくすことが困難な言 葉である。しかもこの言葉は当初より、歴代イマーム自身の教えの中にしばしば姿 を現している。テクスト中には、「ワラーヤとは預言の内的側面である」という文句 がしばしば繰り返されている。だがこの言葉は、具体的には≪友情、庇護≫を意味 している。アウリャーウッ=ラーフ(ʾawliyāʾ-l-Lāh,ペルシア語でdūstān-e khodā)

は、≪神の友≫(もしくは神の寵愛をうける者)であり、厳密には天与の霊感によ り神の秘密を啓示された人類のエリートたる預言者、イマームたちを指しているの である。そして神が特に彼等に示す情愛は、彼等をして人類の精神的指導者たらし める。彼等信奉者が各自彼等に導かれて自己認識に到達し、結局彼等のワラーヤに 参加するようになるのも、もとはといえばこれら神の友にたいする友誼的献身に答 えてのことなのである。したがってワラーヤの概念は、本来的教義における奥義を 伝受するイマームの秘伝的指導をも暗示している。それはまた認識(maʿrifah)の 理念と、愛(maḥabbah)の理念を、それ自体救済的な認識である認識を含むもの なのである。シーア派は、このような様相においてイスラームのグノーシス〔=神 秘主義〕であるということができる[コルバン、2006:31頁]。

コルバンにとって、そもそも預言の内的側面であるワラーヤという概念と、「イマームの 周期」の最後への期待という概念は、一種の神聖史や精神史に至り[コルバン、2006:84 頁]、その神聖史によって神との関係が不可分的に保存される。これに加えて、「シーア派

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はイスラームのグノーシス〔=神秘主義〕である」とコルバンは主張するので、シーア派 の精神史とイスラーム神秘主義の精神史(特にスフラワディー哲学)の間に同一性の関係 が生じる。このことについて、コルバンは次のように述べている。

神秘主義、つまりスーフィズムをその精神的体験、ならびにシーア派秘教主義に基 礎をもつ思弁的神智学の種々の相の下に論ずることなしには、イスラームのヒクマ について云々することはできないであろう。後に検討するように、スフラワルディ ーのような思想家や、彼につづくすべての照明学派の人々の努力は、哲学的追究と 人格的、精神的悟達とを総合することにあった。とくにイスラームにおいては、哲 学の歴史と精神性の歴史とは不可分のものなのである[コルバン、2006:Ⅹ頁]。

哲学の歴史と精神性の歴史が不可分であることによって、M 領域と超歴史的な「概念」

が導入されている。すなわち、イスラーム哲学史は、日常世界(B領域)で成立すべきも のではなく、コルバンによって創造的想像力(M領域)で理解されているのだ。こうした 解釈によって結果するのは、ヒクマ(叡智)は歴史的な出来事に「理解」されず、信者の 心(精神的)の内で「理解」されるというものである。M領域での信者の認識が超歴史的 な認識であり、その認識は不在イマームへの認識なのだ。コルバンはこのことについて次 のように述べている。

信者の認識、彼の現在の生に意味を付与している彼自身の起源あるいは未来につい ての意識は、具体的な諸事実、ただし超歴史に属する諸事実に基礎をおくことにな る、と述べたのである。信者は自らの起源の意味を、アダム的人間が地上にあらわ れる以前の≪盟約の日≫に、神が彼に課した問のうちに認めている。いかなる年代 学も、この≪盟約の日≫の日時を決定することはできない。一般のシーア派によれ ば、このことは霊魂が現世に存在する以前に行っている。ところでシーア派にとっ ての他の限界は、思想家たるとたんなる信者たるとの別を問わず、現在身を隠して いるイマーム(イマーム・マフディー、シーア派の考えは、イスラームの他のマフ ディー観とはきわめてことなっている)の顕現のそれである。隠れたイマームを分 母とする現在の時間は、彼の隠蔽の時である。そしてこのことから≪その時≫は、

