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中国大学における産学連携の推進

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中国大学における産学連携の推進

馬 陸亭 (Ma Lu Ting)

中華人民共和国教育部(国家)教育発展研究中心高等教育研究室主任、研究員

1963年8月生まれ。1999年、北京航空航天大学経営科学専攻、工学博士取得。かつては体制改革研究室副主任。現 在、北京航空航天大学の兼職教授及び博士学生の指導教官、北京師範大学及び中国政法大学の兼職教授、中国工程院

-北航工程教育研究中心の研究員、北京价値工程学会理事。中国における重大教育政策問題の調査研究及び文書作成 業務に度々参加し、これらをサポートし、中国全土の教育科学計画の重点的課題を担当。専門書2冊、共同著書5冊、

中国内外で200余りの研究論文を発表。主な代表作に『我国高等学校的分層与管理』(わが国における大学の分層と 管理)、『Cultivating Competency in Engineering Students』(工科生の育成能力)、『高等教育資源優価配置的理論依拠及模式選択』(大学の資源割 り当て最適化の理論根拠とモデル選択)、『学科費用係数的測算』(学科費用係数の計算)、『高等学校的科技政策』(大学の科学技術政策)、『論新時 期的精英教育質量観』(新時期のエリート教育品質観を論ずる)、『建設一流的高騰学校体系』(一流の大学システムを建設する)等。

産学官連携とは現代の生産と科学技術の発展に 基礎を置く、現代高等教育における特徴で、中国 全土で徹底的に実行されている教育方針であり、

教育の質を向上させるにあたって重要な要素と なっている。そこで1995年の『教育法』では、「教 育は社会主義の現代化に貢献すべきものであり、

生産労働と連携すべきものである」と規定されて おり、1998年の『高等教育法』では「高等教育の 使命はイノベーション精神と実践能力を備える高 レベルな専門的人材を育成し、科学技術の文化を 発展させ、社会主義の現代化建設を促進すること である」、「中国国家は大学と科学研究機関及び企 業の事業組織間における連携発展を推奨する」と 規定されている。また、1993年2月13日に中国中 央政府が発布した『中国の教育改革及び発展概 要』では、「高等教育は実践的な教育と訓練を強 化し、社会における実際の業務部門との連携的育 成を展開し、教育・科学研究・生産の3分野の連 携を促進させなければならない」と指摘しており、

さらに2006年1月16日に発布した『科学技術計画 綱要と自主的イノベーション能力強化に関する決 定』では、「自主的イノベーション能力の強化に 当たって、企業の技術イノベーションにおける主 要ポジションを強化させ、企業を主体とした、市 場志向の、産学官が連携した技術イノベーション システムを形成することが必要である」と指摘し ている。そして近年来、中国の産学官連携は種類 ごとにゆとりを持った形式による組織・連携の発 展を試みている。

一、中国における産学官連携の歴史

中華人民共和国の産学官連携は1950年代に始ま り、1980年代に発展を遂げている。建国後初の産 学官連携はより直接的なもので、改革開放後に比 較的大きな発展を遂げ、この数十年間で次第に理 性を回復させ、新たな模索を開始した。

1.大学の門戸開放時期

中華人民共和国成立から改革解放までの期間

(1949-1978)を指す。

中華人民共和国は1949年10月1日に成立し、人 民に依拠した革命による政権が樹立した。そのた め、中国の国家政策は人民の利益を第一とし、国 家の建設を第二としたものであり、当時「社会へ の学校門戸開放」という方針が強調されていた。

例えば1949年12月に召集された第一回全国教育会 議では、「教育は中国国家の建設に貢献すべきも のであり、学校は労農大衆に開放されるべきであ る」ことが明確にされ、1950年8月14日に中央政 府が承認した『大学暫定規程』では、「大学のモッ トーは、理論と実際が一致した教育方法によって、

高レベルな文化水準を備え、現代の科学と技術を 成就させることが可能で、さらに人民のために誠 心誠意を尽くす高レベルな人材を育成することで ある」と規定している。

その後、中国はソ連における学校運営方法に学 び、業務と専門の一致性に焦点を当てた人材育 成を始めた。そこで1952年-1957年に、大規模な 大学学部調整を行い、総合大学と専門単科大学の 性質と任務を明確にし、とりわけ工科大学の建設 に力を入れ、初歩の中央直属の大学、職業部・委 員会が属する大学と地方大学の3大構造を形成し、

学校と産業の連携を密にした。1957年の中国全国 の総大学数は229校だが、そのうち単科専門大学 は211校で、その数は全大学数の92%を占めてい た。当時は専門性の幅が狭いという欠点はあった ものの、学生の業務に対する順応は速く、また実 践も非常に重視されていた。

1958年、中央政府は『教育業務に関する指示』

を発布し、その中で「教育と生産労働の連携」と いう方針を提起した。さらに翌年の1959年には一 歩進んで、教育、生産労働、科学研究の3連携体 制を形成すべきであると提起し、教育を中心と

