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第一章 反対のオリエンタリズムについて

第一節 オリエンタリズムと反対のオリエンタリズム

一八世紀末頃から「オリエンタリズム」という単語は辞典の中にも登録され、一般に普 及していたことがうかがわれる。その言葉は、東洋にかんする言語学、歴史学、人類学、

社会学など専攻を含む学問分野を意味した。一九八七年にエドワード・サイードが『オリ エンタリズム(Orientalism)』を出版した時、「オリエンタリズム」の意味は大きく変わ り、そこに新しい意味が与えられた。

サイードが「東洋」と呼ぶのは、西洋のオリエンタリストたちが自分の想像や観察に基 づいて、何世紀にもわたって作り出してきた幻想的な空間や領域のことである。オリエン タリズムも、この幻想的な空間や領域の存在によって世界を西洋と東洋という等しくない 二つの部分に分割する、そうした思考様式を意味していた。世界のより大きな部分は東洋 であり、西洋人はそれを「彼ら」と呼んでいる。より小さい部分が西洋であり、西洋人は それを「われら」と呼んでいる。

これに加えサイードは、外交の公文書、旅行記、西洋の政治家・小説家・詩人・言語学 者・歴史家の諸著作を検証することで、東洋は幻想的な空間ばかりでなく、植民地主義者 の国々とオリエンタリストたちの利益のために創造された西洋的な革新であることを推論 している。彼はこのことについて、以下のように述べている。

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わたしが、『オリエンタリズム』で試みたことを背後から支えたものの一部には、超 全とし非政治的であるかのように思われている人文学が、じつのところ、いかに、

帝国主義イデオロギーと植民地実践からなる悲惨な歴史に依存しているかというこ とを示そうという運動があった[サイード、2000、第1巻、95頁]と言っている 。

サイードは、オリエンタリズムが、植民地支配を支え、それを超えて支配の構造と論理 になっていることを指摘したのである。そのことを、少し詳しく確認することから始めな ければ、「反対のオリエンタリズム」という考え方を精確にとらえることはできないだろう。

また、コルバンを「オリエンタリスト」と呼ぶ一部の批判者の正当性と非正当性の区別も 曖昧になりかねない。これはそれを回避し、コルバンや井筒を理解するための準備作業で ある。

第一項 オリエンタリズムの定義

サイードは、オリエンタリズムを定義しオリエンタリズムと植民地主義との関連を描き 出すために、オリエンタリズムの以下の三つの定義を提示する。

第一の定義

学問に関係するものとしてのオリエンタリズム。

オリエンタリズムの特殊な、または一般的な側面について、教授したり、執筆した り、研究したりする人物は――その人物が人類学者、社会学者、または文献学者のい ずれであっても――オリエンタリストなのである。そして、オリエンタリストのなす 行為が、オリエンタリズムである[サイード、2009、上、19頁以下]。

第二の定義

思考様式としてのオリエンタリズム。

オリエンタリズムは「東洋」と(しばしば)「西洋」とされるものとのあいだに設け られた存在論的・認識論的区別にもとづく思考様式なのである。この種のオリエン タリズムで、詩人、小説家、哲学者、政治学者、経済学者、帝国官僚を含むおびた だしい数の作家たちが、オリエントとその住民、その風習、その「精神」、その運命 等々に関する精緻な理論、叙事詩、小説、社会詩、政治記事を書きしるすさいの原 点として、東と西とを分かつこの基底的な区別を受け入れてきた。ヘーゲル、カー ル・マルクス(1818-1883)、ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)等のような人物は この種のオリエンタリズムに属する[サイード、同上、20頁以下]。

第三の定義

同業組合制度(corporate institution)としてのオリエンタリズム

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この定義は先の二つの意味内容のいずれよりも、歴史的・実質的にいっそう明確に 限定しうるものである。オリエンタリズムを論じそれを分析するにあたって、ごく 大雑把に、オリエンタリズムの出発点を十八世紀末とするならば、オリエンタリズ ムとは、オリエントを扱うための――オリエントについて何か述べたり、オリエント に関する見解を権威づけたり、オリエントを描写したり、教授したり、またそこに 植民したり、統治したりするための―—同業組合制度とみなすことができる。簡単 に言えば、オリエンタリズムとは、オリエント支配し再構成し威圧するための西洋 の様式なのである[サイード、同上、21頁]。

サイードはこの三つの定義によって、オリエンタリズムの概念を言説の形のみで理解す ることができると推論している。この言説はある種の支配と差異化によって得られる。彼 はこの支配の言説や差異化の言説を次のように定義する。

