を操作する工員たちは、機械のうなりを聞いて、その機械が今快調であ るかどうかを知り、それによって、仕事の能率を考え、また危険を未然 に防止することに役立てているのであります。」(37)とあるように、敵 機の発見や工場での生産の向上など、国防上・産業上の要請が音感教育 の目的とされており、音楽聴取の基礎としての音感教育とは考えられて いなかった。
大正初期には進歩的な実践者たちによって、子どもの自由な表現や創 造性の問題がいろいろと論じられ、試みられてきたが、国民学校の音楽 の学習内容には、創作は取り入れられなかったことからも、それらは個 人的な試みの域を脱することなく、発展の機会を失ったと思われる。ま た、国民学校芸能科の目的には、国家主義による伝統芸術の尊重、さら にそれを創造的に発展させるための基礎になる教育ということがうたわ れていたものの、その具体的な方法は十分に示されていないので、観念 的な題目の域に止まってしまったとみてよいであろう。
国民学校における音楽教育は、皇国礼賛・軍国謳歌にかたよった教材 と、精神訓練をめざすものであったため、子どもの自由な活動や、創造 的な学習は事実上出来なかったであろうし、また教師自身も新しい国民 学校教育を吸収することで精一杯であったため、進歩的な意味をもつ創 作教育などは行なわれなかったといってよい(38》。
第4節 戦後の「学習指導要領」に見られる創造性の理念
第1項 終戦から学習指導要領成立までの過程
1945年(昭和20年)8月28日、敗戦直後の混乱状況の中では
あったが、文部省は「時局ノ変転二伴フ学校教育二関スル件」の通達を 出し、 学校授業再開 を図り、つづく9月15日には「新日本建設の 教育方針」を発表した。その前文には「従来ノ戦争遂行ノ要請二基ク教 育政策ヲー掃シテ文化国家、道義国家建設ノ根底二培ウ文教諸政策ノ実 二努メテイル」と述べてあり、今後の教育についても、その第1項目の
「新教育ノ方針」の中で、 「…軍国的思想及政策ヲ払拭シ平和国家ノ建 設ヲ…」目指す、という進歩的平和的な方向を明らかにしたのである。
そして、その後同年内に占領軍総司令部から四つの司令が出されたこと により、かつて高度国防国家建設のための軍国主義的・超国家主義的教 育から民主的・平和的な国家社会を建設するための教育への転換を計る べく補強され、具体化されていくわけである。
そのような方策の具体的な現れは、まず昭和20年の「終戦二伴フ教 科用図書取扱方二関スル件」や、21年の「国民学校後期使用図書中ノ 削除修正箇所ノ件」などによる戦中の教科書の処理に見られる。つまり、
敗戦・占領下にあっては超国家主義・軍国主義の思想を排除することは 至上命令であったから、それが直接に看取され得る教科書の処理は急を 要したのである。そこで、いわゆる 墨塗り教科書 が用いられた。音 楽科における特に顕著な現れは、 「階名唱法」(39)への移行があげられ る。前にも述べたように国民学校時代は国防上の一手段として音感教育 が提唱され、日本音名のイロハによる「音名唱法」が採用されていたが、
文部省で種々検討の結果、かつて用いられていたドレミによる「階名唱 一69一一
法」を原則とするようになったのである。
そして、翌年(昭和21年)5月、文部省は「新教育指針」を発表し、
「教育の民主化」の方向を打ち出した。それには、 〈教育制度を民主化 すること〉、 〈教育内容に民主主義を取り入れること〉 〈生徒の人格を 平等に尊重すること〉等の方針があげられているが、その第6章「芸能 文化の振興」には、学校音楽の在り方を根本において規定する芸能の捉 え方が表明されている。(40》
その第1節には、芸能文化の振興の理由が述べてあり、要約すると次 のようになる。
「戦後の復興・建設」のためには、 「ゆとり」と「うるおい」と、そ れを有効に用いる「たしなみ」が必要であり、この要求を充たすもの がまさに「芸能」であり、 「芸能文化の振興」が「新日本の教育の重 点」となる。
またその第2節には、今後の芸能文化の方針が、次のように述べられ
ている。
①新しい芸能文化は、それ自身が人生の目的として追求せられべ く他の目的の手段であってはならない。
②新しい芸能文化は統一調和を本質とし、平和建設に役立つもの でなければならない。
そしてこの第2項には音楽に関する方針が述べられているが、要約す ると次のようになる。
「芸術の本質は美であって、それはく統一と謂和〉によって成り立っ ているが、音楽の場合、『多くの音はそれぞれ固有の高さや強さや長 さを保ちながらも、全体がよく統一され調和されて、美しい調子(リ ズム)と旋律をあらわす』わけで、このように全体を構成する個々の 要素がそれぞれ固有性を発i揮しっっ、全体としての統一と調和を保っ て美を表現する芸術は、いってみれば『民主的な社会において、人々 がそれぞれの個性を発揮しながら、秩序と共同によって結びつき、平 和な生活を営むことと同じ原理に立っている』のである。」
さらに第3節には、芸能文化振興の条件・方法として、 「幼少な者に 芸能の芽生えを育てること」、 「芸能的情操を日常生活において実現さ せること」、 「すぐれた作品との接触によって養わせる」などが述べら れている。その中で音楽に関しては「音楽で養われる美感を、言語や動 作の美しさにまで及ぼすことが望ましい」として、最終的には独自の自 己表現への期待がこめられている。
その後、昭和21年11月に「日本国憲法」が公布され、この精神に
基づいて、翌年、昭和22年3月には「学習指導要領一般編」 (試案)「教育基本法」 「学校教育法」が制定公布され、民主主義を基本とした 教育体制の基礎が確立されていく。尚、この学校教育法の小学校教育目 標の中では、 「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について基 礎的な理解と技能を養うこと」が芸術教育の目的とされていた。
以上おおまかに敗戦直後の教育政策の推移をたどってみたが、このよ うな経過を経て、昭和22年6月に、初めての「学習指導要領音楽科編」
が試案として発行された。戦後の教育の流れは、この学習指導要領の穴