幾尾のいう創造的学習の基本理念及びその条件は、現在重視されてい る創造的音楽学習に通じるものがみられる。ただ、彼の言う「発展的」
という意味には、子どもの自由な活動を認めながら、究極的には音楽的 能力を正確に身に付けさせるという意図が内在している。また、彼は、
音楽の基礎技能としての読譜力に生涯をかけていたように、「併せて読 譜力を益々徹底せしめ様といふ」限定において「自由作曲」を認めてい たのである。(18》
一方この「作曲」について、長妻完至(1891〜1957)は若干違った見解 を表明している。彼は、著書『児童の作曲について』(19)の中で、児童 の作曲について次のように述べている。
私の云ふ児童作曲、即ち襲表の一面としての児童の作曲は、表 現せられた創作そのものS債値を云々するのみではなくして、寧 ろ其の創作た奎る迄め過程を尊重するのであります。又此の創作 によって、より多くの音楽の理解力を啓倍し、眞に教育的に又は 芸術的に藝術的に、債値の優れた専門家の作品に回れさせて、そ の充實した内容にまで溶け込ませ、以て眞に音楽の法悦境に慌惚 とする、と云ふが如き境地に迄誘導するのであります。従って児 童の作曲は、創造教育の嚢達過程に於て、最も重要な地位を占め てるると云ふ考え方なのでありますから、之が指導に工夫を凝ら し意を用ふるこることは、決して無意味の事ではないと思ひます。
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また、その出来上がった旋律は「小さい藝術」であり、 「實に貴重な 自己表現」(21)であるとしている。そして、さらに児童に作曲を課す場 合には、 「先ず児童の感情の整理があり…(中略)…最も純真な弓術
を率直に表現させる必要があるのであります。換言すれば、指導者が児 童の個性を虐げるといふ事なしに、自由に楽想を練らしめ、彼等の想像 を拘束することなしに、旋律を創作させる」と述べている。
この長妻の見解は、青柳と同じように過程に重きを置いていることが わかる。また、子どもの作品がどのようなものであっても、一つの芸術 作品であり、また自己表現であるという点でたいへん興味深い。しかし、
児童作曲の前提には「音楽上の一般概念」 「楽典の大要の会得」 「楽譜 に関する知識」がなければならない(22}とし、青柳と同じ様に児童作曲 を課するのは「小学校第五学年から」と限定している。
草川宜雄く1880〜1963)は、著書『最新音楽教育学』(23}の中の「現 代音楽教育思潮」で、 「創造力の進歩発展」として「創造力を発展させ る思想は、プロシアが新国家を建設するときの、独立の精神によるもの だ」(24》とし、また、ルソーやホルシュティークの思想を基に、 「音楽 は、素材として學びまた練習すべきものではなく、むしろ創作させられ るべきものである。即ち三生はこれを一つの死んだ材料として學び、或 は練習することではなく、各の響く音を多くの音に結合させて、色々の 練習色々の歌曲を作り、創作によるも再生によるも、いずれにしても新
しいもめを作り出す様に教育すべきである。」(25)としている。そして、
さらに 即興作曲 について、 「音楽の學習は、決して死せる音材料を 學び、死せる音材料を練習するものではなく、心に響く音、心に響く音
と音との結合、生ける音についての諸練習、生ける歌謡曲の構成等を學 び、此等を新鮮なるものとして、内的に構成せしめるものでなければな らぬ。」 「音楽は時間的継続の音運動であり、旋律は決して音材料では なく、寧ろ吾人め心に響きわたる音運動であり、音運動によって振動す る官能を新に明にするものであることは、読書に於ける言葉を正しく解
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釈するに止まらず、言葉の表出する意味により内的運動過程を再帰せし む事にも比すべきであらう。音楽教育に於ては、学生をして此の音運動 を凝視し、これを心深くに響かせることを學ばすべきである。」(26}と し、このような音楽の創作的教育は、 「一つ一つの音楽を燈験し、また その次に来る音楽を経験するといふ様に、数度め艦験め蓄積によって構 成せらるべきものである。」と述べている。(27}
このような草川の考えは、第一に創造性を創作に限定せず、再生の学 習である歌唱や器楽にも求めていること、第二に音楽の学習を単なる表 面的な知識の習得や練習ではなく、子ども自身の内面に求めていること、
そして第三に子どもの音楽体験を重視しているといった点で、筆者の音 楽教育における創造性の捉え方と類似している。
最後に、大正期の音楽教育における顕著な動向であった「童謡」や、
「作曲」 「器楽」という新しい試みには否定的であり、 「全我的自己表 現」である「唱歌(歌謡)」と「鑑賞」を重視していた北村久雄は、著 書r音楽教育の狙い処』(28}の中で、 「私は音楽教育の狙ひどころは、
児童をして音楽的美的直感を髄験せしめることである」(29》とし、今後 の音楽教育の在り方として、 「児童に教材を傅授したり、歌ひ方を傅授
したり、音楽の物識を作って居る様な方法を脱して、兜童をして音楽を 生活せしめることに観点を注がねばならない。この児童をして音楽を生 活せしめると云ふことは、換言すれば、音楽に対する自宗を得しめるこ とであるとも見られる。音楽美の客観的要素を認識せしめ、創造的立場 に於いてぞめ音楽め美を自寛せしあることである。」(3ωと述べている。
このように、音楽教育における創造性の教育、あるいは創作教育に関 する理念は、各主張者によって多少異なってはいるが、わが国における
「創造性」を重視する思潮は、この時代の「自由作曲」 「創作教育」の 提唱によって、萌芽を見せたといってよいであろう。しかし、一部には 唱歌の授業は「自由作曲」のみをやらせるといった行きすぎも見られ、
また、このような「創造性の教育」の実践者は、ごく一部の進歩的な人 たちに限られており、当時の社会体制から見ても、全国的に広まってい ったとは考えにくい。
しかし、わが国の〈唱歌教育〉が、明治10年代にその産声をあげて 以来、 〈音楽教育〉へとめざましく発展・展開していったのは、この大 正期から昭和前期の時期であったと言える。また、それはそれまでの教 師中心の唱歌のみの教育からの脱皮であり、児童中心主義や活動主義の 理念の下に、それまで分離しがちであった音楽の総合学習として捉え、
さらに体験的学習・創造的学習を目指した芸術教育としての音楽教育へ の転換期であったといえるものであった。それゆえ、この時期の思潮は、
第二次世界大戦後の音楽教育にひとつのモデルを提供したといっても過 言ではないであろう。