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井筒俊彦の比較哲学の意義について――「歴史を超える対話」とは何か

第三章 比較哲学に対する批判――比較哲学の結果をめぐって

第二部 井筒俊彦の比較哲学の意義について――「歴史を超える対話」とは何か

この責任は、どんな人間が引き受けるのだろうか?この国〔=イラ ン〕には伝統文化の精華であった人間の類型がある。それは「オラ ファ」(orafā)とされる神秘主義的神智学者であり、彼らの中で高 度な知は高度な精神性と高度な道徳性と切り離すことができない

〔中略〕ただこうした者たち〔オラファ〕のみが、世俗世界の脱聖 性化〔宗教とは無関係の世界が神聖さを失うこと〕の結果に立ち向 かうことができるのだろう。

(アンリ・コルバン『イランの哲学と比較哲学』、47頁)

はじめに

筆者は、第二部で以下に述べるような問題に直面し、複雑な主題と取り組まねばならな い。筆者が第二部で問題に対する取り組みと見なすものは、大きく以下の二つの問題に分 けるべきであろう。

第一の問題

第一の問題は言葉と術語という問題である。井筒の比較哲学は、その大部分がイスラー ム神秘主義に根本をおき、さらにそれに対するアンリ・コルバンの特殊な解釈にも根本を おいている。ゆえに、井筒の比較哲学の意義を分析し、その基礎と結果を提示するために は、必然的に、イスラーム神秘主義とそれに対するコルバンの解釈について論じねばなら ない。この問題設定ゆえに、われわれはイスラーム哲学とイスラーム神秘主義における様々 な術語、すなわちアラビア語とペルシア語の術語の解釈に取り組まねばならない。

さらに、他の大きな問題とも直面する。井筒もコルバンも、自らの比較哲学を構築する ために、イスラーム哲学やイスラーム神秘主義に属する諸々の術語と諸概念をその主要な 文脈からはずし、それらを他の学派や他の宗教の諸術語や諸概念と比較している。井筒の 比較哲学(=東洋哲学)の中心主題であり、また、本論文の中心主題でもある〈東洋〉と いう術語とその派生語は、イスラーム哲学やイスラーム神秘主義の中心的な術語である。

〈東洋〉(sharq)という術語はスフラワルディーの黎明の叡智の中心概念であり、本論文 の第三部が対象とするオリエンタリズムと反オリエンタリズムに密接に関係する。以下に アラビア語とペルシア語における「東洋」とその派生語の文字通りの意味、及び井筒とコ ルバンの比較哲学における特徴な意味を簡単に説明しておく。

アラビア語とペルシア語に「イスティシュラーク」(istishrāq)という単語がある。現 代アラビア語では西洋の東洋学のこと、あるいは、オリエンタリズムを意味する。この単 語から「ムスタシュリク」(mustashriq)という単語が派生し、東洋学者やオリエンタリ ストを意味する。いずれの単語とも語根(三つの子音)は、SH/R/Q(sharq)「シャルク」

であり、この語根は、「東方」、「東洋」、「東」をその意味の中核とする広汎な語彙群を形成 する。すなわち、SH/R/Q(sharq)「シャルク」の派生語として、同一語根から、例えば、

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イスティシュラーク、ムスタシュリク、イシュラーク(ishrāq;黎明、照明、東洋に至る こと(=悟ること)、マシュリック(mashriq;黎明の光の場所、東方)のような関連語群 が派生する。シャルクの派生語が指示するすべての意味が本論文の第二部と第三部の中心 的テーマをなす。

しかしそれにもかかわらず、「イスティシュラーク」と「ムスタシュリク」という単語の 意味が古典アラビア語の文脈(特にイスラーム神秘主義のテクスト)で詳細に検討されれ ば、現代アラビア語とは異なる意味が見出されることになる。古典アラビア語で「イステ ィシュラーク」は「〈東洋〉の探求」を、「ムスタシュリク」は「〈東洋〉を探求する人」を 意味する。勿論、現代アラビア語でもイスティシュラークとムスタシュリクは、「東洋の探 求」と「東洋を探求する人」を意味することも可能だが、現代アラビア語での東洋の概念 は、イスラーム神秘主義で用いられる古典アラビア語での〈東洋〉の概念とは異なる。

現代アラビア語で「ムスタシュリク」は、西洋の「他者」としての東洋(地理の東の 方にある国々で、ヨーロッパやアメリカの領域にない国々)に関して探究(イスティシュ ラーク)する人を意味する。このシャルク(東洋)は、現代トルコと現代ギリシアの間の 想像上の線によって西洋から区別される地理的な領域を指示する。しかし、いわゆるイス ラーム神秘主義における古典アラビア語で〈東洋〉は地理的な領域ではなく、形而上学的 な空間と立場を指示する。ムスタシュリクはこの形而上学的な立場を探求(イスティシュ ラーク)し、さらに精神的東洋を体験する人である。換言すれば、ムスタシュリクとはあ る種の神秘主義者である。だからこそ、古典アラビア語での〈東洋〉は、西洋の「他者」

