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喜んで、楽しんで活動すること自体が大切なことであり、そこに音楽教 育の意味があるのではないかと思われる。

②音楽教育と創造性

 前項で、芸術としての音楽が創造的であるということを述べた。では 音楽における創造性の概念を、実際の学校音楽教育においてどのように 生かし、援用させ得るであろうか。

 音楽教育における創造性を、先に述べた芸術としての音楽の創造性と 同一に考えることはできないと思う。なぜなら、人間形成という学校教 育の目的、学習者が子どもであるという条件と、マスローのいう「自己 実現の創造」を考えるならば、音楽を創造するとは言っても、芸術的意 味での創造とは様相が異なってくると思われるかである。学校、ことに 小学校における音楽教育は、音楽家を養成する場ではないからである。

しかし、先の第一項で述べたように、音楽の営みが「創造的に音楽に関 わっていく」ことが基盤になるように、音楽教育においては「創造的に 音楽に関わらせる」ことがその基盤になるであろう。

 一般に「自然に還れ」という標語によって捉えられ理解されているル ソー(Roussesu J.J.)の思想と彼の音楽教育観を見ると、彼は、著書

『エミール』の中で、「音楽をより知るためには表現するだけでは十分 ではなく、作らなければならない。そして表現することはっくることと 一緒に学ばなければならない。そうしなければ、けっして十分に音楽を 知ることはできない」(4nと述べている。この表現は、子どもの音楽創 造への導入を示している。これは、従来の受動的な子どもの音楽学習の 方法から、能動的な子ども自身の音楽の世界への取り組みを先駆してい るという点において注目に値する。 音楽教育における創造性の意義の 第一は、 「子どもからの音楽」あるいは「子どものための音楽」という

子どもの独自性の認識を出発点とし基礎に据えた音楽が構想され、創造 されるという点である。それは、子ども自らの音楽的活動を起点にして、

子どもの内面、とりわけ、個性の発現を目指して行なわれる主体的な音 楽づくりにおいて、最も顕著な特徴となって表れる。そして第二は、子 どもの日常における身近な素材により、欲求と体験に基づいて模索し、

イメージを描きながら形づくろうとする心的過程において生まれるであ ろう新しい音や響きの創意と工夫という点である。(42)

 この「主体的な音楽づくり」、 「新しい音や響きの創意と工夫」は、

まさに創造的活動であり、これらは、外からの音刺激が子ども自身の能 力に応じて、他律的なものから自律的なものに変え得るとき、または子 ども自身に音楽的活動を内発的に生み出す力が形成された時、可能にな ると考えられる。そして、この創造的活動は、あくまで子ども一人ひと りの主体的な活動の上に成り立つのである。主体的とは、①意欲的であ り、②自主的であり、③価値追求的であると考えられる。(43》

 音楽教育において意欲的とは、音楽に興味を持ち、音楽の美しさを求 めて自己を高めていくことであり、自主的というのは、今まで経験し習 得した能力を、独自の個性的なものとして表現する創造的活動であり、

価値追求的というのは、人間の創造的な所産である音楽芸術を追求し、

ますます発展させていこうとする建設的な態度であるといえよう。つま り、 「音楽を学ぶことが、心から好きになり、それに没入することが、

創造性を生む母体となる」(44)のである。

 そして、さらに「創造的に音に関わっていく」ために、その不可欠な 能力として「自己表現力」が挙げられる。音楽教育の場合、子どもの音 楽活動は自己発現の場として出発しなければならないと考える。音楽に おける自己表現力をどのように捉えるか。まず、表現しようとする意欲、

主体的な態度があげられるであろう。この意欲と態度なくしては自己表 現が成り立たない。つまり、これらが自己表現をするための出発点なの である。さらに、何を、どのように表現するのかついて思考、構想、判 断する能力が存在するであろう。すなわち、音楽表現する内容を決定し、