われわれにとって歴史的な時間にすぎない時とは別の性格をもつことになる。この 時について語りうるのは預言者哲学のみであるが、その理由はこれが本質的に終末 論的であるからにほかならない。信者の一人一人が経験する人間的実存のドラマが 演じられるのは、これから二つの限界の間、つまり≪天における発端≫と、期待さ れるイマームの顕現によって≪他の時≫に向かって開かれている終末の間において のことである。顕現という終末に向かう≪隠蔽された時≫の進行こそは、預言の周 期につづくワラーヤの周期なのである[コルバン、2006:75頁以下]。

顕現という終末に向かう≪隠蔽された時≫の進行は、第三部の「はじめに」で論じたよ うに、M領域への運動を意味する。換言すれば、井筒とコルバンの比較哲学は、精神的体 験の観点からも、歴史の運動の観点からも、創造的想像力(M領域)の方に向かって動い

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ている。だからこそ、井筒とコルバンの比較哲学は、理論の基礎の観点からも、機能と結 果の観点からも、あらゆる歴史的な体系、あらゆる歴史的な「理解」、あらゆる歴史的な出 来事について沈黙するのだ。というのも、もし井筒とコルバンの哲学が歴史的な体系や歴 史的な「理解」、そして歴史的な出来事を引き受けるのだとしたら、彼らの哲学はそのとき 終わってしまうからである。歴史の運動が「終末の日」に至るとき、不在イマームが自ら の姿をあらわし、B領域がM領域において「現前」されてしまったとき、井筒とコルバン の比較哲学も終焉に至る。換言すれば、不在イマームが顕現するとき、すべての啓示の内 面的な意味が開示され、すべての宗教の実在は真の内面へと解釈される。こうしたアプロ ーチと理解が、「永遠の哲学」の意味である。従ってコルバンは、イマームの隠蔽と解釈(開 示)の間の論理的関係を、次のように表現している。

有名な伝承〔=ハディース〕の中で預言者〔ムハンマド〕はいっている。「もしもこ の世が残り一日となったおりには、神はこの日を、私と同じ名と異名をもつ私の後 裔が現れるまで引き延ばされるであろう。そしてこの男は、それまで暴力と圧制で 満ち満ちていたこの世に、調和と正義を満ち溢れさせるであろう。」この日は現に引 き延ばされているが、この日こそ隠蔽の時に当るのである。そしてこの宣言は、い ついかなる時にも、またいかなる意識の状態においても、シーア派の人々の中心に その反響をなり響かせている。霊的な信者たちがそこに認めたのは、イマームの到 来が、あらゆる啓示の隠れた意味を明らかにするであろうということである。これ は人類に統一を求めさせるタアヴェールの勝利であろうし、同時に隠蔽の時を通じ て神秘主義が、唯一の真の世界性の秘密を維持しつげけることにもなる。イランの スーフィーにてシーア派の大シェイフたるサアドッ=ディーン・ハムーイェ(七/

十三世紀)が、つぎのようにいっているのもこのためである。「隠れたイマームは、

人が彼のサンダルの革紐からですらタウヒードの秘密を理解しうるようになるまで は、姿を現すことがないであろう。」ちなみにタウヒードの秘密とは、神的唯一性の 秘教的意味に他ならない[コルバン、2006:84頁]。

上記のコルバンの文章には、次の二点が示されている。①コルバンと井筒の比較哲学の 方法論。彼らの比較哲学の方法論は、反対のオリエンタリズムにおいて用い荒れている方 法論のような推論に代わって、ハディースと神的な叡智を根拠としたものである。②彼ら の見方と意見は、その基礎からも結果と機能からも、超歴史的な「理解」であり、歴史的 な「理解」と歴史的な体系とは対立する。以下では、コルバンと井筒の比較哲学の基礎と 結果と機能を、その政治的な本質に照らして論じてみたい。

コルバンと井筒の比較哲学の基礎とその政治的な本質

本論文の第二部で論じたように、井筒はコルバンの影響のもとに『スーフィズムとタオ イズム』を著し、その後に、比較哲学(=東洋哲学)の本質と構造について具体的に考え た。この段階で井筒は、「相互理解の必要性」について論じる。なぜわれわれの時代に「相 互理解の必要性」が価値をもつのだろうか。この問いに対する答えは、比較哲学の本質と 二〇世紀に生まれて来たイデオロギー的な政治体系のうちに探求するべきであるように思