言説としてのオリエンタリズムを検討しないかぎり、啓蒙主義時代以降のヨーロッ パ文化が、政治的・社会学的・軍事的・イデオロギー的・科学的に、また想像力に よって、オリエントを管理したり、むしろオリエントを生産することさえした場合 の、その巨大な組織的規律=訓練というものを理解することは不可能なのである[サ イード、同上、上、22頁]。

ある種の支配と差異化の基盤に建築された「オリエンタリズムの言説」は、おもに一八 世紀の普遍主義、合理主義、歴史主義、および一九世紀の植民地主義に根ざしている。「オ リエンタリズムの言説」のこの四つの特徴や特質によって、西洋の文明と歴史は世界史の 中心に置かれ、他の諸文明は西洋の文明と歴史の周辺に置かれた。このような状態で、西 洋の文明と歴史は、自分のアイデンティティーを他の諸文明から区別できるように、ある 種の支配と差異化に基づく「オリエンタリズムの言説」を打ち立て、東洋史と東洋人を近 代以前史や停滞した人々として配置した。

このアプローチから排除されているのは、歴史家たち、歴史哲学者たち、オリエンタリ ストたちによって制定されていた歴史の法則である。例えば、本論文の第一部で少し言及 したように、ヘーゲルは、よく知られたことではあるが、『歴史哲学』において、非西洋文 明に対する西洋文明の優位の根拠として、西洋の白人文化だけが世界史の目的を実現する 特権を持つものであり、アフリカやアジアの諸文化はそのための準備をするだけの役割し か担いえないのだと主張している。この観点からは、近代の西洋にとっての東洋の文明と 歴史は、西洋がそれを管理し、超え、排除しなければならない邪魔な文明と歴史として理 解されることとなる。こうして、サイードは、オリエンタリズムと歴史主義の間に一種の 関係をみつけ、そのことについて批判的に問題にする。

オリエントの歴史は――ヘーゲル、マルクス、そしてのちにはブルクハルト、ニーチ ェ、シュペングラー、その他の主だった歴史哲学者たちにとって――長い時間を閲し てきたひとつの地域と、背後に置き去りにされざるをえなかったものとを描写する うえで役立った[サイード、2003、下、304頁]。

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サイードにとって、歴史家たち、歴史哲学者たち、オリエンタリストたちによって制定 されたオリエンタリズムの基礎を形成する歴史の法則は、何よりもオリエンタリストの想 像力と大いに関係する。すなわち、オリエンタリストは東洋を独立性、真実の事象として ではなく、幻想的・主観的なものや他者として想像する。この想像的な見方から出て来る のは、オリエンタリストによって解釈された「幻想的な東洋」である。すなわち、「遠く隔 たった、ほとんど見きわめのつかない文明や文化遺産の前に立ったオリエンタリズムの学 者は、このつかみどころのない対象を翻訳し、共感的に描写し、内的に把握することによ ってその曖昧性を軽減させた」[サイード、2003年、下、55頁]。このような状態で、「オ リエンタリストはいつもオリエントの外側に立ち」[サイード、同上]、東洋と東洋人を自 分の幻想的理解に基づいて解釈する。

オリエンタリストの解釈的な方法論では、東洋は常に不在であり、現前するのはオリエ ンタリストである。さらに、この種の解釈的な方法論では、東洋は常に沈黙するものであ り、自らについて語る言葉を持たず、すなわち、理性的ではなく、合理性を欠いており、

東洋に関して言語化できる術を有しているのは、オリエンタリストである。その結果、東 洋はオリエンタリストの解釈的な見方によって、いくつかの幻想的な概念に還元される。

オーストラリア人の社会学である、ブライアン・ターナー(Bryan Stanley Turner;1945-)

が論じているように、この幻想的な諸概念は東洋を以下の四つの概念へと還元する

[Turner, 2003, 96-100]。

第一の概念 独裁力:

これにかんして、モンテスキュー(Montesquieu;1689-1757)の『ペルシア人の手紙』、 マルクス(Karl Heinrich Marx;1818-1883)のアジア的生産様式、ヘーゲルの『歴史哲 学』を指摘することができる。これらの著作の内容は、東洋の社会を独裁的な社会として 描いている。

第二の概念

社会的な変化の欠如:

ヘーゲルの『歴史哲学』、モンテスキューの『法の精神』、アダム・スミス(Adam Smith;

1723-1790)の『諸国民の富の性質と原因の研究』などの著作は、東洋の諸社会は自らの 歴史的・社会的な状態を変更することが出来ないと主張する。

第三の概念

セクシュアリティと官能:

エドワード・ウィリアム・レイン(Edward William Lane;1801-1876)の『近代エジ プト人の風俗と習慣』、フローベール(Gustave Flaubert;1821-1880)の愛人であったク チェック・ハヌムに関する話などの著作は、東洋をセクシュアリティと官能の概念として 照らし出している。