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バブル崩壊後(2001-現在)

第 6 章 イギリスの新規技術型企業クラスターとリスクキャピタル

3.4 バブル崩壊後(2001-現在)

バブル崩壊後は、バイオ・セクターへのVCからの資金供給は急速に細った。特にドイ ツ国内ベースのVCからの資金供給は、大手VCも含め、ほぼ完全にストップしたと言っ ていい。その中で、ごく最近の動きとしては、海外(主に米国)のVCファンド、スイス などの大手製薬会社、個人富裕投資家などの一部が資金提供の主な担い手となりつつある。

従来VCファンドのLPの中心であった国内機関投資家の動きは極めて鈍く、国内VC firm をGPとしたファンドの組成がいまだ極めて厳しい。

分析:

ミュンヘンでは、クラスターの形成過程であるStage1においては、潤沢な研究予算のも と、資金供給には問題なく、スムーズな成長を示したと言える。また、当初、研究予算の 配分を効率よく行うためのinstitutionとして設立されたBioMが、研究者をentrepreneurに

transformさせる支援機能とともに、VC的な機能も発揮し、BioMがGPとなったファンド

も設立された。それに呼応するかのように、多くの独立系のVCがミュンヘンで新たなフ ァンドを設立し、内生的なVCセクターの創出がうまくいくかに見えた。

しかしながら、設立されたファンドのほとんどが十分なパフォーマンスを上げることが

できず、fund のsecond raiseを行うには至らず、VCセクターの創出には至らなかった。し

かし、BioMへの資金提供には連邦政府、地方政府の関与があったとは言え、VCを産業セ クターとして創出しようという政府の特定のtarget policy がない中で、内生的にそれなり の規模のVCセクターが創出・定着するかどうかという大きな実験がはからずも行われた わけで、この経験から学ぶことは多い。

図表7-7におけるStage2の克服に必要なVCセクターの創出が今回のミュンヘンでうま

くいかなかった直接の原因は、いずれの新興VCもreputationをある程度でも確立すること ができるだけのパフォーマンスを見せることができなかったことに求められる。ITバブル の崩壊という特殊事情にその遠因を求めることは容易だが、より本質的な要因は新興 VC がどれだけ国際的にもreputationalな機関投資家をLPとして迎えられたのかという点にあ るように思われる。新興 VCの成功には、有力 LP によるガバナンス機能が不可欠である ことをここで確認しておきたい。

181 図表7-7 クラスターの成長段階

表 長

(筆者作成)

クラスターの成長 水準

t (時間軸)

“leveling off”

(“踊り場”) 局面

シリコンバレー

イスラエル ケンブリッジ

ミュンヘン

VC driven 研究費driven

[Stage 1] [Stage 2]

4. イスラエルにおけるVCセクターの外生的創出 4.1 Pre-Yozma Period (1993年以前)

本稿は VCセクターの創出問題に焦点を当てていることから、イスラエルの状況の分析 に際しても、VCセクターの変遷に基づいて、2つの時期に分けて論じる。その2つの時代 を分ける分岐点は1993 年で、その年に VC創出のターゲット・プログラムとして Yozma

program がスタートしている。そのプログラムについては後ほど詳述するが、ここではそ

のプログラムの導入後、イスラエルのVCセクター及びHigh-Techセクターがともに飛躍 的に成長したことをまず確認しておきたい。

しかし、当然のことながら、1993年以降の成長を後押しするような要因が、1993年まで に蓄積されていたことも確かであろう。イスラエルにおける Innovation and Technology Policy(ITP)のはじまりは、1969年のOCS(Office of Chief Scientist)103の設立から、と通常 認識されている。しかしながら、それ以前の時期の状況を把握しておくことも大切である。

まず、軍事関連のニーズが民間の R&D を活発化させた一因となったことである。

Avnimelech and Teubal (2004)によれば、戦後に軍備システムの高度化を自律的に行わねばな らなくなったイスラエルは、国内軍需産業の育成と軍事技術関連の民間 R&D 投資の充実 が極めて優先度の高い政策課題となっていた。それを背景として、OCSが設立されたこと は間違いない。

その OCS 設立と同年の 1969 年に、Horizontal Grants to Business Sector R&D Program

103 OCSMinistry of Industry and Tradeの関係機関として設立され、イノベーション政策、R&D政策に関して長期にわ たりあらゆる面で指導的役割を担った。(Avnimelech and Teubal (2004))

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(‘Industrial R&D Fund’とも呼ばれる)という民間企業向けのR&D活動への補助金(grant) プログラムが始まった。この補助金プログラムは、‘Horizontal’とプログラム名に冠されて いるように、あらかじめ特定されたセクターあるいは特定された技術について補助金を提 供する104のではなく、すべての企業のあらゆる種類の技術、あらゆる製品のための、R&D 活動がこのプログラムの対象となる。OCSに承認されたR&Dプロジェクトであれば、そ

のR&D投資費用の50%が補助金として支払われる仕組みだ。このプログラムがイスラエ

ルのテクノロジー・セクター創出の大きな背景にあったことは疑いなく、60年代末のこの プログラムによる補助金支出は2.5百万USドルであったものが、1996年には300百万US ドルに達している。(Avnimelech and Teubal (2004))

