以上のように, 緊急時における政策決定には解決困難な問題がある。 そ れが, ルーマンが指摘した 「リスクのパラドクス」 という逆説から説明で きる。 前述のように, ルーマンによれば, 不確実性と複雑性を内在する危 険性について, 科学的・工学的にあらかじめ予測し, そして管理・制御を しようと試みることによって, さらにリスクが増加するのである。 ルーマ ンは, システムにおいてあらかじめ合意形成された平常時の慣習や規範コー ドは, 自己言及的に再生産と再編成を繰り返してシステムにコード化すな わち組み込まれていくと指摘した19)。 この平常時における慣習や規範のコー ド化により, 目前に迫っている危機に対処する時でも, その平常時の慣習 や規範コードに従った行動様式をしてしまう。 その慣習や規範コードが, 日常的に強く組み込まれているのが政府や地方自治体などの組織である。
彼らは, 非常事態にあっても, 容易に慣習化や規範化されたコードを変更 していくことができないのである。
リスク管理は, 測定可能な範囲で対策を進めるために, 逆に 「想定外の 事態を想定する」 ことができないという逆説を常に抱えるのである。 さら に, 「想定外」 の事態を想定すれば, それは 「想定内」 になると同時に, 対処の複雑性を増加させていく結果, 予測不可能なリスクが増加する。 こ の循環のために, 現実に 「想定外」 の事態に直面した際に, 迅速かつ適切 に対応できないという結果に至るのである。
しかも, リスク管理のやっかいな作用が, 科学的かつ工学的なリスク管 理が進むにつれて, リスクの複雑性への認識が縮減することである20)。 科 学的かつ工学的な予測に基づいて対策を万全なものにしたならば, 住民の 多くは安心と安全を確保したという認識を持ってしてしまうという, ルー マンのいう不確実な信頼の発生であり, 「モラル・ハザード」 である。 す なわち, 科学的かつ工学的な政策への信頼の結果, 「想定外」 の事態を想 定しなくなるのである。 その結果, いざ 「想定外」 の事態に至ると, 新た なリスクが増大して甚大な損失を被る。 この逆説的な結果に導くことへの 警告が, ルーマンによる 「リスクのパラドクス」 である。
不確実性というリスクを科学的にあるいは技術的に管理することは, 社 会にある複雑性を縮減していくプロセスとして作用しているのである。 実 際, 地方自治体が進めている緊急時のリスク負担は, 政策のより大きな合 理性の追求と組織再編成につながっている。 前述のトップ・ダウン型政策 決定への変更などの議論がまさにそれを示している。 その結果, 「想定外」
を想定することや, ストリート・レベルでの判断と決定に躊躇するように, 自らを転移してしまうのである。
地方自治体のリスク管理論では, リスクを回避もしくは予防すべき危険 性や損失と定義して, リスク発生時の対処を考え, 損失の最小化を図るた めの最適な政策選択を行おうとする。
リスク管理論における定量化とモデル化とは, リスクの不確実性や予測 不可能性が存在することを前提としつつも, 「許容限界」 の下で予測可能 な範囲での対策を合理的に選択しようとするものである。 津波の高さと場 所を予測することは困難であるが, その対処のために, 海岸線のすべてに 何10メートルもの高さの防潮堤を建設するということは, いかに必要性 があったとしても, 実現できるものではないからである。
だが, こうしたリスクの予測と制御を試みるリスク管理論では, 人智を 超えた 「想定外」 のリスクには対処できないのではないか, という疑問が 残る。 そもそも, 「想定外の事態」 を想定した定量化やモデル化は不可能 だからである。
「無限責任」 を求められる地方自治体
加えて, リスク管理論から, 無限に拡大された行政責任が導き出される ことになる。 発生の予測性が困難なリスクに対して, その予測可能性と対 策の実効性を高めようとする試みに付随して, 「想定外」 のリスクに対し ても行政が責任を負うことが求められているのである。 アルミン・ナセヒ は下記のように, 予測不可能なリスクへの対処には, 常に行政責任が無限 に付随されることを指摘している21)。