馬 陸亭

した、教育を取り巻く生産労働及び科学研究を強 調した。そこで1958年には、北京航空学院の教師 と生徒が100日間を利用して当校内で「北京一号」

という軽旅客機の設計・生産を行った。また、中 国で大慶油田が発見された後の1959年には、北京 石油学院の教師と生徒がその教室を大慶油田の調 査現場に移し、700人余りの教師と高学年生徒が 油田建設に直接参加した。そしてこの頃には農作 業で働きながら勉強する大学も試験的に運営され た。

1961年に中央政府が直接発布した『教育部直属 大学の暫定業務条例』では、大学生が生産労働に 参加する目的を、労働習慣を育成し、労農大衆と 密接に関わりあうこととし、理論と実際を結びつ ける原則を一層徹底させた。また、各専門の特徴 に基づいて、教師と生徒が参加する生産労働の内 容、方法及び時間をそれぞれ決定した。そして 1966-1976年の「文化大革命」時期には、学校の 門戸開放は極端に走り、大学を工場・農村に移す ことを主張し、理工科大学は生産・科学研究の任 務におけるモデルプロジェクト、モデル製品、モ デル技術及び技術イノベーションと連携した教育 を実施しなければならなかった。当時は重点を最 優先し、必要なことは先に学び、実践しながら学 ぶという教育方針が実施されていたが、これは理 論の基礎性や系統性を無視するものでもあった。

2.産学官連携の発展・繁栄期

改革開放の初期から20世紀終わり頃までを産学 官連携の発展・繁栄期という。1978年、中国は改 革開放の基本的国策を開始した。大学は次第に「教 育、科学研究、サービス」の3大機能を完全化し、

中国現代化を支える重要な柱となり、それと同時 に全面的な発展を望む人々の要求を満たした。

(1)大学の科学研究と技術開発の成長

改革開放以前の中国の大学では、教育による人 材の育成を主としていた。当時、中国はソ連の体 制モデルに学び、人材育成を主とした大学体系と 科学研究を主とした科学研究院システムをそれぞ れ樹立した。そのため当時の大学の研究は非常に 補助的な位置にあった。

しかし、大学の科学研究は次第に重視され、「2 つの中心」説が生まれた。その例として、1978年 3月18日の全国科学大会の報告の中で、中国の国 家指導者は「大学は科学研究における一つの重要 な軍隊であり、大学は教育の中心であると同時に 科学研究の中心でなければならない」と提起して いる。

1985年3月、中央政府は『科学技術の体制改革

に関する決定』の報告の中で、「大学と中国科学 院は基礎研究と応用研究の方面で重要な任務を 担っている」、「基礎研究と応用研究は人材育成と 密接に結ばれていなければならない」と指摘して いる。また、同年5月に中央政府が『教育体制の 改革に関する決定』の報告の中で、「大学は高レ ベルな専門的人材の育成と科学技術文化の発展と いう重大任務を担っている」、「重要な学科が比較 的集中している大学は将来、自然と教育の中心、

そして科学研究の中心となるだろう」と指摘して いる。

また1993年に中央政府が発布した『中国の教育 改革と発展綱要』の中でも、「大学教育は高レベ ルな専門的人材と科学技術文化の発展及び中国の 現代化という重大な任務を負っている」と重ねて 述べられている。そして1994年、中国国家は「211 プロジェクト」の建設を開始した。また翌年の 1995年、中央政府は「科教興国」戦略を打ち出し、

さらに翌年の1996年に国務院が発布した『「九五」

期間における科学技術体制改革の深化に関する決 定』では、「中国の科学技術体系は『企業を主体 とし、産学官が連携した技術開発体系と、科学研 究員及び大学を主とした科学研究体系、及び社会 化された科学技術サービス体系、である』」と提 起している。また、1998年に中央政府は「985プ ロジェクト」建設の実施を決定した。

この頃大学側もますます研究業務を重視するよ うになり、科学研究、人材育成及び社会サービス は3大基本機能となった。そして中国全土の多く の大学で、その教育任務を完了させると同時に、

様々な形式による科学研究と技術開発が展開さ れ、一部の単科専門大学では、教育と科学研究を 同様に重んずる構造が形成され、中には次第に研 究型大学へと成長を遂げた大学もあった。

(2)良い成長環境にある産学官連携

産学官連携を取り巻く良好な環境の一つとし て、大学の科学研究と技術開発の強化を目的とし て産学官の連携を緊密にするための基礎がすでに 築かれていることが挙げられる。

第二に、大学と企業の自然な結びつきが非常に 緊密であることが挙げられる。当時、中国の大学 教育の管理体制における計画経済の存在は未だ色 濃く、条件が比較的良い大学の多くは各業種の中 央業務部門による直接管理を受けていた。これら の大学は当業種のための人材育成を主として行 い、部門と商品経済に貢献するという特徴を反映 していた。そのため当時単科専門大学が比較的多 かったにも関わらず、人材育成モデルは単一で

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