ではなく、神秘主義者が自分の精神的体験によって精神的東洋に至る形而上学的・超越的 な立場を意味している。すなわち〈東洋〉は、すべての概念がそこにおいて解釈(tawʾīl)

されているまさに非質料的存在次元である。しかしそれにもかかわらず、筆者が本論文の 第一部で論じたように、〈東洋〉の形而上学的な意味は、イラン革命として具体化されるに 至った出来事との緊密に結び付けられているように、政治的・社会的な位相と不可分なの である。

第二部では以下のことが詳論される。井筒とコルバンの比較哲学のフレームワークに おいて、〈東洋〉という術語の意味が内包するものは、イスラームの領域を超出する。井筒 もコルバンも、イスラーム哲学やイスラーム神秘主義を、一方では、ハイデガー(Martin Heidegger;1889‐1976)の存在論(第三部の中で論じるように、この主題は政治的・社 会的な意味も有する)と、他方では仏教、ヒンドゥー教、道教、ユダヤ教、キリスト教、

新プラトン主義などの形而上学的な構造と対応させ、比較する。

これらの諸伝統・諸領域へと展開されて概念が拡大されることによって、われわれは様々 な認識論的問題と直面せざるをえない。従って、筆者は認識論的な問題を超克するために、

まず井筒とコルバンの比較哲学を方向づける主要な概念と術語を、それらが本来の文脈

――つまりイスラーム哲学とイスラーム神秘主義のコンテクスト――において有していた 意味へ遡源させ、その中から説き起こそうと試みる。それに続いて、井筒とコルバンの比 較哲学そのものの意義を分析しつつ、彼らの比較哲学において、イスラーム哲学とイスラ ーム神秘主義の諸概念と諸術語と、ハイデガーの存在論と諸宗教の形而上学の構造、この 両者の論理的関係を示したい。

41 第二の問題

第二の問題として取り上げたいのは、井筒とコルバンの比較哲学が提示する新しい定義 と「理解」という問題である。事実、井筒とコルバンの比較哲学は――その本質とアプロ ーチが超歴史(meta-history)であることが原因となって――人文科学において一般的とさ れるアプローチや哲学的な解釈に、完全には従わない。筆者がここで人文科学の一般的な アプローチと呼ぶのは、人文科学における歴史学あるいは社会学に基づく研究である。し かし、井筒とコルバンの比較哲学は人文科学の一般的なアプローチを離れる。彼らは自ら の比較哲学を神的な叡智、神秘主義、神秘体験、神話学、詩、道徳性などのような規範的 なフィールドの下に構築する。コルバンは井筒よりも、さらに、一般的な解釈や定義の水 準から離れていく。彼は歴史学や社会学などのような人文科学の分野の出現を、世俗主義 やニヒリズムが支配的となったことが主な原因であると主張する。例えば、彼は「ニヒリ ズムに対する解毒剤としての否定神学(De la theologie apophatique comme antidote du

nihilism)」という論文の中で、われわれの時代に、社会学と社会的なもの(social)は神

学と神的なもの(théos)の代理になり、その結果は世俗主義とニヒリズム以外のなにもの でもないとはっきり述べている[Corbin, 1979:36-37,参照]。換言すれば、歴史学、社会 学などのような人文科学は、強力な好敵手である神学(つまり、神について論じる学問)

を否定し、この否定によって人間は自らの神的な方向(つまり、〈東洋〉の方向)を喪失し て、世俗主義とニヒリズムの陥穽に落ちいったとコルバンは主張する[Corbin, 1971:14、

参照]。

井筒とコルバンは、人文科学の一般的なアプローチを離れるので、必然的に、彼らの比 較哲学は独自の哲学をもたらすことになった。例えば、現象学の意義に関するコルバンの 見解は、一般的な見解からは大きくかけ離れている。その乖離の原因は、コルバンが現象 学の理念をシーア派思想のそれと対応させていることにある。その結果、彼は現象学の理 念に関して、第二部で述べるようなシーア派的な解釈を提示するのである。このような形 で、井筒とコルバンの比較哲学は独自の思惟を示すので、われわれはその独自性を理解す るために、批判的なアプローチをとる必要がある。すなわち、筆者は井筒とコルバンの比 較哲学の独自性の基礎を検討することから着手せねばならない。それに基づいて井筒とコ ルバンの比較哲学の基礎を明確にすることで、その諸矛盾と諸結果がはじめて示されうる であろう。

以上の叙述で明らかにした二つの基本的な問題設定と、それぞれの問題を超克するため に、上記のような一つの解決方法を筆者は指摘した。しかし、この方法は単にそれに対応 する問題解決のためのものであり、第二部のすべての問題を解決し、普遍的なフレームワ ークを得るためのものではないと筆者は考えている。

勿論、さらに筆者はこの二つの問題とさらなる問題を乗り越えるために、また、井筒の 比較哲学の意義を明らかにするために、一つの普遍的なフレームワークを設定する。その フレームワークは、井筒の比較哲学のすべての次元を分析し表現することを可能にするも のであるべきだ。このような理由から、筆者はこの普遍的なフレームワークを、以下の三 つの根拠の下に、「歴史を超える対話」のフレームワークと名付けることにする。

第一の根拠