それを演出していく能力である。ここには、当然音楽性や個性などが複 雑に絡み合ってくる。そして、自己表現力のもっとも表層的な部分には、

音楽に関する技術的な能力が位置していると思われる。音楽で自己表現 を成し遂げるには、これらの能力や資質が蓄積されなければならない。

 音楽の授業において、この「自己表現力」を育成しようとする際、表 現技術の問題が浮かび上がってくる。 「テクニックが進歩するにつれて、

音楽的な深さや巧みさを増し、それによって、音楽のより深い愛着や理 解力も高まっていく」(45》。このことは、自らの音楽を表現するために は、基礎的技術の錬磨が重要であり、技術の追求によって子どもの音楽 的能力の発達もまた確実なものとなるということを端的に表現したもの である。このように、音楽と関わるためには、技術は不可欠であり、創 造的活動が有効に行なわれるためには基礎的技能を身につけなければな らない。新しい着想を得、イメージを浮かべたとしても、それを表現す る能力や技術なくしてはそれらが生かされないのである。しかし、従来 の音楽教育では、ともするとこの技術の指導が前面に出すぎて、子ども は音楽を楽しむどころか、むしろそれが音楽嫌いを生み出す原因の一つ にもなった。創造的な音楽活動において基礎的技能に偏りすぎると、子 どもは音楽に創造的に関わるどころか、具体的な音楽思考活動から遠ざ かり、受動的で機械的な反復練習に陥り、創造的活動は生まれてこない。

また、 「創造性」を発揮させようとして、先ず技術を伸ばそう、理論を

一47 一一

教えようとすると、逆に子どもの創造性の目は摘み取られてしまう。ま た、手本を示してこのようなものがよいのだとしてしまうことも同様の 結果を生む。しかし、反対に創造的活動を子どもの全くの自由に委ねた り、単なる型にはまった模倣的表現や、技術に裏付けられた再構成では なく、ともすれば意味のない奇抜な発想の活動を評価して、創造的活動 とする考えは、技術の枯渇をまねく恐れがある。ささやかな技術の習得 であっても、 「自分ができるようになった」という成功感、充足感は自 信につながり、それが大きなバネになって表現の意欲を増幅し、その質 を一層高め変容させていくことにもなる。このように、音楽の表現には いつも技術がっきまとうが、技術それ自体、あるいは創造性自体を目的 をするのではなく、技術の習得と創造性が共存し、助長しあう場を学習 の中で設定しなければならないし、そのようなカリキュラムを構想しな ければならない。また、子どもが新しいアイディアを考え自己実現を目 指しているときにこそ、子ども自らが新しい理論を見つけだし、新しい 技術を発見していくものである。

 音楽の学習の場ではただ単に「楽しい」でとどまるのではなく、 「音 楽の良さ(美しさ)がわかる認識能力あるいは感受性、そして自分もで きるという表現技術」に裏付けられた「楽しさ、愛好心」でなければな らない。創造的な音楽表現への道は、すべてこれらの協応作用によるも のであることを念頭に入れておく必要があろう。(46}

 技術と創造性の問題は、現在、創造性を育成するための音楽学習、い わゆる「創造的音楽学習」と名付けられている試みにおいて、筆者が抱

く疑問の一つでもある。つまり、そのねらいが、音楽に取り組もうとす る動機や態度を高めるためなのか、それともやはり音楽そのものを学ば せるのか、実践において統一的・共通的な理解がなされていないのであ

る。この問題点については、第三章で詳しく触れてみたいと思うが、筆 者が創造性育成における「技術の習得」をどのように捉えるか。それは、

歌唱技術、演奏技術、作曲技術等を反復訓練して、正確に身に付けさせ ることだけではない。無論これらを軽視するわけでもないが、これまで 筆者が「技術の習得」と言ってきたものには、その前提に音楽による楽 しい「経験」がある。ファンジェのいう、 「創造することは、既存の要 素を新しく組み合わせることにすぎない」の、既存の要素とは「経験」

と捉える。つまり、まずいろんな音・音楽に触れさせることである。そ れによって、 「歌いたい、弾きたい、聴きたい、やってみたい」など、

子どもの内発的な感情意欲を引き出すのである。そしてその経験に基づ いて、子ども自らが表現の創意工夫をすることが音楽的創造活動の第一 歩と考えるのである。美しい、素晴らしい音楽を聴いたり、演奏を見た りして感動する、初めはその模倣から入っていっても良いと思う。模倣 は創造の前提である。そして、その模倣から次第に独自の表現へと誘導 させていくのである。そこで、教師はその子どものアイディアやイメー ジを大切にしながら、それが一番効果を発揮できるような助言を与えた り、またその子どもの能力や個性にあった指導・援助を行なう。創造的 活動の前提に基礎的技術の習得を位置付けるのではなく、創造的活動の 過程のなかに基礎的技術の習得を位置付けるのである・

 以上、音楽教育における創造性について述べてきたが、筆者が考える ところは、音楽教育において音楽能力と創造性は共同して働くものであ り、また主体的に音楽と関わった時に、創造性が生まれてくるというこ とである。そのためには、一人ひとりの子どもたちが、個々の能力に応 じた創造的活動ができる教材や場の設定が考えられなければならない。

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