・安全のための技術が十分であったか。
・民法による損害賠償は適当であったか
・政治的決定は適切なものであったか。
・責任は生じた被害の責任を負うのに十分なほど責任あるものであった か。
ナセヒは, こうした 「行政の無限責任」 が求められる背景には, ウルリッ ヒ・ベックが分析した 「組織化された責任」 を求めるリスク社会があると
指摘する22)。 ベックは組織化された意思決定に基づく新たなリスクを,
「残余のリスク」 と呼んでいる。 それは, リスク社会においては, 保険的 なリスク管理が不可能なことの裏腹として, 行政責任が無限に拡大するこ とを意味している23)。 行政責任を予測困難なリスクへの対処にまで無限大 に広げることになるため, 「リスクのパラドクス」 を克服するどころか, 地方自治体にとってのリスクはさらに拡大することになるのである。 それ は, 予測不可能な緊急時の対処において, 地方自治体が実施した政策の結 果に対する損害賠償や政治的責任が無限に付加されることになる。 しかし ながら, その結果, 地方自治体が緊急時への対処を躊躇する 「緊急時のサ ボタージュ」 を発生させてしまうというパラドクスに嵌ってしまうのであ る。
このパラドクスについて, ナセヒは次のように述べている。
決定を行う現在における現在とその後に生じる未来の現在との間の 根本的な差異を克服することはできないにせよ, 少なくとも緩和する ことはできるということを, 科学・技術的, 法的, 政治的あるいは道 徳的な対応策をあげて示唆することによってである。 つまり, 被害は, 事後的に, 科学・技術的に, 法的に, 政治的に, あるいはまた道徳的 に それぞれ特殊な機能システムに準拠しながら 観察され処理 されることになり, その結果リスクそれ自体のリスクを直視しなくて もすむようになるのである24)。
もちろん, 地方自治体においても, 科学技術を駆使して, 被害可能性と いうリスクへの予測可能性の向上と, 被害の最小化を目指すことは必要不 可欠である。 しかし, それに伴って, 「行政の無限責任」 が拡大すること によって, 新たなリスクを直視しないという 「緊急時のサボタージュ」 が 逆説的に発生することに無頓着なのである。
緊急時のサボタージュ
とりわけ, 地方自治体という行政システムには, その逆説が強く現れる。
なぜなら, 行政システムとは法律コードによって厳格に統制され, 合理的 に組織化されたものだからである。 この組織化された行政に対して, 平常 時において臨機応変にかつストリート・レベルで判断と決定を行うといっ た柔軟な政策決定を期待できないことは, 私たちが経験的に良く知ってい る事実でもある。
住民の生命と安全を守ることを第一の責務とされる地方自治体の緊急時 への対処も, あらかじめ予測可能な範囲で防災計画などにマニュアルとし て取りまとめられている。 その意味は, 地方自治体は, 緊急時でも合理的 かつ組織的な政策決定と執行を継続するということである。 それは, 一見 適切な対処に見える。 しかし, あらかじめマニュアル化された防災計画を 基にリスク管理を進めて行けば行くほど, 「リスクのパラドクス」 として の 「緊急時のサボタージュ」 が顕現するのである。
この観点から, 「緊急時のサボタージュ」 が発生する要因を示しておこ う。
ルーマンの定義するリスクの趣旨は, 危険性に対処する政策選択と決定 が, 必ずしも期待どおりの結果をもたらすものではないことを, 私たちが 受忍していくことである。 ルーマンの観点からは, リスクとは 「危険」 で はなく, 自己の利益を得るために, 自己が責任を負担することである。 自 己の利益を得ようとするならば, 自らの責任の下にあえて危険を冒さなけ ればならないという意味である。 この場合, 利益も危険性も不確実である。
利益の発生を, 私たちはあらかじめ予測することはできない。 利益が果た して存在するのか否かさえも不確実である。 それでも, 利益を得ようとす るならば, 政策を実行するリスクを負わなくては成果を得られない。 そし て, その政策の実行が, 必ずしも期待通りの成果となる保証はどこにもな