第 5 章 新聞データに見られる「やっと」「ようやく」の相違と、
5.7.1 ジャンルによる「やっと」「ようやく」の文体の相違
まず、ジャンルによる「やっと」「ようやく」の出現傾向について比較する。
本章において、調査データを『毎日』にしたのは、次の表5-6のように、BCCWJ内の「新 聞」では「やっと」「ようやく」の出現頻度が39例と43例で非常に低かったためである。
表5-6 「やっと」「ようやく」の出現頻度
ジャンル やっと ようやく
BCCWJ内の「新聞」 39 43
『毎日』 547 730
『文学』 1845 2347
表5-6から、『毎日』と『文学』という異なるジャンルにおける両副詞の出現頻度は「や っと」より「ようやく」の方が多いことが分かる。ここで、『毎日』と『文学』における 両副詞の出現頻度の差が有意な差であるかカイ二乗検定を行ったところ、有意差は認めら れなかった(χ2=0.5516、p=0.45 p>0.05)。
次に、「やっと」「ようやく」の「地の文」と「会話文」における出現傾向について、ジ ャンルごとにまとめたものが表5-7である。
表5-7 ジャンルごとにおける「地の文」と「会話文」での出現傾向
『毎日』 『文学』
やっと ようやく やっと ようやく 地の文 421
(77.0%)
649
(88.9%)
1505
(81.6%)
2218
(94.5%)
会話文 126
(23.0%)
81
(11.1%)
340
(18.4%)
129
(5.5%)
合計 547
(100.0%)
730
(100.0%)
1845
(100.0%)
2347
(100.0%)
表5-7から、『毎日』と『文学』において、両副詞の「会話文」における出現比率は「よ うやく」より「やっと」の方が高い。ジャンルごとに両副詞の「会話文」における出現比 率はやや異なっているが、ジャンルごとに「やっと」の方が「ようやく」より多く現れる 出現傾向には違いはないことが分かる。第4章4.4.2と本章5.7.1で述べたように、『毎日』
『文学』では両副詞の出現頻度に有意な差が認められた(χ2=32.8149、p<0.05とχ2=173.853、
p<0.05)。
次に、表5-7において、「ようやく」は『文学』より『毎日』の方に「会話文」に出現比 率が多く現れたことについて述べる。
「ようやく」の「会話文」における出現比率が『文学』では 5.5%、『毎日』では 11.1%
であった。『毎日』において「会話文」での出現比率が増えた理由として、『文学』と比べ、
『毎日』に直接引用文が多いからではないかと思われる。実際、「会話文」の中で直接引用 文を調べてみると、『毎日』では(47)のような直接引用文が81例中55例、『文学』では
129 例中 7 例であったためである。例えば、『文学』では(48)のように、「会話文」が連 続しているものがほとんどであった。
(47)我部政明・琉球大教授(国際政治学)は「米国にとり、沖縄基地の重要性で日本 側の言質を取るのは返還議論の大前提だった。65年1月の会談で両国はようやく 返還への話し合いの入り口に立った」と解説する。(2008年12月22日)
(48)「どういうこと?」悠由は美鈴を見た。「だって、悠由って、ふだんはすっごくし っかりして見えるのに、ほんとはこーんなにこわがりなんだもん。だから、なんだ か安心。ようやくほんとの友だちになれたみたいな気がするわ。」「人はうわべだけ じゃわかんないって、森先生がいつも言ってるじゃない。」「そうだけどさ、とりあ えず、うわべしか見えないもん。」「たしかに。」悠由はこっくりとうなずいた。
(PB59_00298『月が眠る家』2005)
『毎日』において、「会話文」に直接引用文が多く見られたことは、新聞記事が持つ特質 からではないかと思われる。新聞記事というものは、ある事件や事故、事実、情報などに ついて、目撃者や被害者、関係者、話題の人物、ある分野の専門家などをインタビューし、
それを記すことが多いため、直接引用文が多いと考えられる。
以上のように、「ようやく」が『文学』での「会話文」より、『毎日』での「会話文」の 方に出現傾向が多いことから、「やっと」も「ようやく」と同様に『文学』より『毎日』の 方に「会話文」での出現比率が多いと予想できる。しかし、表5-7のように、『毎日』と『文 学』の「会話文」に現れる出現傾向は「ようやく」と異なっている。なぜ、「やっと」の直 接引用文の数は、「ようやく」の直接引用文と類似して増える傾向が見られないのだろう。
それは、新聞記事というジャンルの特性から「やっと」より改まった表現である「よう やく」が選択されているのではないかと思われる。つまり、「やっと」と「ようやく」両方 使うことができる文がある場合、「ようやく」が選択されたのではないかと考えられる。
例えば、(49)のように、「やっと」と置き換えることができる文において、「ようやく」が 選択されていることである。
(49)我部政明・琉球大教授(国際政治学)は「米国にとり、沖縄基地の重要性で日本 側の言質を取るのは返還議論の大前提だった。65年1月の会談で両国はようやく 返還への話し合いの入り口に立った」と解説する。(2008年12月22日(47)再掲)
以上、新聞記事である『毎日』はジャンルが持つ特質から、「ようやく」は、『文学』よ り「会話文」における出現傾向に差が出ることと、『毎日』と『文学』では「やっと」が「よ うやく」より「会話文」に多く現れることが明らかになった。
また、宮内(2012)は、BCCWJ 内のさまざまなジャンルにおいて、文体的特徴を述べ
ており、「文学」は「フォーマルでない話し言葉的」であるとし、「新聞」は「書き言葉的」
であるとしている。また、「白書」は「フォーマルで書き言葉的」、「知恵袋」は「フォーマ ルでない・話し言葉的・丁寧・客観的」と述べている。
鯨井(2012)は、BCCWJにおいて、「新聞」が「書籍」「雑誌」より改まり度が高く、「白 書」が「新聞」「雑誌」「書籍」より「書き言葉的」であると指摘している。
また、鄭・他(2009)は、「国会会議録」については、改まった場でのフォーマルな発話 でとりあげられる話題も客観性が重視されているとし、「知恵袋」については、個人が質問 を投げかけ、ある個人が回答を寄せるインターネット掲示板で、相手が不特定とはいえ、
待遇的な要素を含む場であるため、ある程度のフォーマルさが求められるとしている。ま た、「白書」について、典型的なフォーマルさを持つとし、「書籍」について、フォーマル さや客観性において特定しにくいジャンルであると述べている。
第4章のBCCWJにおけるジャンル別の出現傾向から、「やっと」は「知恵袋」「ブログ」
に多く現れ、「ようやく」は「白書」「国会会議録」「教科書」に多く現れることが分かった が、上記の先行研研究の成果により、「やっと」は話し言葉的な文章に「ようやく」は改ま った文章に現れていると言える。
このことにより、「やっと」「ようやく」に関する金(2006)と江(2009a)の内省によ る指摘が正しかったことが分かった。しかしながら、文の伝達機能により「ブログ」の文 体に少々差があることや「知恵袋」は質問と返答の形式で話し手の意識を考え、書き込む 形式であること、「国会会議録」は話し言葉的であるが、書き言葉に変え記述されたことを 考える5と、これらの三つのジャンルについては、より詳細な検討が必要であろうが本研究 ではこれ以上触れない。
以上、本研究によりジャンルごとの出現傾向と、「会話文」と「地の文」における出現傾 向から文体の差が明らかになった。