このように民間企業のR&D活動も活発化していったが、イスラエルの技術関連のR&D の中心はこの時期はまだ軍需にあった。1980年代初頭においても、イスラエルの政府及び 民間のすべてのR&D活動(支出)の半分以上は軍が担っていた。105そして、軍による R&D 活動には様々な利点があった。まず、民間企業では考えられない数の研究者が軍に集結す ることは可能であり、様々なリサーチ・チームが組成されることから、研究者間のネット ワークが強化された。また、英独仏など他国のカウンター・パートとの共同研究は技術移 転の大きな機会となった。更に、軍における研究活動は様々な技術研究分野で将来活躍が 期待される若手研究者を民間に供給することとなった。

実際、Avnimelech and Teubal (2004)は、1985年からはじまった軍事予算の削減の結果と しての軍及び軍需産業のリストラの過程で、優秀な人材のレイオフ、あるいはスピン・オ フが活発化し、民生部門に優秀なエンジニア、技術者、研究者が供給され、後のイスラエ ルが第二のSilicon Valley(あるいはSilicon Wadi)となったと言われた時代の多くの起業家、

エンジニアは軍の出身者であった、と述べている。イスラエルのソフトウェア産業の隆盛 に軍が果たした役割が大きかったことに関しては Breznitz (2002)も分析しており、ソフト ウェア産業にとっては軍がソフトウェア製品の主要顧客の一つだったことも指摘している。

いまだ軍需産業におけるR&Dの比率が民生用技術に対するR&Dよりも多かったとは言 え、70年代及び80年代を通じてOCSによる ‘Industrial R&D Fund’ プログラムは、民間企

業の間に R&D 投資を蓄積させ、また、民生用技術を扱う企業の間に ‘collective learning’

(Avnimelech and Teubal (2006b))の機会も与えることになった。特に、80年代から90年代初 頭におけるイスラエルにおけるエレクトロニクス産業の発展は、この R&D 投資の蓄積の 直接的な結果と考えられる。

しかしながら、90年代に入って、いわゆるSilicon Valley型のHigh Technology セクター においてはグローバルな競争環境が当然となるにつれ、実施から20年を経過した補助金プ ログラムである‘Industrial R&D Fund’ プログラムを中心においたイノベーション政策では

104 ‘Horizontal’に対して、対象が特定されているプログラムは‘Targeted’と呼ばれる。

105 イスラエルは、現在においても世界有数の軍事関連機器の輸出大国であり、2007年において全世界の軍事調達額の 10%をイスラエル企業が受注している。(IVC (2008))

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いわゆるNTBFsの創生と急成長は必ずしも保証できるものではなくなってきた。106ここで、

イスラエル政府はこれまでの ‘Horizontal’ な補助金供与のイノベーション政策から、政策 の中心をいわゆる ‘Targeted Cluster-Creating Policies’ に舵を切った。そこでクラスター形成

のためにTargetとなったのは、シリコンバレーにはあってイスラエルにはほとんどなかっ

たVCセクターであった。

この時期にイスラエルで活動していたVCはほんの数社107であり、政策担当者およびビ ジネス・セクターに共通の認識は、エレクトロニクス、ソフトウェア、などのセクターを 中心に、将来性のあるNTBFsが多くあるにもかかわらず、VCセクターが十分でないこと が、NTBFsの創出・成長のボトルネックになっている、というものであった。

このような認識を背景に、まず1992年に導入されたVC創出を目的としたプログラムが、

Inbal program であった。このプログラムの骨子は、政府関連組織として保証機関(Inbal)を

設立し、VCファンドの出資者に出資額の70%に政府保証をつける、というものであった。

更に、個々のVCファンドはIsraeli Stock Market (TASE)に上場させるということになって いた。このプログラムでは、4つのVCファンドが設立され、TASEに上場されたものの、

Valuation は振るわず、いずれのファンドも二回目の資金調達をする機会もなく、Inbal

programは終了せざるをえなかった。

Inbal program には制度設計上多くの問題があった。まず第一に、ファンドが Limited

Partnership の形式をとらずに、株式会社として設立されたため、ファンドのマネジャーに

適正なインセンティブを与えるシステムとならなかった。(特に成功した際にマネジャーが 何を得られるのかがはっきりしない。) そのため、優秀なcapitalist層をマネジャーとして 迎えることができなかった。更に、制度の骨幹である70%の政府保証はいわば、各社のマ ネジャーが本来負うべきdown side リスクを軽減することになり、資金調達後のマネージ ャーの行動にMoral Hazardを誘発するリスクがあった。同様に、down sideリスクが軽減さ れたスキームであることから、non-professionalなVCマネージャー及びVC firmがこのプ ログラムに応募する状況をつくりだしてしまった。また、政府保証をつけている結果、投 資対象、投資手法などに一定の縛りがあり、機動的なファンド運営は難しかったようだ。

(Avnimelech and Teubal (2006b))。これらの要因から、Inbal programはイスラエルにVCセク ターを創出するという結果を生み出すことができずに終了した。

4.2 Yozma programの成功(1993年以降)

Inbal programの失敗を受けて、政府はすぐに翌年1993年に新たなVC創出のためのプロ

グラムをかかげた。それがYozma program108である。

イスラエル政府は、このプログラムのために、100百万 US$を用意した。このうち、80

106 Avnimelech and Teubal (2006a)によると、この時期イスラエル政府は、これまでのR&Dプログラムが結果を出せなく なってきている理由はビジネス・セクターにおける ‘management and marketing capabilities’の不足にある、と結論づけ ていた。

107 例えば、Star, Giza, Mofet, Athena, Veritasなど。

108 Yozmaはヘブライ語で ‘Initiative’を意味する。